黒と雨と邂逅


其の日は、予報外れの雨が降っていた。

雨は、午後からパラパラと小さな雨粒を降らせていたかと思っていたら、夕方頃には小雨へと変化し、気付けばザアザアと本降りとなっていた。

よって、仕事を終えて外へ出てみれば、空から降ってきた水滴が顔を濡らした。

慌てて鞄の中から常備していた折り畳み傘を引っ張り出し、バサリッと勢い良く空へと射した。

最寄りの駅までは徒歩で通勤している為、土砂降りの雨は容赦無く靴や服を濡らしていった。

今朝見ていた予報ではこんな風に降るとは言っていなかった筈で、気分は仕事で疲れていた事も相俟って最低値へと落ちていく。

風も強く、横殴りの雨のせいで、最早射している意味も無い程の雨に降られていた。

駅までの道程は、常なら然程時間がかからない筈の処も、雨風共に強かった為に歩みが鈍くなり、その時の心情は、風に煽られるせいで折り畳み傘が引っくり返ったりしないか骨が折れたりしないかという心配でいっぱいだった。

駅に着けば、一先ずは一安心出来、地元駅まではゆっくりと電車の中で休めば良いだけ。

しかし、次に来る心配が地元駅に着いてからの雨足はどうであるか、という事であった。

これ以上降られるのも嫌だし、濡れるのも嫌だと思ったが、既に服の半分以上が濡れ切った濡れ鼠な状態で何を今更かと頭の隅が訴えた。

確かに、今までの道程の時点でほぼ全身ずぶ濡れの状態なのだから、今更また濡れようが変わりゃしないのである。

よって、定時より数分遅れで到着した電車に乗り込んでからは、暫し疲れを取る為に一眠りと休むのであった。


―数十分後、目的地の駅に到着した電車から下車した韓來は、降り立ったホームをさっさか抜け、駅の出入口まで早足で歩いた。

駅を出たところで、闇色に染まり落ちた空を見上げた。

相変わらずの雨模様であったが、雨は少し弱まり、ザアザア降りから小雨降りの中間程になっていた。

心配していた程降っていなかった事に再び安堵し、一度閉じていた折り畳み傘を再び開く。

そして、辺りも暗い時間に点々と在る街灯で照らされた夜道を歩き出していく。

目指すは自宅までの道程だ。

あともう少しの辛抱だと己を鼓舞し、心身の疲れと濡れた重みで重い足を動かした。

昔の名残で残っている、藩というか区域分けの為だった鳥居を潜り、山沿いの路地を抜ければすぐ其処なのだ。

旧い道を進みつつ、夜道に警戒して怪しい不審者なんかが居ないかと目を凝らしながら注意して歩く。

後ろから走ってきた車のヘッドライトが自身を照らし、やがて側を通り過ぎていくと、再び静寂と暗さが戻ってくる。

傘には、相も変わらず弱く雨が打ち付け、ポタポタと雨の日の音楽を響かせていた。

重い足取りを引き摺りつつ、溜め息が零れるのも気に留めずに歩き続け、もう少しで鳥居の手前という地点に来たところで、ハタと気付く。

鳥居のすぐ近くの辺りに、誰か居る。

全身真っ黒な装いぽかった。

しかし、傘も射さずして雨の中立っているなど、何をしているのだろうか?

傘を持たずに外出して、途方にでも暮れているのだろうか。

そうこう近付いてみると、段々とはっきり見えてきた黒のシルエット。

真っ暗闇にもしっかりとした存在感を示す黒に、青みがかった髪の毛。

雨で濡れて、此方側から見える顔半分が前髪で完全に覆われていて見えないが、どうにも見覚えのあるシルエットだった。

おまけに、腰にはしっかりとこれまた真っ黒な鞘をした刀を提げていた。

此れは、確定間違い無しか。

思わず、韓來の口から、彼を示す言葉が漏れ出た。


『光忠……?』
「―ぇ………っ?」
『…あ。(やべ、うっかり軽率にも名前呼んじゃった…!)』


そう思ったがもう遅く、自身を示すであろう名を呼ばれて反応した彼が、此方を見た。

その瞬間、暗闇にも紛れない、浮世離れした金色の目と合った。

片側は眼帯と前髪に覆われていて見えないが、片目の金色とバッチリ視線が合わさる。

今更ながら、「あ、この人コスプレイヤーだったらどうしよう。つか、見知らぬ人に話しかけちゃってたらどうしよう。」なんて考えてしまった。

我ながら阿呆くさいと思いつつも、目の前の光景から目を離せずに驚くばかりなのは仕方がない。

強いて言うなれば、あまりにも現実離れし過ぎた現象のせいだ。


「…えっと…、君、今僕の事呼んだよね……?僕の事、知ってる…というよりは、分かるのかい…?」
『あー……っ、マジか…。本物マジもんなんか。偽物パチもんやないんかー……。マジか。』


