人の欲に飲まれる
美味そうだ。
空腹にも似た感情が、謎の飢餓が、そう訴えて仕方無かった。
出陣先から帰城してすぐ、彼女の……審神者の唇を掠め奪って思った。己は、何をしているのだ、と……。
だが、何故か抑えが利かぬ風に意図するのとは異なるように体は言う事を利かず、ひたすらに彼女の唇を貪った。
散々好きに吸い付いた後で、彼女が意識を飛ばしかけたところで口を離し、言い訳じみた言葉を並べ立てた。
「すまぬっ……どうにも、抑えが利かなかったようで、自制が出来なかった……っ。久方振りに出れた戦にでも昂ったのか……此れでは、未熟と罵られようと文句は言えぬな…」
「え…っと、いきなり性急に求められて吃驚はしたけども…嫌じゃなかったから、そんな気にしなくっても良いよ……?」
「しかし――…っ、」
「…………あれ、大千鳥君?大丈夫?」
言葉を言い切らぬ内に口を濁したように語尾を切った後、寸の間、無言で呆然と彼女を見つめる。釘付けになったかの如く外せないで居る視線が見つめる先は、彼女の或る一点であった。
唐突に黙り込んだ自分に疑問を抱いたか、はたまた不安を過らせたのだろう主が、己と同じ金に染まった……けれど無垢で澄んだ色をした目を瞬かせながら話しかけてくる。其れには気付かぬ振りをして、俺は彼女の顎を掬って下唇へと親指の先を滑らせ、呟く。
「嗚呼、朱に染まってしまったか……」
「えっ……?」
「そういえば、先の戦で口端を切っていたのだったな……。己を振るうのに支障は無いと忘れてしまっていたが、意図せずあんたに移してしまったようだ…」
「え、あ…そういう事だったのね……!なぁんだ、其れなら後でティッシュか何かで拭えば問題は無――…、」
「出来れば、其れが自然と落ちるまではそのままにしていてくれないか……?」
「えっ、何ででしょうか……?」
恥ずかしさを紛らわす為だろう、謎の敬語口調で返事を返す彼女へ率直に言葉を告げた。
「せっかく赤く染まった唇を、すぐに落としてしまうのは勿体無いだろう…?」
「えぇ……っ、でも、怪我してたんなら先に手入れしないと」
「此れくらい、戦に出るのに支障は無い。其れよりも……もう少しだけ、あんたに触れていても良いだろうか?」
途端、唇を彩る赤とは別にサッと顔を赤く染め上げた彼女の
嗚呼、なんて
見事に朱に染まった唇をなぞり、その鮮やかさに言い難いものが込み上げ、ゴクリと喉を鳴らして、その先へ踏み込むか否か、思考する間に彼女の無防備な首筋へと牙を浅く立てるのだった。
公開日:2022.03.24