刀剣男士


当初からの目的地である、我が自宅もとい一軒家。

ド田舎の山のすぐ側に在るという、如何にも田舎染みた物件である。

まぁ、建物の築年数自体はそこそこ新しかった筈なので大丈夫だと思いたい。

しかし、目下の心配は其方ではなく、ここ最近は来客が来る事が無かった為に客人を出迎える云々以前の問題が広がっている事なのであった。

詰まるところ、散らかり放題で部屋が片付いていないのである。

特に自分の部屋なんかは乾いた洗濯物が畳まれずにそのまま放置されている状態だ。

言い訳すると、日々仕事に疲れて其処まで手が回っていなかったのだ…、となる。

内心冷や汗ダラダラな韓來は、既に雨でびしょ濡れだが、別の理由で更に濡れそうだと思った。


『今、何か拭く物をお持ちしますので、此方にて少々お待ちくださいね…っ?』
「…ねぇ、君。」
『は、はい…っ!何ですか?』
「仮にも余所者であり、付喪神と言えども一介の神である僕を…こんな簡単に君が住んでいるような敷地内に招き入れて良かったのかい…?」
『ぇ……っ?』


濡れた靴を適当に脱ぎ捨て、鞄の中身を保護していた分のタオルを引っ張り出し、足元を拭いてから上がろうとしていたら、そう彼に唐突に言われた。

濡れて垂れ下がった前髪越しに彼の表情を見遣るが、彼の方も髪で顔が隠れていて何を考えているのかまでは読めない。


『…えぇっと〜、何か不味かったですかね……?』
「知らなかったのなら仕方のない事だけれど、あまり宜しくない事であるというのは確かかな…。けど、もう既に僕は敷居を跨いじゃった訳だし、今更の忠告かもしれないけどね。一応、教えておいた方が良い事かと思ったんだ。まぁ、僕は君の事を神隠ししようだなんて思っちゃいないし、ましてや君に取り憑いたり、支配して乗っ取ろうだなんて事も考えちゃいないから安心してくれ。」
『え………?今のって…、あ、え……っ?』
「大丈夫、僕は君に何もしないから。落ち着いて…?少し、そういう事に関しての危機感が足りなさそうだったから、ちょっと脅しも含めて言ってみただけなんだ。変に驚かせちゃったみたいだね…っ、ごめん。でも、もう少しそんなところにも危機感を持って欲しいというのは本当だよ…?君は、女の子の身だからね。ふとした時に、何処の何の神様とも知らない内に気に入られてかどわかされてしまうかもしれない。拐かされてしまったら最後…どうなるか分からないよ。だから、次、相手が人間であろうとなくとも家に招くような事があったら注意する事。じゃないと、僕がさっき言ったみたいな事をされてしまうかもしれないよ。此れは、人為らざる者からの警告だよ…良いね?」
『…うあ、は、はい……っ。以後、気を付けます…!』


突然始まった説教(?)に、当初すべき事を忘れて…というよりも、完全に頭からすっぽ抜けて聞いてしまっていた韓來。

しかし、未だ濡れたままの衣服では段々と躰が冷えてきて、濡れた前髪からは雫が滴り落ちていた。

ピチョンッ、と鼻頭に水滴が落ちた事からハッと我に返り、遅れて現状を思い出す。


『わ…っ!?す、すみませんっ!今、急いで拭く物持ってきますね!?』
「あ、いや、僕の事は後回しでも良いから…君の方が先に着替えてきなよ。躰、すっかり冷え切ってしまっているだろう…?女性が躰を冷やすのはあまり良くない。早く着替えておいで。」
『えっ、や、でも…!』
「良いから…、早く着替えておいで?僕は、今でこそ人の身を得てはいるけれど、元々は刀という存在だからね。普通の人間とは作りが違うから、ちょっとやそっとじゃ風邪なんか引いたりしないよ。其れに、僕はしっかり鍛えてるからね、此れくらいの程度濡れただけなら平気さ。」