口を突いて出て来るは、現実を認めたくないと言わんばかりの台詞達。

いっその事、“全部夢でした〜!”とか都合良く夢オチであれば現実的なまま終われたのに…、とつい思ってしまった。


「今の反応からするに…僕の事、知ってるんだね…?どうして知ってるのかな…?」


初対面の人間にいきなり名前を呼び捨てにされれば、誰だって警戒心剥き出しになってしまうものであろう。


『…えー、っと……。取り敢えず、傘ん中入りません…?そのまんまじゃ、幾ら何でも風邪引きますよ。』


そう言って、自身が射す折り畳み傘を彼の方へと傾ける。


『気休めにしかなりませんけど、良かったらタオル使いますか…?仕事用で持って行ってて、まだ使ってないままの物があったので。』


ついでに、思い出したタオルの存在を告げ、鞄の中から取り出しそっと差し出した。

すると、配慮してくれたという事に少しの警戒を解いてくれたようで、小さく「…有難う。」と礼を口にした彼。

たぶんだが、恐らく彼の方も自分の置かれた状況を把握し切れていないのではないか。

差し出されたタオルを素直に受け取った彼は、取り敢えずはという感じで濡れて目元を覆い隠すように垂れてしまった邪魔な前髪を払うように顔の水気を拭った。

此れで幾分か視界が良好になると溜め息を吐いたが、彼女からしてみれば思わぬ色気に中てられたように思えて、あんぐり口を開けて惚けてしまった。


「…何か?」
『あっ、いえ!何でもないです…!えと、その…っ、ひ、一先ず屋根の在る場所に移動しましょうか…っ!!このまま突っ立っている訳にもいきませんし、何より…っ、貴方のその異質と言うか、武装した格好は悪い意味で目立ってしまうと思うので…っ。あと、万が一知らない人にその腰の物を見られたら…銃刀法違反で警察に訴えられちゃうかもしれないので。あまり人目に付かない場所へ行きましょう。私の家、こっから近くなんで…貴方さえ良ければ、一度、其方で話しませんか…?此方としても、貴方には幾つか訊きたい事があるので。』
「………そうだね。僕としても、今の現状を把握したいし、色々と頭の中を整理する為にも、ゆっくり落ち着いて考える場所と時間が欲しいしね。…オーケー、君の案に乗るよ。」
『すみません…っ、ご協力有難うございます…!あのっ、私の家この道の少し先なんで、すぐですよ。』


身長の高い彼に合わせる為、精一杯傘を上に持ち上げ、彼を傘の中へと招き入れる。

しかし、小柄な彼女との相合い傘は、持ち手が彼女であった場合、どうしても彼は少し腰を折らねばならないのだった。

互いに初めて逢ったばかりなので、その辺りの気遣いは分かっていない。


『こんな小さな傘ですみません…っ。今日、予報じゃこんなに降るだなんて言ってなかったので…手持ちの折り畳み傘しか無くって…。折り畳み傘としては少し大きめには作られてるんですけど…この土砂降りな雨じゃ、凌ぐ程度にしかならなくて…。やっぱり、普通の傘じゃないと傘の広さとか大きさ的な部分で濡れちゃいますよね…。おまけに二人一緒に入ると狭いですよね…っ、ごめんなさい。でも、もうちょっとだけの辛抱なんで…!』
「…いや、其処まで気にしなくて良いよ。既に此処までしてもらっちゃってる訳だから、文句なんて言わないよ。」


声のトーンは下がっているが、一応会話は成立している模様だった。

ただでさえ濡れた服が躰に張り付いて気持ち悪い上に、慣れない意心地の悪さに気まずさが勝ってつい無言になりかけてしまう。

勇気を振り絞って何とか会話を繋げようと頑張る韓來は、辿り着いた目的地に足を止めて隣を仰ぎ見た。


『着きましたよ。…此処が、私のお家です。』


些か緊張した面持ちでそう告げた彼女は、彼を玄関へと案内するのだった。


執筆日:2018.03.15
加筆修正日:2020.02.21

始まりはひょんな事から。