寂寞の夜霧
ふと、目が覚めてしまった。
何となしに目が覚めて意識が浮上し、その後もまた眠れるか、目を閉じたままでいたが変に目が冴えてしまったようで、やはり眠れず。
否応なしに結局起きざるを得ず、ちょっとばかし水分でも取りに行こうかと二階の自室から抜け出て一階の台所まで降りていく。
いきなり冷たいお茶を飲むのも気が引けたので、温めの白湯を口にして喉を満たす。
其れから部屋に戻ってまた寝直すか、適当に眠気が来るまで本でも読んどくか、そう考えつつ欠伸を漏らしながら台所を出れば――不意に、視界の端に映った祖父の部屋付近から微かな灯りが漏れ出ている事に気が付いた。
ハテ、確か己は全部の電気を消してから部屋を出てきた筈であったが…消し忘れでもあったのか。
気になって、意識が完全に其方へと移行する。
寝起き姿のまま祖父の部屋前までやって来て、思う。
やはり、小さな灯りが漏れ出ていると近くに来てはっきりと分かった。
しかし、その灯りは電気のものではないらしいくらいにか細く、薄暗い。
やはり、部屋の電気は全て消して出てきたようである。
だが、灯りが漏れているという事が気になってしまって仕方がない。
刀の付喪神かもしれない彼が居るので、このまま立ち去っても別段良かったのだろうが、如何せん目が冴えてしまっている上に真夏の真夜中に起こってしまった現象に好奇心が疼き勝ってしまった。
なるべく音を立てぬように静かに戸を開いて中を覗き見れば、床の間からずっと動かないままの彼が目を開いていた。
おまけに、入口の戸を少しばかり開けて顔だけを覗かせて部屋の中を見る私の事を真っ直ぐと見つめていた。
『ひぃ…ッ!?(―むぐぅ!!)』
真っ暗闇の中、爛々と光るみたいな金色のその目に驚いて、つい小さく悲鳴を上げてしまい、咄嗟に口許を押さえる(真夜中な時間帯だった故に必死に何とか抑え込んだけど、此れが昼間だったら普通の声量で叫んでた)。
無言で見つめてくるその目に怖じ気付きながらも、暗闇に溶け込むようにして居る彼に向かって、今更ながら言い訳染みた言葉を漏らした。
『……あ、あああの…っ、夜分遅くにすいません……!その…っ、電気全部消した筈なのに何か微かに灯りが漏れてる気がしたので…其れで、気になって様子見に来たんですけど…、えと……だから、その………っ、わ、私の勘違いみたいでした…!お、おお休み中のところいきなりお邪魔してすみませんでしたぁ……っ!何も無かったみたいですんで、自室に戻ります…!!し、失礼しましたぁ………っ!!』
急いで捲し立てるみたいに言葉を言い切ってから、わたわたと開けた戸を閉めようと手を掛けた。
すると、ぱちり、一瞬きした彼がぽつり、と言葉を漏らした。
「――別に、アンタの事取って喰おうとか思っちゃいねーから、んな怯えずとも良いぜェ。…まぁ、こんな見た目してっから、怖がらせちまうのも無理はねぇかもしれねーがなァ。」
『…ぇ………っ。』
突然口を利いた彼に驚いて、ぴゃっと肩を跳ねさせて一拍置いた後に、自身の声を発した。
喋れる事自体にも驚いたが、その喋った内容が私を気遣うような内容だった為に更に驚いてしまった。
まさか其処まで気遣わせてしまうとは。
逆に申し訳なく思ってしまった私は、慌てて言葉を言い募った。
『あ…っ、いえ、此方こそ変にビビり過ぎちゃってすみませんでした……!まさか起きてらっしゃるとは思ってなくて…っ、あと真っ暗な中、猫みたいに目だけが光ってるのに驚いてしまって……っ、その、もし不快にさせてしまったなら謝ります!御免なさい…っ!』
