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傭兵育ちの矜持と執着



 命の洗濯とも言われる入浴中の事であった。
 不意に、鳥の囀りのような鳴き声が聞こえた気がした。しかし、時刻は落陽してから長らく経ち、また、夜の帳が降りて久しい程の刻である。真っ暗な闇色に染まる夜の刻に、ただの鳥は鳴かない。ならば、鳥の如し声で鳴くナニカか。思い当たる対象は一つあったが、だがそんな存在が身近に居るとは思えなかった。第一、真っ先に思い浮かんだ其奴は、鳥であってもつぐみであった筈……。今しがた耳にしたと思しき囀り声は、鶯のものだった風に聞こえた。
 眠らぬ街の増えた現代社会だ、あまりの明るさに感覚を狂わせた夜更かし鳥も居るかもしれない。けれど、仮にそんな個体が居たにせよ、夜も深い亥の刻――夜四つ(二十三時)も過ぎた刻にまで巣に寝に帰っていないとは思えなかった。夏の夜に鳴く蝉じゃあるまいし。夜行性のものでなければ、普通なら巣の中で眠っている頃だろう。
 では、一体何なのか。答えは、恐らく曖昧だ。しかし、今の時点で明確に分かっている事は、ただの鳥ではないという事である。妖の類いか。目を付けられるような事をした覚えは無いが。人の道理の外側で生きる者達に、人のことわりを説いたところで無意味であろう。早い話が、人の考えでは及びもしない事が切っ掛けかもしれぬという話だ。
 全く、さて、どうしたものか。面倒であらば、このまま何も聞いてはおらぬと、知らぬ存ぜぬの振りを貫き通すも良かろう。だが、今後のおのが身の振り方を考えるならば、其れは些か稚拙な応対と言えよう。
 女は顔に付いていた泡を流し終えると、軽く体へ湯を流し、立ち上がった。まだ入浴を終えた訳では無いが、一度タオルを手に取る為に浴室の外へ手を伸ばす。その際、極力窓の方へ意識を向けないよう注力した。敢えて、注視しないよう強く意識する為である。声は風呂場の外――家の室内とは真逆の、窓の外側から聞こえてきたように思う。故の、念には念を入れての事だ。
 女は窓側へと視線を向けないよう意識したまま、体の前をタオルで隠し、窓側とは反対の浴室の外――戸口を開いて、言葉短めにしゅを唱えた。
「――“我が近侍刀よ、此処に来たれ”」
 言霊を用いての口寄せ術式であった。
 短き詠唱で喚ばれた紅蓮の剛刀は、召喚による桜吹雪の切れ間と共に閉じていた眼を開くと、目の前の我が主の姿にギョッと目を剥いた。
「なッ……!? おまっ、……何っつー姿を――ッ、」
「シィッ――、下手に騒ぐな。訳有って入浴の最中に喚んだんだ。文句なら後から幾らでも聞いてやるから、今だけは俺の言う事に従ってくれ。些か急を要する事態かもしれん、故に恥ずかしがっている暇は無い。……とは言ったものの、すまんが、なるべくならあまり此方を見ないようにした上で話を聞いてくれたら助かる」
「っ……、その口振りから察するに、単に頭が沸いての巫山戯ふざけた召喚でない事だけは理解した。状況はどうあれ、兎も角話を聞こう。……何があった?」
 どんなに動揺する現場であろうと、冷静さを失わずに対応してみせたのは、流石か。極めて半年は経過する事もあってか、頼もしい限りだ。
 状況を飲み込むなり、速やかに此方へ背を向けて話を聞く姿勢に入った近侍は問う。此れに、審神者は声を抑えたまま囁き声で答えた。
「有り得ない事と思われようが……今しがた、鳥の囀る声を聞いた。鶯の鳴き声のように、俺の耳には聞こえた」
「この時分にか……?」
「普通ならそう思うだろうな。中には夜に鳴く鳥も居るし、且つ鶯によく似た声で鳴く鳥と言ったら、不如帰ほととぎすも居るから、その可能性も捨て切れない……。――が、俺の職業は何だ?」
