#37:頂けない気の緩み



知り合ってから何故か数日も経たぬ内に作り過ぎたらしい料理のお裾分けを貰うようになって、早数週間が経過した。

所謂親交を深める為の物だろう、そのお裾分けで使用されたタッパーを返却しに再び工藤邸へ訪れたのだが…。

チャイムを鳴らしても、無反応。

試しに外から声をかけてみても同じ。

「お留守かな…?」と思って門扉を過ぎ、ドアに手を掛けてみると何とまぁ。

鍵が空いているではないか。

無用心だなぁ…と思いながらも、早々に返却したかったので、小さく“お邪魔します”との声をかけてから家へと上がらせて頂く。

中に明かりが点いているのを確認して、「何だ、居るんじゃないか。」と直接口にはしないものの内心で愚痴垂れる。

取り敢えずリビングに向かってみれば、現在の仮家主がソファーを背にゆったりと本を読んでいた。

全く、来客があったのも気付かないとは珍しい事だ。

試しに、何れだけ真剣に本に集中しているのかを見てみようと思い、背後からひょこりと顔を出す形で彼の事を覗き込んでみた。

ついでに、驚きの一つでも返せれば意趣返しが出来るかもと思って声もかけてみる。


『昴さーんっ、タッパーお返しに来ましたよー……って、寝てるし…。てっきり、居留守使われたのかと思ったら、そういう事か…。』


珍しく警戒を解かれた姿を目の当たりにした事に驚きはしたが、何故か起こす気にはなれず、そっとしておこうと考えた。


(取り敢えず、タッパーはキッチンにでも置いといて、メモでも残しておけば良いかな…?)


そう思い、手に持っていたタッパーはそのままの足でキッチンへと向かう。

一応、人様のキッチンに無断で入る事も兼ねて、「勝手にお邪魔しますね〜…っ。」との断りを入れてから入る。

空いていたスペースに持ってきた紙袋をそっと置いてから、肩に提げていたバッグの中からメモ帳を取り出してさらさらと書き置き文を書き留め、そのページをベリリッと破いた。

それをタッパーの入った紙袋のすぐ側にでも添えておけば、十分OKだろう。

「さぁ用は済んだ、さっさと帰っちゃおう!」のノリで再びリビングへと戻る。

しかし、そこでまだ眠っている彼に目が行ってしまい、自然と足は其方へと動いていった。

ソファーで無防備に眠りこける彼からは、規則正しい寝息が聞こえてくる。

膝の上には、読みかけの本が開かれたまま乗っかっていた。

これは…本を読んでた途中で寝落ちしちゃった、という感じかな…?

いつもポーカーフェイスを決めて冷静沈着を保ってる昴さんにしては珍しい姿だ。

ここまでユルい昴さんを見れるのって、ある意味貴重モンかも…?