「…いや、別にんな気にしてねぇから良いよ。頭上げてくれ。」
『あ、はいっ、すみません…!今すぐ体勢戻しますね…っ!』
ガバリッ!と下げた時同様の勢いで頭を上げると、僅かに呆れの色を滲ませた双つの目と合った。
本当に猫みたいな目をした人だ。
本当の意味で人ではない者に対して“人”という称を与えるのは、些か可笑しな表現かもしれないが。
彼は、まこと人みたいに物を喋り言葉を話した。
「…アンタ、眠れねぇんだろ?」
『え……っ、あ、はい…よく分かりましたね……?』
「今日みたいに月がよく見える夜は、よく目が冴えて眠れねぇって、昔アンタの爺さんがボヤいてたからな…その爺さんの血を濃く受け継ぐアンタなら、同じ質であっても何ら可笑しくはねーよ。」
『爺ちゃ…、――祖父の事をよくご存知なんですか…?』
「嗚呼、当然のこったろ…?何たって――俺はその嘗て昔、アンタの爺さんに仕えてた身の者なんだからなァ。」
彼の言葉がまことのものならば、彼は昼間母が話していた通りの存在という事になる。
非道く懐かしいと言わんばかりに細められた金の眸に、嗚呼…この人はきっと爺ちゃんの事が好きだったんだろうな、という事が窺えた。
其れくらいには慈しみの宿った目をしていた。
その様子に、すっかり警戒を解いた私は、静かに部屋の中へと入室し、開けた戸を閉めて彼の居る床の間の近くに腰を下ろした。
話を聞く体勢に入ったんだろう事を察した彼が、静かに口を開いて言う。
「眠れねぇ代わりに、寝物語にでも俺が知る限りのアンタの爺さんの話を聞かせてやろうか…?」
『はい…!是非お願いします…っ!』
私の威勢の良い(しかし小声である)返事に、彼は相好を崩して笑った。
「なら…まずは互いの自己紹介からと行こうかい。――俺は、同田貫正国。その身の通り、刀で武器の者だ。まぁ、所謂物に霊魂が宿った付喪神って存在さ。神と言っても末席の位なんで、そうあんま気にしなくても良いぜ。変に敬われたり奉られたりすんのには慣れてねぇし、どうも性に合わないんでな。遊戯の世界じゃ、基本的に“どうたぬき”と呼ばれちゃいるが、地元じゃ“どうだぬき”で通ってる。呼び方についちゃあ、アンタの好きにしてくれ。」
『成程…やっぱり貴方は刀の付喪神様だったんですね!母さんに聞いた通りで漸く腑に落ちました…!』
「嗚呼、アンタはあの主の…爺さんの孫娘の方で合ってたか…?」
『はい…っ!私は、爺ちゃんの孫の宮津うきはと言います…!あ、爺ちゃんと苗字が違うのは、その娘の母さんが父さんと結婚して姓が変わったからで、母の旧姓は勿論“藤原”で爺ちゃんと同じですよ!』
「おうよ…其れくらいは知ってるっての。ご丁寧にもフルネームで教えてくれる素直さ辺りは、アンタの爺さんとそっくりだよ。」
『えへへ…っ、爺ちゃんと似てるって言われるの、ちょっぴり嬉しいです…!爺ちゃんとは、私がまだ幼い子供の時にしか接する事が出来なかったから…お盆の時期なのも合わさって、何だか懐かしいのと同時に感慨深いです。』
「そうか…爺さんが生きてたのは、まだアンタが小せぇ時だったもんなァ。爺さんが亡くなってから、もう何れくらい経つんだっけか…?」
『爺ちゃんが亡くなったのは、私がまだ五つの時だったんで…今から十五年も前の事になります。』
「そうかい…もうそんなにも時が経ってたのか。…人の世の時間はあっという間に過ぎていくもんだなァ。あんなにガキでちびっこかったアンタがこんなにもデカくなってんだから、時間の流れってのは末恐ろしいもんだよ。其れにしても、随分と立派にデカく成長しちまったよなァ、アンタも……きっとあの世で爺さんも喜んでるぜ。」
