愛しきかな時間
隣で寝ていた温もりが動き出す。朝がやって来たのだろう。
確か、彼は今日の午前中に任務が入っていた筈……。彼が起きるのならば私も起きようと意識を浮上させた。
しかし、開こうと思った目蓋は重くて開かない上に、起こそうと思った体は動いてくれなかった。全身が全力で寝たがっているのだ。昨晩、遅くにしか寝付けなかったせいだ。睡眠を貪ろうと落ちかける意識を何とか保って、呻きを上げ、身動ぐ。
すると、温かな感触が前頭部に降ってきて髪を撫ぜた。
「無理に起きようとしなくても良いですよ。貴女、昨晩は任務で随分夜遅くに帰ってきたんですから……私に構わず、ゆっくり寝ていてください」
「……ん゛ーぅ゛…っ、起きるぅ………っ」
「日付変わって以降にしか帰ってこれなかった人の休息を邪魔したくは無いので、寝ていてください」
「やだ……七海が起きるなら、私も起きるぅー……っ」
「まだ相当寝足りず眠いんでしょう? 無理せず寝ていてくれても構わないんですよ」
「寝てたら、七海のお見送り出来なくなるじゃん……っ。
「……そうですか。では、私は朝食を作りに行きますので、何か希望がありましたら仰ってください」
「ん゛ん〜……っ、じゃあ……アレ……。あの、もう無くなっちゃったけど、●ブリワンで売ってた…ベーコンエッグトースト的な物……アレが良い」
「狗尾さん、昔から好きでしたよね。某アニメ作品に出て来る●ズーパンも好きでしたし」
「純粋にパンが好きなんですぅ〜……っ。特に、七海の作ってくれた御飯がね……」
「畏まりました。では、出来たら起こしに声かけに来ますから……其れまで寝ていてください。起きれなかった時は、ラップを掛けてテーブルの上に置いておきますから…起きたら、ちゃんと温めて食べてくださいね。貴女は、放っておくと何も食べずに居ますから……食事はきちんと摂ってくださいね」
彼の優しい声音が眠りを促すようで抗えず、結局言われるがまま二度寝コースへと落ちてしまった。あんな如何にもな子守唄ボイス、寝に落ちるなという方が無理ゲーだ。よって、頑張って起きようとした努力も空しく、再び彼の匂いと温もりに満ちたベッドに沈む事となった。
意識の遠く端っこで聞こえる、トントントンッと食材を刻む包丁の音や調理の音が、何とも心地好かった。
暫くして、食欲を擽るとても良い匂いが漂ってきて、自然と目が覚めた。けれど、やはり眠い事に変わりは無く、意識はうつらうつらとしていた。
其処へ、愛しの彼の声がかけられる。
「狗尾さん……朝御飯、出来ましたよ。起きられますか…?」
「ん゛ぅ゛〜……っ、起きるぅー………っ」
「でしたら、せめて顔を洗ってから来てくださいね。私は、先に戻って待ってますから」
「んにゃ……先、食べてて良いよぉ……っ。お仕事遅れちゃいけないから……」
「……では、ゆっくり食べて待ってます」
「うんぅ……」
寝惚け頭を何とか起こして、体を起き上がらせる。でも、やっぱり眠いものは眠い。未だ眠気に支配される体を動かして、頑張って洗面所まで移動した。そして、冷たい水で顔を洗う。この季節の水はまだ冷たくて、少しは眠気が飛んでくれた気がした。
ふわふわとした意識は変わらないが、さっきまでよりは幾分かシャキッとした思考にしぱしぱと瞬きを繰り返して、寝癖まみれな頭を直す事もせずに彼の待つリビングへと向かった。すれば、此方を見つめる呆れの混じった生温かな視線を頂いた。
「寝癖が付いたままなのも直す気力が無い程でしたら、無理せず寝ていてくださって結構でしたのに……」
「やだ。七海が起きるなら私も起きるし、七海が御飯食べるなら私も一緒に食べるの……! 其処は絶対に変えたくないもん!」