「審神者だな」
「そうだ。故に、職業柄嫌な予感の方の直感が働いたんで、万が一を想定して報告も兼ねて召喚した次第だ」
「はぁ……っ、お前の嫌な予感は変な時程当たるからな……。――で、お前は、俺にどうして欲しいと……?」
「この家周辺一帯の警戒及び偵察を頼みたい。何も無ければ、其れで構わん。単なる空耳だったと、ただの杞憂に済めば良し。必要であらば、本丸へ連絡し偵察部隊への応援刃員を動かしてくれても構わん。俺は、このまま気付かぬ振り・・・・・・をして自宅全体を覆う結界を強化する事に集中する。彼方側の奴等は、此方が気付いたと認識した途端、悦んで此方側の領域へ踏み込んで来るからな。意図して意識しないようにするに越した事は無い」
「一理あるな。取り敢えずは、了解した。お前の護衛を強化する意味でも、この場に適任の奴等を召集しよう。暫し待っていろ。下手に動いて此方に気付かれても厄介だ。合流するまでは何もするな」
「分かった。なら、なる早で風呂を済ます事に努めよう」
「う、うむ……出来れば、そうしてくれると助かる……っ」
 嫌な直感から危惧した割には何事も無く入浴は済み、その後、近侍の大包平より連絡を受けて召集された応援部隊が無事合流した。その際、鶯丸に引っ張られて連れて来られた八丁が、到着するなり現状説明と共に近侍召喚時の状況を聞かされ、目を据わらせて兄弟分を問い詰めた。
「はいはーいっ! 包平の兄さんに一つ質問でぇーっす!」
「な、何だ……?」
「雇い主が入浴中に召喚受けたって聞いたんですけど……包平の兄さん、雇い主の裸見たりとかはしてない……よね?」
「ばッッッ!? んな訳断じてあるかァ!!」
「まぁ、包平の兄さんの事だから、そんな事無いだろうなぁ〜とは思ったんですけど一応、ね! でも……本っ当ぉーに見てないんだよね?」
「……ッぐ……!! 俺は、断じて、何も、見ていないからなッ……! 誓って、俺は、主の裸体などを見てはいない……ッ!!」
「今の不自然な間は怪しいぞ、大包平?」
「え……まさかだけど、嘘でしょ包平の兄さん……?」
「ま、ままま、待て、やめろ、早まるな! 頼むから本体から手を離せ八丁! 誤解だ……ッ! 飛んだ濡れ衣だ!! 俺は本当に何も見ていない!!」
「だ、そうだ八丁。一旦収めてやれ。目が怖いぞ」
「あっ。御免なさ〜いっ! つい!」
「こらこら、あんま大包平を苛めてやるな。俺が緊急時だと踏んだが故、お目汚し失礼承知で色々面倒臭い手続きすっ飛ばして口寄せで喚んだんだ。安心しろ。風呂入ってた最中の事とは言え、最低限の配慮としてタオルで前くらいは隠しといたから。流石の完全おっぴろげする程自分のスタイルに自信ある訳でも無し。あと、半開きではあるものの、一応は扉越しで会ったんでな。変な心配は要らんぞ。そもが、俺の貧相な裸なぞ、わざわざ見ようと思う奴も居るまい。仮に居ったとて、あまりの残念さに萎えるだけであろ。心配するだけ無駄というものよ」
「雇い主は、自分が良い歳した女人だって自覚が足りないんよ……っ。だから、平気で入浴中なんかでも直接的に喚んだりしちゃえるんだ……っ」
「緊急事態であったなら、形振り構ってる暇など無かろうよ……。まぁ、一応は性別が女であった自覚が足らなかった点については謝ろう。すまんかったな。大包平も、変な気遣いさせてすまんかった」
「いや……俺は、偶々近侍を担っていたからこそ喚ばれたと理解していた為に、其処まで気にはしていない。だが、今後はもう少し配慮してくれると有難くは思う……。何より、お前の立場からして、他の者に示しが付かんだろうからな」
