偽る理由


或る意味、気まずい蟠りを残したあの日から数日が経った今日。

シフトの関係で帰宅の電車の時間までに暇が空くので、その暇を潰しに例の喫茶店へと向かう。

先日、店のオーナーであるという鶴丸とあんな事があった為に、再び店へ寄る事に抵抗を感じてはいたのだが、暇を潰すには丁度良い場所なので、せっかく見付けたそんな場所とそう簡単にバイバイしたくはなかったのである。

それに…出来るなら、早い内に誤解を解き、事情を説明しておきたかったのもある。

何より、あの喫茶店以外、手頃に暇を潰せる場所が近場には無いし、やはりではあるが、またあの珈琲を飲みたいと思えて仕方がなかったのだ。

故に、性懲りもなく、また店へと運んだ足。

入口に立ってから、大きな溜め息を吐き、一度深呼吸をして気持ちを落ち着けてからドアを開けた。

カランカランと軽快に鳴るベルの音。


(さて…、今日の彼のシフトはどうなっているのかな…?)


既に二回被っているのだ。

流石に、そう毎度毎度タイミングが重なる訳ではないだろうと思いつつ、店の中へと入っていく。

その音に、カウンター内で作業をしていたのだろう誰かが顔を上げる。

オーナーの鶴丸であった。


「お…っ、いらっしゃい!…って、君かぁ!」


客は誰かと彼女の顔を見た鶴丸。

途端、意外そうに驚いた。


『…先日は、どうも…。変に会話が途中のまま、肝心な事を話せずに帰ってしまってすみませんでした。』
「いや、何。君も電車の時間があったんだろう?後から光坊に聞いたぜ…?しかし、まさかまた来てくれるとはなぁ…。だが、丁度良かったぜ。タイミング良く、今は彼奴のシフトが入っていなくてな。光坊は居ないぜ。本人が居ない時ならば、話しやすいだろう…?」
『あ、そうだったんですね?良かったぁ…っ。』
「ぅん…?」


運が良かったのか、彼はシフトじゃなくて居ないと言う。

それなら、安心して訳を話せると安堵した。

彼に妙なアプローチを掛けられる事も無いし、変な居心地にならずに落ち着いた状態で話せる。

その事にホッと胸を撫で下ろしていると、思ってもみなかった反応を取った彼女に首を傾げた鶴丸は改めて問うた。


「あれ…、君、光坊の事を気に入っていたんじゃなかったのかい?」
『…それこそが誤解の根源だったのですが…、』
「おや、そうだったのかい…?俺は、てっきり君が光坊を好いているのだとばかりに思ってたんだが。」
『本当はその逆だったんですよ…。何故、そのように誤解を招く事になったのか…全てお話します。』


話をしやすいように、何時もとは違うカウンター席へと着いて座る。

好きな席に座ってくれと言われるなら、偶にはカウンター席に座ってみても良いだろう。

初めて座る位置だが、オーナーと話をするなら、この位置に座るのが妥当である気がした。

来る日によって座る席が違う事など別段可笑しくもない事なので、彼の方から何か言ってくる事も無い。


「ご注文は…この間と同じ、当店オススメの珈琲で良いかい?」
『はい…、それでお願いします。』
「了解…っと。光坊と同じ物は出せないかもしれないが、其処は大目に見てくれ?俺は、光坊みたく珈琲を上手く淹れる事は出来ないんでな。多少、味は違うかもしれんが…まぁ我慢してくれ。」


