心臓ががなる、君に奪われる


「おい、小娘。」
『あのさァ…前々から気になってたんだけど、私の事“小娘”呼ばわりすんの止めてくんない?特級呪物様で生まれた時代が時代だからって気位高いのは分かりますけどォ。アンタにそう呼ばれる度にあからさまに馬鹿にされてる気がして、正直不愉快極まりない上に内心毎度毎度クソ腹立ってしょうがないんだよね。私の存在とかそんな興味無くて名前すらも覚える気とか更々無いんだろうから敢えて言っておく…。私には、ちゃんと“狗尾莎草”って名前がありますから!次、また何時も通り“小娘”なんて呼んだら一発殴るかんね。躰は虎杖のものだとしても知らんっ。流石に此れ以上は腹に据え兼ねる。端的に言って我慢の限界だ…ッ!』
「…何だ、そんな事を気にしておったのか?存外器の小さい奴だったのだなァ…。しかし、この俺に自ら名を差し出すとは、なかなかに物好きな奴だ。」
『はぁ…?意味分からん事を並べ立てるな。』
「くくく…ッ、無自覚という訳か…面白い。自らこの俺に呪われに来ようとは、物好きな奴も居たものよ。…だが、まぁ良かろう。今、俺はとても機嫌が良い。貴様の言い分を聞いてやろうではないか。」


そう言って、現在進行形で我が物顔で虎杖の躰を占領支配している宿儺が私の目の前――其れも顔と顔が直接触れ合うくらいの至近距離に一気に詰めてきて耳元へ口許を寄せ囁いてきた。


「―“莎草”…。」
『ッ…!!?』


瞬間、ゾクリとした悪寒にも似た変な感覚が聴覚を通して背筋を駆け登り、反射的にその場から飛び退いて耳元を塞いだ。

ただ奴に己の名前を呼ばれただけなのに、何だこのざわつき様は…っ。

ドクドクと急激に脈打ち始めた心臓と熱を持ち始めた自身の躰の変化に戸惑い、困惑する。

その様を然も愉快だと言わんばかりに見据えてくる奴の目が、厭に寒く感じるように細められた。


「どうだ…?この俺に直接名を呼ばれる感覚は。その反応からするに、よく響いたようだなァ。くく…ッ、上等上等。」
『ッ…、な…にを、した……!』
「別に?俺は何も手を下したりなどしておらん。」
『う、そをこけ…っ!絶対、確実に何かしただろう…!卑怯だぞ…ッ!!』
「酷い言い草だな…俺は貴様が望んだ通りに名を呼んでやっただけに過ぎないというに…。――嗚呼、いや…名を呼ばれたからこそ、そこまで大袈裟に反応してしまったのか。そうかそうか…そういえば貴様は少し呪術が扱えるだけのただの女であったなァ。」
『は…?何が言いたい…?』


訳が分からぬまま、奴の呟く独り言に耳を傾けていると、刹那、奴が俯けていた顔を此方に向けてニヤリ、と悪どい凶悪な笑みを浮かべて笑った。


「昔から云うだろう…?名は呪いの中でも最も短き呪だと。貴様が其れを知らぬ訳もなかろうに、今しがた俺に其れを乞うてきた。そして、俺は貴様の小さな望みを叶えてやる為に貴様の名を呼んだ。――つまり、貴様は俺からの呪いを受けたという事になる。ケヒヒ…ッ、存外に気分の良いものだな、貴様を支配するというのも。」
『…な、んだ…と…っ?』
「フン…ッ、今、貴様は俺から名を呼ばれた瞬間猫のように飛び退いて距離を取ったな…?其れは、俺が貴様の名をよく聞こえるよう直接口にしてやった事による反射からだ。お陰で余分に感じ取ってしまったようだがなァ?…貴様の慌てふためく様は見ていて面白いぞ。実に愉快だ。良いぞ、もっと晒け出してみよ。ケヒ、ケヒヒャハハ…ッ!」
『名前呼ぶだけで呪い掛けられるとか、聞いてないし…ッ、』
「俺自身も掛けたつもりなど此れっぽっちも無かったのだがなァ…?何分、俺は貴様等で言うところの“特級”に組するらしいからな。此方が意図せずともそうなったとて仕方ない事であろう。其れだけ俺の呪いとしての力が強いという証だ。存分に喜ぶが良い。」