 一先ず、その場は説き伏せ、召集した本来の目的を果たすべく各々に指示を出し、自宅周辺の警備及び偵察に当たってもらった。結論から述べれば、審神者が予想したのに反し、辺り一帯には何の異常も見られなかった。念には念をと、にっかりにその手の気配が有るか無いかも探ってもらったが、特に気になる気配等は無かったそうな。ならば、先程耳にしたものは、やはり、空耳だったのか。其れにしては、やけにはっきりと聞こえたような……。
 結果的何も無く何も起こらずという結果に腑に落ちない胸中で居ると、一番最初に召喚を受けた近侍が口を開いた。
「気になるならば、最低限の刃員のみ残し、警戒は続行とするか?」
「うん……たぶん、その方が得策な気がする……。何も無いなら、其れに越した事は無いのだけれど……なぁーんか違和感が拭えないというか、まだ何か有りそうでならないというか……」
「勘か?」
「勘だな」
「お前の勘は当たる方だからな……分かった。なら、八丁、お前が現場に残れ」
「へっ? 俺……?」
 突然名前を挙げられた事に驚いた黒く青い刀は、虚を突かれたような表情で己を指差し問う。其れに、名を挙げた側の大包平は大真面目な態度で頷く。
「お前なら、今回の護衛役として適任だろう」
「確かに。八丁ならば、いざという時、刀種に関わらず最善の動きが出来る見込みがあるな」
「えぇっ……其れは、ちょっと買い被り過ぎなんじゃない? 兄さん方……っ。第一、俺じゃなくとも、極の短刀達とか室内戦共に夜戦に有利な刀とか、もっと適任な刀達がいっぱい居るでしょうよ。どう考えても、わざわざ俺が出る幕じゃ無くない……?」
「相手が“時間遡行軍”一択であったならの場合はな。八丁君なら、傭兵育ちだからこその現場の判断が早そうだし、且つ最悪中距離・遠距離戦に発展しても対応出来る見込みがある。まぁ、後者は、俺の霊力込みでの話ではあるが……。諸々を鑑みても、俺も大包平の意見には賛同だな」
「雇い主まで……っ!?」
「ふふっ、期待しているぞ八丁」
 己の兄弟分が高く買われている事が嬉しいのか、にこやかな笑みを浮かべて肩ポンしてきた鶯丸。予想だにしない重責を背負わされそうな空気に、早くもげんなりとした空気を漂わせ始める八丁は溜め息をいた。
「プレッシャーがやば過ぎんよ〜……っ。ぽっと出の新刃に対しての扱いじゃなくない?」
「何事も適材適所って事さね。宜しく頼むよ」
「其れ……物は言い様ってなだけじゃんっ。……まぁ、雇い主からの指示なら従わざるを得ないけどもさ! 本当に俺で良いの?」
「お前が良いから、お前に決めたの」
 彼女の言葉に、不服としながらも一応は部下として従う事にしたのか、命を受け入れた八丁は腹を括ったようだ。其れを見守るに徹していた古備前の兄達は、顔を見合わせ頷き合う。
「では、主の事を頼んだぞ、八丁。現場は八丁へ任せ、俺達は速やかに帰城する。行くぞお前達」
「はいはい……っ」
「それでは、僕達は此れにて失礼致します、主君。ご武運を」
「大将の事頼んだぜ、八丁の旦那」
「オッケオッケ! 命令受けた以上はちゃんと仕事するから、任しといてぇーっ!」
 何やかんや言いつつも、仕事の出来る刀であるのは事実であった。

 彼等と別れた後、改めて就寝時の護衛役を八丁へと任せると口にした審神者。だが、流石に人の身のまま添い寝するのは主従の絵面的に不味かろうと、一時的に顕現を解除する旨を進言した八丁。此れを受け入れた彼女は、事前にこんのすけへの連絡を挟んだ上で実行した。
 斯くして、八丁は本体の姿に戻った上ですぐ側の守りに就く。そうして、彼を傍らに添えて眠りに就いたかに思えた頃、事態の進展は見られた。