苦笑しながらそう言った鶴丸は、早速注文の品を作り始める。

珈琲を作るのに集中した事で言葉が途切れ、一旦場が静かになる。

互いに沈黙した空間に、店に流れる落ち着いた音楽がやけに響いた。

何となしに頼んだ珈琲の作られていく様子を眺めた黒柯。

確かに、彼が言うように、あの人と作る様子は何処か違って見えた。

…とは言っても、実際に作られていく様子を間近で見たのは、今回が初めてである。

今までの二回ともカウンターから離れた奥の窓際の席を選んで座っていた為、カウンター内の様子はよく見えなかったのだ。

加えて、注文を待っていた間は、何時も外の景色を眺めていた為に、実際はどうやって作られていたのかなんて事は知らなかったのだった。

故に、普段あまり見る事は無い豆から挽いて作られていく珈琲の様をジ…ッ、と眺める。

この店は、豆を挽くところから作るせいか、豆を挽き出すと途端に芳しい香ばしい薫りが店内に漂い始める。

これまで珈琲自体飲めもしなかった人であったが、珈琲の独特とした匂い自体は嫌いではなかった。

何方かというと、好きな方だった。

そんなどうでも良い事をぼんやりと考えながら、作られていく行程を眺めていると、カチャリと目の前に置かれたソーサー。

驚いて目の前を見上げると、出来立ての珈琲を差し出す鶴丸が居た。


「ほい、どうぞ。ご注文の珈琲だ。」
『…あ、有難うございます…っ。』


思った以上にぼんやりと考え事をしていたようだ。

気付かぬ間に、珈琲は出来上がっていて、彼女の目の前へと置かれる。

思わず、視点はその珈琲にいく。


「話は、気軽に珈琲でも飲みながらといこうぜ…?」
『…はい、そうですね。』


相変わらず、黒柯一人しか客の居ない店に、オーナーと二人きり。

話しやすいようにと気を遣ってか、彼も自身の分の珈琲をカップへと注いで、向かいに椅子を持ってきて腰掛ける。


「…さて、まずは、どうして俺には本名を名乗り、光坊には偽名を名乗ったのかをお聞かせ願おうかな…?」
『分かりました…。では、最初に…何故、長船さんに偽名を名乗ったのか、という点についてお話し致します。』
「おぅ、どうぞ…?」
『…何故、私が本名でなく、わざわざ偽名を名乗るに至ったかと言いますと…単純に、彼にナンパされたのかと思ったからです。』
「へ………?ナンパ…っ?」
『はい、ナンパです。』
「ナンパってーと、アレの事だよな…?初対面の女性に対して引っかけるっていう…、あの…?」
『はい、そのナンパです…。』


思わぬ単語が飛び出てきたと言わんばかりに驚く鶴丸。

余程予想していなかった事だったのか、ぱちくりと目を瞬かせた。


『何でそう思ったのかというと…長船さん、初めてお逢いしたにも関わらず、初対面の私に向かっていきなり“一目惚れしました”なんて言ってきたんです。何か、それが商売する上での謳い文句かともつい疑ってしまって…思わず、思い付いた名前を…、偽名を名乗ってしまったんです。彼、顔は良い方の方だと思うので…もしかして、それを利用しているのでは?…と。』
「な、成程な…。ちなみに、その時の光坊は何て言ってたんだ?」
『え…?えっと…確か、“貴女の誰も引き寄せないような独特の雰囲気に一目惚れしました。だから、貴女の名前を教えてくれませんか?”…的な事だったと思います。かなり要約した感じではありましたけど。』
「あ゛ー……っ、まぁ…その話し方からじゃあ、初対面の人間からしたらそりゃナンパの台詞かと思うよなぁ〜…。」
『でしょう…?だから、私も、“嗚呼、これはもしやナンパかな…?”と思って、まともに相手するのも面倒になってしまって、適当にその時考えたそれっぽい名前を名乗ったんです。…何か、やたら名前を執拗に訊いてきたというのもあったので。』


その時の事を思い出し、ちょっとばかし苦い思いをしながら、ズズズ…ッと手元の珈琲を啜る。

向かいに座る鶴丸も、微妙な顔をしながら自分の珈琲に口を付けていた。


「…じゃあ、打って変わってお次の質問といくが…、俺に対して本名を名乗ったのはどうしてだ…?」
『それは…、半ば反射的にというか…つい、仕事の癖と言いますか…。その、社畜な職場に身を置いているもので……っ。』
「ああー…、何だ。そういう事だったのかぁ…っ。俺は、てっきり顔の良い光坊に体良く近付く為なのかと思ったぜ…。光坊は人柄も良いし、その上騙されやすい性格してるからな。近頃流行りの詐欺か何かか、逆ナンかと思っちまったよ。」
『ええ…っ、それじゃあ私が悪者みたいじゃないですか…。無いですよ、絶対。というより、そもそも私に逆ナンする程の度胸はありません。寧ろ、ナンパに遭ってた側ですよ…っ。』
「はは…っ!いや、すまんすまん…っ。思っていた奴とは全くの正反対な奴だったと思ってな!勝手に疑って悪かった…っ。気を悪くしたなら謝ろう。誤解して悪かったな。」
『…いえ、此方こそ…変な誤解を招くような言い方をして、すみませんでした…っ。』


