ふと、何でもなく自身の掌を見つめたくなる時があった。

その自分の掌に何がある訳でもなく。

ただただ一頻り無言で空を見つめる如く見つめ続けるのだ。

其れはよく寝起きの布団に寝転んだままの時にやっていた。

思考が寝惚けているのか、頭が覚醒するまでに何となく見ているだけなのか。

或いは、何か得体の知れないものを掴もうとして藻掻いているのか。

自身にもよく分からなかった。

ただ、時偶にそうして何となく己の掌を宙に翳し、眺めているのだ。

そうすると、飾り障子の隙間から射し込んできた日の光に当てられた白き血の気の薄い掌が視界に映り込む。

まるで血が通っていない風な程蒼白い不健康な色味をした膚の下には、ちゃんと生きた人間の証である温かな赤き血潮が巡っていた。

その証拠に、日に焼けていない真白の手の甲には青っちろい血管が脈を刻みながら浮き出ている。

手首に片手を宛がうように当てて脈を測るように触れてみれば、やはり、生きている人間の其れを感じた。

トクリ、トクリ、皮膚の下で脈打つ鼓動が宛がった親指に正常として動く脈を教えてくれる。

まごうことなく、私は生きていた。

其れは、誰しもが見ても明らかなる事であった。

別に、誰に問うている訳でもない。

強いて言うなれば、単に己にそう言い聞かせているだけである。

全ては自問自答からなる物事。

不意に寝起きの寝惚けた思考に掠めた物事だった。

視界には、相変わらず血の気の薄い、真白い色をした不健康そうな人間の掌が映り込んでいた。

そろそろ布団から出して寸分は経つ。

徐々に冷えた空気に曝された片手の温度が冷えていっているのを感じていた。

上向けて翳されたせいで、寝起きも合わさり乱れた寝衣のせいもあって袖がずり上がるように捲れて寒い。

しかし、意味も無くただ見つめるだけの行為を止めたくはなかった。

何がある訳でもないのに。

天井に期待が疼くようなものが映っている訳でもないのに。

ただただぼんやりと寝起きの思考を天に翳した掌へ一心に傾けていた。

そうして、ふと思うのだ。

薄く平たい掌だな、と…。

何時ぞやに誰ぞに言われた、“綺麗な手”をしているのだろうが、やはり自分ではよく分からない。

ただ、何となく、あれから随分と時が経ち、痩せ細ってしまった頼りない腕の先に伸びる手の甲には、女の其れには似合わぬごつごつとした骨がくっきりと浮き出ていて、お世辞にも綺麗で美しい手とは思えなかった。

乾燥から少しかさついてしまって潤いの足らない肌に、乾燥した時に出てくる筋のようなものが見えていた。

其処を、もう片方の手でそっと撫ぜるように触れる。

次いで、両の掌を天に向けて翳して見た。

視界に映るのは、やはり、痩せ細ってしまった己の何処か骨張った不恰好な掌であった。

きっと、今の私の此れ等は、女らしい掌ではないのだろう。

細く骨張って伸びる指にぎこちなく力を入れて動かすと、右の小指の関節がごきんっ、と変な音を鳴らして曲がった。

反対の左の小指でも同じ事をしてみると、今度は乾燥したぱきんっ、とした音が鳴って聞こえた。

何方も自身の掌の関節から聞こえてきたものだ。

わざと自ら音を立てるように鳴らしたようものだが、其れを何処か他人事みたく聞き入れ、ひとつ、細長く息を吐いて布団の上に両の掌を放った。

次いで、寒さからもそもそと布団の中に仕舞って胸元に引き寄せるように抱き、温める。

何でか、心の内の何処かにぽっかり穴が空いているみたいな虚しさを感じた。

少しだけまた温まった掌を再び布団の外に出して、宙に翳し、見つめる。

何の事はない。

ただ自分の利き手が視界に映るだけだ。

そうしてまた寸分、自身の掌を無為に眺めるだけで居ると、不意に飾り障子の向こうが騒がしくなって、一つの足音が迷いなく此方側へと向かってくるのが聞こえて。

数分経たぬ内に私室と寝室とを隔てる戸が開かれ、近侍に据える彼が姿を現した。


「もうとっくに日は昇ってんぞー、――って…起きてたのかよ…。目が覚めてんならさっさと起きて飯食えよなー、ったく…。……で、何してんだアンタ?」


無遠慮といった風に部屋へと侵入してきた彼がのしのしと畳の上を踏み歩き、私が寝転ぶままの布団の側までやって来て腰を屈め、何をするでもなく覗き込んできた。

其れまでずっと己の掌を見つめるだけであった視点を彼へと移し、彼の不思議そうに首を傾げる目と合わせる。


「…別に、特に何もしてないよ。ただ何となく自分の掌を見つめてただけ。」
「はぁ…?何だ其れ。アンタ寝惚けてんのか?」
「うんにゃ…、頭はもう起きてるよ。まだ若干眠気は残ってるけども。」
「そういうのを、まだ寝惚けてるって言うんじゃねーのか。」


