ささくれと朱


 不意に、洗濯した衣類の片付けを行っていた主から小さな悲鳴のような声が上がった。
イタッ…!」
 そして、弾かれたように己の利き手の指先を覗き込み見遣る仕草を見せた彼女は、僅かだが顔を顰めて呻いた。
「うえぇ…地味に痛ぁ〜い…っ」
 その声に、すぐ側で共に洗濯物を畳み片していた秋田が慌てたように駆け寄り、声をかける。
「どうされましたか、主君…!」
「大した事じゃないから、そう慌てずとも大丈夫よ。ちょっと指先に出来てた逆剥けが裂けちゃって血が出ちゃっただけ」
 そう言って、此方を覗き込んできた彼に「ほら」と、爪との境目に出来た逆剥けに衣類が引っ掛かって裂けたのであろう、中指の先っぽの状態を分かりやすく掲げて見せた。
 成程、確かに元々ささくれだっていたのだろう部分が裂けて血が滲み出てきてしまっていた。
 其れを見た彼はあからさまに痛そうな顔をして同情した。
「本当だ…っ、痛そうです……っ」
「元々、数日前からこの逆剥け出来てて、時々痛む程度だったんだけど…まだ裂けるまではいってなかったからって敢えて何も処置してなかったのよねぇ〜。そのせいもあるかな」
「ここ最近の気候は、季節的なのが影響してか、乾燥してますもんね〜。人間の躰って不思議ですね!空気が乾燥しやすくなると、躰の中の水分も失われやすくなるなんて…!」
「面白いわよねぇ〜」
「――話し込むのは構いませんけど…怪我の処置、しなくて良いんですか?血、出たまんまですよ」
「あっ、其れもそうだったわ。このままだと、せっかく綺麗に洗った洗濯物に血が付いて汚れちゃう汚れちゃう…っ。誰かティッシュ一枚くれる?止血するついでに血ぃ出たの拭いたくって…」
「はいはーいっ!僕の処に箱ありましたんで、どうぞ!ついでに、ゴミ箱も側にありましたんで、其方の方に持ってっちゃって構いませんよ」
「有難う堀川君、助かる」
 宗三の一言に促され、漸く止血する気になったらしい主がティッシュを求めてうろうろと視線を彷徨わせていると、タイミング良くこれまた共に洗濯物を片していた堀川の方から声が上がってお求めの物と一緒にゴミ箱も差し出された。
有難く両方を受け取った彼女は、礼を述べながら持ち上げた腰を下ろして再び同じ位置に腰を据え直す。
 其処へ、偶々近くに用があって通りすがったのだろう、真田の十文字槍こと大千鳥が廊下よりひょこりと顔を覗かせてきた。
其れを、畳まれた自分の洗濯物――或いは部屋が近場の者の物も併せて――を受け取りに来たのだろうと勘違いした堀川が、彼の物である洗濯物を纏めて寄越しながら言う。
「何やら主の悲鳴らしき声が聞こえたような気がしたのだが…」
「あぁっ、其れなら心配しなくても大丈夫ですよ!指先に出来てた小さなささくれが裂けちゃってちょっと出血した、ってだけらしいですから!これからの季節、よくある事なんですよ」
「血が出た、と……?」
「と言っても、ほんのちょびっとで、たまみたいなのが滲み出てきたくらいの程度ですよ?心配なら、直接ご自身で確認されます?主さんなら、大量に溢れた洗濯物の輪の中心辺りに居ますから。――あっ、ついでに大千鳥さんの分の洗濯物、僕等で畳んどいたんで、自分の部屋まで持ってっちゃってください!」
「あ、あぁ…すまないな。俺の私物は少ない故、近くの部屋の者の分も纏めて持って行ってやろう」
「助かります!」
 自身の身が大柄なのをよく理解しているからだろう、自ずから進んで他の者等の洗濯物も請け負おうと進言してきた彼に、此処ぞとばかりに山程の洗濯物を積み重ねて渡してきた堀川。
しっかり者故か、チャンスは逃さずちゃっかりしている。
 百振り近い所帯が一つ屋根の下で共に生活しているのだ、そりゃあ洗濯物だって大量発生である。
乾いた洗濯物を取り込めば、毎度毎度広間程に広いスペースを空けた部屋丸ごと一つを占領してしまうくらい大量なのだ。其れを片付けるのも一苦労である。