きちんと頭を下げ、深々と謝罪の念を伝える。

急に畏まられた鶴丸は、慌てて頭を上げてくれと告げた。

スッと頭を上げた黒柯は、真っ直ぐに正面の鶴丸を見遣る。

気まずげに頬を掻いた彼は、思わず苦笑いを浮かべて言葉を紡いだ。


「あー…っ、まぁ何だ…どっちもどっちだったって事だな…。君も悪くないし、光坊も悪気があった訳ではないし。寧ろ、好意的であったという訳だが…この場合、強いて悪かったとしたら、光坊の言い方が悪かったなぁ。場面的にも、その時の空気的にも。」
『其処まででは無いとは思いますけど…。単に、選んだ相手が悪かったってなだけですよ。私は、そう恋愛的な事に靡くタイプではないですから。』
「ほう?そうなのかい…?」
『はい、だから、すぐに“ナンパ”だと思う程に。』


淡々とそう述べた彼女の態度に、或る一つの事に気付いた彼は内心頭を抱えた。

これは…彼女は“気付いていない”、と。


「いやぁ〜…すまなかったな、本当に。」
『いえ…、もう済んだ事ですし。良いですよ。それに、今日改めてこうして説明する事が出来たんですから。』
「あ、いや、そういう意味ではなかったんだが…ま、いっか。」
『はい…?』


彼に改めて謝罪された意味が分からず、首を傾げた黒柯。

曖昧に誤魔化した鶴丸は、スッと話を切り替えた。


「ところで…その光坊への返事には何て返したんだ?」
『え……?』
「光坊の“一目惚れしました”っていう台詞にだよ。」
『あぁ、その件についてですか…。告白紛いな台詞だなぁ〜とは思いましたけど、ナンパかと思いましたので…特には。』
「…そうか…。」


何やら残念そうに肩を落とした彼に、不思議に思う彼女。

鶴丸は、件の彼の事を不憫に思うのだった。


(本当の意味を教えてやっても良いが、こういうのは直接彼奴が口にするか、言われた本人が気付くものだからなぁ〜…っ。下手に首を突っ込むのは、余計かな…。かといって、変に陰から手助けするってのも野暮ってもんだしなぁ〜……。さて、どうしたものか…。)


内心、云々と唸りながら悶々と悩み出す鶴丸。

詰まるところ、彼はお節介焼きなのだ。


「あ゙ーっ、まぁ、その何だ…?彼奴とは、これからも仲良くしてやってくれないか?光坊も悪い奴ではないからさ。また珈琲を飲みにウチの店に来てくれ。」
『はい、是非ともそのつもりです…っ。此処は、駅からも近くでとても利用しやすい場所ですから。』
「嗚呼、是非ともウチをご贔屓に…、ってな!ついでと言っちゃあ何だが、今度は本当の名前、教えてやってくれよ?光坊は、“本気でその気”だからな…!なっ、光坊…っ!」
『えっ?』


突然、此処には居ない筈の彼の名を呼んで入口を見たオーナー。

釣られてドアの方を振り返ると、話の中心人物が入ってきたところだった。


「え…っ、急に何?鶴さん。どうかしたの?」
「いやぁ〜っ、ちょっとな!今日もお勤めお疲れさん…っ!」
「え?あ、うん…ってそれ、何だが聞こえが微妙だから止めてくれる…?単に学校終わったから来ただけなんだし。まぁ、それは置いといて…今日も宜しくね。……って、あれ?小鳴ささなきさん…っ!?」
『ぁ…ど、どうも。』


来て突然話を振られた彼は、きょとんとした後に少し戸惑ったように言葉を返した。

今しがた来たばかりなのだろう、どうやら先程までの話は聞いていなかったようだ。

しかし、運が良いのか悪いのか、残念な事に彼女はもう帰る時間帯であった。


『えーっと…、それじゃあ、私はこれで……。』
「おうっ、またな。」
「えっ!もう帰っちゃうんですか…っ!?僕、今来たところなのに…ッ!?」
『ええ…はい。申し訳ないですが…もう時間なので。今日のところはこの辺で失礼させて頂きます。珈琲、有難うございました。また来ますね。』
「そんなぁ〜…っ!」


せっかく彼女と逢えたのにとテンションが上がった途端、即シュン…ッと沈んでしまった長船であった。


執筆日:2018.08.22
加筆修正日:2020.03.10