▼▲
焼け野の雉子



 街に出て来ている時の事である。不意に、己の耳を疑う話が流れているのを小耳に挟んだのだ。思わず、ハッとして、所構わず面を上げるなり自分の斜め後ろを過ぎ去ろうとしていた者達を振り返る。そして、彼等の口が話す言葉に注視した。
 其処は、『辻市』と呼ばれる場所。凡そ、耐性の有る者でない限りについては訪れぬ方が良しとされる、人為らざる者達が往来する、妖しの市。万屋街にある何処かしこの辻で繋がる、特殊な場所。基本、あやかしと呼ばれる物の怪の類ばかりが集い平然と闊歩しているような、賑やかな市だ。其処では、色んな話が飛び交う。明らかにただの噂と分かるようなものから、耳にするには悪い話も際限無く、彼方此方から飛び込んで来るものだ。我々刀剣男士という立場は、其れ等をある種の情報源として、時に情報収集の為として、或いは話のネタ集めの為だけに聞きに訪れた。純粋に、ただの表市とは異なる代物を取り扱っているからこそ、其れを見たさに訪れる者も少なくはない。但し、来る時は伴に審神者は引き連れてはいけない。数多の情報に惑わされ、果てには良からぬ者共に目を付けられ、安易に攫われ兼ねないからだ。故に、余程の耐性を有す者以外除いて人は伴わぬ方が良しと、暗黙の掟とされている。
 ――その辻市で、耳を疑う話を聞いた。彼等が語るには、曰く、陸奥国に属する何処かの本丸に前触れ無く火の手が上がったらしい。丁度、本丸の者達の大半が遠征任務等で出払ってしまっていたが故に、気付くのが遅れてしまったのだとか。出火元は本丸のすぐ裏手に在る山の麓で、その日は空気がよく乾燥していた上に風も強い日だった為、かなりの早さで燃え広がったのだそうだ。火の勢いは恐ろしく、忽ち本丸全域を焔の海が包み込んだらしい。此れを語る彼も、人伝から見聞きしたようで、ただの世間話の一つとして伴の者に話し聞かせていたのを、偶々通りすがりの自分の耳にも入ってしまったというだけの事。だけれど、“陸奥国の本丸”というワードが飛び込んで来た途端、体中から嫌な汗が噴き出る程ゾッと血の気が引いた。思わず、弾かれたように話し声の主を振り返る程には焦燥感に駆られ、嫌な衝動に体を突き動かされた。
 山鳥毛は、先を行く伴を置いて、慌てて斜め後ろ背後を過ぎ去ろうとしていた者達を引き留めた。
「もしッ……! 突然話に割って入るようで失礼極まりないと承知の上で少々お訊ねしたい事があるのだが、よろしいか……っ!」
「えっ!? あぁ、まぁ、別に急ぐような事も無ェから其れ自体は構わねぇけどよ……んなに慌ててどうした?」
 くだんの話をしていたのは、何処かの本丸に所属する和泉守兼定と連れの堀川国広という一組であった。突然慌てた風に声をかけられた事に動揺しつつも、何か事情があるのだろうと汲んだ彼は先を促す。此れに助けられた山鳥毛は、据わりの悪い心地を拭えぬまま、居住まいだけを正して再び言を口にした。
「すまないっ……通りすがりに、偶々君達の話していた話が耳に入って来てね。その内容があまりにも身近過ぎて、聞き流すには恐ろしいと思い、こうして確かめに引き留めた次第だ……っ」
「今僕達が話していた話題っていうと……陸奥国の何処かに所属する本丸が焼けちゃったらしい――って話だったよね、兼さん?」
「おう。その通りだ。……アンタ、もしかして其処の本丸の…………」
「いや、そうでなければ良いと思って、確認も兼ねて改めて話を聞きたく」
「成程。そういう事なら、お安い御用だ! 何せ、此処は色んな話が行き交う場所だからな。アンタみてぇなのが居たって何ら不思議はねぇ。但し、前置きしておくが、俺も人から又聞きした話なんで、何処から何処までが正確かは保証出来ねぇぞ。其れでも良いってんなら話してやれるが……?」
「構わない。……今一度、君が聞き及んだという事の詳細の程をお聞かせ願いたく」
 そうして、山鳥毛は和泉守から改めて事のあらましを聞かせてもらった。必要な事のみ聞き終えると、彼は一行等と別れを告げ、元の位置にまで引き返しに行った。すると、其処には何言も言われず置いてけぼりにされた伴の者が一人、寂しく待ちぼうけを食っていたように暇を持て余して佇んでいた。
