抱いた小さな嫉妬は隠さず牙を剥く


 散歩から帰ったら、玉犬の黒が思ったより泥だらけであるのに気付いたから。シャワーのついでに自分も汗を流して。其れから、何もする事が無かったから、読んでいた途中だった本の続きでも読もうかと思って、机に出しっぱなだった本を手に取ろうとして。読書の前に喉が渇いている事を思い出して、自分の物を用意するより先に玉犬用の飲み水を用意してやって。自分の物はというと、冷蔵庫を確認したら予備が無くなっている事に気付いて。ついでに、小腹が空いたから何か摘まもうとも思ったけど、何も無いから近くに買い出しに行くのと一緒に適当な飲み物を買って来ようと思った。
 折角せっかく綺麗になったばかりの玉犬を外に連れ出すのは憚られた手前、留守番を頼む事にした。番犬には丁度良いし、そんじょ其処らの飼い犬よりも立派に番犬としての仕事を果たしてくれるだろう。
 そうして、少しの間、部屋を留守にして。買い出しを済まして戻ると、さっきまでは居なかった筈の人間が玉犬と一緒に留守番をしていた。正確には、大人しく番犬兼留守番をしてくれていた玉犬の昼寝に寄り添うようにくっ付いて眠っている客人が居た。莎草だ。いつの間に部屋にやって来たんだか。来るなら連絡の一つくらい寄越せば良いだろうに……。
 とか何とか思いながら玄関口から部屋へと上がると、静かに目を覚ました玉犬がご主人様の帰宅に素直に喜びを示して尻尾を振る。其れに頭を撫でてやる事で応えてやりながら、仕事に対しての成果の感想を告げる。
「ただいま、黒犬……。ところで、何で此奴部屋に入れたんだ? 確かに、此奴は俺にとっての敵じゃねぇけど……無断で侵入してきた奴だぞ? 番犬なら、其処らへんもうちょい何とかしないと駄目だろうが」
 しかし、相手は首を傾げて“仕事はちゃんと果たしてましたが?”みたいな顔を向けてきた。いや、侵入者許してる時点で番犬としての本来の意味を成せていない。おまけに、留守番という一仕事をちゃんとこなしたんだから、例のご褒美●ゅ〜るなる物を寄越せと言わんばかりに催促してくる使い魔に、少々甘やかし過ぎてしまったかと自分の教育方法に頭を捻る。
 まぁ、兎にも角にも、一応は留守番という役目は果たしてくれたのだから、ご褒美のおやつは与えておくべきだろう。次は、もうちょっとちゃんとしてくれる事を願って。
 伏せ状態のままからその場を動こうとしない玉犬へ、おやつの●ゅ〜るを与えてから、改めて家主に無断で侵入した奴を見下ろす。敢えてその場を動かないのは、たぶん、十中八九、自分をクッションか何かのように抱き付いて離れない彼女を起こさない為の気遣いだろう。流石は俺の玉犬、賢い奴だ。まぁ、躾が行き届いている証拠でもあるんだが……その話はちょっと他所に置いておくとして。
 恐らく、任務帰りに癒しを求めて俺の部屋を訪れたまでは理解する。其れで、洗い立てフカフカふわふわの毛並みの玉犬がスヤスヤ気持ち良さげに眠っていたから、釣られて一緒に横になったまでも分かる。でも、家主の俺が帰ってきても未だ無防備に眠り続けるのは理解出来ない。控えめに言って、遺憾の意である。せめて、来るなら連絡の一本くらい寄越して欲しかった。
 取り敢えず、買い出しで買ってきた荷物は適当に仕舞って、水分補給もそこそこに眠る彼女の為にブランケットを用意してやるべく動く。其れとなく触れた掌やら頬やらが冷え切っていた事から、屹度きっと、暖を取る意図も含めての事だったのだろう。寒いのならば、最初から何か羽織るか掛けるかして寝転んで欲しいものだ。
 甲斐甲斐しくも世話を焼いてやってから、改めて彼女の寝顔を観察する。玉犬側を向いている為、正面から拝めないのが悔しいが、どうせいつもの事ながら無防備極まりない寝顔を曝しているのだろう。……というか、寒いのなら、自分の方が適任だろう――と、男としては醜い小さな嫉妬を抱いて。そんな感情には気付かなかったフリをして、此れは自分が外から帰ってきて寒かったからだと言い訳をして、眠る彼女の後ろから己の式神ごと抱き込むようにして横になる。勿論、彼女のような無計画にではなく、きちんと自分の分の毛布も用意して、である。
 雪降る中での任務は寒かっただろう。そんな環境の中では、より疲労もした事であろう。だから、着替えも何もかもそっちのけで自分の部屋なんかに帰ってきたのだ。生憎、家主は買い出しの外出中で不在であったが。その代わりを求めて、俺の式神である玉犬を抱き枕と見紛う如く抱き締めて引っ付いていたのだろう。
 本当は、犬より猫派な癖に。犬は、子供の頃のトラウマのせいで苦手と言っていた癖に。一刻も早く暖を取りたくて……もしくは、あまりの気持ち良さげな毛並みに惹かれてしまったか。苦手と言う犬に自ら触れ、あろう事か寝落ちしていた。まぁ、玉犬だけは、俺の式神だから……という甘めな部分はあったのかもしれないが。兎に角、何でも良い。理由は何でも、俺の居る場所を居場所と思って帰る場所にしてくれた事は、素直に嬉しい。その気持ちを伝えてやりたくとも、肝心な相手が眠っていては伝えようにも伝えられないところが非常に残念に思うが……。
 自分より小柄で華奢な体躯をした彼女を丸ごと抱き締めて、自分自身も暖を取る。――嗚呼、此れは、思ったよりも癖になりそうで……凄く温かいし、落ち着く心地だ。