『ははは…っ、だと嬉しいですね…!』
そんな他愛ない感じで、暫く和やかな雰囲気で会話を続けていたら、好い具合に眠気が戻ってきて、ついふわりと欠伸が出た。
神様の手前、おっぴろげて欠伸をかますのも失礼かと思って噛み殺していると、私が眠たげにしている様に気付いたのか。
敢えて下手な言葉は紡がずに端的に事を告げてきた。
「…アンタ、眠くなっちまったんだろ?だったら、眠気がある内に部屋に戻んな。布団に入ってりゃ、その内すとんっと夢に落ちてるだろうからよ。」
『うぅ…っ、ふぁい……そうしときます…。本音を言うと、もっとお話してたいんですが………、』
「話なら明日にも出来る。俺はアンタの爺さんとの誓いもあるんで、こっから(この家から)移動する事はまず無ェよ。だから、アンタが俺の本体である刀をどっかに移動させねぇ限り明日になっても俺は変わらず此処に居るし、居なくなるとかの心配は無用だ。…おら、眠気がある内にさっさと寝ちまえ。昨日俺の手入れに慣れねぇ力使って疲れてんだろ。体力回復の為にも、早く部屋戻って寝ろ。」
『(“手入れに力”って、私何か使ったりしたっけ…?箱の中に入ってた道具以外の物を使った覚えは無いのだけど……。)……うす…、今日のところは神様の言う通りにしときます…。お話に付き合ってくださり有難うございました…。其れじゃあ、おやすみなさぁ〜い……っ。』
「おう、おやすみ。夏だからって怠けて風邪引かねぇようにしろよ。」
彼に促されるまま、幼子のように目を擦りながら部屋を退室する。
妙に眠くなりながらも何とか挨拶だけは告げ、俯きがちに会釈をしてぺたぺたと裸足特有の足音を立てながら廊下を歩いていった。
そして、二階の自室へとそのまま戻り、布団へinしたら、その後の記憶は無い。
あっという間にスヤァ…ッ、と夢の世界へ落ちてしまったようだ。
あんなに目が冴えていた筈なのに、急に寝付きが良くなったかのようで不思議だった。
―翌日、目が覚めた直後、何だか夢を見ていたような心地で起き上がり、何時ものように服を着替えて髪を整えて顔を洗って朝飯を食べ…ようとして、彼の存在を思い出し、前日の昨日と同じく一食分多く用意されていた食事を祖父の部屋へと運ぶ。
すると、昨晩の不思議な出来事は夢ではなかったようで、昨日の昼間とは違い、今朝はぱっちりと目を開いた彼が床の間から出迎えてくれた。
『……えぇっと…一応、おはようございます?…で、合ってるんすかね…?』
「おう…。昨日はアレからちゃんと眠れたかよ?」
『え…?あ、はい…お陰様で………って、やっぱりアレは夢じゃなかったんですねぇー…いやぁ、はははっ、その節はどうもお世話になりましてすみませんでしたぁ〜…っ。』
「別に…あんなの、アンタの爺さんが生きてた頃はしょっちゅうだったからなァ。気にすんなって。…で?今から朝飯か?」
『あ、はい…っ。今日の朝食
献立は、胡瓜の韓国風浅漬けと昨晩の残りのお味噌汁に、だし巻き玉子、大豆と昆布の煮付け物に御飯です…!御飯派かパン派か分かんなかったんで、取り敢えず昨日と同じく御飯にしたんですが…もし、朝は御飯派ではなくパン派でしたら、明日からはパンをご用意しますよ…?付喪神様がパンを好んで食べるのか否かは知りませんけど。』
「いや、俺は飯で良いよ。パンっつーと、あのあんま腹に溜まらなそうなヤツの事だろ…?ありゃ食っても大して腹に溜まんねぇし、軽くて食った気がしねーからあんまり好きじゃねぇ。第一、ああいう如何にも軽い飯は食の細ェ女が食うもんだろ。大飯食らいの俺には向かねぇんだよ。」
