夢路に見るもの
此処は、一体何処なのだろう……。
気が付いたら、見知らぬ土地に立っていた。少し霧がかった周りの景色を見渡して、はて、と首を傾げる。
――自分は、
てんで覚えが無くて、途方に暮れる。
此処から、どう行けば良いのだろう。恐らく、自分は何処かに向かう途中だったのだ。半ば漠然とした意識だが、何故だかそう思えて、無性に自分は何処かに向かわなければならないのだという意思に駆られた。
一先ず、このままこの場に立ち尽くしたまま居ても何も解決はせぬと、行き先も定めぬまま歩き出した。ぽてぽてと適当に勘を頼りに進んでいく。すると、徐ろに霧の晴れた場所に出た。
其処は、先程居た狭い道のような場所とは違って、パッと開けた場所になっていた。開けた場所の先には、何か建物らしきものが見える。意識が其方に向いたので、勘を頼りに其方の方へ足を進める事にした。
よくよく見れば、建物の近くには園庭のようなものも在る事が窺えた。赴くままに歩みを進めていくと、途中で校庭のようなグラウンドらしき場所を通り、何かの下を二回
また、もう一度ぐるりと周囲を見渡して、辺りの景色を眺める。ふむ……見たところ、見覚えがあるようで無い、曖昧な処のようだ。此処に来るまでの道標となった建物の外観を見ると、何処かの学校みたいであった。
其処に来て、初めて自身の身形を見下ろした。見れば、制服のような物を着ている事から、どうも私は此処の生徒だったようだ。では、私はこの学校に来る為に彼処に居たのだな、と何となくで結論付ける。
ふんわりと靄がかった思考で、
教室のような部屋が並ぶ棟に入って、初めて漸く誰かと逢う事が出来た。
「あっ、奏ちゃんおはよー!」
「おはよう〜っ!」
適当に入っていった先の教室で、そう声をかけられた。
おはようと挨拶された事から、“今は朝”で、挨拶以外に何も咎められるような事を言われなかった事から察するに、“今はまだ登校時間だったのだ”という事を初めて理解した。
たぶん、
「……うん、おはよう」
その反応が何処と無く眠たげに見えたのか、はたまた、私がそんな顔をしていたのかは不明だが、彼女等は私の返した反応にクスクスと笑い声を上げて此方を見た。
「奏ちゃん、もしかしてまだ寝惚けてるの? 其れとも、単なる寝不足?」
「今日の奏ちゃん、何だか眠そうだもんねぇ〜。昨日、何時に寝たの?」
「えぇっと、何時だったかな……? よく覚えてない……っ」
「え〜っ、大丈夫〜? 今日、一限目から数学だよ?」
「う゛え゛ぇ〜っ、そういやそうだったっけ……? 嫌だなぁ〜、私数学嫌いなのにぃ……っ」
「一限目の教科が何かすら覚えてないとか、本当に大丈夫? もしかして体調悪い……?」
「うーん……そう、かもしんない……。何か、さっきからずっと頭ぼんやりしてる気がするんだよねぇ……っ」
「そういや今日の奏ちゃん、ちょっと具合悪そうだよね。風邪でも引いた?」
「ん゙〜……そうなんかも……?」
「あんまり体調悪いようなんだったら、ちゃんと保健室行ったりするんだよ?」
「うん……。もしキツくなって、“あ゙ー、もう駄目そうかなぁ〜ッ”とかなってしんどそうやったら迷わず保健室行く事にするわ〜……。心配してくれて有難うね」
「ううんっ。だって、万が一奏ちゃんが倒れちゃったりとかしたら嫌だし、大変だしね!」
そう、友人と思しき彼女等に心配されながら自分のところの席だろう椅子に着席して鞄を下ろす。
其処で、ふと、最近は呼ばれていなかった方の名前を呼ばれた事に気付き、何だか不思議な感じを覚えた。“奏”とは、私の本名で、久しく耳にしていなかった名前だ。何でそんな事を思ったのだろう……と、ぼんやりとした頭で考えながら、