 ――数時間後。
 うっかり疲れとあまりの毛並みの良さとポカポカさに転寝うたたねしてしまったと、うつらと目覚めた莎草は気伸びをしようとした手前で何かの異常に気付いて硬直した。
 寝落ちる前には感じなかった気配と温もりが、自身のすぐ後ろの背後にある事を察したのだ。そして、その人物が自分の事を優しく包み込むようにして抱き竦めている事にも同時に気付いてしまった。
 いや、コレは、一体どういう状況だ。目覚めた瞬間に宇宙キャットな思考に陥るような出来事が待っていようとは思わなかった莎草は、盛大に混乱しつつも、うなじに掛かる寝息の擽ったさに勝てず、ガッチリと背後からお腹の上へ回されていた彼の腕を必死にペチペチと叩いた。率直に色々と限界だから起きてくれとの意である。
 此れに、すぐに目覚めた恵は、しかし、その状態から解放せず。寧ろ、悪化の一途を辿るかのように抱き込み直して、二度寝に入ってしまった。いや、この状態のままは流石に不味い。控えめに言って、超絶ヤバイ。其れはもう色んな意味で。
 だがしかし、抵抗したところで、男と女の力の差が働き、結果莎草は恵の“あすなろ抱き”という恋人特有の拘束からは抜け出せず終い。更には、自分を放って玉犬を抱き枕代わりに寝落ちた事の仕返しだと、無防備に曝されていた首筋へかぷり、甘く噛み付いたのであった。
 おまけに、言う事が此れである。
「……何、俺放って寝てんだよ。しかも、よりによって玉犬に抱き付いたまんま寝落ちるとか……俺への当て付けかよ」
「いや……っ、何と言いますか……取り敢えず、この状況は色んな意味で非常に不味いと思うので、一旦放して頂けると助か……っ、」
「だが断る」
「まさかの即レスですとッ!? むっ、無断で部屋に入ったのは悪かったと思ってますぅ!! あと、恵の大事な玉犬を勝手に暖取り用の湯たんぽ代わりにして御免なさい……っ!! おまけに、寝落ちってしまった事も反省してますから、今日のとこはもう勘弁してっ……!」
「却下。お前が先に玉犬の事湯たんぽ代わりにしたんだ。今度はお前が俺の湯たんぽになれ」
「待って!! 控えめに言って今の体勢は非常に良くないと言いますか……っ、端的に言って私が色々と耐えられないからちょっとで良いの! 数秒間でも離れてもらえたら、と……っ!!」
「良いじゃん、そのまま耐え切れなくなれば。全部俺が受け止めてやるよ。いっその事、このままイケない事、しちまうか……? 寒いんだろ。なら、お互い引っ付き合って温め合えば一石二鳥だろ」
「ッ〜〜〜!!!??」
「オラ、床なんかで寝っ転がってねぇでベッド行くぞ。頼むからそのまま大人しくしてろよ? 暴れて舌噛んでも知らねェーからな」
「えっっっ、ちょちょちょ待ってください、展開早い早い待って待って超絶待って超待っていっそ一生待ってくれ後生だからァ!!」
「やだ。もう無理。煽ったのお前。無防備曝して寝てたお前が悪い」
「ぎにゃあ〜〜〜ッッッ!!!!! 助けて玉犬ェ……!!」
「此奴の言う事聞かなくて良いからな、玉犬。お前は良い子だから、俺の言う事だけ聞いてろ」
 はてさて、甘えたはどっちなのやら。
 一先ず、自分の役目は果たされただろうと思った黒犬は、空気を察してそっと二人の側から離れ、部屋の隅っこへと移動するのであった。もしかしたら、彼の方がよっぽど賢いのかもしれない。

AFTERWORD

※訂正部分:使い魔→式神。

執筆日:2023.02.07
加筆修正日:2023.02.09

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