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絶対信頼の江自慢の膝枕



 ぱちりと眼を開くと、其処には豊前君のご尊顔があらせられた。しかも、何か妙に柔らかな表情で此方を見下ろしているような図だ。そう、此れはまるで……愛しい者にでも向けるような、そんな慈しみの溢れた優しいもので……。何故、そんな風な顔が自分に向けられているのか。一瞬訳が分からなくて瞬きを繰り返した。
 すると、殊更愛おしそうに目尻を下げた彼がふわりと言葉を降らせる。
「よく眠れたか……? あーるじ」
 何処と無く茶化しの混じった其れに、今置かれている状況を理解出来ていないのに驚きも相俟って、咄嗟に返す言葉も思い付かずただただ無言を貫き通していれば、フッと吹き出すように柔らかく笑んだ彼が再び口を開く。
「良いよ、まだ寝てても。疲れてんだろ? 今は無理せず休んどけって。俺の心配なら要らねぇから大ぇ丈夫。俺の膝なら、幾らでも好きに貸してやるけさ。もっと頼ってくれちゃ」
 そう言った彼にゆるりと視界を塞がれて、促されるようにあっさりと陥落した私は、いつの間にかまた意識を遠退かせていたようで――。

 次に目蓋を開いた時に見た光景も、先程と似たようなもので。光を遮るように此方を覗き込む彼の赤と目が合った。次いで、同じように呆けてポカン……ッとしていると、クツリと喉奥を鳴らして笑みを漏らした彼が先に口を開いて告ぐ。
「おはようさん。よく眠れたか?」
「りぃ、だあ……? が……どうして、俺なんかを膝枕してんの……? え、何コレどういう状況??」
「もしかして……何も覚えてねぇーのか?」
「えっ……?」
 其処で初めて私が訳も分からず不思議そうにしていた理由を察したらしい。彼は少し驚いた顔をして、事の顛末を教えてくれた。
「偶々、アンタが目眩起こしたか何かで通路でフラついて倒れそうになってたところに遭遇してな。近くに居んのが俺しか居なさそうだったんで、咄嗟に受け止めて声掛けたまでは良かったんだが……その後すぐ気絶しちまったのか、何の反応も返って来なかったからさぁ。取り敢えずどっかで休ませねぇと、と思って……適当に近場の部屋に運び込んだんだ。本当は、アンタの部屋に直接運び込んだ上で寝かせた方が良かったんかもしんねぇが……下手に動かすのも不味いかもって思って、膝枕で様子見してたんだ。首……大丈夫か? もし痛かったりとかしたら御免な」
「あー……其れでこの状況だった訳ね……。何かお世話かけたみたいですまんねぇ。首は大丈夫よ。心配してくれて有難うね」
「其れは別に構わねぇけど……倒れるまで無茶すんのだけは止めてくれよな? 本っ当肝が冷えたちゃ……っ」
「ははっ、本当にすんませんっした……っ」
「笑い事じゃねぇーぞ、馬鹿」
「あでででっ、いひゃいッス、悪かったかりゃはにゃひてっ……!」
 軽い力でつねられたほっぺが痛くて素直に許しを乞えば、容易く離してくれた。
 心底安堵したという風な吐息を零して再び笑んだ彼が言う。
「あんま無茶しねぇーでくれ。アンタは、俺の大事な主なんやけさ」
 そう言った時のあまりの優しさっぷりに、今更ながら何となく気恥ずかしさを覚えた故の天の邪鬼を発揮した私は、「お、おぅっ……」という何とも微妙な返事を返した。次いで、眩しさすら感じる眼差しに見つめられ続ける事に堪え切れなくなって、視線を逸らした。動揺感丸出しである。其れに可笑しそうに笑った彼が、また愛おしげとも言える目で更に覗き込むように見下ろしてきたから、彼が視界いっぱいに映り込んで、堪らず膝から転げ落ちた。其れしか今を変える術を思い付かなかったのだ。
 横へ仰け反るように体をずらした途端、ゴンッと鈍い音を立てて後頭部を打ち付ける。自業自得だが、地味な痛みを感じて思わず声を漏らす。すぐに頭上から彼の慌てて心配する声が聞こえてきた。其れに応えるように呻きつつ体を起こせば、尚も大丈夫かと問う言葉を掛けられる。一先ず無事である事を示すべく、「大丈夫」との一言を返せば、ホッと息をく彼が苦笑を浮かべて笑った。
「そげな急に動いたら危ないやろうが……ったく、ほっちょけん奴やなぁ」
「あはははは……っ、」
「そんなに俺の膝枕、嫌だったか……?」
「いや、そうじゃなくって……今のは単純に恥ずかしくなったが故の反射でして……っ」
「其れこそ今更だろ? 困った時はお互い様だって!」
 それ迄ずっと乗せていた私の頭が無くなったからだろう。少しだけ辛そうに脚を伸ばした様子に、痺れてもずっとそのままの体勢で居させてしまった事への謝罪を口にした。
「御免、足痺れさせる程に膝借りちゃって……っ」
「良いって良いって、気にすんなちゃ! 俺の膝がそんな熟睡するくらいにまで良かったなら、また何時いつでも貸してやるけさ! ……にしてもアンタ、起きるまでぐっすりって話本当だったんだな? 覚醒するまでマジで起きねぇから、ちょっちビビったわ」
「マジですまぬぅ……っ」
「だから、良いって! 主がぐっすり眠れる程安心出来んだったら、其れ以上に嬉しい事はねぇーから。今度は、倒れる前に頼ってくれよ?」
「はひっ……! ぜ、善処します……!」
 超絶イケメン顔にイケメン過ぎる台詞と共に迫られて、思わず動揺から声が裏返ったのは、どうか大目に見て欲しい。


執筆日:2023.08.05
公開日:2023.08.06