「おいおい、この僕を置き去りにして何処ぞへ行くとは何事だ……?」
「その件については純粋にすまなかったと思っている……っ。何も告げずに離れた私が悪かった。素直に謝罪しよう」
「別にお前さんの詫び如きが欲しくて言ったんじゃあない。何かあって行動を起こしたのなら、事前に一言断りを挟むくらいの余裕は持てと言ってるんだ。……して、何がお前さんをそうまで掻き立てた? 怒らないで聞いてやるから、話してみなさい」
 扇子片手にふてぶてしく宣った一文字則宗は、先を促した。此れに、山鳥毛は顔色の悪さはそのままに急くような早口で捲し立てた。
「嫌な予感がする……っ。ただの杞憂に過ぎれば其れで良いが……己の目で確かめてみるまでは生きた心地はせんだろう。すまないが、私は急ぎ巣へ戻る事にする。小鳥の身が心配だ……っ」
 何かに急き立てられている風な焦り様に、詳しくは聞こうとせずに何事かを理解したらしき則宗は、手にしていた扇子をパチリと閉じ、黙って懐へと仕舞って先を急ぐ彼に続く姿勢を見せた。
「主に関わる事なら早くそう言え。事が一刻を争うならば、近道をした方が良さそうだな……。はぁ、やれやれ……っ、今日は市をゆっくり見て歩くつもりだったのに、来て早々に蜻蛉返りせねばならんとはなんと運の悪い!」
「今回の埋め合わせについては、後日改めさせてもらおう……!」
「当然だ! この僕を振り回すだけ振り回して置いてけぼりにした挙げ句、最終的には何の土産を買う事も無く帰れと付き合わされるんだから……っ、こっちの身にもなれってもんだ!」
「文句なら全て本丸へ戻ってから聞こう……!! 今は、兎に角時間が惜しい……っ!」
「ったく、誰に似たのやらだな……。この先の左角を曲がった先の、細い路地裏がいつもの万屋街の一角に繋がっておる。早道するなら其処を通るぞ。但し、其処は一度身を通すと後戻り出来ん程の細道だ。通称、一方通行の古道だ。片道分の道を渡すくらいの力しか持たんから、そう言われている場所だ。人の脳味噌だと、道を渡る際の負荷に耐え切れんから、主を連れた時には絶対に使うなよ」
「承知した……!」
 早足で駆けていく二振りが、徐ろに角を左へと曲がり、その勢いのまま細い路地裏へと飛び込んで行った。忽ち、二振りの背は搔き消え、元あるように細い路地裏が佇むだけであった。
 斯くして、急ぎ『辻市』より蜻蛉返りした一行は、本丸へと帰還した。物見で見張りを担当していた者が、ひょっこり上から顔を覗かせて、普段通りの声で挨拶を告げる。
「山鳥毛さんに則宗さん、お帰りなさぁ〜いっ! 随分慌てたお帰りだけど、何かあったの?」
「単刀直入に訊くが、小鳥は今何処に居る……!?」
「えっ? 主なら、たぶんいつもの離れに居る筈だと思うけど……っ」
「外出先で何かあったのか?」
「すまないが、今は説明している時間も惜しい……! 早くこの目で小鳥の身を確かめなければ……っ!!」
 言うが早いか、山鳥毛は物見櫓で見張りをしていた脇差二振りへは目もくれず、足早に離れへと走り去ってしまった。彼等は顔を見合わせ、何事だろうと首を傾げるなりその場から二振りして則宗が居る地点まで飛び降り着地する。次いで、下で門番をしていた者達へ一時持ち場を離れる旨を告げ、彼の走り去った後を追うべくして走り出す構えを見せた。
「何かよく分かんないけど、山鳥毛さんがあれだけ慌てる事って自体早々無いから。俺達も気になるし、一緒に行くよ」
「兄弟がそう言うのなら、俺も行く。主に何かあってからでは遅いからな」
「全く……何も物見櫓から飛び降りて来んでも良かろうに、せっかちさんが多くて困るなウチの本丸は」
「まぁ、此れくらいの高さ飛び降りたくらいじゃ怪我なんてしないから、実質無問題モーマンタイだよね……!」
「はぁ〜、やれやれ……先が思い遣られるなぁ」
 そんなこんな言いつつも、走り去った彼の後を揃って追い駆けに行くのだからしょうのない御人である。