 夢に微睡む隙を突いてか、結界の緩みより侵入したナニカが、夢の淵に居た審神者を呼んだのだ。直後、薄ら寒さを感じると同時に、意識を絡め取られるような感覚を受け、跳ね起きる。即座に反応した八丁は瞬時にその身を顕現してみせ、彼女を背に庇う体勢で臨戦体勢を取った。
 しかし、姿を現した鳥擬きの様相の妖は、ケタケタと不気味な笑みを浮かべてせせら嗤う。
「たかが骨董に付喪が宿っただけの下級位風情が、果たしてわれに敵うものか? 所詮はお飾りに過ぎぬ物共の分際で、敵う訳があるまいて!」
 聞くに堪えない嘲笑う声が、結界の張られた一室に響き渡る。其れに対し、逆に不敵な笑みを返してみせた八丁が、瞳孔を開いた様子で余裕な態度を崩さず臆さずに言い切った。
「本当に俺がただのお飾りに過ぎないだけの物な風に見える?」
「ふんっ、所詮は虚勢の強がりであろう? つまらぬ虚勢は張らぬが後の為だえ?」
「はははッ、ざーんねーんでし、たっ……! 演技とか振りとかでもなくって、マジの本気で言ってるから。俺が何時いつ、ただの骨董品だって言ったよ?」
 刹那、腰に提げていた予備のトリガーの一つを背後に居た審神者へ後ろ手に投げた。次いで、間髪入れずに、彼は或る意図を含めて彼女へと告げる。
「雇い主、特別霊力注入宜しく……っ!!」
「応っ、任された!」
 正しく彼の意図を汲み取った審神者は、受け取った物へ頭に思い描く姿を写していく。まるで、事前に打ち合わせでもしていたのかというくらいに、自然と連携の取れた流れであった。そうして出来上がった、間に合わせで造った・・・だけの代物を目の前の男へと押し返す。
「即席物に過ぎんが、俺の記憶にある物を写し取った! 火力は適当! ミドルバレルに設定したから、範囲は中距離まで。其れ以上離れたら弾は届かんぞ!」
「十分……! 有難う雇い主! 此れで、室内戦も克服出来そう!! 本当、雇い主ったらつよつよで最っ高……!!」
「何だ何だ、次は何を始めようって? どうせ、われの成す事に手も足も出せぬであろうに……っ」
「お前を退治する算段が付いた、って言ったらどうする?」
「はッ、戯れ言を……!」
「本当にそう思うなら、試してみる? 俺と雇い主の力で編んだ最強コイツの威力」
「そんな子供騙しの玩具、何一つ恐くは無いわァ!!」
「じゃあ、食らわせてやんよ。本物の銃の恐ろしさってヤツを」
 直後、彼の目が鋭さを増して煌めいた。
「弾込め良し! 風向き良し! 筒先構え! 放つッ!!」
 彼の合図と共に、戦闘開始の火蓋は切られた。瞬く間に筒先からは火が噴き、火種が弾けて、霊力で編んだ銃弾が目標へと飛んでいく。舐め腐っていたらしい対象へ直撃した弾丸は、狙った通りに相手を貫く。まさか本当に撃ち抜かれるとは思っていなかったのだろう、意図せず発破を掛けてしまった物ノ怪は怯んだ。しかし、八丁の編み出す銃弾は続け様に撃ち込まれる。
 次弾を装填し切った八丁は冷たく笑んで言い放つ。
「俺は外さないよ? ましてや、この距離だし。まさしく狙い撃ちってね。ははッ、アンタ等が嫌いな鉄・・・・・・・・・の味はどうよ?」
「ぎ、ぎィいいいいいッッッ!!」
「逃げる隙も休む隙だって与えてやるもんか。雇い主を傷付けようとした報いだ。トドメは、弾より効くのをお見舞いしてやるよッ!!」
 目にも止まらぬ速さで振り抜かれたと気付いた刹那、ザシュリッ、鋼の刃が一陣の風の如く斬りかかり、既に風穴の開いていた物ノ怪の体を真っ二つに斬り裂いていた。瞬間、血飛沫が弧を描いて結界の壁内へと飛び散る。一見してグロテスクな光景であった。
