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制裁の口付けをお一つ



 一人、部屋に籠り切っていると、不意に一振りの刀がふらり、静かにやって来たかと思うと同時にこう投げ掛けてきた。
「いけませんよ、そのように強く噛み締めては。折角せっかく綺麗な形の色好い唇に傷が付いてしまいます」
 鏡の前で顔を伏せるようにして居たのに、目敏く気付いたらしく、忠言のお言葉を頂いた。故に、仕方なく込めていた力を緩めようとしたが、悔しさが滲んで、結局はまた内心のごちゃごちゃとした醜い感情を堪えるように下唇を噛み締める。
 すると、すぐの傍らに腰を下ろしたらしい彼が、此方へ手を差し伸べ、顎を掬い上げる様に持ち上げ、上向けるよう仕向けた。そうして、再び口を利き、言った。
「言っても聞かない様ですから、こうするしかないみたいですね。どうか、勝手をお許しくださいね……主?」
 薄ら笑みを浮かべたままの男は、そのまま私の唇の状態を確認する為に覗き込んできて、すりり、親指の腹で下唇を撫ぜる。居心地の悪さから気まずげに器用に視線のみを他所へ向け、されるがままに応じていると、また独り言ちる如く言葉を紡ぎ始めた。
「嗚呼……ほら、言わんこっちゃないじゃないですか。あんまりに強く噛み締め過ぎるから、その部分が僅かに傷付いて鬱血し、傷になってしまっています……っ。唇だなんて目立つ場所を傷付けては、貴女の面子にも響きますでしょう……? この位の程度でしたらまだ軟膏を塗る位で済みますが、あまりご自身を傷付ける様な行為はお止めくださいな。貴女自身が何とも思わずとも、私共の方は悲しくなりますから……。どうか、ご自愛する事も覚えてくださいね。ただでさえ、貴女はご自身を労わろうとはしませんし、反対に傷め付ける様な事ばかりしますから……っ」
 唇の具合を確認し終えたのだろう。一度、側を離れて必要な医療器具等を仕舞った救急箱を漁ったかと思えば、軟膏の入った小振りの掌サイズな容器を持ち出して、再び目の前の位置にまで戻ってくる。すると、もう一度唇の状態をよく見せる様指示してきた。
「傷の出来た部分に薬を塗り込みたいので、もう一度唇をよく見せて頂いても宜しいでしょうか?」
 彼の言葉に、私は無言で頷きを返し、素直に従って彼のしたい様にさせた。すれば、男は其れに満足そうににこりと微笑み、蓋を開けた容器から小指の腹に乗る位の少量の軟膏を掬い取り、優しく傷の付いたと言う下唇の端付近へ塗り込み始める。其れを、此れもまた大人しく受け入れ、治療されるがままで居る。
 その様子に、彼はまたも静かに口を開いて言った。
「……主は、どうして、度々そうやっておのが身を傷付ける様な真似を為さるのです……?」
 此れに、私は敢えて無言という沈黙を返した。
 彼は溜め息を一つき、尚も言葉を紡いで言う。
「先程も申しました通り、貴女が良くても、我々は良く思いません……っ。どうか、その様な事はお控えください。幾度忠言してもお聞きなさらない様でしたら、此方も此方で強硬手段に出ざるを得なくなりますが……宜しいので?」
 顰め面で諫め事を告げて来る彼に、些か煩わしく思え、思っても無い事を口にした。折角せっかく自分を気遣って言ってくれている言葉だというに……。分かっている筈なのに、しかし、感情は言う事を聞かず、歯止めが掛からずに口から零れていった。
「……俺がどう在ろうと、全ては俺の勝手だろう……? 俺の事は俺が為す……故に、余計な口を挟んでくれるな。鬱陶しくて敵わん……っ」
「ふふふっ……其れは失礼致しました。けれど、こうまで言わねば伝わらないと思いました故、其れだけの事。差し出がましい真似をした自覚はございますので、どうかご容赦くださいまし」
「ふんッ……用が済んだなら、早々に去るが良い。俺は今、他に意識を向けれる程の余裕は無い……。だから、用が済み次第、さっさと部屋から出て行ってくれないか? 出来れば、今は一人で居たい気分なんだ。頼むから、下手に構おうとせず放っておいてくれ……っ。あまり構われ過ぎるのも得意じゃないんでな……分かったなら、くとね」
「おやまぁ。相変わらずの馴れ合わなさ加減ですこと……っ。つれないですねぇ、折角せっかく主とお近付きになれる機会でありますのに……冷たいですねぇ」
