其れは、偶々道場近くを通り掛かった時の事だった。
まるで菊の花が咲くようなふわふわとした金髪の御仁の後ろ背を見付け、何気無しにと声をかけた。
「あれ……? そのふわふわ頭は御前じゃないか。何してんの?」
「うん? その声は、主か。いや、何……坊主達と手合せしていたら、年甲斐もなく熱くなってしまってな。火照りを鎮めるついでに、こうして汗を拭っていたところだったのさ」
「あぁ、其れで井戸使ってたって訳か。汗かいたんだったら、素直に風呂行って流してくれば良かったのに」
「いや、この後長義の坊主に関の坊主とも一試合する予定なんでな。一旦休憩を挟みがてら汗を拭いていただけに過ぎんよ。どうせまたかくのに、わざわざ風呂に行くのも面倒だろう?」
「ははぁ〜、成程ね。隠居と言いながら出しゃばるんだから、一文字ってそういうとこある〜っ」
「何だい、人聞きの悪い……。僕が白熱したら駄目なのか?」
「いんや? 道場及び諸々備品込み込みでぶっ壊したりしない限りはお好きにしたらえいよ。バリバリに闘志漲らせたとこ見るの好きだしね。喧嘩上等、男はぶつかってこそだよね……!」
「全くっ……何処から得たんだそんな知識。露骨に血腥い事を言うもんじゃないぞ」
「へへっ、俺も大概脳筋一辺倒なもんで。バトルは好きよ。暴れ甲斐があってスッキリするしね。まぁ、リアルに手を出す気は無いから、漫画やアニメの中だけでな!」
動き回って熱くなったのだろう。上着のジャケットも中の赤い派手なカッターシャツも脱いで、上半身裸の状態になっていた。
一文字則宗とは、太刀の中では小柄な細身で華奢な印象を受ける刀だが、“脱げば凄い”を如実に体現するかのようにバッキバキに割れた腹筋である。普段の好好爺とした振る舞いからは想像出来ないが、当代の座から降りた隠居の身とは言え、その身は刀剣男士らしい体付きをしていた。端的に述べて漢らしい。
逞しく引き締まった腹部に、ついつい目が留まって無言で眺めていたらば、不意に何処からともなく取り出した扇子の先でコツンと頭を小突かれた。その衝撃に前頭部辺りを押さえてチロリと視線を上向ければ、何とも言い難い複雑な表情を浮かべた顔と目が合う。其れにキョトンと小首を傾げて見返すと、あからさまな溜め息を
「こら。そうジロジロと見るもんじゃあないぞ? 君は淑女だろう、僕の裸が物珍しいからってそんなガッツリ見るんじゃない」
「良いじゃん。どうせ減るもんでもなし」
「少しくらい恥じらいを持てと言ってるんだ、この助平め」
「俺の目の前で堂々と逞しい筋肉を曝してる御前が悪い」
「僕に責任転嫁するつもりか? やれやれ……昨今の教育はどうなっているのやら」
「単に俺が筋肉フェチなだけなんで、全国の皆さんがそうとは限らんぞ。そもが、俺は審神者で、君達が負傷する度に治療と称して何度も半裸見てきてんだから今更じゃない? 俺、何年審神者やってると思ってんの? もう五年と半年も経ってんだよ? 御前が来たのが其れよりも少し前にしても、既に云年は経ってるんだから、腹筋見てただけでんな反応する方が逆に乙女かよって感じなんだが」
「君という奴は本当に逞しい事この上ない奴だな……っ。もうちょい可愛げがあってもよかろうに」
「可愛げで飯が食えたら苦労はせん」
「事に欠いてそんな事まで言うか……。まぁ、今の時代を生きる人の子ならばそんなものか。やれやれ、何だか世知辛くなってきてしょうがない」
背中へと垂れる長い尻尾部分が首裏に当たって暑いのか、後ろ髪を前へと垂らして扇子で首裏を扇ぐ素振りを見せた彼に、ひょこり空いていた距離を詰めて近付く。そうして、彼の肩越しにチラリ、後ろを見遣れば、熱が入っていた証拠と言わんばかりの赤い菊の花が両肩に掛けて花開くように咲いていた。其れを目にした途端、思わず取り繕わない感嘆の声が口から漏れ出た。
「うわぁ。コレが噂の菊文字かい。凄ェ〜」
「うん? 僕の此れを見たのは初めてかい?」
「うん。だって、御前、真剣必殺の時でさえ今みたく脱がないし。だから、生で見たのは今日が初めて。一文字一家の皆さんから噂ばかりは耳にしてたんだけどね。実際に見るのは初めてだよ。コレ見ると、何が隠居だよって思わずには居られんわ……。バリバリ現役張ってんじゃん。流石一文字……やっぱり御前もヤーさんの一員だった」
「うははっ! そうビビるこたないだろう? 僕のは、山鳥毛のアレと比べたら余っ程可愛いもんさ」
「確かに、昂らない限りはこうはならないって事らしいもんね。そんだけ白熱してたって事の表れかな?」
「主は僕の此れも恐れず受け入れるか。天晴な肝の据わり様だな」
