当たり風はまだ冷たい
憂鬱な月が来てしまった…。
各時代、全国に存在する審神者が一同に政府施設を介して集う、所属国ごとの審神者会議の日だ。
審神者会議ともなれば、普段顔を見せないような審神者達も少しだけでも顔を出さねばならないものである。
どんなに面倒くさく、かなりの人見知り且つコミュ障で人嫌いを拗らせている人間であっても、だ。
そんなどうしようもない奴であれども、その日に限ってはきちんとした服装に身を包み、きっちりかっちり身形を整えておかなくてはならない。
正直、クソ面倒くさい事この上無い。
もうモニター越しだけの報告or遣り取りだけでも構わないのではないか…?
まぁ、其れだけでは、不正を行っている可能性も否めない為、強制的にでも出席させるのだろうが。
しかし、だからこそ心の底から行きたくないとの否定の気持ちが出てくるのだ。
何が好きでそんな知らない赤の他人が五万と集まるような処に行かなくてはならないんだ。
政府が何だ、御上が何だ。
命令なんぞ、クソ食らえだ。
だが、臆病者の弱き人間なんかが、そんな強気な事を口に出来る訳がない。
従って、私は、上からの命令通りに政府の行政機関施設へと赴く為、出掛ける支度を進めている。
「随分と浮かねぇ顔してやがるなぁ…、アンタ。」
『……日本号か。何か私に用でも…?』
「そうピリピリしなさんな。俺は、別にアンタの仕事を邪魔しに来た訳でもなし、酒飲みの誘いに来たって訳でもねぇよ。強いて言うなら…ちょいと景気付けに来たってなだけだな。」
『景気付け…?何、其れ…。』
不機嫌な様子を隠しもしないで当たると、部屋の入口付近の柱に凭れ掛かった天下三名槍な西の槍男は、苦笑混じりに私の子供染みた八つ当たりを受け流した。
まだ入室の許可の有無も口にしていないのに、彼は無遠慮にズカズカと部屋の中へと入ってきた。
そして、ポケットの中に突っ込んでいた手を差し出して、その握った拳を私に向かって突き出してきた。
何がしたいのか分からずに首を傾げると、「手ェ出しな。」と短く促され、顎でしゃくられた。
黙って言われた通りにすると、手の中に何かを落とされた。
其れを握り込んで、手元に引き寄せ覗き込んで見る。
『何、此れ…。』
「髪留めだ。どうせ、今日出る時もその髪括って行くんだろ…?そん時に使う髪留め、何時も使ってるヤツじゃなくて、其れ使ってけ。」
『…何で?』
「まぁ、御守りみてぇなもんさ。アンタが抱く不安が少しでも和らぐように、な…?この正三位様がわざわざ用意してやったんだ。有難く使いな。…用は其れだけだ。じゃあな、邪魔したな。」
酒臭い大柄な男は、そう言って口笛を吹いて出て行った。
結局のところ、何がしたかったのだろうか。
さっぱり分からない。
よく分からぬまま受け取った髪留めを無言で見つめ、思う。
(…ま、適当に何時ものただの黒いゴムで結ぶよりかはマシか…。)
まだ下ろしたままだった髪を撫で付けて毛先を弄くった。
指定のリクルートスーツの服を身に纏った後、ざっくばらんに流したままであった髪に櫛を通して結い上げる。
その際に、渡された御守り代わりの髪留めを使って結んでみた。
髪留めをよく見てみたら、見覚えのある紋様のようなものが柄として編み込まれているように見えた。
シンプルな其れにあまり気にしないで、鏡台の前に並べた化粧品を手に取り、軽く化粧を施す。
普段は面倒でメイクなど一切しないが。
こういう時に限り、社会人としての女のマナーとして化粧を施すのだ。
まぁ、一種の仮面とでも言えようか…。
内面的なものを覆い隠し、薄っぺらでも当たり障りのない笑みを貼り付ける為に。
…と言っても、自分がするのは、精々仕事用のナチュラルメイクぐらいであるがな。
就活時に使って以来使っていなかったリクルート用バッグを引っ張り出し、会議で使用する資料やスケジュール等を記したしおりを突っ込んでいく。
その他諸々、必要になりそうな物を詰め込み、改めて忘れ物が無いかを確認する。