 結果、辿り着いた離れにはいつも通りの姿の審神者が居るだけだった。出掛けたと聞いた筈の二振りが突然血相変えて帰ってきたのに対し、大層驚いた様子で出迎える。
「お、おおお帰り二振り共……っ。どしたの、んな血相変えてさ……? というか、俺の顔見るや否やいきなり抱擁とか熱烈過ぎて頭吹っ飛びそうなんだが……何事??」
「いやぁ〜、ウチのが迷惑掛けてすまなんだな主よ」
「いや……其れ自体は別に構わないから良いんだけど。全く以て訳が分かんないから、とりま簡単でも良いんで説明プリーズ……ッ」
 離れに在る自室でいつも通り平穏に過ごしていたら、突如帰宅したらしき山鳥毛に鋭い声で「小鳥……ッ!!」と呼び止められて振り返った時には、既に今の状態が出来上がっていた。理由も分からぬ内に力いっぱい抱き締められた審神者は、意味も分からぬ内に圧で締め上げられ、潰れた蛙のような声を発する他無かった。口から内臓やら胃の中に仕舞われた物達が出て行かなかっただけでも幸いである。
 そうこうしている内に、彼女を無自覚に締め上げている彼と共に出掛けた筈の則宗と、何故か物見櫓で見張り番をしていた筈の粟田口脇差二振りがセットになって駆け付けてきた。此れに、取り敢えずは説明を求めようと口を開いた彼女は、ついでに山鳥毛へ抱擁を解くよう頼まれてはくれないかと苦笑を浮かべた。確かに、このまま審神者が締め上げられているのを見過ごす訳にも行くまい。素直に頷いた則宗は、懐に仕舞った扇子を持ち出すや否や、山鳥毛の背後で軽く跳び上がり、その後頭部を扇子の角で思い切りはたいてやった。
「これっ! 何時いつまでそうしている気だ? そろそろ離して訳を聞かせてやれ! ついでに、僕等にも分かるように頼むぞ」
「――ハッ!? あ、あぁ……すまない、小鳥よ……っ。君が無事で居てくれた事が分かった途端、安堵からつい許可無くその身に触れてしまった。……その、気を悪くしてはいないだろうか?」
「あまりに突然の事だったから超絶驚きはしたけれども、気を悪くする程の事では無かったから安心して。其れよりも……一体何があってそんな状態に? ゆっくりで構わないから、教えて」
「…………驚かないで聞いてもらえると嬉しいのだが……」
 審神者の無事を確認して一先ずは落ち着いたのか、漸く事のあらましを話してくれる気になったようで、彼が重い口を開いて語り始めた。
 それなりに話が長くなりそうなのを察した脇差二振りは、人数分のお茶を用意するべく一度厨へと駆けた。
 ――話はこうだ。どうも、『辻市』とやらで流れる話には、過去から現在そして未来といった時間に際限無くした話が存在するのだそう。既に過去に起こった事としての話から、現在進行形で起こっている話だけに限らず、未来を予言する話も含まれているのだとか。故に、自身が所属する本丸が“陸奥国”であり、其れがこれからもしくは今現在火事に見舞われるのだとしたら居ても立っても居られなくなってしまったらしい。だから、彼は詳しい説明は告げずに早く本丸へ帰還する事を選択したのだと言う。もし、己が守るべき大切な巣が、小鳥が、焔に焼けてしまうなどという事があれば、己は恐ろしくてならなかったのだと。その身に刻まれし名前の由来を理解し得ているからこそのおそれであった。
 一通りの説明を聞いた則宗は、扇子の角で頭を掻きながら苦く言葉を漏らした。
「そういえば、嘗て昔の言葉にこんな言葉があるのを忘れていたな……。“焼け野の雉子きぎす夜の鶴”と言う言葉だ」
「何ソレ?」
「聞いた事ないかい?」
「いんにゃ、今初めて聞いた……。意味は?」
「子を思う深い親の情に例えたものして伝わる諺なんだが、意味としては――巣を営んでいる野原を焼かれたきじは、残してきた雛を思って懸命に巣に戻ろうとするし、巣についている鶴は――……と。まぁ後半については今は関係の無い事だから敢えて省くとしよう」
「急に雑化するやん御前」
「別に、説明するのが怠くなったとかでは決してないぞ? 単に、今説明せねばならん事柄には関係無く余計な情報だろうと思ったが故に省いただけだ」
