打ち解けれない心


話の中心人物となっていた長船が来た事により、必然的に話はそこで中断となってしまう。

少しピリリとした空気を残しながら、鶴丸は静かに身を退け、彼に場所を譲る。

そして、今しがたまで潜めていたその表情は、すぐに貼り付けたような人の良い笑みに戻っており、変わり身の早い事が窺われた。

何という切り替えの早さ。

社会人歴の浅い者としては、ある意味見習うべきところであった。


「お待たせ致しました…!ご注文の珈琲になります。」
『あ…っ、どうも有難うございます…。早いんですね…っ。』
「いえいえ、そんな事無いですよ…!寧ろ、お待たせしてしまったのは此方の不手際なんですから…っ。本当、お出迎え出来なくてすみませんでした…っ。御詫びの印になんですけど…お待たせしてしまった分、ちょっぴりサービスさせて頂きました…っ!」


テーブルに運ばれてきたのは、注文していた珈琲だけではなく、なんとおまけのクッキーまで付けられた物だった。

ほんのちょっと入口先で入って良いか迷っただけだったのに、御詫びの印まで頂いてしまうとは…些か大仰過ぎやしないだろうか。

それに、待つといっても大した時間待ってもいないのに、此処までの尽くし様…。

客である身としては嬉しいが、店の経営的には大丈夫なのだろうかと逆に心配になってくる。


「まぁ、サービスと言っても…お店で出してるクッキーを添えただけになるんですけど……っ。」
『え…、いえ、そんな…っ、わざわざ此処までして頂かなくても…っ!あの、私、そんなに待ってないですから…!こんなの、お店に悪いですよ…っ!』
「それこそ気にしないでください…っ!これは、僕個人からの御詫びの気持ちを込めての事ですから。」
『え゛え゛ぇ…っ、だとしても…何か凄く申し訳ないです……っ。』
「お気になさらずに!もし、この事でオーナーに怒られても、それはきちんと店番が出来ていなかった僕の責任ですから…!」
『…そう、ですか……っ。何だかすみません、此処までして頂いちゃって…。』
「構わないですって…!せっかく忙しい中来て頂いたんですから、これくらいはさせてください…っ。」
『…わ、分かりました…っ。長船さんが其処まで仰るのなら…、有難く頂かせてもらいますね?』


少しばかり押し問答になりかけたが、彼女が折れる事でその場は収束する形となった。

押し問答をしている間に、後の事は全て彼に任せたのか、気付けばオーナーである鶴丸の姿は居なくなっていた。

よって、話は変な形で中断したまま、彼の問にまともに解答する事が出来ず終いになってしまった。

また日を改めて訳を説明する他ないかと思い直した黒柯は、一先ず注文していた珈琲に口を付けるのだった。


「…お味は、如何ですか…?」


ほんの僅かに眉を下げて問うてきた長船。

相変わらず仕事中であれども、今は客が彼女だけだからか、その場から離れる事はなかった。

まるで、好きな人に寄り添うかのように、ずっと側で佇んでいる。

そんな長船に、知り合ってからの期間の短さと慣れぬ距離感に、どうにも居た堪れない気分になる黒柯。

どうしようかと一瞬迷ったが、無視するのも可哀想と思い、素直な感想を述べる事にした。


『…その、先日と同じ味で、凄く美味しいです…。』
「本当ですか…!?良かったぁ〜…っ。待たせちゃいけないと思って急いで作ったので、もしかしたら何時もと違う味になったんじゃないかって心配だったんです……っ。」
『あの…大丈夫ですよ?先日と同じく、仄かに甘くて美味しい珈琲です…。って、先日来たばかりで、まだこのお店の事を何も知らない私が言ってもあまり当てにはならないでしょうけど…。』
「そんな事ないです…っ!今の言葉で自信が無かったのも安心出来ましたから…!お気遣い、有難うございます…っ。」


律儀にもペコリと頭を下げた彼は、実に真面目だ。

見た目が単なるイケメンなだけかと思っていたが、どうやら違っていたようで、意外と中身もしっかりした人だったようである。

またとない出来事ではあったが、知らなくても良い彼の事を新たに知ってしまった。


『…ん、添えられてたクッキーも美味しいです……っ。』
「それは良かったです…!実は、クッキーも当店の手作りで僕が作ったんですよ。」
『え、そうだったんですか…?甘さとかも丁度良いし、サクサクしててとても美味しいですよ。この珈琲とも凄く合いますし…、私好みです。』
「じゃあ、また今度来た時にサービスしときますね…っ!」
『えっ。いや、それはちょっと…っ。』


流石にそれは申し訳ないと丁重に断った黒柯。

まぁ、それは、後の彼の勤務態度を見ていれば、正しい判断だったと言えよう…。


―時はあっという間に過ぎ、ふと店の時計を見遣れば、駅へ向かうには頃合いの時刻となっていた。


(あ…っ、もう時間だ。今日は色々あったからか、時間が過ぎるのが早いな…。)


最後の一口を飲み上げた黒柯は、カップをソーサーへと置くと徐に立ち上がり、荷物と脱いで椅子の背に掛けていた上着を手に取り、レジへと向かった。


「あ……っ、もうお帰りですか…?」
『はい。お会計、宜しくお願いします。』
「畏まりました…!少々お待ちくださいね……っ。」


あの後、少しだけ会話をした後、ずっと張り付いているかに思えた彼は、意外にも仕事に戻り、声を掛けた今は、使用した食器類を片付けていたのか、カウンター内の小さな洗い場で作業中だったようである。