其れから、席近くの友人等と少しお喋りをして、担任の先生が来てからは朝の朝礼をして、授業を受ける。その間、ずっと頭の中はぼんやりとしたままだったが、特に此れといった体の不調は感じられなかったので、保健室には行かずに教室に居た。そもそもが、保健室へ行かなかった理由は、
そのまま流れるように時間を過ごしていく内に、下校の時間となった。
帰り際までも、また少し友人等と仲良くお喋りしながら階段を下りていき、下駄箱の在る玄関まで向かう。すると、あと少しの距離で下駄箱の処まで行き着くといったタイミングで、何かを思い出したようにハッとした友人の一人が「やばっ!?」と大きな声を上げ、慌てて元来た道を引き返そうとし始めた。其れに驚いたもう一人の友人が、声を上げて彼女に問う。
「■■ちゃん、どうしたの?」
「今日、私日直当番だったのに……っ! 日誌書くの忘れてたぁー!!」
「あ゛っ!? そういえば私も、今日委員会の仕事あったんだったわ!! やっば……! すっかり忘れた!?」
「え゛っ、やばいじゃんソレ。時間とか大丈夫なの? 急いだ方が良くない?」
「うんっ! 御免けど、私ちょっと急いで行ってくるわ! たぶん、もう遅刻確定で怒られるかもだけども……!!」
「つー訳で、待たせとくのも申し訳ないんで先帰っててぇ〜! 日誌書くの時間掛かるし、その後今度は先生んとこにまで提出しないといけないからさ! 本当ごめぇ〜ん……っ!!」
「良いよ良いよっ……! んじゃあ、お言葉に甘えて私はお先に。また明日ね〜」
気付けば、またぽつねんと一人になってしまった。今しがたまでずっと誰かと一緒に居た分、急に静かになってしまった感じで、何だか無性に寂しい気分に襲われた。
まぁ、用事が出来てしまったのなら仕方のない事だと諦めて、一人虚しくボッチで帰る事にした。下駄箱から自分の靴を取り出して、反対に脱いだ上履きを仕舞う。トントンッ、と爪先を鳴らして靴が履けたのを確認した後、「さぁ帰るか」と学年玄関を出ようとしたところで、不意に見覚えのある緑の色をした背中を見付けて立ち止まった。
ふわふわとした意識の中、唯一しっかりとした記憶にある姿を見付けて、私は堪らず声をかけた。
「(あっ……、)――
「――んあ……? 嗚呼、蔦枝か」
一瞬、彼の名を呼ぶ時、どう呼ぶべきなのかを迷った。何故こんな簡単な事で迷ってしまったのかは分からないが……其れは、恐らく彼がまだ若く先生になったばかりの人であり、しかしながら生徒の皆にはよく慕われていて、いつも“先生”ではなく渾名や愛称で呼ばれていたからの所為だろうと思い直した。
でも、一応は“先生”と名の付く役職に就いているのだから、幾ら親しくとも“先生”との敬称を付けて呼ぶのが正しい筈。だから、一瞬モヤッとしてしまったのだ。
向こうも其れは同じだったのか、先生らしく扱われて照れ臭そうに頬を掻いて苦笑した。
「なぁんか
そう零してしょっぱい顔を浮かべた後に、何やらむず痒そうにへにゃっと眉を困らせた彼は、私の方に向き直って口を開く。
「今から帰るとこか?」
「はい、今日の授業はもう全部終わったので。私は帰宅部ですし、後は何も用は無いですから帰るだけです。
「俺かあ? 俺も、さっきまで任せられた仕事色々とやってたんだぞぉ〜。壊れてる器具直したりとか、用具の片付けしたりとかな。あと、園庭の花壇の水遣りとかもしてきたぜ」
「へぇ〜っ。
「うえぇっ!? 酷くねぇか、其れぇ〜! 先生ちょっと傷付いたぞぉ〜っ」
「あははははっ! 冗談ですよ〜、本気にしないでください……!」