『あ…左様ですか…。じゃあ、御飯のまんまで良かったんですね。その点については安心しました…っ。(私は朝は小食であんま入っていかないからパン派、ってな話は今は置いておくとしよう…。余計な事喋るのもアレだし。)』
一人内心で頷きつつ、卓の上に食事を並べながら当たり障り無いようそう返しておく。
最後に、お茶の入った湯呑みと給水筒を置いて屈めていた腰を上げる。
『私は居間で家族と一緒に食事してきますんで、何かあれば気軽に呼んでくださいね。御飯足りなくておかわり欲しくなったりした時も遠慮無く仰ってください。…じゃあ、また後で来ます。ごゆっくりどうぞ。』
「…ん、ありがとさん。」
簡単な遣り取りを交わして部屋を退室し、空の盆を携えて居間へと戻る。
居間へ戻ったら、先に食事を始めていた両親が二人揃ってモグモグと口を動かしながら此方へ視線を集中させた。
「お帰りんしゃい。どうしたんね?そんなボーッとするみたいに呆けて突っ立っちから。」
「早く席座って飯食え〜。せっかく温いんが冷めてまうがな。」
『…嗚呼、うん…食べる食べる…っ。』
ぼんやりと突っ立っていたままだったのを我に返って己も席に着き、手を合わせる。
そして、「頂きます。」と声を出してから食事に手を付け始める。
彼と違って御飯ではなく、こんがり焼いたトーストにマーガリンをたっぷり塗った物と他は同じ献立のおかず達を食べる。
朝が御飯ではなくパンなところは、父と一緒なのである。
ちなみに、母は御飯派なので、朝からしっかり食べてエネルギー摂取に努めている。
一家の母親というものは、毎日朝から晩まで何かと忙しく動き回る為、しっかり御飯を食べて栄養を蓄えてから動き始めないと辛いらしい。
そんなこんな思いながら、手早く自分の食事を食べ終えてから、食器を片し、祖父の部屋へと向かう。
『んじゃ、私自分の食べ終わったから、爺ちゃんの部屋行ってくんね。』
「はぁーい、行ってらっしゃ〜い。」
軽く手を振って応えた母の返事を耳にしながら、再び盆を携えて部屋へと向かう。
すると、やはりすっかり空となった食器類と食後の茶を飲む彼の存在が居た。
『御膳下げに来ましたよぉ〜。朝食の量は其れで足りましたか?』
「あー…まぁ、この姿取ったのも久し振りだからなァ。そんないっぱい食い過ぎて躰が無理って受け付けねぇのも悪ィから、今は此れだけで十分だ。ごっそさんでした。飯、美味かったって伝えといてくれ。」
『あ、はい、分かりました。了解でーす…っ。食器片付けるついでに母さんに伝えときますね。お茶、足りなくなったら仰ってください。ちょくちょく様子見には来ますけど、ずっと此方に居る訳にもいかないと思うんで…というか、私みたいなのがずっと側に居ても邪魔なだけだと思うんで…っ。』
「まぁ…別に俺は此処に居座られようがどうが構やしねぇけどな。今は人の形を写しちゃいるが、元はただの“物”なもんでね。大して気にしたりなんざしねぇよ。アンタが此処に居座りたいと思うのなら居れば良い。…好きにしな。」
湯呑みの中の物を飲み干したらしい彼が呷っていた手を下ろし、卓へ置いた。
端から見たら素っ気なく見えるも、きちんと返事を返してくれる様子なのを見て、彼は見た目の粗暴さに反して案外根の良い優しい人なのかもしれない。
一人こっそりとそう思う事にしてにこり、と微笑み返して喜色いっぱいに返事を返した。
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