 ある程度の惨状ならば見慣れたもので平気だったのだが、主に仇為す敵を仕留めた張本人は、あまり視界に入れるには相応しくないと判断したのだろう。血払いをして刀を鞘に納めるなり、直ぐ様側まで戻り、目の前の光景から視界を塞ぐように立ち塞がり、ついでに視界その物までをも塞がれた。其れに思わず、「何も見えないんだが」と文句を零したら、「雇い主は見ちゃ駄目だよ。精神衛生上に良くないから」と真面目なトーンで拒否られた。別に、今更の事なんだが……彼からしたらそうは思わなかったらしい。仕方なしに、自陣の応援部隊が到着するまでそのままで待機する事を飲んだ。
 その後、現場を処理してくれる政府からの専門部隊が到着したのを確認し、現場の引き継ぎを行ったのち、今回の一連の騒動の改めての説明と報告書をしたためる為に本丸へと帰還した。


 ――本丸帰還後、明朝の刻となった頃。
 ようやっと諸々の作業が終わって一息けると気伸びした彼女の元へ、おとなう者が一人。先の一件で素晴らしい働きを見せた、古備前の末の弟分である彼、八丁念仏であった。
「お疲れ様〜雇い主っ!」
「おや、八丁君でないか……どうしたんだい?」
「ん〜、あんな事が起こった直後だし? 何となく気になって様子見に来ちゃいましたっ……! もしかして、お邪魔な感じだったり……?」
「いんにゃ。心配してくれたのは、純粋に嬉しいよ……。けど、沢山働いて疲れたでしょう? 今日のところはもう寝なさい。……って、もう朝んなっちゃってる時間に言うのも何だけれどね」
「其れは雇い主もおんなじでしょ? 俺の事なら大っ丈夫! ほら、俺は雇い主と違って丈夫だし、ちょっとやそっとじゃ死なない造りしてるからさっ!」
「……見たところ、単なる様子見に来たってだけじゃあ無さそうだなァ」
「あはっ、バレちゃった……?」
「端から隠す気も無かっただろうに」
「へへへっ……流石は俺の雇い主! よく見抜いたね?」
「そんで……本当は何用だったのかな?」
「うん……雇い主の事が心配だったのは、本当……。戦慣れしてない時代出身の雇い主にとって、今回は妖退治だったけども、硝煙漂う風景はあまりに血腥ちなまぐさく映ったんじゃないかって思って……。あの時は、現場の指揮を執る大将らしく振る舞わなきゃって気丈に振る舞ってたかもしんないけどさ? 事が片付いた今は、脳裏に焼き付いた戦場の光景が雇い主の事蝕んでないかなぁ〜って、気になっちゃったり…………?」
「……あ゛ーっ、心配してくれてるとこ悪いが……俺も伊達に此処まで審神者やって来てねぇから、あれくらいの程度なら慣れてるぞ? 五年近く戦と向き合ってりゃ、嫌でも耐性付くからなァ」
「でも、望んで見てる訳じゃない以上は、メンタルよわよわらしい雇い主の精神には堪えるんじゃない……?」
「時折そういう日もあるってだけで、毎度そうなる訳じゃねーさ。だが、まぁ、俺の不安要素を取り除こうと心底心配してくれた事に関しては、素直に感謝するよ。ありがとね、八丁君」
「どーいたしましてっ……! ところで、話変わるんだけどさ。雇い主が寝てる間の番は、誰が担当とか訊いても?」
「いや、先の件は、万が一に備える意味があったから守刀役を据えた訳だが、今は安全な本丸に居て皆も呼んだらすぐ来てくれる距離に居るから、そういうのの番を付ける予定は無いぞ……?」
「じゃーあ、俺が個刃的に立候補しても良いですか! ……駄目?」
「いや、まぁ……騒動の直後だからこそ、自主的に名乗り出てくれるのは有難いけど……でも、そしたら八丁君が休めな、」
「んじゃあ、決まりって事で! お部屋失礼しまーっす!!」
 半ば強引に押し切る形で審神者の私室へとお邪魔してきた八丁。此れには、彼女も強く出れずに、なぁなぁで受け入れる形で迎え入れる。