「分かりましたから……食べるのでしたら、冷めない内にどうぞ」
「ん……頂きます」
「飲み物は、カフェオレで宜しかったですか?」
「うん……有難う、七海」
「どういたしまして」
席に着くなり手を合わせて、彼お手製の朝食へ手を付け始める。眠気が凄まじ過ぎるせいで、食べるスピードはもそもそと遅かったけれど、味は間違い無しに美味しかったので、寝惚け眼を向けながらも“美味しい”との素直な感想を零した。
「んん〜、美味んいっ……」
「其れは良かったです。貴女は、ただでさえ痩せ気味なんですから、しっかり食べてしっかり栄養を付けてくださいね」
「んにゅぅ……あったか野菜スープが胃と腑に沁み渡るぅ〜……っ」
「顔、溶けてますよ」
「其れは仕方がないんだにゃ……七海の作る御飯が美味しいせいなんだな」
「其れ、褒めてます?」
「褒め言葉以外の何物でもなかろうよ〜……」
眠気からのんびりとした口調で返すも、彼は気にせず温かな眼差しで此方を見つめながらフォークの手を動かす。普段なら、そんなあからさまな態度で見つめられたら恥ずかしさに耐えられなくなって文句を言うところだけども、今ばかりは眠気の方が勝ってしまって仕方がない。
もそもそと食べ進めながら、何とか思考を繋ぎ止めた。
「ねぇ〜……七海は、“黄身と白身どっちが好き?”って訊かれたら…どっち答える?」
「唐突過ぎませんか、その質問……」
「いやぁ、このウマウマなベーコンエッグトースト食べてたら思い至っちゃって……。ちなみ、私は“黄身”派だよぉ〜」
「おや、意外ですね。狗尾さんなら、“白身”派だと答えるとばかりに」
「ぶっちゃけ、どっちも美味しいんだけどね〜。どっちか答えるとしたら、どっちかなぁ〜って。……あ、でも、昔は“黄身”苦手で、目玉焼き出された時はいつも“白身”だけ食べてたなぁ〜。まぁ、子供の頃の話だけど……。目玉焼きの“黄身”は避ける癖に、何でかTKGは平気だし好きだったのよねぇ〜……不思議」
「まぁ、子供の味覚というのは、そんなものですから」
「ん〜っ、カリカリこんがり焼けたミミんとこ美味ぁんい〜…!」
お気に入りのベーコンエッグトーストを囓りながらご満悦そうな声を漏らす。一方、向かいに座った彼は、珈琲を啜りながら思案顔を浮かべていた。
「そうですね……其れで言うと、私も似たようなものかと。目玉焼きは勿論好きですが、“白身”だけを食すのはマナー違反ですし、何より作ってくださった方に失礼ですから……“黄身”も残さずちゃんと食べますよ、大人ですから」
「んむ? つまり……?」
「“白身”派、という事です。まぁ、今のはどっちかを問われたものでしたので、強いて選ぶならと答えた回答に過ぎません。ぶっちゃけ、どっちも美味しいので好きですよ」
「そっかぁ〜……」
「コレ、何か意図があっての問答だったのでは……?」
んにゃんにゃと美味しい料理に舌鼓を打っていたらば、鋭い洞察力で気付いたらしき彼が問うてくる。其れに、私はトーストを頬張りながら答えた。
「ん〜、食べながら寝落ちしないようにって投げた会話なだけのつもりだったのだけど……。本当は今のヤツ、“黄身が好き”って答えた場合のみ“君が好き”に変換されて、お互いwin-winになるって感じの話だったと思うよ〜。うろ覚えの知識だから合ってるかどうかも怪しいけどねぇ」
「……狗尾さん、」
「はぁい〜」
「眠気で頭馬鹿になってませんか?」
「あはぁ、なってるのは否めないかも〜」
「眠気のせいで思考回路溶けてますよ、絶対。でなければ、唐突にそんな可愛らしい事言わない筈ですから。……まぁ、貴女は天然なところもありますので、時折素でそういう愛らしい事を言ってきたりする事も多々ありますが……っ」