故に、手の空いている者達が率先して手伝いに来ては、それぞれで各々の洗濯物を回収していく。
 その作業中に現れた彼だ、助っ人となる者の体格が大きければ大きい程運び行く際の戦力となる為、此れ幸いと判断されたらしい。
偶々彼等が槍と脇差という間柄だった事もあるのだろう、次々に積み重ねられた洗濯物はすっかりこんもりとした山となっていた。
 大千鳥は、其れを落とす事無く安定した様子で抱えて持った。
思ったよりも大量の洗濯物を渡されてしまった彼は仕方なしと受け入れ、文句を言う事も無く渡された分の者等の部屋へ配り歩く事にする。
 しかし、その傍らで、やはり先に聞いた彼女の声が気になったのか、部屋を去る前に彼女の様子を窺ってから移動しようと、教えられた通りの先へ視線を移し、彼女の傷の具合を確かめようとした。
 そして、目に映った、傷口から珠のように滲み出る血の赤に、食い入るように目を見開かせ、動揺のさまを見せた。
 其処へ、これまた同じく通りがかったらしい同田貫がその様子に気付いたのか、背後より歩み寄りながら声をかけた。
「…大丈夫か?」
 その問いに、彼は一瞬だけ僅かに眉間の皺を険しくさせながらも、向けていた場所から視線を逸らし、何事も無かったかのような能面の如き表情へと戻って返す。
「……嗚呼、何でもない。気にするな」
 しかし、そう返した割にはやはり何処か具合が優れないような、据わりが悪いような、腑に落ちない態度である。
そんな彼の様子に、同田貫は彼の見ていた先へと視線を投げ、一人納得する。
「――気を付けろよ…俺達は元々武器であり、本質的には人を斬るのが仕事だが、彼奴は斬っちゃならねぇ人間だからな。斬るなら敵だけにしとけ。血の匂いや色に囚われるな、惑わされるな。俺達が斬って良いのは敵だけだ」
「ッ――!」
 何故、何も告げていないのに己の今の状況を理解したのか…と言わんばかりの反応であった。
しかし、同田貫は其れには何も返す事無く、静かに無言で“今なら咎めないでやるから早いとこ頭冷やしてこい”と暗に含ませたような表情を浮かべ、率直にこの場から去る事を促した。
 彼は、その対応に半ば感謝するように一つ頭を下げると、そそくさと踵を返して去っていった。


 ――そんな事があった他所よそで、当の主はというと…。
 怪我の手当てをするべく、裂けた逆剥けの患部へティッシュを押し当て止血している最中であった。
 其処に、側に居た秋田が常日頃の日常的に持っていたのだろう、ポケットを探って出てきた絆創膏を彼女へ差し出しているところだった。
「主君!どうぞ、使ってください!」
「あら、可愛らしい絆創膏。私にくれるの?」
「はい!自分が小さな怪我をした時用にいつも持ち歩いていたのを思い出したので…!良かったら使ってください!」
「有難う、秋田君。助かるわぁ〜」
「ご自分で貼られるのはきっと貼りにくいでしょうから、僕が貼ってあげますね!」
「まぁ、有難う!じゃあ、お願いしちゃうわね」
 可愛らしい絆創膏をくれた彼が直接手当てしてくれると言うので、素直に感謝し、彼女は血の滲む中指を差し出した。
 幼き姿をしていようとも、彼等短刀は立派な年嵩の神様であるから故に、慣れた手付きで優しく患部に触れ、丁寧にくるりと絆創膏を巻き付け覆ってくれた。
その綺麗な出来に、彼女はまた「有難う」と礼を述べた。
 すると、彼は照れくさそうな笑みを浮かべながら。
「薬研兄さんの真似です…!顕現して初めの頃は、人の身に慣れないせいで度々怪我をしていたので、小さな擦り傷とかをよく至るところに作っていたんです。そしたら、いつも優しく手当てしてくれていた薬研兄さんから“コレを持ち歩いとけ、そしたら自ずと自分でも手当て出来るようになるぞ”と言われて、絆創膏の入った小袋を渡されたんです。其れ以来、僕、自分で自分の怪我を手当て出来るようになったんですよ…!絆創膏も、いつ何かあっても良いようにって今じゃ自分で買い足して、いつもポケットに欠かさず持ち歩いてるんです!」
