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幕間:あすなろ湯たんぽ



※既出の孫六兼元掌編『酒に任せた我が儘を一つ』と『耽溺性行動』の時系列後を想定したお話となります。
※前述した二作品を読んでからでないと内容が分からない構成となっております故、ご注意くださいませ。
※以上を踏まえた上で、どうぞ。


 とある日の事である。
 男が部屋を訪ねれば、女は執務の最中なのか、机に着いて書類とタブレット端末と両方に視線を落として仕事に精を出しているところであった。何者かが来訪した気配に気付いたのか、視線を上げた女が面を上げて此方を見遣る。
「おや、孫六さん。何か用かね?」
「いや。特別用は無かったが……間が悪かったか? 忙しそうなら、出直してこようか」
「んー……今は其れ程急いで片付けるものもなくて、比較的ゆったりのんびりしてるところだから、何かあるなら遠慮せず言ってくれて構んよ」
「そうか……。では、お言葉に甘えて」
「……うん?」
 今日はよく冷えるが故の事なのだろう。先日己が酒盛りした際に、付き合うのにわざわざ部屋から持ち出してきた小振りのサイズの毛布を肩から羽織っていた。
 近侍でもないのに部屋を訪ねたから不思議に思ったのだろう。其れも用も無しともあれば、尚更。
 基本、日中お勤め中の審神者は、部屋に籠もり切りだ。何か審神者へ伺いを立てるような事が無い限りは、側仕えの近侍以外は立ち入らないよう気遣っている。其れが、少し物寂しく思わなくもなかった。けれど、仕事は仕事。各々の立場を理解しているからこそ、文句など口にする事も無かった。
 しかし、其れは其れ、此れは此れ。自分は既に審神者に一歩内側へと踏み込む事を許された仲との認識で、孫六は彼女の背後へ徐ろに腰を下ろすと、着込み過ぎて着膨れした女の背中を断りも無く抱き込んだ。所謂、あすなろ抱きである。またの言い方を、バックハグというものだ。驚いた審神者は、無言で驚きを露わにし、ぱちくりと瞬きを重ねてポカンとした顔を浮かべた。
「え……何、どゆ事??」
「うん? 何がだ?」
「いや、君の事だよ。え、何この状況。なして俺をコアラでも抱っこするみたく抱いたのよ?」
「“こあら”なるものが何の事を示すのかは知らんが、アンタが如何にも寒そうにしていたからな。今日は冷えるし、こうすれば俺もあったまれて一石二鳥かと思ったんだが……お気に召さなかったか?」
「いやいや、お気に召すとか召さないとかの問題じゃなくてだな……っ。どうした、孫六さんや? 何かあったんけ?」
「逆に、何か無くちゃアンタと一緒に居ちゃ駄目なのか?」
「いや……そういう訳ではないけども」
「なら、良いだろ。俺の事は、湯たんぽ辺りとでも思って仕事に集中してくれて構わない」
「いや普通に構うし集中出来るかァッ!!」
 机をダンッと叩く勢いで反語を口にした審神者は、至極真っ当なリアクションを返した。けれど、意にも介さないらしい彼は、気にせずその場に居座り、何なら審神者が身に纏っていた毛布を剥ぎ取ったかと思えば其れを自分が羽織った上で抱き込み直してきた。
 そもが、冷えに耐え切れずに毛布を羽織っていたくらいだ。正直、人肌の温もりが背中に引っ付いているというのは温かくて丁度良かった。しかし、果たしてそんなに容易く絆されてしまっていて良いものか。短い葛藤に頭を悩ませて数十秒。結局、審神者は男の好きにさせる事を選択したようで、その状態のまま仕事を再開する事にした。存外、自分の刀に甘えられると弱いのだ。あまりにもチョロ過ぎる早さで陥落した審神者に内心ほくそ笑んだ孫六は、こんな柔で居て良いのかと少し心配になった。
 背中に真っ黒な塊を引っ付けさせたまま仕事に集中する事、数分後。所用で席を外していた近侍の小烏丸が、茶を乗せた盆を手に戻ってきた。そして、部屋へ入るや否や、彼女の背に引っ付く黒い刀の存在に気付き、古刀故の余裕を見せ付け笑った。
「ほほ、何処の童が引っ付き虫になっておるかと思えば、其方であったか」
「主人の仕事の邪魔をする意図は無いから安心して欲しい」