あっさり論破されて言い淀み、上がり段から上がって足を止めていれば、そう言い募られた。

其処まで言われてしまっては彼の言う通りにするしかないだろう。


『う゛…、わ、分かりました…。貴方がそう仰るのでしたら。』
「うん。僕は此処で大人しく待っているから、気にしないで。」
『…はい。じゃ、じゃあ…、ちょっと急いで着替えてきますね…っ。そしたら、拭く物持ってきますから…!』


納得はいかないままだったが、此ればかりは仕方がないと割り切って行動に移す。

パタパタと冷たい廊下を駆け足で進み、一先ず一番最初に脱衣所へと向かった。

其処で濡れて重たくなった衣類(主に仕事着一式)を脱ぎ、空の何も入っていない方の洗濯籠の中へと突っ込む。


『はぁ…っ。こりゃ、明日は別の仕事着着て行かなきゃいけないなぁ…。』


すっかりびしょ濡れになってしまったスーツ一式を見て思う。

明日の天気は晴れだっただろうか…?

もし雨続きだったなら、困る。

そう何枚も仕事着の替えは持っていないぞ。

鬱々とした気分に明日を憂い、溜め息を吐き出す。

そうこうしながらも、手元だけは動かし、元より掛けていた自分専用のタオルを取り、軽く躰の水分を拭き取る。

結い上げていた髪も下ろし、もう一枚のタオルで拭き上げる。

髪の方は適当に済まし、次は着替えだが…下着も含めて、着替えの部屋着一式は全て二階の自室にあった。

取りに行きたいが、自分の格好は今や下着しか身に付けていないみっともない姿だ。

おまけに、脱衣所から二階へ行くには一度廊下を渡らねばならない。

脱衣所は玄関から見て廊下の突き当たりの角を曲がった先に在るので、死角となって見えないとは思うが…どうだろうか。

そろりと脱衣所から頭だけを覗かせて、廊下の方を見遣る。

うん、大丈夫だ。

二階へと繋がる壁が死角になっていて見えない。

小走りで二階へと通じる階段の元へと辿り着くと、再び頭だけを覗かせて玄関先を見遣る。

上がり段の処に腰かけて待つ彼は、後ろを向いていて気付いていない。

よし、バレてない…っ!