そう言った奴は、愉しげに独特の笑い声を上げつつ再び私の目の前へとにじり寄ってきた。

私は本能的に身の危険を察知して後退する。

―が、其れよりも先に奴が私の腕を掴んで懐に引き込み、今度は顎まで力強い力で掴み寄せ、耳元へと口を寄せて囁いてきた。


「―どうだ“莎草”、俺に名を呼ばれる気分は…?さぞかし心地好い響きであろう?でなければ、そんな如何にもな色を含んだ反応は見せまい…?」


またとなく襲ってきた感覚に、頭の芯から麻痺したように痺れて躰が言う事を聞かない。

一体全体、自分の躰はどうしてしまったというのだ。

訳が分からなさ過ぎて頭がこんがらがってくる。

お陰で、奴が存外優しくそ…っと毀れ物を扱うように頬に触れてきたのにも抵抗出来ずに、混乱の極みから泪さえ滲んできた。

其れさえも愉快そうに口端を吊り上げた奴はこう宣ってきた。


「おお、なんと愛い事か…。今尚そのようなウブな反応を見せる輩は初めて見たぞ?俺に名を差し出す奴など今まで一人たりとも居なかったのもあるが…気に入った。貴様を俺で染めてやるついでに、接吻の一つでもくれてやろう。俺自ら授けてやるのだ、こんな破格な待遇滅多に無いぞ?光栄に思え。」


心臓がうるさいくらい耳元でガンガンがなり立てているというのに、相変わらず躰は意思に反して全く言う事を聞いてくれない。

奴の顔が鼻先という間近に迫り来た時は、あまりの羞恥心から咄嗟に目を瞑って視界をシャットアウトした。

だが、視界を遮断したせいでその他の感覚器官が敏感になり、奴の吐き出す生温い吐息が顔に当たるのを如実に感じ取ってしまうなど逆効果だった。

程無くして、口先に柔く熱いものが触れて押し付けられる。

その感触に、つい生娘らしくビクリ、と肩を震わせて慄いた。

軽く触れていた柔く熱いもの――奴の唇が離され、無意識に止めていた息を吸う。

もう終わったよな…、と思って目を開きかけるも、奴の言葉に遮られまだこの謎の行為は終わっていないのだと知らされる。


「―まだ目を開くにはちと早いぞ…?接吻はまだ終わっておらん。もう暫くそのまま大人しく瞑っていろ。」
『んン…っ、』


不機嫌気味な声と共に再び奴の柔く熱い唇を押し付けられ、唇を食まれる。

一体何のつもりか。

呼吸を奪われ朦朧とするせいか上手く回らない頭で考えてみるも、奴の意図は全く読めなかった。

思考する事も許さないというように鋭い眼で見つめられ、思考力を落とされる。

奴に支配されるなどあってはならない事なのに、力が入らない…っ。

抵抗する気力すらも奪われる。

特級扱いである奴からの口付けを享受してしまっている現実に、抗いたく思う反面、場の空気に流されてしまったのか心地好く感じている自分も居て変だ。

いつの間にか咥内への侵入をも許していて、じゅるり、と舌先を吸われ、口から溢れた唾液が顎を伝い落ちて零れる。

宿儺の四ツ眼が弧を描いて笑う。

そこで、漸く奴の罠にまんまと嵌まって抜け出せなくなってしまっているのに気付くのであった。

…気付いたところで今更抜け出せる筈も無いが。

宿儺に捕らわれた身と心は、既に奴の手の内に引き込まれてしまっているのだから。


AFTERWORD

執筆日:2020.11.13

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