写メとかこっそり撮っちゃダメかなぁ。

あ、でも、よくよく考えたらシャッター音とかで起きちゃうよね…。

なら、代わりに網膜に焼き付けて脳内フィルムにでも保存しておくとしようか(←)。

そう思い付いて、暫し無言で彼の寝顔を眺め…否、観察していると、ふと眠ったまま掛けられている眼鏡に気が行ってしまい。

邪魔そうだから外してやろうと愚直に思い、無謀にも手を伸ばしてしまった。

そして、外しかけた瞬間。

パシリッ、と掴まれた腕に、ユラリと面を上げた昴さん。

途端、軽くノー眼鏡状態な彼と視線がかち合ってしまった。

一瞬、二人の間を気まずい緊張感が漂った。


『ぁ………えっと…、おはようございます…?』


何故か疑問系での挨拶。

テンパり過ぎか自分よ。

予想だにしない展開に狼狽えつつも冷静に相手の動向を窺っていると、寝起きで頭がボォーッとしているのか、数秒間程無言で見つめ返してきた。

数十秒間、無言で見つめ合った後、漸く現実に意識を取り戻したらしい彼が言葉を発した。


「―……何故、君が此処に居るんです…?」
『え、あー、それは…この間頂いたお裾分けのタッパーを返却しに来たんですけど…チャイム鳴らしても誰も出なくて、試しにドアノブを捻ってみたら鍵が開いていたので…。失礼ながら、勝手にお邪魔させて頂きました…っ。』
「…そうでしたか…。…では、別の質問を一つ。――今しがた、僕に何かしようとされていたようですが、一体何なんでしょうか…?」
『え…?寝てるのに眼鏡掛けたままは邪魔かなぁ〜と思いまして…、勝手ながら外してあげようとしてました。』
「それは、どういった理由から…?」
『あ…、もしかして駄目、だった感じですか…?…いや、その…本当変な意味とかは無かったんですけど、純粋に眠ったままの眼鏡掛けっ放しは良くないのかなぁ〜と思いまして…。だって、ほら…変にフレーム歪んじゃっても後々困るじゃないですか。…それに、何だか疲れてるように見えたので、寝やすくしてあげた方が良いのかと思って…。もし…悪戯されたのかな、とか勘違いさせてしまったのなら謝ります、御免なさい…っ。きっと、余計な気遣いでしたよね……?』
「………成程、そういう事でしたか…。変に疑ったりしてしまって申し訳ありません。最近物騒な世の中でしたから、つい思わず。」
『いえ、そんな気にしないでください。変に疑われるような事しちゃった私が悪いんですから。』
「それに、君が来た事にも気付けぬ程眠りこけてしまうとは、失敬…。家主としてきちんとお出迎えも出来ず、申し訳ない。眼鏡の件も優しく気遣ってくれたにも関わらず、無碍にしてしまってすみません…っ。」
『いえいえ…っ、私も眼鏡掛ける身なので、よくある事なんです!…と言っても、私の場合は、昴さんと違って常に掛けてる訳じゃなくて、授業中に掛ける程度なんですが…。家でも偶に掛ける事があるんで、そんな時、掛けてる事忘れてそのまま居眠りとかしちゃってて、よく“弟”に注意されるんです。――…あっ、眼鏡、ずっと持ったまんまでしたね!すみません…っ!どうぞ、お返ししますね!』


うっかり返すタイミングを忘れてノー眼鏡状態のまま会話させていた事に気付き、慌てて手に持っていた眼鏡を手渡した。

それを半ば呆然として受け取る昴氏。

何処か毒気を抜かれたような表情をしているのは、気のせいだろうか…?


「…あ、はい、有難うございます。此方こそ、何だかぼんやりとしてしまってすみませんでした。まだ眠気でも残ってるんですかね…?お客さんが来ているというのに、このままではいけませんね…っ。後で珈琲でも飲んで目を覚まさなくては。」
『お疲れのようでしたから、目が覚めてすぐぼんやりとされてても仕方ありませんよ。私の事は気にしなくて構いませんから、少しお休みになっては如何です?』
「いえ…大丈夫ですよ。お気遣い有難うございます。…それにしても、君が日常用で眼鏡を持っているとは初耳でした。きっと、眼鏡を掛けた姿も素敵なんでしょうね。また新たな発見があって嬉しいです。もし、写真などありましたら、今度見せて頂けませんか…?」
『………昴さん、もしかして、まだ寝惚けてらっしゃいます…?』
「は…?」
『いや、何だかまだぼんやりされてるご様子だったので…。あと、寝起きにも関わらず相手を口説くような台詞を仰ってましたので。』
「……………。」


今度はピシリと固まってしまい、次第に俯いてしまった。

微妙な間が流れ始める。

しかし、その間を打ち破ったのは、昴さんの方だった。


「……その、良ければですが、これから一杯お茶でも飲んで行かれませんか…?せっかくいらっしゃったのに、何のおもてなしもしないままなのは腑に落ちないので。」


暫し沈黙してから再び顔を上げると突然そんな事を言い出した彼。

どんな誤魔化し方だろうか。

ちょっと意外で、内心吹き出しそうになったのを寸でで堪え、言葉を返す。


『え…っ?い、いや、良いですよ!私は、ただタッパーを返しに来ただけなんですから…っ。この後すぐ帰る予定でしたし、私にはお構い無く昴さんは休んでください…!』
「いえ…、それでは此方が申し訳なさ過ぎます。是非、一杯だけでも飲んで行ってくださいませんか…?」
『えぇ…っ?ま、はぁ……なら、い、一杯だけ…頂きます…っ。』


急な展開に付いていけないまま、彼に促されて彼と入れ替わる形でソファーに腰を据えさせられつつ頷く。

困惑しながらも大人しく待っていれば、即席で用意したのだろう珈琲に、彼の糖分補給用に置いていた物らしき市販のクッキーまで添えて出された。

何もそこまで気遣われる程の事はしていないのだが、彼に思うところがあったのだろう。

敢えて余計な事は言わぬまま、貰える物は貰っておこうと素直に頂く事にしたのだった。


「…あ、すみません。何も聞かずに珈琲にしてしまったのですが、大丈夫でしたか…?」
『あ、はい。大丈夫ですよ。ミルクとお砂糖たっぷりなら…、ではありますが。』
「良かった。やっぱり少し疲れてるみたいですね。さっきからぼんやりとしてしまっていけない…。此方、お砂糖とミルクです。お好きなだけどうぞ。」
『わざわざ有難うございます、昴さん。』