つまらない冗談を本気で受け取ったらしい彼が面白くて、つい声を出して笑ってしまったけれど、失礼な奴だと怒られやしないだろうか。気になって彼の方を窺い見るように見遣ると、ちょっとだけ不服そうではあるものの、いつものユルい空気で笑みを浮かべていたので怒ってはいないようだった。
妙なところで焦った事にホッと安堵しているところで、彼に再び声をかけられた。
「蔦枝は、此れから帰るとこだったんだよな?」
「はい、そうですけど……其れが何か?」
「いや、蔦枝がどっから入ってきたのかが気になっちまってさ」
「えっ……
「あー、彼処から入ってきた訳かぁ……」
「……? どうかしたんですか……?」
「ん゛ー……いや、まぁ、大した事じゃあないんだけどさ……っ」
急に歯切れ悪く言葉を発するようになった彼に怪訝に思い、首を傾げて見る。すれば、彼は私が来た道のりを再度確認するように指差しまで加えて言った。
「蔦枝は、あの二つの門の処を
彼の指し示した方向を見遣って……そういえば、今しがた出て来た校舎へと来るまでの途中にて、そんな処を通ってきたような気がする事を思い出す。殆ど曖昧でぼんやりとした記憶ではあるが、確か、何かの下を
「え、っと……たぶん、そうだったと思います、け、ど…………っ」
「だったら、帰る時も其処を通って帰ってくれなぁ〜。特に意味は無いんだけど……可能な限りは、来た時と同じ道を通って帰って欲しいからさ」
「はぁ……? よく、分かりませんけど……何かそうしなければ良くない事でも起きる的な理由でもあるんですか?」
ただ普通に学校に来て帰るだけなのに、何だか可笑しな話だと思って疑問を返す。
そしたら、彼は
「よくある簡単な話だよ。元来た道を戻らないと帰れなくなるからな」
「ぇ…………っ」
急にスン……ッ、と纏う空気を変えてきた彼に戸惑って、無意識に一歩後退った。其れに気遣ったのか、すぐに表情を戻した彼は柔らかな声音で改めて諭すように私へ告ぐ。
「アンタが変な処に迷ったり、変な輩に拐かされたりしないようにする為の、飽く迄も安全を考慮してのつもりで言っただけだから、そんな怯えた顔すんなって! 今のは、アンタを心配して言った言葉であって、アンタを怖がらせようとかいう意思は無かったんだ。もし、今ので怖がらせちまったのなら、謝るけどさ……っ」
「え……っ、心配って……どうして…………?」
「だって……今のアンタ、何だか凄くぼんやりしてるみたいだからさ。見てて心配になるんだよ」
さっきの真顔は嘘だったかのようにそう笑って言った彼は、私に合わせてくれていたのだろう、折り曲げていた長身を元に戻してぽんぽんと私の頭の上を撫でるように触れてきた。たった其れだけの事で、今しがた抱いた筈の不安は打ち消されたような、そんな気がした。
一先ず、動揺しかけた事を誤魔化す為にぎこちなく笑って、適当に返事を返す。
「えっ……あ、あ゛ぁーっ、そういう心配ですか……っ? えぇ……っ、でも、私そんな心配されるような風に見えますかねぇ……?」
「うん。今のアンタ、端から見て凄ェ心配になるくらいにはぼんやりしてるぞ? 調子悪いんだろ。なら、寄り道せず、真っ直ぐ家に帰って寝とくんだぞー。しっかり寝て養生すれば、風邪は治るからな。ほら、駄弁るのもこんくらいにして……っ、用が無いならさっさと帰る帰るー! 家で母ちゃんが待ってるぞぉ〜!」
「ちょっと! 私、其処まで
最後に、ちょっぴり怒った風な態度で失礼極まりない扱いを受けた事に対しての不満を返して、帰路に着く。
それにしても、さっきのは本当に何だったのだろう……?