 …と、誇らしげに自慢気に語ってみせた。
そんな彼の立派に逞しくなったさまに、主は嬉しそうに微笑んだ。
「其れは偉いわねぇ!秋田君が立派に成長してくれて、私嬉しい…っ!」
「えへへっ…!今よりもっともっと成長しておっきく立派になったら、これからも増える新刃さん達の手当てだって、薬研兄さんに負けじと僕がしてみせるようになりますから!楽しみに待っててくださいね、主君!」
「うん!楽しみに待ってるわ!」
 なんて、束の間のほのぼのとした会話に花を咲かせた二人。
心なしか、周りに居た者達も穏やかで和やかなムードに飲まれてほんわかとした表情を浮かべていた。
その内の左文字の兄達が、「和睦ですねぇ…」と呟いていた。
 寸分程ばかりそんな遣り取りを交わした後、各々洗濯物畳みの作業へと戻っていった。
 秋田が側を離れたのと入れ替わるようにやって来た同田貫が、今しがたまでの遣り取りを見ていたのか、和やかなムードに水を差すように告げる。
「んなくれぇの怪我、裂ける前に処置出来たんじゃねぇのか?痛いとかって思ってたんならさァ」
 そんな彼の発言に意に介する様子も無く、「あら、たぬ」と呑気に返してみせた彼女は言う。
「んー…まぁ、其れもそうだったかもしんないんだけどさぁ…わざわざそこまでする程の事でもないかな、って思って」
「そうかい。けど、一応の忠告だが、其れで俺達刀の本能を下手に刺激するような事は避けといた方が良いぜ。特に、今年入ってきたあの新刃の槍が居る場ではよ。…今さっきの、見ちまってたみたいだぜ?アンタの血を見て僅かだが反応してたみたいだったから、言い含めといた。――彼奴、俺や巴等なんかと似た顕現の仕方してるのに合わせて、どうも自分の持つ逸話と実際の現状との差異に揺らいでるみてぇで、まだ不安定な状態っぽいからさァ。気ィ、配っといた方が良さげだぞって事を伝えたくて言いに来ただけだ」
 忠告するついでに、こそりと彼女にだけ聞こえるよう耳打ちするみたく報告してきた彼の話に、彼女はあっけらかんとした表情で受け答えた。
「ありゃまあ。そうだったの。気付かなかったけども、知らない内に刺激しちゃってたりとかしたかしら?」
「…アンタわざとやってるか?」
「やぁね。私、そこまで賢くないわよ。今回のは偶々よ、偶々。次からは気を付けるって」
 そう言って彼女は絆創膏の貼られた手をひらひらと振って、綺麗に畳み上げた自身の洗濯物を持って審神者部屋へと戻っていった。
残された同田貫は、全く世話の焼ける奴だと一人溜め息をく。
 その横で、黙々と畳んだ洗濯物の山を築き上げていた宗三が未だ戦場と化している部屋の惨状を思い、零す。
「同田貫さん、貴方暇で手が空いてるんでしたら、洗濯物畳むの手伝ってくださいな。見れば分かるでしょうが、まだこんなにも大量の洗濯物があるんですよ?猫の手と言わず狸の手も借りたいところですよ」
「ヘイヘイ…わぁーったから、狸って言うんじゃねぇ」
「嗚呼、ついでに畳んだご自身の物は後で持ってってくださいね。あと、ついでのおまけに御手杵さんの分も宜しくお願いしますよ」
「はァ?何で俺が彼奴の分まで持ってってやらなきゃなんねぇんだよ」
「だって、仲良いじゃないですか貴方達。同室の方の分くらい任せたって良いでしょう?ちなみに、先程噂の新刃の槍の方が来ましたが、文句も言わず山のように積まれた洗濯物を受け取って配りに行ってくださいましたよ。渡したのは堀川でしたが。貴方と大違いですねぇ」
 焚き付けるような煽り文句に、ヒクリ、と顔を引き攣らせながらもこの場に残り洗濯物捌きの作業に参加する意思を見せたようで。
どかっと腰を据えて近場にあった洗濯物を畳み始めた彼はこう返した。
「やりゃあいんだろ、やりゃあ…っ!仕事はしっかりやるよォ!!」
 全く以て、どいつもこいつも世話の焼ける奴等ばかりだ。

 そんな刀剣達の一ヶ所につどった場所が、この本丸なのである。


執筆日:2021.11.18
加筆修正日:2022.01.19