そうして、大方出掛ける支度を整え終え、付添人を頼むべく誰かしら居るであろう大広間へと向かった。
『ちょいとごめーん。今日の会議出んのに付き合ってくれる人探してんだけど…、誰か希望者居るー?……って、お前等何やってんの…?』
障子戸を開き、広き部屋の中を覗くと、一部の数人の男共が取っ組み合いの掴み合いをしていた。
その様を呆然と見遣り、無言で立ち尽くしていると、横合いからポン…ッと肩に軽い衝撃が来て、其方に視線を向ける。
すると、其処には、いつの間にか出掛ける準備を整え終わったスーツ姿の鳴狐が、キツネの形を形作った手を向けて立っていた。
「…俺が行くよ。」
『嗚呼、なっきーが付いて来てくれるの…?』
「はい…っ!主殿の護衛のお役目は、この鳴狐めにお任せくださいませぇ!」
お供のキツネが、彼の肩の上で誇らしげに胸を張る。
そのふかふかした胸元の毛並みを見つめていたら、反対側から上着のジャケットの裾を引っ張られ、今度は其方を見遣った。
「もうひとつのごえいわくは、ぼくがつとめますから…っ!あんしんしてみをまかせてくださいね、あるじさま!」
『おぉ、短刀枠は
今剣ちゃんかい?頼もしいね。今日一日、宜しくね?』
「もちろんです…!バシッときめてやりますから!!」
自信満々に胸を張る小さな彼の頭を撫でる。
嬉しそうに其れを受け入れた彼は、にこにこと笑って「えへへ…っ!」とご機嫌な声を漏らした。
取っ組み合ってた面子の理由は、会議へ向かう道中訊く事にし、そろそろ本丸を出る頃合いの時間であった。
『二人の出掛ける準備が出来てるようなら、そろそろ出ようか…。でないと、約束の時間までに間に合わなくなっちゃうからね。各自忘れ物は無いよね…?』
「我々の用意でしたら、バッチリ完璧でございまするぞ主殿…っ!」
『そんじゃ、行こうか。』
「その前に…ちょっと良いかい?主。」
『え…っ?何、歌仙…?』
荷物も持った事だし、「さぁ行くぞ…!」としていたところに、歌仙から待ったが掛けられ止められた。
その声に、一体どうしたのかと言わんばかりの態度で振り返る。
あまり出掛け前に此れ以上の時間は割けられないのだが…。
そう思いながら歌仙の方を見つめていると、彼から心配げな顔で或る事を問われた。
「額のその傷…その状態のまま出掛けるのかい?」
『嗚呼…コレの事か…。大丈夫大丈夫。大袈裟な包帯はもう取ったし、今は治りかけてる小さな傷痕をちょっと大きめの絆創膏で隠してる程度だから、あんま目立たないって。前髪でも隠れる事だし。万が一、何か訊かれたとしても、“ちょっとヘマしてぶつけました”で通るから…!そんな心配要らないって。』
「しかし、幾ら前髪や絆創膏で隠していようとも、女性の顔に傷があるというのは悪目立ちしてしまうのではないかい…?」
『と、言われましても…今は、まだその顔を隠す為代わりの面が見付かってないし。代わりのヤツを新調しようにも、まだ出来てないから隠し様が無いしな…。まぁ、この際諦めるしかないって。前髪で隠れる範囲な分、まだマシだし。そもそもがウチ等は戦をやってるんだから、そういう事してて怪我すんのは当たり前でしょ…?』
「…まぁ、そういう事だ、之定。心配する気持ちも分かるし、雅じゃないと思うのも分かるが…此処は、主の判断に任せようぜ。」
「そうですよ、歌仙さん。兼さんの言う通りです。あの程度の傷なら前髪で隠れますし、何か言われても主さんが上手く遣り過ごしますから…っ。僕達は、主さんが無事に帰ってくる事を待ちましょう?」
どうしても気になっていたのだろう、未だ顔の傷の事を気にした様子の歌仙を兼さんと堀川がやんわりと宥める。
昔やらかした傷よりはマシだって言ったんだけどな…、心配性な奴等だ。
切ってからだいぶ伸びた長い前髪を調整して、肌色に近い絆創膏の貼られた箇所を隠す。
渋る歌仙を促してる間に、我が初期刀である清光が私達を玄関まで押し遣った。
