空風は何処へ往く



―其れは、とある夏の日の事であった。


(土の匂い…土臭い。)


ザアザアと降り続く雨が、ボタボタと屋根を打ち付ける。


(屋根を打つ雨音…雨の匂いだ。)


くん…っ、と鼻を動かし、空気を吸ってそう思った、床の間に横たわった女。

広い畳の部屋にポツリと敷かれた布団の上で、彼女は寝転んでいた。

視線の先は、開け放ったままの戸の向こう…。

縁側を挟んだ先にある庭の方へと向けられていた。

外は、雨が降っているのか、空気が湿り気を帯びて、少し部屋の中も湿っぽくなっている。


「お…っ、目ぇ覚ましたか大将?おはようさん。」
『…薬研…?』
「おぅ。気分はどうだ?昨日は蒸し暑かったからな…。起きれそうか?」


ぼんやりと薄ら目を開けて外の景色を眺めていれば、頭上に影が差し、見上げれば、眼鏡を掛けた小さな少年の姿をした者が逆さまに覗き込んでいた。


『…うん…、おはよう…。』
「相変わらず、寝起きは寝惚けてんなぁ…大将。他の奴等は皆起きてるぜ?後は、大将だけだ。早く起きねぇと朝飯冷めちまうぞ、寝坊助さん。」


目覚めてから、未だぼんやりとした意識のまま頭の上の顔を見つめていると、パタパタと廊下を歩いてくる足音が幾つか。


「薬研兄さん…!主君のお加減はどうでしたか?」
「おぉ、前田か。大丈夫だ、心配する事は無いぜ。まだちっとばかしぼぉーっとしちゃあいるが、そりゃ起きたばっかによるもんだからな。もう少し時間を置いたら、完全に起きるだろ。」
「そうですか…其れは良かったです。」


色素の薄いおかっぱ頭の姿をした少年が、薬研と呼ばれた少年の元に近寄り、心配げに声をかける。

其れに対し、彼は力強い意思を宿した目を向け、心配するなとの言葉を返した。

その傍らで、彼女はぼんやりと横たわったまま天井を見つめる。


「おはようございます、主君。もう朝でございますよ…?朝食も、既に厨当番の方達が作り終えています。早く起きて、支度を致しましょう。何でしたら、お着替えするのをお手伝い致しましょうか…?」


薬研という少年と入れ替わりに、今度は真横から前田と呼ばれた少年の顔が覗く。


『うん…おはよう、前田君。』
「…おはよう、主。目覚めに一杯のお白湯を持ってきたよ…。」
『お小夜も…おはよう。それと、お白湯有難う。』
「どういたしまして…。早く起きて一緒に朝餉食べよう?」


続いてやって来た青髪の少年が、前田という少年の傍らに腰を下ろし、手に持つ盆を差し出した。

其れに対して、ゆっくりと身を起こそうとしたのを手伝ってくれる前田。

差し出された盆の上に乗っかった湯呑みをそっと受け取ると、中に入っていた物をそのままゆっくりと喉へ流し込む。

そうして口を付けていた湯呑みを盆の上に戻し、また小さく「有難う。」との一言を返す。

其れに頷いた彼が、湯呑みを受け取って静かに腰を上げた。


「僕は此れを厨に片付けてくるよ…。そのついでに、あの人の事も呼んでくるね。」


淡々とそう告げると、小夜と呼ばれた少年は部屋を出ていった。

入れ替わりに、また幾つかの足音と共に誰かが姿を現す。


「朝だぜーっ、主さぁん!おっきろーっ!!」
「おっはよぉ〜、主さん…っ!ねぇ、今日のボクも可愛く決まってる?」
「おはようございまーす、あっるじさまぁー!あっさでっすよー!!」
「お、おはようございます、主様…っ。今日は、雨の日ですね。虎君達とお外で遊べなくて、ざ、残念です…。」


途端に賑やかになる部屋。

明るく元気な子供達の声が、次々と朝の挨拶を告げに来る。

雨で湿っぽく薄暗い気分になりかけていたのも、あっという間に吹き飛んでいった。


『おはよう…、愛染に乱ちゃん、今剣いまつるちゃんに五虎ちゃんも。皆、朝から元気だねぇ…。』


皆の明るさに釣られて、思わずといった風に柔く微笑みを浮かべた彼女。

そして最後にやって来た、彼女にとって最も大切な者…。

彼女の初期刀である、彼であった。


「もぉーっ、やっと起きたのぉー…?皆の分の朝餉揃っちゃったよー。」
『清光…おはよう。』
「うん。おっはよー、主。早く支度して一緒に御飯食べよ…?じゃないと、せっかく作ったのが冷めちゃうよ。さっ、布団から出た出たぁ…っ!」
「あ…っ、僕、布団を畳むのお手伝い致します!」
「じゃあ、ボクも…!」
「なら、俺達は先に居間へ戻っとくとするかぁー。」
「そ、それじゃあ僕も…先に戻っときますね…って、ぁあ…ッ!?と、虎君達…っ!だ、駄目ですよぅ…っ!!其れは、主様のお布団でぇ……っ!」
「俺、先に行って、他の奴等に主さんが起きた事知らせとくなぁー!」
「ぼくたち、さきにいってまってますから…!あるじさまもはやくきてくださいね!ばびゅーん…っ!」
「こら…っ、廊下は走るなぁー!」


やって来たかと思えば、すぐにパタパタと去っていく子供達。

姿が子供のような姿をしているだけで、本当は人の子なんかではないのだが。

本当の子供達のように元気な子等が、朝から本丸を賑やかす声がする。


「…ったく、朝っぱら騒がしいんだから…。」
『ふふ……っ、もし此れが現世だったなら、ご近所迷惑になるとこだったね…?』
「本当にねー。」
『ふふふ…っ、でも…こうやって賑やかなのも、悪くはない、かな…?』


朝から地を濡らす雨音に混じって、賑やかな子供達の声が聞こえる。

そんな或る日の本丸は、雨が降っていて、緩やかな時の流れる日だった。


―本丸始まっての数日目、とある雨の日の朝の情景より。


執筆日:2018.07.30
加筆修正日:2020.03.10

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