「何とでも言うが良い。お小言には慣れてるんだ。くだらない御託を並べ立てる位なら、自分に有益な事をする時間に割け。その方が、随分とマシというものだろう? 早う行け。俺はそう気は長く無い方ぞ。何方かと言うと、短気な方だ。故に、此れ以上の無駄口を叩くのを止めて出て行け。此れ以上言うのは面倒だから、もう言わんぞ……っ」
「では、私の好きな様にすると致しましょうか」
「は……? 何、を……――っ、」
 不意に、彼が距離を詰めてきたと思った時には、目の前の景色が真っ暗になっていて、訳が分からなかった。思考が追い付いてきた時には、時既に遅しといった具合で、顎と唇に触れ感じていた感触は離れており、至近距離で笑みを浮かべた彼の顔が映り込んでいる様な状況であった。
 一寸の間、私はフリーズした様に動けず、思考すらも固まった風に呆然とする。そんな私の状態など置き去りで、彼はほんに好き勝手な事を宣ってくれた。
「幾ら言い重ねようとも、あまりに聞き入れてくれぬご様子でしたので。分かりやすく制裁という名のお仕置きに出る為、実行に移した次第です。此れに懲りましたら、今以上にご自身を傷付ける様な行為は、お控えくださいますようお願いしますよ……?」
 訳が分からなかった。頭がこんがらがって、兎に角脳内に浮かぶのは疑問符ばかりだった。
 盛大に怪訝に顰めた顔をしていたのだろう。彼は可笑しそうに笑って、軟膏を塗ったばかりの下唇を擽る様に触れ、言った。
「ふふっ……此れくらいの戯れ程度、寛大な主様でしたら、当然許してくださいますよねぇ……? ふふふっ。嗚呼、どうか誤解無きよう……っ。飽く迄、今のは治療とお仕置きを兼ねてのものですから……深い意味はございませんので。ご安心くださいね」
 此れに、遅れて反応を返した私は溜め息交じりに言葉を吐き出して告げた。
「……そういう事じゃないだろう、今のは……っ。何で、突然口付けなんか……、しかも、俺相手なんかに…………っ」
 片手で顔を覆い隠すようにして俯き項垂れる。この反応に面白く思ったらしき彼が、声を転がせて言う。
「貴方様お相手だったからこそ、に決まっているじゃないですか……っ。全く鈍い御方ですこと。まぁ、そんなところも主の魅力の一つである事は承知の上ですけれど」
「いや、全然意味が分からんのだが……っ」
「兎に角、此れ以上ご自身を傷付ける事は、この私が許しませんので。次、同じ様な事を為さろうとしましたら……その時はお覚悟なさいませね?」
「っ……、」
 何とも素晴らしい笑みを浮かべての脅し文句に、私は頷かざるを得ず、つい言われるままに肯定の頷きを渋々返すのだった。
 そんな私へ、彼はこんな言葉を残して慈しむ風に私の頬を撫ぜるのである。
「――貴女の置かれた状況は、十二分に理解しているつもりです……。其れ故、貴女がずっと苦しみ、内に燻らせ続けている事も……。辛ければ、辛いとお言いなさいませ。此処は、貴女の砦……貴女をかこう為に在る居場所です。泣きたければ、我慢などせずに泣いてしまえば良いのです。此処に居る者達は、皆、そんな貴女の事を咎めたりなどしないでしょう……。此処では、好きに感情を面に出しても良いのです。其れで誰かが怒ったりなども致しません。何故ならば、私達は貴女の元より顕現せし刀剣達ですから……。私共の存在が支えとなるならば、幾らでも慰みを与え、貴女の支えとなりましょう。其れで、貴女が救われるのでしたらば……私共は喜んでこの身を捧げましょう。その為に、この身を得た様なものなのですから……少し位は、主の為となる事をさせてくださいな。でないと、あまりに寂し過ぎるではないですか」
 嗚呼、どうしてこうも私の刀達は優し過ぎ、また、言う事を聞いてくれないのだろうか……。時折、其れが非道くもどかしくて、苦しい。屹度きっと、そんな事を言ったところで、理解はしてくれないのだろうけれども。
 結局のところ、私は、いつも独り善がりで居るのだ。つまらないプライドを振り翳して、ちっぽけな意地を張って。彼等は、其れを寂しいと咎めるのだけれど、今更変えようが無い生き方なのだからしょうがないだろう。所詮、私は不器用な生き方しか出来ないたちなのだから。


執筆日:2023.03.21