「後は俺達がどうにかしとくから、主達は早く行きな…?時間、やばいんでしょ?お姉さん待たせてるって言ってたもんね。」
『うん…っ。ごめん、ありがとね清光。今日はお留守番組だけど…っ。』
「うん。お留守番組なのは、前田も一緒だから。…主の事、頼んだよ?鳴狐と今剣。」
「お任せください、加州殿!主殿の事は、我々がきちんとお護り致します故…!」
「あるじさまがまいごになったりしないよう、しっかりとぼくたちがみておきますから!あんしんしてまっててくださいね!!」
『それじゃ…留守の間、本丸の事宜しくね?』
「はい…っ!主君ご不在の間の事は、僕達にお任せください!」
キリリと胸を張って答える前田君に、出掛け前の恒例行事のように頭を撫でてから扉の前へ立つ。
「行ってらっしゃい、主。」
『うん…っ、行ってきます。』
そうして、漸くの事本丸を出て、政府施設へと繋がるゲートを潜って行ったのだった。
―数刻前の遣り取りを思い出しながら、施設内の廊下を歩いていた。
動いている内にズレたか、ちゃんと隠せているか前髪に手を触れていると、隣を歩いていた姉が問うてきた。
「その傷…まだ痛む?」
『え…?』
「いや、何か額気にしてるみたいだったから…もしかして、まだ傷が疼いたり痛んだりするのかなって…。」
姉が酷く申し訳なさそうな顔をして俯く。
別に、もう其れ程気にするまでの傷でもなくなってきているというのに…。
全く以って心配性な姉だ。
『いや…?今のは、単に傷が前髪から見えてないか弄くってただけ。一応、化粧とかテープ貼ったりして隠してるけど、其れだけじゃ目立つから…前髪下ろしたままにして、あんま見えないように隠してんのよ。傷自体は、もう痛くないよ。殆ど治りかけてるしね。』
「でも、アンタも女の子だし、顔に傷があるのは…やっぱ気になるよね。」
『別に…。念の為隠してんのは、ただ周りの奴等の目が面倒ってなだけだから。出掛けに、歌仙にも気にされたしねぇー…。幾ら前髪で隠そうとも、怪我してんのが額だからやっぱ目立っちゃうんだよね〜。ま、何か言われたら、“すっ転んでぶつけて切りました。”とでも答えとくって。』
からからと軽く笑って言葉を返す。
そうでもしないと、何時までもコイツは気にするからな。
限られた時間の中、初めて来た姉の為に、ざざざっと案内出来る分の範囲で施設内を案内する。
あとは各々時間となったので、各自それぞれの所属国ルートに別れて会議室へと向かった。
そして、特に何時もと変わり映えしない内容と流れの会議を終えて、会議室を出る。
会議の内容は、基本が各々の所属国ごとの代表者による報告の纏めと、政府役人から行われる新しく入った情報公開の講義と月毎にある催しの知らせを受けるだけだ。
時間遡行軍に対しての情報と言っても、敵情勢との攻防は変わらず均衡したまま、一進一退を繰り返しているとの事のみだった。
此方もまた変わり映えの無い情報である。
まぁ、近々新たな合戦場が開放されるという情報ぐらいは、まだマシといったところか。
敵情勢は、また強さを増しているという…。
しかし、ウチの本丸では、新たに開かれる合戦場より前のステージ、まだ五面と区切られている時代の合戦場までしか攻略を出来ていない。
ここ最近は、新しく入ってきた新入りの教育や姉本丸の指導の方ばかりに気を取られて、進みを見せていない…。
流石に、そろそろ自営の方側にも本腰を入れて取り掛からねばなるまい。
溜め息を吐きながら、会議室を出た道のすぐ先にある角を曲がろうとしている時であった。
「すみません!其処の審神者様…っ!」
『ッ…、はい…何でしょうか?』
「嗚呼、良かった…間に合った…っ。」
先の話し合いの場に居た政府役人の一人だろうか。
急いで駆けてきたのだろう黒服を着た面の男に呼び止められた。
「少しお時間宜しいですかな…?」
直感で嫌な予感がしたのだった。
執筆日:2019.02.17
加筆修正日:2020.03.11