「まぁ、取り敢えずはそういう事にしといてやろう」
「おい。そっちこそ僕への扱いがちと雑過ぎやしないかい? 金貨一万両もの価値があるんだぞ? 一文字のモンとして山鳥毛の奴を贔屓するなら、この僕だって贔屓してくれたって良くないかい?」
「御前は既に隠居した身じゃなかったですかね……? だったら、少しくらい現役お頭にお譲りしたって良いんじゃないです?」
「おっ……? 誰が言い負かされてるのかと思えば、あの天才剣士の愛刀さんじゃないか。こりゃ面白い場面に出会したもんだ」
「よし、其処の通りすがりの新刃真っ黒黒助。即刻表へ出ろ。先輩刀としていっちょ洗礼くれてやろう」
「おお、怖い怖いっ。年寄り連中は怖いのが多くて敵わんね。触らぬ神に祟りなしって事で、部外者はこのまま立ち去らせてもらおう。くわばらくわばら……っ」
「こら待ておい、待たんかい小童が」
 則宗の要らぬ発言の所為で話が脱線した事を察した山鳥毛が、分かりやすいていで咳払いをし、腰を上げて通りすがりの孫六兼元を取り押さえようとしていた彼を視線のみで制した。
「現役を退いた後も変わらず血気盛んなのは構わないが、血の気が多いのは戦時だけにしてくれ御前よ」
「チッ……」
「全く以て、この血の気の多さは誰に似たのかね?」
「喧嘩っ早さについてなら、主じゃないかな? ほら、主ってばこう、定期でメンチ切るじゃない?」
「確かに。売られた喧嘩を即買おうとするのは主っぽいな」
「え゛……待って、俺そんな治安悪く思われてんの??」
「まぁ、主って素で喋ると結構口悪い方だよね〜。この間も書類提出した時の担当の態度が気に食わなかったとか何とかで、本丸帰ってきてから荒れた口調で愚痴ってたし」
「口調だけ聞くと、男が喋っている風に取られなくもない程には荒っぽかったな」
「あ゛〜、俺の治安ワルワルなとこがこんなところにも影響出てるとか知りたくもなかったぁ……っ!」
「まっ、今更の事だし? 諦めて開き直った方が早いって!」
「清々しい程までのずお兄の笑顔よ……ッ!!」
 大仰にも「ワアッ!」と泣き真似をして顔を覆ってみせた審神者に、途中から空気と化していた者がしれっと口を挟んだ。
「ところで……俺の存在放置されてるが、現在進行形で変わらず首根っこ押さえ込まれたままな事については無視かい?」
「あ、何か御免ね孫六さん。場違いにも巻き込んじゃって申し訳ない。ほれ、御前や、その手離してやんなさい。孫六さんが可哀想よ」
「此奴に馬鹿にされた僕は可哀想じゃないのかい?」
「分かった。後で構ってやる時間取ってやるから、其れで手を打て。おk?」
「全く、交渉術の腕が少し上がったか? 昔はちょっと揶揄からかってやっただけでヒヨって弱音を吐いていた癖に。あの頃の可愛さは何処へ行ってしまったのやら……」
「へへっ、審神者も一筋縄じゃやって行けんのでね。日々成長を遂げるばかりよ」
「可愛くない」
「ゴリラ審神者の域に片足突っ込んどいて今更カワイ子振りはせんよ。我、200Lv.超えの審神者ぞ?」
「悲しい事に、逞しい事この上ないな」
「良いじゃん、ゴリラ。強くて格好良いよ?」
「目指すは、シンのゴッリネキ達の仲間入りする事ぞ」
「目標は高い方が燃えると言うしな……俺は応援するぞ、主」
「有難う、ばみ」
 完全なる脱線を遂げた事を意識して苦笑を漏らした山鳥毛に、審神者自らが強引にも話の軸を引き戻した。
 尚、場違いにも巻き込まれた孫六は、何故かそのまま強制参加の図となり内心困惑した。ついでだから、語学の為と称して本丸プチ会議に参加せよとの構えらしい。通りすがってしまったが運の尽きだ。則宗の真横に腰を下ろされた形で一先ず話を聞く体勢として腕を組んで耳を傾ける。
「――で? その諺が何で今回の話に関わるの、御前や」
「言い得て妙な言葉は、此れ以外に当て嵌まるまいよと思って口に出しただけさ。深い意味は無い」
「何やねん、そりゃ」
