#36:緋色の嬉しき誤算



きちんと丁寧に洗濯した服の返却と御礼の品(近場で美味しいと評判の洋菓子)を持って工藤邸の前に立つ。

今度は、直接渡すべきだと思い、此処へ来る前にアポを取ってきた。

なので、前回みたいに不在で誰かへ受け渡しの代理を頼む、という事にはならない筈だ。

あと、これは何となくだが…先日の一件から何処か警戒し過ぎていた険が取れたというのもある。

故に、以前までの異様なまでの無駄な警戒心を解いて訪れた。

先日同様に玄関先の門扉に設置されたチャイムを押して、訪問の合図を鳴らす。

前以て連絡していたお陰もあってか、寸分待たずして応答の声がし、ドアの鍵が解錠され、目の前の門が開かれた。

そして、この屋敷の現家主(仮住まい)の彼がひょこりと顔を出して微笑む。


「やぁ、こんにちは梨トさん。貴女とまた逢える日を心待ちにしていましたよ。」
『どうも、こんにちは昴さん…っ。先日は色々と有難うございました。此方、先日お借りした服とマフラーです。ちゃんと綺麗に洗っての返却なので、ご安心ください…!たぶん、縮んだりとかの不備はないと思うんですけど、万が一何かありましたら買い直させて頂きますんで、遠慮無く言ってくださいね…っ。…あ、あと、これは御礼の品のお菓子です。良かったら、どうぞ。』
「…これはこれは、ご丁寧にどうも有難うございます。丁度お茶でもしようかと準備していたところでしたし、梨トさんも一杯飲んで行かれませんか?せっかくお菓子もある事ですし、一緒に頂きましょう。」
『え…っ。でも、それは昴さんへの為の御礼の品ですし、お借りした服を返却するだけですぐ帰るつもりだったので、わざわざお邪魔するのも迷惑かと……、』
「僕が貴女とお茶をしたいから誘っているんです。迷惑になんかなりませんよ。…ささ、遠慮なんかせず、どうぞ上がってってください。」
『え、あ、えとっ……はい…、じゃあ、少しだけ…お邪魔させて頂きますね。』


恐縮する思いでそう控えめに返すと、彼は嬉しそうににこりと笑って衣類とお菓子の入った紙袋を手に私を室内へと招き入れるのだった。

導かれるようにそのまま彼に背中を押されて客室へと案内されると、先日も座ったソファーへと座らされる。

見れば、初めから私とお茶をする予定だったのか、テーブルには既に湯気の立つ紅茶の入ったカップが二組置かれていて、美味しそうな甘い香りを漂わせていた。

成程、用意周到そうな彼らしい。

半ば強引なまでのお誘いはこういう事だったのか。

内心納得しつつ、大人しくソファーに腰掛けて待っていたら、先程私が渡したお菓子の箱を開封したのだろう、早速紅茶のお供として出てきて何だか申し訳なく思った。

あれは昴さんへの御礼の為に用意した物だったんだけどなぁ…私が頂いてしまって良いんだろうか。

少しだけもやもやとした気持ちを抱えて、彼から差し出されたお菓子の盛られたお皿を受け取っていると。

顔に出ていたんだろうか、クスリと小さく笑った彼に指摘されてしまった。


「梨トさんの事ですから、きっとこれは僕の為に用意した物なのに、自分が食べてしまっても良いのだろうか…と気にしてらっしゃるんでしょうが、僕が望んで貴女と一緒に食べたいと思って出した物です。そんなに気になさる必要は何処にもありませんよ。…それに、美味しい物は、一人で頂くよりも誰かと共有して一緒に頂く方が美味しいって、よく言うじゃないですか。まぁ、中には一人で楽しまれる方もいらっしゃいますが、それはそれ…。せっかくの機会なんですから、僕は梨トさんと一緒に楽しみたいんです。――ここまで言えば、もう何も気にする必要はありませんよね…?」
『……す、昴さんがそこまで仰るのなら…お言葉に甘えて、有難く頂戴致しますね…っ。』
「えぇ、どうぞ召し上がってください。紅茶の方も温かい内にどうぞ。」
『はい、有難うございます。頂きまぁーす…っ。』