慌てて水を止めた長船は、急いでタオルで手を拭き、レジまでパタパタと駆けてきた。


「お待たせ致しました…!お会計させて頂きますね。」
『はい、お願いします。』


手際良く金額をレジスターへと打ち込むと、よく通る低い声で金額を口にする。

言われた金額を、準備していた財布から丁度で支払い、会計を済ました黒柯。

レシートを受け取ってしまえば、彼と逢うのは、また今度このお店に来た時で、彼のシフトが上手い事入っていた時である。

それまで暫しの別れだ。

内心、そんな事を思っていたら、不意に彼の方から偽名で名乗った名前を呼ばれた。

咄嗟に返事を返した後で、前回の事を思い返して「しまった…っ。」と思う。


『…何でしょうか?』
「あの…、差し支えなかったら、で良いんですけど…少し個人的に気になった事をお尋ねしても良いですか?」
『…えぇ、構いませんけど……っ。電車の時間があるので、手短にお願いしても良いですか?』
「あ、はいっ!すみません…っ!えと、それで質問なんですけど…、先日も今日も同じような時間に来られてたので…もしかしたら、このお店の近くの会社に勤務されてるのかな?って思って気になって…。どうなのかなって…?」
『…あー……それは、確かにそうではありますが…それが何か?』
「い、いえ…っ!単純に気になっただけです…!!もし、このお店から近い場所で働かれてるんだったら、その内お店以外の場所でも逢えるのかなぁ〜って思ってみたりしただけですので…っ!」
『はぁ…。まぁ、此処には仕事帰りに寄ってますので…逢えなくもないとは思いますけど…。そんなに気になるような事ですかね?』
「僕的には凄く気になる事です…!!」
『そ、そうですか…っ。きょ、今日は、偶々先日と同じシフトだったんで、同じ頃合いにお店に来る事が出来たってなだけですよ…?偶々、今日も此方に寄る余裕があったから、という感じなだけです…。…私、電車通勤しているので、今時間くらいに駅に向かうと丁度良い時間なので。』
「あ、そうだったんですね。じゃあ、お家は…。」
『…然り気無く訊いてきましたね、自宅の場所。それって…答えなきゃ駄目なヤツですか?』
「えっ!?いやいや、そんなつもりはなかったんですけど…っ!えと、その…っ、別に答えたくなければ答えて頂かなくても結構、です……っ。ほんの興味本意で訊いてしまっただけですから…。そりゃあ…っ、気になってる方のお家の場所が何処かってのは気になりますけど……。」
『じゃあ…今は秘密、という事で。』
「ええ…っ!?」


わざとはぐらかすように言ってみれば、わたわたと焦って困ったような顔になった彼。

揶揄ってみると、案外面白い相手かもしれない。

意外と可愛い反応を返してくれた事に気分を良くした黒柯は、クスリと大人の余裕をかましたように含み笑んで言葉を返した。


『…まぁ、本来なら“No”と言いたいところでしたけど…、別に教えても困らなそうなので構いませんよ。』
「え………っ?」


一瞬、呆けてしまった感じの表情が、実に彼の素っぽくて可愛く思えた。

何だか、此方が翻弄する立場になれば、可愛いものじゃないか。


『私が住んでるのは、■■って所になります。ちなみに、地元です。』
「え…っ!?それじゃあ、此処からかなり離れてる事になりませんか…!?通勤してるって仰ってましたけど、凄く遠いじゃないですか…!」
『ええ。そういう訳なんで、そろそろお暇させて頂きますね?珈琲とクッキー、有難うございました。とても美味しかったです。また来ますね?』
「あっ、はい…!是非またいらしてくださいね…っ!!」


去り際にそう述べて、さっさと出入口のドアを開けて店を出る。

軽く言い逃げをしたみたいな気もしたが、今回はこれで良かったのかもしれない。

少し早歩きで駅へと向かう黒柯。

電車は、もうホームに来る頃だろう。


(今日は、何か素直に“また来ます”って言っちゃったな…。まぁ、いっか。今日の長船さん、わたわたしてて何だか可愛かったし。)


自然と鼻歌を口ずさみ始める。

それ程に今日の彼女の機嫌は良かったようだ。


―所変わって、店に一人残された彼は、何故かカウンター内で一人蹲り、嘆いていた。


(うわぁ〜………ッ!!今日の僕、ちっとも格好良くないよ…!おまけにめちゃくちゃ格好悪い…っ!!うわあ〜ぁ……ッ、絶対彼女に嫌われたよ〜…!!はぁ〜あ…っ。)


顔を覆っていた手を退けるも、今度は頭を抱えて溜め息を吐いた。


「はあぁ〜……っ、今日の僕ちっとも格好良くないや…。それに、めちゃくちゃ失敗するわやらかすやらって…、本当良いとこ無い………ッ!…はぁ〜あ゙っ、死にたい…………っ。」


頭を抱えて蹲っていた長船は、膝上で両腕を組んで其処に顔を埋めた。


「……でも…っ、今日の小鳴さん、笑ってたなぁ…。可愛かったな、あの笑み…。また、笑ってくれないかな……。」


もぞり、と埋めていた顔を横向けて呟いた長船。

その目には、少しだけ元気を取り戻したように光が戻っていた。


「よくよく思えば…最後のアレって、揶揄われてたのかな?…僕。まぁ、それで彼女が笑ってくれたんだったら嬉しいけど…何か悔しいなぁ。」


ぷくりと片頬を膨らませ、拗ねたような表情になる彼。


「でも、まぁ…住んでる所教えてもらえただけ、一歩前進って事でいっか…。“教えても困らなそうだ”って言ってたけど…それって、どういう意味なんだろ?……そういう風に受け取っちゃっても良い、って事なのかな…?期待…、しちゃっても良いのかなぁ………っ?」


ぶわわ…っ、と赤くなっていく顔を隠すように、再び腕に顔を埋めた長船なのであった。


執筆日:2018.03.27
加筆修正日:2020.03.10