「良い良い。最も古き刀であり刀剣の父ともする我からすれば、此処では皆等しく我の子よ。ともすれば、我等を励起してみせた審神者は母御のようなもの。存分に甘えてやるが良い。その方が、主も喜ぼう」
「いや、何もそういうつもりで俺は主人に引っ付いていたんじゃないんだが……っ」
「ほほ、細かい事はこの際些事よ。そら、主よ。温かい飴湯だぞ。此れでも飲んで体の芯より温まるが良い」
「うあー、有難うパパ上様ぁ〜っ。ものごっつ助かる……!」
「主人よ、俺には何も無いのか……?」
「ハイハイ、孫六さんも湯たんぽ及びホッカイロ役あんがとね」
「何処となく投げ遣りっぽく感じるが……まぁ良いか」
 修行から帰還して間もない古刀はただただ微笑ましげな顔を浮かべるばかりで咎める事はしなかった。此れが己と創られた時代の近しい者相手だったならば少しは異なる反応が見れたかもしれないが、歳上も歳上の本丸一最高齢を誇る古刀を前にしては、彼の余裕もなし崩しであった。
 小烏丸への扱いとは違って、若干雑さの見える扱いで軽くあしらわれた孫六は、後ろ手に前頭部を撫でてきた彼女の手を掴んで子供扱いされた事へ抵抗を示す。
 一方、ひとり分増えた事に、子の分の茶も淹れてやろうと直ぐ様席を立った小烏丸は再び部屋を出て行った。気の利く刀である。
 極めて尚更強さを増し、存在感やら威圧感の増した古刀への接し方に慣れず、居心地の悪さを覚えていた孫六は、審神者と二人きりの空間に戻って小さく息をいた。其れを目敏く察したらしい彼女は、後ろを振り返らぬまま、視線を手元へ固定したまま呟く。
「どした……? もしかして、孫六さんはパパ上様相手にするのはまだ慣れんか?」
「こうもあまりに格差の開いた刀を相手にすると、些か恐縮してしまうのは事実だが……あの御仁の場合に限っては、どう相手するのが正解か、未だに掴めていないからだろうな」
「あー……まぁ、パパ上様と孫六さんだと、見るからにあんま接点なさそうだものなぁ〜。片や平安よりも前の飛鳥の時代生まれ、片や刀が主流の室町から戦国時代頃の生まれと来りゃあ、扱い方にちっと迷っても仕方がないと思わなくもない」
「主人は、その点あまり扱いに差を付けないよな?」
「基本的にはね。だって、俺からしてみれば、皆等しく俺が顕現した俺の本丸の子達だもの。我が子に対する感情にも近い気持ちで接してる自覚があるね」
「ただの刀なのにか」
「ただの刀だからこそ、かな。自分の物を大切にするという意味であれば、尚の事。君達は、他の物へは代え難い宝物だよ。本当は、戦へ勝つ為に投じられた駒であり兵力だから、そういう扱いをすべきではないと分かっているがな。俺としては、ただの武器で物という扱いは出来んよ。一応、ある程度は割り切った上で線引きはしているつもりだけども。情が湧いたとでも言うのかね……俺が暗がりで道に迷ってるところを導いてくれた存在でもあるから……」
 タブレット端末の画面へ視線を落としたまま感傷にでも浸ったかの如く言葉を漏らした審神者へ、彼は背中側から言葉を返す。
「……あまり俺達へ入れ込むのもどうかと思うぞ?」
「ははっ……そうさな。けど、一度懐に入れる事を許したものをそうポイと簡単に打ち捨てる事は出来んさね。君達が可愛くて仕方ないからねぇ」
 其れはもう、背中という場所を許すくらいには。暗にそう言われた事に気付いた彼は、一杯食わされたみたいな苦笑を浮かべて笑った。
「じゃあ、可愛いついでにもう暫し甘えても……?」
「既に甘えとろうにやぁ」
「アンタが俺が踏み込む事を許したんだ。もっと踏み込まれても良い覚悟はしとけよ……? こんなにも距離を許して……その内、獲って喰われるかもしれんが」
「ハイハイ、御託は分かったから。仕事の邪魔する気無いんだったら大人しくしてな」
「む……しょうがないなぁ」
 スリリ、と審神者の後頭部へ擦り寄る仕草を取った彼に、擽ったかのだろう彼女は其れをたしなめるように裏拳でコツリと後ろに居る肩を小突いた。
 その後、孫六は本当にそのまま審神者をあすなろ抱きしたまま居座り、最終的には彼女の仕事が終わるまでずっと引っ付き虫で居たのだった。そんな彼の様子を通りすがりに見かけた肥前忠広はドン引きした表情で遠巻きにしたのであった。


執筆日:2023.12.01
公開日:2023.12.04