過る不安と広がる溝
自身の所属国での会議を終えて、妹審神者の狛が終わるのをエントランスホールの端のベンチに座って待っていた。
「…あっちはまだなのかなぁ?」
「アンタの妹の処も、直に終わるだろう…。他の所属国の奴等の方も、終わって続々と出て来ているようだしな。」
「だよね…。ちょっとあの子の処だけ終わる時間が遅れてるだけだよね。…まさか、もう終わってて、私の事忘れて通り過ぎて帰ってっちゃった…ってな事は無い、よね?」
「…そんなに気になるなら、誰かに聞くなり、本人に直接連絡を入れてみたら良いんじゃないのか?」
「う、うん…そうしてみる……っ。」
一向に姿を見せない妹の様子に不安に思った姉の
丙は、鞄に仕舞っていた携帯端末を取り出し、登録していた番号へと掛けようと通話履歴を開く。
其処へ、何者とも知れぬ赤の他人の男が彼女へと歩み寄り、声をかけた。
「あれ…キミ、もしかして一人?誰かと待ち合わせかな?」
「え………っ。(誰、この人…私と同じ審神者さんかな…?其れとも、政府の役人さんかな?)」
「初めて見るような顔だね。もしかして、新人さんかな…?」
「あ、はい…っ。私は、まだ審神者になったばかりの新米審神者になります…。」
「あ、やっぱり?何かそうだと思ったんだよねぇ〜!雰囲気とかが何処となく初々しい感じがしたし、連れてる刀剣男士の錬度もまだ低そうに見えたからさ…!」
見知らぬ男にそう言われ、丙は内心カチンと来た。
だが、或る種世渡りの上手い彼女は、警戒する気持ちを上手く隠して人の好い笑みを浮かべた。
「そうなんですかぁ。…ところで失礼ですが、何方様で…?」
「ん?俺…?嗚呼、ごめんごめん…っ!自己紹介が遅れたね…!実は、俺もキミと同じ審神者をやってる側の人間でさ。何か困ってんのか、不安そうな顔してずっと突っ立ってたから、誰か待ってたりすんのかなぁ〜とかって思っちゃって。良かったら、俺も一緒に待っててあげようかなぁ〜って思って?ついでに…この後近くのカフェなんかでお茶でも出来ないかなぁ〜とか思っちゃったり…。どう、良い案だと思わない?」
「……はい?」
何だ、コイツは…。
やけに馴れ馴れし過ぎる男だ。
如何にもな態度と下心見え見えな言動に、はっきりと相手の魂胆を理解した彼女は警戒心を露にした。
それと同時に、一歩身を引いて、初期刀且つ護衛として付いてきてもらった山姥切の方に身を寄せる。
彼自身も、彼女の様子の変化を察し、彼女を男の視線から庇うようにして立った。
ついでに、“俺の主に対して変に言い寄る事は許さない”と睨みを利かせ、牽制する。
男は、そんな二人の様子に一瞬だけ明らかに不服そうに顔を歪めるも、すぐに下手な笑顔を貼り付けて尚彼女の気を引こうとした。
「あらららぁ…っ、初対面なのに怖がらせちゃった?ごめんね〜!俺、別にキミの事怖がらせるつもりはなかったんだ…!本当、ごめんねぇ〜?だから、あんまりそんな警戒しないでくれると嬉しいなぁ〜…?なぁんて……っ、」
「其れ以上、ウチの主に近付かないでいてもらえないか…?主がアンタの事に怯えてる。」
「ぁ゙あ゙…?テメェなんかにゃ何も訊いてねーんだよ。俺はそっちの女の子と話してんだ。邪魔すんじゃねーよ。野郎はとっととどっかに行きやがれ。」
「アンタこそ、とっととどっかに行ってくれないか…?目障りだ。」
「んだとテメェ…?やんのか、ゴルァ…ッ!!」
山姥切が間に入り、男に口を聞いた途端、急に態度を豹変させた男は明らかに口調を変えてキレかかってきた。
その様子に、完全に怯えの態度を見せた彼女に対し、其れまで平常を装っていた彼が表情を変える。
男がつまらない事に憤り、拳を振り上げた。
その拳を止めたのは、彼女の護衛として付いてきていたもう一人の護衛役…秋田と、ずっと彼女の端末から様子を窺っていた
案内人のこんのすけであった。
「…相手が誰であろうと、主君や僕達の仲間に危害を加えるような方なら、容赦は致しませんよ!」