促されるままカップに口を付けてみれば、丁度良い具合の温度の紅茶で、先日飲んだ物とはまた別の意味で美味しい。

それに直接口には出さず喜色を滲ませていると、彼の方から口を開かれた。


「お気に召して頂けたようで何よりだ。」
『はい…っ、凄く美味しいです…!』
「それは良かった。まさかお菓子まで頂けるなんて思ってもいませんでしたから、前以て淹れていた紅茶に合わなかったらどうしようかと思っていたのですが…杞憂に済んで良かったです。素敵なお菓子を有難うございます。マドレーヌとマーマレードの詰め合わせなんて、お洒落ですね。失礼ですが、何処のお店に売られていたのか訊いても?」
『あぁ、それでしたら、駅前通りのケーキ屋さんにありますよ。其処、ケーキ以外にもクッキーやマドレーヌといった焼き菓子から手作りジャム、それに加えて売っている商品に合うような紅茶の茶葉まで売ってるんですよ。色んな年齢層のお客さんがいらっしゃいましたから、男性の方でも来やすい所だと思います。私、偶々本屋のバイト帰りに見付けて以来、ちょこちょこ覗いてみてたんです。外観から内装までお洒落で素敵なお店なんですよ。もし良かったら、今度ご案内致しましょうか?』
「梨トさん自らのお誘いならば、断る理由もありません。是非とも、また次にお互いの都合が合う日にお願い致しましょう。その日が来るのが、今から楽しみですね。」
『はははっ…、昴さんたら気が早いですよ。』
「すみません、また梨トさんに逢えると思ったら…つい。露骨で申し訳ない。」
『いえ、昴さんのお気に召したのなら何よりです。実は、このお菓子、お酒にも合うってポップに書いてあったのを見て選んだんです。チョコレートとか以外にお酒好きな人向けにも合うお菓子ってあるんだなぁ〜って、ちょっと驚いたのが切っ掛けだったんですけど。』
「成程、それでこのチョイスだった訳ですか。僕がお酒好きだった事を覚えていてくださって嬉しいです。」


大層気に入ったらしい彼がそう饒舌に話すので、一応ただの一般的な礼儀を尽くしただけであったが安心した。

お酒にも合うようにの理由までは余計だったかもしれないけども。

まぁ、彼が喜んでくれたのなら何よりだ。

彼の淹れてくれた紅茶の味を損なわせる事もなくバッチリ合ったお菓子に舌鼓を打ちながら、内心で自己評価を付けつつ、まずまずといったところかと頷く。

昴さんの方もマドレーヌを食べながら顔を綻ばせている。

偶々見付けたお店の物だったけれども、それなりの評判だったし、選んで良かった。

念には念を入れて母さんや遥都にもチェックしてもらっての物だったし。

…そういえば、先日の一件以来、昴さんの話題を出すと何やら考え込んでる風な空気醸し出してたなぁ、あの人。

色々あって怪しい点は未だ残るけども、今のところそんなに害は無さそうだと判断して今に至る訳なんだし。

何となくだけど、この人はそんな警戒しなくとも良い人なんじゃないかなぁ…と個人的に思う。

まぁ、あの人の目から見たら、そうではない風に見えてるかもしれないから何とも言えないが。

そんな風にふと意識を余所に飛ばし考え込んでいれば、昴さんから再び話しかけられて我に返った。


「このマドレーヌも、なかなかにいけますね…っ。クッキーなどの簡単な物は作った事がありましたが、こういったカップケーキの類の焼き菓子はまだ挑戦した事がなかったので、今度レシピを調べて試してみましょう。」
『そういえば、昴さんは普通に料理される以外にも偶にお菓子を作ったりされてたんですっけ…?』
「えぇ。論文を考えるのに煮詰まった時などに気分転換の意味も込めて色々と。お菓子以外にも、時間の掛かる煮込み料理系に今ハマっていまして。まぁ、其方はまだそんなに腕前は振るえていないのですが…お菓子の方は割りと好評価を頂けてるんですよ。少年探偵団の子達のお墨付きです。」
『あはは…っ、そういやぁ前に一度コナン君辺りに誘われた事があったような…。』
「はい。残念ながら、その時は都合が合わず断られてしまったとコナン君から聞きました。ですが、また今度子供達の為にクッキーを焼こうと考えていますので…その時は、梨トさんにも食べて頂けたらと思っています。勿論、都合が合えばで構いません。感想を聞かせて頂けたら嬉しいです。お誘いした暁には、是非梨トさんもいらっしゃってくださいね?」