ご丁寧にもシュガーポットとミルクまで用意してくださったので、有難く使わせてもらおうとミルクを一つと角砂糖を三粒程摘まみ入れる。

もし、これでも甘さが足りなければ、もう一つミルクか角砂糖を足せば良いだろう。

一先ず、一旦添えられていたスプーンでよくかき混ぜてから飲んでみると、まぁまぁ丁度好いくらいの甘さで、おまけに珈琲にも拘っているのか、良い豆の薫りが鼻に抜けた。


『あ、この珈琲美味しい…っ。』
「お気に召して頂けたようで何よりです。」
『昴さんって、珈琲にも拘ってらっしゃるんですね。よく飲まれるんですか?』
「えぇ、まぁ。眠気覚ましにもなりますからね。毎日飲んでますよ。」
『成程、だからかぁ…凄く薫りが良いです。(――昴さんはブラック派かぁ…父さんと似てるな。にしても、にっがそう……っ。)』
「それ、近くの業務用スーパーに売っていた安物ですよ。実は、クッキーも同じ場所で買った物なんです。」
『えっ、そうなんですか?てっきりそれなりにお高いヤツかと…。へぇ…、今度私も買ってみようかなぁ。後でこの珈琲のメーカー教えて頂いても良いですか?あと、出来ればパッケージとかも見せて頂ければ有難いです!――…あ、クッキーも美味しい。』
「本当は、クッキーは市販の物ではなく、私お手製の物をお出ししたかったんですがね…。」
『いや、それはまた今度で良いですから…っ。無理しないでください。』
「あはは…っ、すみません。」


変に気を遣おうとする彼を諭すように告げれば、彼は申し訳なさそうに笑いながら自ら淹れた珈琲に口を付けていた。

一先ず、この珈琲とクッキーを頂いたらすぐに帰ろう。

でないと、この人、いつまで経っても休まなそうだ。

それはあまりにも頂けないと思ってチラリ、彼の方を見遣ると、まだ少しぼんやりしているのか、珈琲を飲みながら思案に耽っているようだった。

此処でそれを邪魔する程無粋ではない。

静かに大人しく珈琲を飲む間くらい、気を抜ける間を設けよう。

そう思って、暫しの間また無言の静かな沈黙を貫いた。

その間、実は彼が真面目な顔をしてただ内省していたとは知らない。


(―…まさか、彼女が来ているとも気付かずに眠りこけてしまうとは…少々気が緩み過ぎているな。相手がボウヤじゃなくて良かった…。)


静かなお茶会はすぐに終わって、特に用も無かった私はすぐに帰る為に席を立ってその旨を告げた。


『珈琲とクッキー、ご馳走様でした!それじゃあ、今度こそお暇させて頂きますね…!』
「はい。どうもお付き合いくださって有難うございました。次の時はちゃんとしたおもてなしをしますので、どうか距離を置いたりなんて寂しい事はしないでくださいね…っ。」
『今日の事ぐらいで嫌いになったりしませんから…っ!また今度お誘い頂けたら、いつでも来ますよ。勿論、その時は昴さんも元気な時に!』
「はい、その節は本当にすみませんでした。また今度、改めて御礼をさせてください。僕の気持ちが収まりませんから。」
『さっきの美味しい珈琲だけで、もう十分なんですけど…まぁ、昴さんがそう仰るなら、またお付き合いしてあげますね。…では、これで。』
「あ…っ、最後に一つだけ言わせてください…!」
『えっ?まだ何かあるんですか?』


慌てて引き留めてきた彼に足を止めて振り返ってみると、待っていたのは軽いお説教というか、無防備な私に対するお咎めであった。


「相手が僕とはいえ、男の住む家にそう気軽に無防備に上がるものではありませんよ。梨トさんのようなお年頃の女性ならば、尚更特に。…でないと、いつ襲われたとて文句は言えませんからね。僕だって男なんですから、その点は同じですよ。男性に対しての接し方については、初めの頃のように警戒した方が身の為です。――何せ…その内、欲に飢えた狼が君の事を襲ってしまうかもしれませんから、ね…?」


最後の方こそちょっぴり茶目っ気を出してウインクなんてされたが、珍しく開かれたその片目は明らかに笑ってはいなかった事に内心怖じ気付いてしまった事は此処だけの話である。

ちなみに、返事はというと、素直に無言で首を縦に振って、すぐさまその場を去っていったのだった。

普段目を閉じている系キャラの人が開眼すると怖いのは、どうやら現実も同じらしい。


執筆日:2021.03.08

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