大事な確認を済ますと、急いで二階まで駆け上がり、自室へと転がり込む。

その時、あまりに勢いを付け過ぎてドアを開けるなりつんのめってアクロバティックに転倒し、ベッドサイドにぶつかる寸でで止まった。

何とか受け身を取り躰を転がしたので怪我はしていないが、焦った。

慌て過ぎるのも良くないな、と改めて反省する。

そもそも良い歳した奴が何をやっているんだか。

全く阿呆らしくて笑えてくる。


『其れよか、今は着替えだろ。』


冷静に自分で自分にツッコミを入れて急かす。

部屋の隅に置いてある箪笥の引き出しから、適当に下着の替えを引っ張り出し、ベッドの上へとちん投げる。

別の段の引き出しを開き、今度はTシャツを引っ張り出すと、其れもまたベッドの方へとちん投げた。

後は、椅子に引っ掛けていたままになっている部屋着ことジャージの上下一式を引っ掴み、ベッドへ放り投げる。

ベッドの上に散らばった物を素早く着込んで、頭に引っ掛けていたままのタオルを首に提げる。

もう一度箪笥の方へと戻ると、タオルやらが押し込まれた引き出しを開いて、新しいタオルを数枚取り出す。

またもや駆け足で階段を駆け降りると、今度は別室へと入り、その部屋の押し入れから彼でも着れそうな替えの服を探し出す。


『確か、此処に来客用の服があった筈…っ!彼でも着れそうなサイズー…でっかいサイズー…っ。』


宿泊する来客用に仕舞い込んでいた男物の服を手当たり次第に漁ってみる。


『……っと、あった…!見っけた、よっしゃあ…っ!!』


漸く見付け出すと、押し入れに置いてあった小さなプラスチック製の洋服箪笥の引き出しを仕舞い、襖を閉める。

引っ張り出してきた其れ等とタオル類を持って、玄関へと急いで戻る。

此処までにかかった時間は、およそ二十分程度だろう。


『お待たせ致しました…ッ!!替えの着替えと拭く物です…!』
「…思ったより早かったね。時折、物凄い物音が聞こえたけれど…大丈夫かい?」
『はいっ、大丈夫です…!ちょっと物を落っことしちゃっただけですので…っ!!』
「そう…。何も其処まで慌てて来なくても良かったんだけど…。」
『いえ…っ!これ以上お待たせする訳にはいきませんから…!』
「急な事だったとはいえ、何だかごめんね…?色々と迷惑かけちゃって…。」
『い、いいえいえ…!困った時はお互い様ですからっ!謝るだなんて飛んでもない…!!』
「…ふふ…っ。そう言ってもらえると、少し気が楽になるよ。」
『(あ…っ、今、初めて笑った…。)……えと…っ、と、取り敢えず色々と持ってきましたので、どうぞ……っ。』


出逢ってから初めて見た彼の笑った顔に、一瞬見惚れてしまった韓來。

いかんいかんと頭を振って思考を戻した。


『話をする前に、一先ず、光忠さ…ッ、いや…燭台切さんも、着替えたり何なりしてきた方が良いですよ?』
「光忠で構わないよ…?そっちの方が、何だか呼び慣れてるみたいだし。僕としても、号より銘で呼ばれた方が嬉しいしね。本丸の方でも、名前で呼ばれている事の方がほとんどだから。」
『あ、そうなんですね…。じゃあ、お言葉に甘えて…光忠さん呼びで。』
「君と出逢って最初、さん付けじゃなくて直接呼び捨てだった気がするけど…違ったかい?」
『あっ、アレは…!つい地が出てしまったというか、素で呼んでしまったというか…ッ!あの、初対面の神様に飛んだ失礼を致しました…ッッッ!!』
「別に今更謝る事もないよ。僕は全然気にしてないから。」
『あぅ……っ、本当重々すみません………ッ。』
「もう良いよって…。まぁ、確かに君とはまだ逢って間もないから…、さん付けでもいっかな…?」


自分のやらかした事が恥ずかしくて、思わずその場で土下座し平謝りした韓來。

苦笑した彼はやんわりと優しく顔を上げるようにと促した。

そうして、彼女から替えの着替え一式とタオルを受け取ると、素直に頷いてその腰を上げた。


「それじゃあ…お言葉に甘えて、僕も着替えさせてもらおうかな?実を言うと、濡れたシャツやズボンが張り付いて気持ち悪かったんだ…っ。わざわざ着替えまで貸してもらえるだなんて…助かるよ。」
『流石に、濡れたまま過ごさせるのはどうかと思いますしね。かと言って、一晩中素っ裸で居られるのも困りますから。』
「いや、流石の僕も、裸のままでは居ないよ…っ。」
『冗談ですよ。着替えるなら、廊下の先の突き当たりにある角を曲がった処に脱衣所が在りますから。其方を使ってください。脱いだ服や防具なんかは、適当に置いておいてくださって結構ですから。』
「えっと…このまま上がっちゃうと、たぶん僕が通った後の廊下がびちょびちょに濡れちゃって跡になっちゃうけど…。」
『大丈夫です。後で雑巾で拭いときますんで、気にしないでください。』
「そうかい…?何から何までごめんよ…っ。」


そんなこんな有りつつ、一人の付喪神様を保護する事になったのだった。

道程は、まだ遠い…。


執筆日:2018.04.27
加筆修正日:2020.02.21

付喪神様保護しました。