もしかしたら、今までの私の態度と対応の仕方で断られる、もしくはお世辞としての意味だけで“Yes”と答えられると思われたのだろうか。

念を押すかのように圧を含んだ言葉の節々に、私は苦笑しながら素直な気持ちを答えた。


『はい、その時は是非また此方にお邪魔させて頂きますね。私、母や亡くなった父に似て甘い物大好きなので…!同じく甘い物好きな“弟”の分も含めて頂きに参ります…っ!――…なんて、ちょっと図々し過ぎましたかね…?』
「……いえ、寧ろ、俄然とやる気に満ちてきたくらいです。では、梨トさんと弟さんの為にも、次に作る時は沢山ご用意しなくてはなりませんね。せっかくですから、可愛らしいラッピング用の袋か何かも準備しましょうか。きっとまた作り過ぎてしまうと思うので、持ち帰り用まで出来てしまうと思うんです。…梨トさんさえ宜しければ、今度一緒に選んで頂けませんか?男の僕だけだと、いまいち不安が残るので…出来れば女性の方の目もあれば安心なのですが。」
『そういう事でしたら、良いですよ。お安い御用です!じゃあ、駅前通りにあるケーキ屋さんへご案内する時にでも一緒に選びに行きましょうか!』
「…本当に宜しいんですか?」
『はい、全然構いませんよ?』
「だったら…是非お願いしますね。梨トさんに同行して頂けるとあって、僕も助かります。他の方に頼むのは少々気が引けたので。」
『今回みたいな小さな頼み事でしたら、いつでも構いませんよ。まぁ、上手く都合が合えばの前提ですがね。』


そう気軽に返せば意外な返事だと思われたのか、キョトンとされてしまった。

あれ…、私、今変な事言ったかな…?

一瞬不安になって思い返してみるも、特に変な発言はしていない気がする。

なら、どうしてしまったんだろうか。

「あの…昴さん?」と小さく窺うように控えめに問いかければ、思考を取り戻したらしい彼が一度俯き、眼鏡のツルを押し上げてから顔を上げて言った。


「…あぁ、すみません。ちょっと意外だと思ってしまったものですから。」
『意外、ですか…?』
「えぇ。だって、先日までの貴女は、僕への接する態度が警戒心の塊みたいな空気でしたから…。今日はやけに柔らかだな、とそんな風に思ってしまいまして。気に障ったのでしたら申し訳ない。」
『いや…その、昴さんの仰る通りですから、気にしないでください。寧ろ、逆に此方が今まで失礼な態度を取ってしまって誠にすみませんでした…っ。』
「いえ、貴女は女性の身なんですから、異性に対してそれくらいの警戒心を持っていても何ら不思議じゃありませんよ。…ただ、どうして急に態度が軟化したのかの理由だけでもお聞かせ願えたらな、と思いまして。」


改めてそう問われると、どう言葉にして良いものか悩み、しどろもどろな口調になりつつも何とか思っている事を伝えようと言葉を口にした。


『えっと…それは、本当何となくな感じなんですけど……先日、酷い雨の日に雨宿りさせて頂いた時に、凄く純粋に本気で私の事を心配してくださったんだなぁというのが伝わってきたので…。それで、少し考えを改めたと言いますか……とにかく、そんなふわっとした理由です!すみません!』
「いえ、謝らないでください。僕の気持ちがきちんと梨トさんに届いていたのだと分かっただけでも収穫ですから。全てではないにしろ、僕の気持ちが伝わっているようで良かったです。出来れば、素直に好意までも受け取って頂けていたのなら尚の事喜ばしかったのですけど。」
『え゙。それ、は…その……、まだ、色々と無理なので、ちょっと…。』
「(そこで“まだ”と答えるとは、愛らしい人だ…。)――冗談です。でも、半分は本気ですので、そのつもりで受け取ってもらえると嬉しいです。」
『ゔ…っ、は、はい…っ。善処しますね……その内。』
「はい、その内。」


にっこりという言葉が似合う程に満面の笑みで微笑んだ彼から滲み出る圧力に苦笑を禁じ得なかったのは致し方ない事だろう。

あからさまな態度で以て向けられる好意に戸惑いつつ、誤魔化す為にカップに口を付けて紅茶を啜る。

誤魔化し切れていないのは、向こうも分かっているのだろう。

「フ…ッ、」と吐息だけで笑うと、下手に間を与えないように口を開いてきた。


「そういえば、気付いておられないのかもしれないので敢えて口にしますが…梨トさん、今日は僕の事を“昴さん”と下の名前で呼んでくださるんですね。」
『―…………、あ…っ!』
「ふふふっ…やはり気付いておられなかったんですね。無自覚とは、また嬉しい誤算だ。実は、密かに黙っていようと思っていたのですが…それだとフェアじゃない感じがしたので、敢えて口にさせて頂いたんです。ついでに言わせて頂きますと、何だか距離が縮まった気がして嬉しかったので…出来ればこのままの呼び名でお願いしたいのですが?」
『…そう、ですね……今更訂正して呼び直すのもどうかと思いますし、これからは“昴さん”呼びでいきますね…。』
「はいっ。有難うございます、梨トさん。」


やっぱり、彼と居ると調子を狂わされる気がして否めないのは、私だけだろうか…。

何はさておき、これにて彼との物理的距離感が縮まったのは事実である。

ちゃっかり次の予定も取り付けちゃってるのを思うと、強ち私自身も彼と逢うのは満更ではないのかも。

彼の居る工藤邸に来て、また仄かに香る懐かしき匂いを感じて、そう思った。


執筆日:2021.03.08

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