「怒ったぁ?」
「此れくらいで怒ったりはしませんよ……。そんな事より、口許、付いてますよ」
「みゅ。……取れた?」
「いえ、全く。ちょっと失礼しますね」
「う?」
口許に付いているとの指摘を受けて、付いていると思しき部分をペロリと舐める。しかし、全くの見当違いの方向だったらしく、向かいで席を立った彼がテーブル越しに身を乗り出し来て、頬に手を伸ばしてくる。大人しくされるがままで居れば、顔を近付けてきた彼が、そのまま口端に付いたままだったマヨネーズを舌で舐め取ってきた。ペロリ、綺麗に取れた事に満足した彼は、至近距離のまま艶っぽくこう言った。
「別に…“好き”と言うくらいなら、そんなまどろっこしい質問を挟まずとも、
「ふぁい……っ」
私の返事に満足したのか、乗り出していた身を戻して席に腰を据え直した彼は、再び珈琲のカップに口を付ける。
眠気で頭馬鹿になっている時で良かった……。平常時の思考では、きっと耐えられなかったに決まっている。
その後、彼は先に食べ上げて、シンクへ食器を下げに行き、きちんと洗うところまで済ました上で、出掛ける準備を整えに移動する。私はというと、先程の事がありながらも、眠気のせいでぼっしりぼっしりとノロノロスピードで食べ続けていた。
結果、私が御飯を平らげるより先に出掛ける準備を整えたらしき彼が、時間だと行って玄関へと向かい始める。其れを、私は慌てて席を立ち、食事の最中なのもほっぽって追い駆けていく。そうして追い付いた玄関先で、いってらっしゃいの挨拶を交わすのだ。
「私の事は気にせず食べていてくださっても良かったのに……」
「良いの! お互いどっちかがお家を出て行く時は、忘れず“いってらっしゃい”って言いたいから……っ!」
「ふふっ……そうですね。いつもお見送り有難うございます、狗尾さん」
「帰りは
「今日は二件程で、何方も簡単な物の筈でしたから……予定が狂わなければ、夕方までには帰宅出来そうです。狗尾さんは、今日一日お休みの予定でしたよね?」
「うん。緊急の連絡とかが来ない限りは、一日のんびり過ごせるかなぁ」
「せっかくのお休みの日ですのに、予定が合わずにすみません……。次にお休みの機会が来ましたら、今度こそ貴女と一緒に過ごします。その時は、絶対貴女を甘やかして差し上げますからね」
「んふふっ……期待して待ってる。今日もお仕事頑張ってきてね、七海」
いってらっしゃいの挨拶として熱烈なハグを交わして、ついでに彼からのキスも受け止めて、お仕事へ出掛けていく彼を見送る。
「近い内に、貴女の苗字も“七海”にしてあげますから、名前で呼ぶ努力もしといてくださいね、莎草さん」
「み゜」
「ふふっ……それでは、行ってきます」
「うん……行ってらっしゃい」
眠気も吹き飛びそうなくらいの甘い口説き文句に動揺して固まっている内に、彼は微笑んでドアを開けた。ドアの先を潜ったら、其処から先は死と隣り合わせの任務に付く。
寝惚け眼を擦りながらも、愛しの彼が今日も無事に帰ってこれますようにとの祈りを込めて手を振った。彼も其れに応じて振り返し、ドアの向こうへと消えていく。
パタリ、閉まった扉の余韻を感じつつ、リビングへと戻って食事を再開させる。食べ終えた後は、シンクに下げて、食器を洗って片付けておくのだ。その後は、余力が残っていれば、洗濯機を回しておこう。そうでなければ、一時間程腹ごなしをして、また寝直そう。出来れば、彼が帰ってくるまでに起きれたら良いなぁ。
あとついでに、夢の中でも良いから、彼の事を下の名前で呼ぶ練習をしておこう。次に顔を合わせられた時に、彼の驚く顔が見たいから。
※一部、作中の台詞内にて、トネル様より頂いたアンケートコメントを引用致しました。