「其れに、幾ら貴方が我が主様と同じ審神者であろうと…此処は政府の行政機関である施設内です。時と場所くらいは弁えて頂かないと困りますね。せめてお誘いをするでも、もう少し紳士的に行って欲しいものです。そんなあからさまに露骨な誘い方では、女性の方々に見向きもされませんよ?残念でしたね。きっと、我が主様にお声がけする前にも既に失敗なされているのでしょう…?御愁傷様です。まぁ、今のような誘い方では誰も相手になされない上に、お付きの刀剣男士様方に軽くあしらわれていた事でしょうね。お気の毒に…。主様に振り向いて欲しいのでしたら、もっと女性の誘い方というものを学んできてから出直してきてくださいませ。…ついでに、今回は未遂という事で見逃しますが…もし今後も、同じように場の風紀を乱すような問題行動を起こすようでしたら、包み隠さず上に報告させて頂きますので、そのおつもりで…。」
「な……ッ、ぇ、は……………ッ!?」
此れは、男でなくとも吃驚な出来事であろう。
彼女から直接か、引いては彼女を護らんとする付き人の彼等から罵倒される、もしくは
詰られるかと思いきや…まさかのこんのすけからの追撃である。
今まで見た事の無いような毒の吐き様に、被害者側であっても、此れは言われた側に同情する。
まさか、其処まで言われようとは、一体誰が思おうか。
言われた側である男は、思いもよらぬ相手からのしっぺ返しを此れでもかと盛大に食らい、すっかり戦意を喪失したのか…唇を戦慄かせながら肩を怒らせ、顔を真っ赤にしてそのまま政府施設内を出て行った。
呆気に取られていた彼女等は、其処で漸く我へと返る。
「………え、っと…こんのすけってば、凄いね…。というか、よくぞ彼処まで毒吐けたね、って言った方が正しい……?」
「凄い追い返しっぷりでしたね…!お見事ですっ!!」
「ふふふん…っ、此れでも私は主様のサポート役ですからね…!当然の事ですよ。」
「…いや、こんのすけの事も確かに凄かったが…そもそものその前に止めに入った秋田にも、俺は驚いたんだが……っ?」
「うんっ、マジで其れな…!」
「えっ?僕にですか…?」
可愛らしい顔できょとん、とする秋田。
天然さんだろうか…。
先程までの戦場での時のようなキリリとした様子は何処へ行ったのやら。
自身の陣営の案内人と短刀一振りの変貌の仕様に、どう反応を返したら良いのか分からなくなった彼女は、一先ずこの件は一旦置いておいた方が良さそうだと判断するのだった。
―そんな小さな騒動があって暫くしてから、待ちに待った人物がエントランスの方まで姿を見せた。
先程までの事もあり、彼女は居ても立っても居られなくなったのか、漸く姿を見せた彼の待ち人の元へと駆け寄っていった。
「もぉ〜…っ、来るのおっそい…!!どんだけ長い間待たせるつもりだったのぉ!?アンタが来るまでかなりの時間待たされたんだけど…!!それも変な男にナンパされたり、もううんっざり…!!何で会議終わった後すぐ此方に来ないのよ!幾ら会議終わるのが遅れてたとしても、アンタの処もだいぶ前に終わってたでしょ…!?」
其れまで我慢していた諸々が爆発したのか、勢い良く捲し立てて言葉を口にした丙。
長い事待たされて待ちくたびれた文句と先程までの鬱憤を一気に纏めて浴びせかかった丙は、マシンガントークの如く愚痴をぶちまけた。
「まぁ、どうせアンタの事だから?“あとは私と合流するだけだから、少しくらい遅れても良いや〜”なんて思って、知り合いの審神者さんとでも喋ってたんでしょ?はいはい、アンタの事は分かってる。アンタの魂胆は最初から見え見えなんだからね…!アンタが居ない間、私が何れ程面倒な目に遭ってたか分かる…っ!?分かんないでしょうね!!その場に居なかったんだから……っ!!アンタって昔っからそういうとこあるよね?本当…っ、妹だからって甘えたで……ッ、」
「お、おい…っ、主…!何やら様子が可笑しいぞ…っ。」
「え……っ?」
彼女が言うだけ愚痴を吐き散らしていると、柧眞の様子が会議が始まる前に逢った時と異なる事に気付いた山姥切が彼女を制止する。
其処で漸く、彼の者がこの場に来ても尚一言も言葉を発していないという様子に気付く。