 既に寝る準備を整えていたらしい彼は、寝間着の緩い着流し姿であった。寝る前である事も相俟って、あまり直視するのは目に毒だろうと、其れとなく彼から視線を外して、床に入ろうと世話好き短刀より整えられた布団へと身を滑らせる。流れからして、一緒に寝るのだろうと思って疑わなかった女は、自身が先に入って空けたスペースへ手招くように布団を捲って促す。
「ほい、どうぞ」
「えっ……?」
「うん? 一緒に寝たかったんじゃないの?」
「いやぁ……俺はてっきり、さっきの時みたく本体に戻って側に付くつもりで〜…………やっ、まぁ〜……うんっ。やっぱ、違わなくもない、です……ハイっ。……えと、じゃあ、お隣失礼させて頂きますね……っ!」
「変な八丁君……」
「其れ、雇い主が言わないで……っ」
 同じ屋根の下、一つの布団を男女の身で共有し合う構図は、端から見たら屹度きっと恋仲の其れにしか見えないだろう。実際の二人は、現状主従の関係の域を出ぬ関係性に留まっていたが。しかし、成人した身の男と女が一つ処に居れば、時間の問題とも言えよう。意識しない方が可笑しい距離感で一つの布団に二人して寝転ぶ光景は、些か滑稽であった。
 床へ横になった時点で、張り詰めていたものなどがドッと押し寄せてきたのだろう。忽ち眠たそうに目蓋を落とし始めた彼女に配慮するように潜めた声で囁く。
「あのさぁ……あの時は、包平の兄さん達が居た手前だったから程々に控えたけど……俺、本当はマジの真剣で嫌だったかんね……っ。緊急時だったからこそ、条件付けですぐに喚び出しやすかったのが近侍だった、ってのは理解してんよ……? でも、雇い主はもうちょい貞操への危機管理持って欲しいんだよねぇ〜…………っ。だって、タオル一枚とか……其れ、ほぼほぼ裸同然だし、据え膳何とやらだし……ぶっちゃけ、その場で押し倒されてあーんな事やそーんな事、されちゃってたかもしんないんだよ? 雇い主が相手してるのは男だって事、もう少し本気で分かんないと……いつか本当にその気で食べられちゃっても文句言えないから」
 既に薄ら明るんで来ている外の明かりが射し込んできていたが、布団に籠もった二人の視界は薄暗い。その薄暗い中でゆらり揺らぐ海の色の如く綺麗な青は、何処となく熱っぽい色を宿して見えた気がした。だが、眠気が勝っていたせいでまともな思考回路を残していなかった彼女は、寝惚け眼でぼんやりその目を見つめてこう返した。
「ん……じゃぁ、今度は気を付けるから…………もし、また俺がやらかしそうになったら……八丁君が狼さんだって事で…………。今日のとこは、霊力放出しまくって疲れたので……おやすみぃ〜……っ」
「………………え? アッハイ、おやすみなさぁ〜い…………って、え。ちょちょ、待って……今の寝る流れ?? 普通もうちょい取り乱したりとかあるんじゃ……えっ、何、俺が間違ってんの????」
 たっぷり数拍分フリーズして漸く彼女の言った言葉の意味を噛み砕けた時には、言い放った張本人は既に夢の世界へ旅立った後であった。
 すっかりしてやられたとばかりに頬へ熱を灯らせた彼は、一人ごちる。
「言い逃げするとか……狡いんよ……っ。馬鹿雇い主っ……ヒトの気も知らないでさ……本当、そういうとこ狡過ぎィ…………っ」
 持て余した感情の遣り場も無いままに、彼は胸中で渦巻く不完全燃焼な感情も一緒に吐き出すように深々とした溜め息を吐いた。
 そうして、彼女が目覚めた時、存分に慌てふためけば良いと内心で罵って、誰の目も憚る事は無いからと半ば自棄糞ヤケクソで彼女の身を懐に抱き寄せ、此れでもかと足を絡めて自らも寝る体勢に落ちるのだった。


執筆日:2023.05.21
公開日:2023.05.22