「事実、山鳥毛は主の身を案じてこうして文字通り飛んで帰ってきたんだ。忠臣としてその働きを褒めるくらいはしてやってはくれないか?」
「ふふっ……何だかんだ言いつつ、身内が可愛いんやね御前は。まぁ、今のところ火事だなんて大事起こっちゃあいないから安心おし。ウチは、五部隊分全部遠征に出しても本丸の守りを維持出来るくらいの余裕は有る本丸やからな。……ちょもさんが話に聞いたっていう本丸は、恐らく、ウチと比べて小規模の新米寄り審神者さんが運営する本丸やったんかもしれんねぇ。出火元が山の麓っつーんがちっとばかし気にならん事もないが……分からん事を考えてもしゃーないこっちゃろ。仮に、その話が本当になるかもしれんのやったら、そうならんように努めりゃ良いだけやしの。話してくれて有難うな。あと、心配してくれたんも嬉しかったから重ねて御礼言うとくね。有難う、ちょもさん」
「小鳥……」
 安心させるようにと彼の両手を取って言った審神者へ、山鳥毛はグッと感情を堪える表情をした後に、改めて彼女の手を握り返して言う。
「その……改めて小鳥を抱き締めても良いだろうか……?」
「安心感を得たいっちゅー話でやったら、幾らでも構んで」
 目の前で両手を広げてウェルカム体勢を見せれば、その手の中へと引き寄せられるように飛び込んだ。己の手で直接触れて、熱を感じる事で確実な安心感を得たかったのだろう。審神者は擽ったそうな笑みを零して、抱き着く彼の背をポンポンと優しく叩いた。まるで、心の置き場所を失って迷子となった子供をあやすかの如く……。
 すっかり毒気を抜かれてしまった則宗は、ガシガシと荒っぽく頭を掻くなり徐ろに腰を上げて立ち上がった。其れに声をかければ、こう返事を返してきた。
「これ以上、僕等が口を挟むのも野暮だろう……。話も終わった事だし、僕は部屋へと戻るとしよう」
「そういう事なら、話に途中参加しちまった部外者の俺も退散するとしますかね……っ」
「お前さんは、この後僕と道場で手合せだ。コテンパンに打ち負かしてやる」
「え゛っ。アンタ、さっきの今で器小さくないか? まぁ、売られた喧嘩は買わなくもないが」
「よし、言ったな? 言質は取ったからな。精々負けた後で後悔するが良い」
「ハイハイ、付き合ってやりますよっと……」
「俺達も持ち場に戻んなきゃな!」
「そういう訳で、俺達は此れにて失礼する」
「主よ。さっきの約束、忘れるんじゃないぞ?」
「ハイハイ」
 そうして、最後には一人と一振りだけが部屋に残された。彼はまだ審神者へと抱き着いたままだ。暫くは、このまま彼の気が済むまでそのままにしておこうか。そう思った審神者はクスリ、と笑みを零して淡い色素の髪の毛を梳くように頭を撫でてやるのだった。


 ――後日、彼等が出掛けていた先の事が気になった審神者は、徐ろに問を投げ掛けた。
「ねぇねぇ。ところで、こないだちょもさん達が外出申請出して出掛けてた処って、何処だったの?」
「万屋街の一角に繋がる、この世との境目に在ると言われる、『辻市』という場所に行っていた。彼処は、基本人為らざる者にしか入れぬ場所でな……耐性の無い者が行くと、最悪帰っては来れなくなるような危険な場所なんだ。故に、これまで小鳥には黙って通っていたのだが…………っ」
「へぇ〜、こっちの世界にもそんな処があったんだねぇ」
「寧ろ、曖昧な境界を置き、間借りするように在る空間だからこそ、そのような空間と繋がってしまい、果てには其処へ迷い込むような者が出て来てしまう訳だが……。私の小鳥は聞き分けの良い子だからな、一人で勝手に危ない場所へ赴くなどという愚行には走らんだろう?」
「ヒエッ……控えめに遠回しな圧掛けてきよったぞ、此奴……! 恐ろしい子……!」
「まぁ、本当に末恐ろしいのは、僕達みたいな人為らざる者共を魅了し手放さない主みたいな者達の事を言うんだろうがな……」
 ポツリ、零された言葉は、誰に届くという訳でもなく、そのまま霧散して溶け込んでしまうのであった。


執筆日:2023.11.27
公開日:2023.11.28
加筆修正日:2023.12.19