悪戯な策略



とある午後の昼下がり。

ほぼ日課と化した工藤邸訪問。

出逢って当初は、警戒心剥き出しで近寄り難かったが、ある事をきっかけにその無駄に張り詰めていた警戒を解いた梨ト。

頑なに拒否していた呼び名も、今や名前呼び。

漸く堅いガードの外れた彼女に安心した彼は、隣に腰掛け、温かく見守る。


「梨トさん、紅茶淹れましたよ。」
『あ、はい。どうも有難うございます。』
「いえいえ。まだ熱いですから、気を付けて。」


カチャリ、とカップをソーサーに一度置いた彼の音に釣られ、紅茶へと手を伸ばす彼女は、今読書中である。

こくりと一口飲んで、ほわりと香った林檎の甘い匂いに、小さく笑みが零れる梨ト。

その様子にご満悦な昴氏は、にこりと微笑んで、再びカップを手に取り紅茶を口に含んだ。


『昴さんっ、この紅茶美味しいです…!』
「お気に召されたようで、何よりです。」
『何処の銘柄ですか?これは、是非ともウチに欲しい…っ。』
「ん〜……秘密ですっ。」
『何でですか!』
「だって、そしたら此処でこうしてお茶が出来なくなるでしょう?だから、秘密です。」
『…昴さん、案外可愛い人ですね。』
「おや、そうですか…?まぁ、どうしても自宅で飲みたいと仰るなら、今度一緒に買い物へ行きましょうか。」
『いつもの事ながら、然り気無いですね〜。』
「…それは、“了承した”という意味で取っても良いのでしょうか…?」
『良いですよ〜。丁度、家にあった紅茶が切れたところでしたから。』
「ふふ…っ、そうですか。では、週末にでも予定を入れておきましょうかね。」


今までが今までだったせいか、此処まで気を許してもらえている事が可笑しくて、何だか笑えてきてしまう彼は、クスリッ、と小さく笑った。

しかし、既に本に集中している彼女には聞こえていないようで、何も言わない。

そんなところに、まだちょっぴり寂しく思いながらも、こうして和やかにお茶を出来ている事に感謝した。


「随分熱心に読んでおられますが…何の本なんですか?」
『ファンタジー物です。』
「あぁ、そういえば…梨トさんはファンタジー物がお好きでしたね?」
『はいっ。ファンタジーは本の醍醐味ですから…!現実では無理な話でも、本の中なら可能ですし、想像は無限ですからねっ!』
「面白いですか?」
『勿論です!このシリーズ、かなりのお気に入りなので、新刊の出る日が待ち遠しいです。』


そう言って、一度も本から目を離さずに答える梨ト。

その様子に何か思うところがあって敢えて彼が話題を振っている、という事には気付いていないだろう。


「…まだ、それ読み終わりそうにないですか?」
『あー…、もうちょっと待ってください。今、丁度良いところなので…。』
「そうですか…分かりました。」


本から顔を上げずに会話する彼女に、つまらなくなった彼は手持ち無沙汰になり、紅茶を啜った。

カップが空になったので、立ち上がり、紅茶を淹れにキッチンへと向かう。

その間も、変わらず本を読み続ける彼女は無意識だ。

キッチンから戻った彼は、暫し無言でそれを見やると、小さく嘆息し、無表情で先程の位置へと座った。

彼が再び座った事でソファーが深く沈み込むが、本に集中し過ぎているあまり気にならないようだ。

彼女のカップへと視線を遣れば、中身は半分程減っただけで、あとの意識は全て本に集中しているらしい。


「…紅茶、冷めますよ?」
『……あ、はい。後でちゃんと飲みますので、今はちょっとこっちに集中させてくださいね…。』
「……………。」


焦れったい距離感だ。

一気に詰め寄るつもりは無いが、こうも存在を蔑ろにされては、少し攻めてみたくなるもの…。

あまりにも彼女が構ってくれない為、彼は構ってもらえる行動に出た。


「―梨トさん、ちょっとこっちを。」
『…はい、何でしょうか?』


ちょいちょいっ、と肩をつつけば、顔を向けた梨ト。

それが彼の策略であった。


―チュ…ッ。


『……へ…っ?あ、の…昴さ………っ?』
「まだ、大人しくしていてください。」
『えっ!?や、あの、んむ…っ!んっ、ん゙ぅぅ〜…っっっ!!』


チュ、チュッ…と、啄むようなキスを繰り返され、言葉を喋ろうにも喋れない梨ト。

上手く呼吸が出来ずに、必死で胸を押し返すが、彼は微動だにしない。

そればかりか、顎を固定され、片手を掴まれて逃げられなくなる。


『む、ぅ……っ、昴さ、ちょい待…っ!んぅ………っ!』
「フ…ッ。バードキスだけで、この程度とは…。」
『む゙ぅ゙〜っっっ!!』


息が苦しいと必死の抗議を上げると、漸く止めてくれた昴。

ぺろり、と自身の唇を舐めると、余裕そうな顔で笑った。


「大丈夫ですか…?息が上がってますよ。」
『当然でしょうっ!!息出来なかったんですから!!少しは加減してくださいよ…っ!』
「すみませんっ。あまりにも本にのめり込んでいらしたので、つまらなくて。…ですが、これくらいのキスも呼吸出来なかったら、後が大変ですよ…?」
『だから、加減してって言ってるんです…!せめて、私が呼吸出来るくらいには加減してください…っ。』
「…善処しますが…、自信は無いですね。」
『え゙…っ。』


膝の上からソファーへと落ちた本を拾い、元の開いていたページを捲っていたら、彼の問題発言を聞き、思わず固まる。

彼を見遣れば、口許に手を当てて考え込んでいた。


「だって…君の必死になる顔が可愛くて、自然と煽られてしまいますので。自分を抑える自信がありません。」


にっこりと意味深な言葉を言い放った彼は、それはそれはとても愉しそうな笑みを浮かべていたと言う…。

反対に、彼女は、ある意味身の危険を感じたのだった。


執筆日:2016.08.10
加筆修正日:2020.05.19

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