未だ、柧眞は顔を下に俯けたまま口を開かず、黙りこくったままだ。
流石にその異様さを感じ取ったのか、丙は急に取り繕うように言葉を並べ立て始めた。
「合流してすぐに言い募ったのには、ごめんて…っ。でも、一言の連絡もくれなかったアンタも悪いんだからね?遅くなるならそうで、一言でもメールくれたら良かったのに…っ。つって、会議中にはメール出来ないだろうし、本当に会議が長引いてたんだったら謝るけど…。他の人達は皆殆ど帰ってったっぽいし…、私初めてだから色々不安で怖かったんだから…!せめて、其処んところは理解してよね…っ!!私がただでさえ極度のビビリでチキンだってのは知ってるんだからさぁ!!」
『…………………。』
「………ちょ、ちょっと…っ、何か言いなさいよ…。ずっと
黙りのまま居られても困るんだけど…っ?」
「あ、あの…狛様?どうかなされたので……っ??」
あまりにも黙し続ける柧眞に、言葉を続け辛くなった彼女は問うてきた。
彼女のこんのすけも、様子を窺うように恐る恐る声をかける。
そうしてやっと僅かだけ顔を上げた妹は、重々しく口を開いた。
『………すまん……っ、今は、何も…誰とも話したくはない…………。』
「え…………っ?」
か細く小さな声が、震えてしまうのを必死に押さえたような音で言葉を紡いだ。
たった其れだけの短い言葉だったが、その中には全てのものを拒絶する意味が含まれていた。
柧眞の視線は、合流してから一度も合わされた事は無い。
何故、顔を合わせないのか。
何故、口を噤んでいるのか。
一切話そうとはしない空気を読んで、柧眞に付いてきていた二人が代わりに口を開いた。
「…もうしわけございませんが、あるじさまは、いま、だれかときがるにかいわできるようなじょうたいではないのです…。おさっしください。」
「え……っ?ど、どういう事………?」
「いまこのばでのくわしいおはなしはできません。…ので、ごじつあらためてじじょうをおはなしいたします。はなせるようになるまでじかんがかかってしまうかもしれませんが…それまでのあいだは、あるじさまのことをそっとしておいてほしいんです。」
「え……っ?ど、どうしてなんだ…?」
「誠に申し訳ありませんが、此方から詳しく申し上げる事は出来ないのでございます……っ。私共の方も、何故こうなるに至ってしまったのか分かっておらず…まだ情報を共有出来ておりません故、何とも言い難いのです…っ。」
「…キツネの言う通り、此れ以上語れる事は無い…。今は、一刻も早く主を本丸に帰したい。悪いけど…今日はもう帰らせてもらっても良い…?」
彼女の身を支えるようにして寄り添い立つ鳴狐が、そう口にした。
柧眞は、先の一言を告げて以来、固く口を閉ざしたままだ。
其れに、何処となく顔色が悪く、ぐったりと憔悴し切った様子である。
此処までの異常事態とあっては、もう何も口を挟めなくなったのか、丙は口を噤んだ。
先程までの怒りなど吹き飛び、今やまた不安に満ちた顔となり、妹が今どうある状態なのかを見ようとした。
その視線を、今剣がサッと前に出て来てやんわりと塞ぐ。
「いまのあるじさまをのぞきみようとすることはきんじます。…これいじょう、あるじさまをふよういにきずつけたくはありませんから。」
「……何、で…。」
「それについても、くわしくもうしあげることはできません。とにかく…いまは、これいじょうのついきゅうをおことわりいたします。たとえ、あるじさまのおねえさまのたのみだったとしても、きくことはできません。ごめんなさい。」
懇切丁寧に見えながらも厳しい語気で丙の言葉を遮った今剣は、ただ淡々と今述べられる事実を口にした。
今剣が呼んだ彼女の元に配属するこんのすけが、彼女等の本丸へのゲートを繋ぐ。
「…其れでは、此れにて失礼させて頂きます。」
最後に、妹本丸のこんのすけが短く別れの言葉を告げて去って行った。
姉である丙の胸の内を黒き蟠りが渦を巻いた。
執筆日:2019.02.18
加筆修正日:2020.03.11