小さな疑問を残したまま、私は言われた通りに来た道を戻って帰っていった。
――そうして、ふと目が覚めた。
仕事の合間に疲れて眠くなってしまったのだろう。机の上に置いたノート型PCの画面前で、自身の腕を枕に顔を伏せて寝てしまっていたようだ。
取り敢えずはと体を起こして、ギシギシと軋む関節や筋肉を伸ばした。すると、不意にすぐ近くの距離から自分以外の存在の声が聞こえてきて、面を上げる。
「あっ……主、起きたんだな。おはようさん」
ついさっきまで聞いていたような気がする声が間近で聞こえたのに反射的に反応して向けた視界には、近侍を務める御手杵がすぐ側の距離で自分と同じようにして体を丸めて机に伏していた姿が映った。
「気付いたらアンタ寝ちまってたからさ。そのままにして風邪引かれんのも不味いかなって思って、適当に俺の上着掛けておいたんだ。……お陰で寒くなかったろ?」
「あ、うん……っ。私、いつの間にか寝ちゃってたんだね。有難う、ぎね。起こさないでいてくれた上に、上着まで掛けてもらっちゃって……」
「良いって良いって。其れよか、疲れたんならもう仕事切り上げて寝とくか? アンタ、ここんところ徹夜してばっかだったろう。眠いなら、布団敷いてこようか?」
「んー……其れもそうだね……。どうせ、仕事はもうキリの良いところまで終わってたし……。
「んじゃ、俺、アンタの部屋行って布団敷いてくるなぁ〜」
「うんっ。わざわざ有難うね、ぎね。お言葉に甘えて宜しく頼むよ」
すっかりスリープ状態に落ちてしまっていた画面を完全に落とし切ってから、飲みかけで放置していたマグカップを持って立ち上がる。此れを厨へ片したらそのまま本気で寝てしまおうと、執務室である審神者部屋を出て、まだ眠気でぼんやりとした頭を抱えつつ歩きながら、ふと思った。
つい先程まで学校のような処に居た気がするのだけれど……どうやら、現実によく似た世界観なだけの夢だったらしい。何とも不思議でぼんやりとしていたからか、あまり詳しい内容までは覚えていないが、何処か懐かしい学生時代を思い起こさせるような内容だった事だけは確かだ。
朧気ながらも夢の内容を思い出したのを切っ掛けに、改めて今の自分の身形を見下ろしたみた。そうして視界に映ったのは、何の変哲も無い、いつも身に纏っている和装の審神者服姿であった。
セーラー服を着ていたのは、遥か昔の頃の私である。今の私はとうに成人して長らく経つ大人の身だ。故に、制服を身に纏っている筈が無いのだ。
しかしながら、不意に童心に返って学生時代の思い出に浸り懐かしむ事は、誰しもにだってある事だ。夢に見たのだって、
夢とは色んな種類があるが、今回のものは、恐らく記憶にある過去の一部が再現されたような感じのものだったのだろう。もう随分昔に着る事を卒業した制服や学校という場所に懐かしさを覚えながら、私は小さく笑みを零した。
(あれ……でも、夢にぎねそっくりな人が先生みたく出て来てたような気がするけど……アレ、何だったんだろう? 自分の寝てるすぐ側にぎねが居たから、其れで夢にまで出て来ちゃった流れなのかなぁ?)
朧気ながらだが、夢の内容を思い出した事で思い出した、夢の中での彼の存在に、首をコテンと横に傾げる。
次いで、彼には似合わないであろう“先生”という立場にある姿を想像して、彼本人には悪いが再び笑みが漏れてしまった。あのユル〜い空気で“御手杵先生”だなんて、失礼だけどちょっと笑ってしまう。彼は、先生というよりかは、どちらかというと生徒の方が似合うだろう。もし、彼がリアル学生であったならば、高校生か大学生辺りが妥当だろうか。何方にせよ、学生ならば違和感無く似合うだろうし、面白いだろうなと思う。まぁ、飽く迄空想や想像の中限定のお話である。
彼等の使命は、歴史を守る事であり、その為にこの世に降ろされた刀の付喪神様達なのだから。故に、彼等の事は、“刀剣男士”と呼ばうのだ。限り無く人に近い器を戴く身なれど、その実は人ではない。物であり、戦の為に作られた武器に過ぎないのだ。彼等を使役する立場なのに認識を間違っては、忠義を尽くしてくれる彼等に対して失礼であろう。寝惚けて思考が緩んだか。
そうして、徐ろに脳裏に過った記憶に、また小首を傾ける。
(そういえば……あの時、真面目な顔で可笑しな事を言われた気がするんだけど……何だったかな? まぁ、夢の中での話なんだから、よく覚えてなくても不思議じゃないし、別に構わないんだけども……)
遅れて、眠気を思い出したかのように欠伸が漏れて、くありと気伸びをする。これ以上はただ眠たくなるだけだから、余計な事は考えずにさっさと布団へ横になる事に努めよう。私はそう考え直して、母屋の厨の方角を目指して歩いていった。
――そんな私の後ろ背を、私の私室へと行った筈のぎねが廊下の先から神妙な顔をして見つめていたとは、知らないのである。
加筆修正日:2023.07.19