意味深な笑みで以て言われた言葉には取り敢えずスルーする事にし、恐れる事無く彼の背に広がる入れ墨を眺めた。しげしげと見つめる視線が擽ったくも嫌ではないのだろう。よく見ろと言わんばかりにくるりと反転して背中を見せてくれた心意気に、有難く感謝を述べながら興味深げに好奇の視線を投げた。あまりにも不躾に見られるからだろう、苦笑を滲ませた彼が後ろ髪を持ち上げたまま肩越しに振り返り見た。
「おいおい、随分と熱心な目で見てくるじゃないか。そんなに僕の此れが気になるのかい?」
「うん。だって、御前らしくて格好良いもん」
「そうか。其れは何とも嬉しい評価だな」
「ちょもさんのとはまた別の意味で華やかというか……まさしく菊一文字を表しているようで、俺は好きかな」
「……ほぉ。僕のこの紋様を“好き”と、そう言ったか……?」
「うん。如何にも任侠者っぽくて、憧れるなぁ」
「その言葉、僕の目を見て今一度同じ事を言えるか……?」
「えっ……」
不意に後ろ手に顎を掬い上げられて、顔を寄せられた。急な事に驚いて口を噤んでいたら、その口元へちょんと扇子の先っちょを押し当てられる。その上で、美しい睫毛に縁取られた虹色のような淡い色素の片目が至近距離で覗き込んで言う。
「僕の此れを見て、お前さんがどのような事を思ったのかは知らんが……そう容易く“好き”などと口にしてくれるな。勘違いを起こして、お前さんのその柔肌に此れを移そうだなんて不埒な事を考えたらどうしてくれる……? 今のは、そういう意味で誘っているかのように聞こえたが……どうなんだ? うん?」
「ひぇッ……えぇっと……、」
「ほら、分かりやすく迫られた途端答えに窮しただろう? 分かったなら、今後は不用意な発言は控えるように。優しい僕からの忠告だ。聞き分けの良い、イイ子の主なら今ので分かってくれただろう……? イイ子だから、不用意に男を煽るような事はやめなさい」
「えっと……何か、変な事言ったみたいですいませんでした……」
「分かれば良し。うん、僕の主はイイ子だな! そんな主には、この僕が褒めてやらねばな! よしよし、僕の言う事がちゃあんと聞けて偉いぞ〜っ」
「にゃあ……っ、子供扱いすんのやめてぇ!」
「うはははっ! すまんすまん! 僕からしてみれば、主はまだ赤子のように幼く見えてしまうんでな! 可愛くてしょうがないのさ」
ウリウリと猫可愛がりするような手付きで髪を乱され、そして整え直された。全く、好き勝手な爺である。
一瞬、チラリと覗いた恐ろしい影は何処にも無い。今の一瞬の出来事に怖じ気付かなかったかと言われれば嘘になるが、其れでもこの刀の事を嫌いにはなれないのだから、相当入れ込んでいるのだと思う。あまり自覚は無いけれども。
すっかりさっきまでの穏やかな空気へと戻って、にこやかな笑みを浮かべた彼が口を開く。
「さて……僕もそろそろ道場の方へと戻るから、主も部屋に戻りなさい。まだ仕事の途中だったのだろう?」
「うん。ちょっと気晴らしの気分転換に本丸内ぶらついてただけだから、もう戻るよ。構ってくれて有難うね、御前」
「なぁに。僕は錬度が頭打ちとなってから退屈でしょうがない程暇を持て余しているからなぁ。
「はははっ、考えとく。そんじゃ、試合頑張って。ちょぎ君とは良い勝負張るのは知ってるけど、孫六さんはまだ本丸に来て
「おや、僕を応援してくれるのかい? 主の応援もあってとあらば、勝たない訳には行かないなぁ……! よし、勝ったら何か褒美をくれるか? 何でも良いぞ!」
「褒美? えぇ……急だなぁ……。まぁ、良いけども。とりま、適当に考えとくわ」
「うんうん。では、僕は此れで失礼するぞ」
「はぁーいっ、いってらっしゃーい」
だいぶ火照りが鎮まったのか、背中の菊の花の鮮やかさが薄れて元の肌色に戻りかけているのを見送ろうとして、ふと頭に浮かんだ事を口走っていた。
「あっ……さっき御前が言ったご褒美の話だけど、何にするか決まったよ〜!」
「もう決まったのかい? 随分と気が早い事だが……其れは僕が絶対に勝つという自信の裏返しとして受け取るぞ〜っ」
「良いよ〜っ。そんで、ご褒美の件だけど……御前が二振り共に勝ったら、俺にその背中の菊の紋、もっかい見せてね〜! そしたら、御礼にその紋撫で撫でしてあげるからさぁ……! 俺が言ってる意味、御前なら分かるよねぇ?」
「ッ、はァ!!? おまっ……正気か!?」
「俺は
「ちょっ、ちょっと待て……!! 言い逃げは狡いぞ、君ッ……!! だーっもう……!! 本気出すしか無くなったじゃないか、あんっの小悪魔
決意高く吼えた彼は、その後本気で二振り相手に圧勝し、昂る熱の冷めやらぬ内に審神者部屋へと押し掛け、その勢いのまま審神者を押し倒し組み敷くのだった。ちゃんちゃん。
公開日:2023.12.14