何となしに再び自身の掌へ向けた視線に、彼の視線も其れを追って私の掌へと向く。

そして、何をするでもなく私の何も無い掌を掴んで握った。

途端、自身とは違う温かさが私の肌に触れて、生温かった温度にもっと血を通わせるように熱い温度が移ってくるのを感じた。


「こうしてるだけで何かあんのかよ…?」
「別に…?何も無いよ。特に意味も無い。」
「何だ其れ…意味分かんねぇ。」


先程と似たような文言を口にしながら、彼は私の薄い掌をぐにぐにといじり弄んだ。

熱いくらいの体温が、彼の掌から伝って私へと移っていく。

さっきまであんなに冷えて寂しそうに見えた掌が、不思議とあったかくなって、ぽっかり穴が空いたみたく思えた懐にさえも満たされるようにぽかぽかとした温かみを感じた。

視界には、先程までには無かった彼の掌の存在がある。

私の薄っぺらいものとは違って、分厚く所々節くれだった傷だらけの硬い掌。

武骨で、刀を握る為だけにあるような、其れでいて男らしさすら感じる、私のものよりも圧倒的に大きく太い指をした手だ。

ごつごつとした感触は、男らしい其れを主張するかのようであった。

どう見ても、女の私のものとは比べ物にならないくらい頼りがいのあるものだった。

そんな掌が、今私の掌を緩く握って掴んでいた。

きっと、彼の方も意味は無いのだろう。

何方とも曖昧な感情が占める中、彼が先に口を開いて言った。


「何時からこうして手ぇ出してたか知らねぇが、すっかり冷え切っちまってるじゃねーか。」
「…さっき、ちょっとだけ布団の中であっためてたんだけどね。」
「その“ちょっと”っていうの、本当にちょっとだけなんじゃねーのか?…ったく、女は躰冷やしちゃ駄目なんじゃなかったのかよ。」


そう言った彼が、私の冷えた掌を両の掌で包んで、まるで自身の熱を移すかのように温め始める。

端から武器みたいに在る彼が、私よりもウンと人間らしく振る舞っているのが、少し可笑しく思えた。

だから、自嘲染みた薄ら笑いが口許を歪めてみせてしまったんだ。

其れに、小さく息を漏らした私を、彼は目を眇めてみせるだけに留めて細く息を吐く。


「…アンタの手ってさ、季節関係無く冷えてるよな…。」
「そう、なのかなぁ…?まぁ、たぶん、冷え性なのが原因だと思うけども。」
「其れも十二分に含んでる事だとしても、やっぱりアンタの手は冷た過ぎるぞ…。武器である筈の俺の方がよっぽど人間らしくぬきぃ。」


可笑しな話だった。

本来ならば、私の方が人間らしく温かである筈なのに。

彼の言う通り、私の体温は本丸の誰よりも低く、冷たさを孕んでいた。

凡そ、生きている人間とは思えぬ程に生の気が薄れているような気さえしてくるだろう。

其れはまことの事であった。

武器である彼等よりも、人である私の方が生の気が薄いのだ。

其れは、見てくれからも分かる事なのであった。

――『生きる気が無い。』

端的に言ってしまえば、そういう事になるのだろう。

今の私には、まるで生気が感じられない。

生きる気力を失っている。

其れが、今の私なのであった。

死に場所を探しているのか、と訊かれれば、首を縦に振り兼ねない、そんな危うさすら滲んだ様。

凡そ、本丸の主に据えるには相応しくない者であろう。

しかし、そんな私を邪険にするでもなく、絶えず慕い続け支えてくれる皆が居る。

その存在が、今の私をこの世に繋ぎ止めているに違いない。

彼の手が、不意に血の気の薄れた顔にまで伸びてきて、その下に流るる熱を確かめるように触れてきた。


「……相変わらず、アンタの熱は低いな…。まるで、病人か死に前の奴みてぇだ。」


そう言いながらも、彼は私の掌を離す事なく握り続けている。

お陰で、布団の外に在るというのに、熱を失わず温かいままだ。

彼の熱が、絶えず私を温めてくれているからだろう。

心地好い温度が、季節問わずに私を温めてくれるようだ。

まるで縋るように離さず握られたままの掌に緩く力を込めて彼のものを握り返してみたら、さっきよりも強い力で握り返されて、腑の内側がむず痒く擽ったくなった。


「……私は生きてるよ、ちゃんと。」
「嗚呼…まだ、今は、な…。」
「…君達を残して勝手に死んだりなんてしないから…、そんな怖い顔しないでよ……っ。」


思わず苦笑を漏らすと、彼は無意識に歪めていたらしい表情かおを戻して、寝起きたばかりの情けない顔を曝した私の額を撫ぜた。

彼の節くれだった指の背が緩く額の上を往き来して、温い。

その心地好さに私は目を閉じた。

瞑った目蓋の向こうで、暖かな日射しを受ける彼の存在が動く気配がする。

彼がより枕元に身を寄せたのだろう。

目蓋の向こうに影が差したように暗くなって、ゆっくりと目を開いた。

すると、不安げに揺れる金の双つ目が私の目を覗き込んでいた。


「また寝るのか…?」
「…いや、もう起きるよ。でも…もうちょっとだけ、布団の中で温もってても良いかなぁ?」
「寒ぃんなら、もう少しだけな。不安なら…心配なら、手も握っといてやるけど。」


不安なのも、心配なのも、きっと彼の方だと思うのに。

私を気遣っての言葉に、何となく嬉しく思って、笑みの形に口許を形作った。


「有難う、たぬさん。…お言葉に甘えて…もう少しだけこのまま、手、握っててくれるかな…?温もったら、ちゃんと起きて朝御飯食べるからさ。」


言葉で言う前に、諾、と返すように彼の目が頷いて訴えかけてきた。


「分かった…。あと少しだけだからな。そしたら、起きてちゃんと飯食えよ。…じゃねーと、本当に死人になっちまうかもしれねぇからな。人間、飯食わなきゃ死んじまうんだから、うっかりぽっくり死なねぇようにしっかり飯食っとけ。」
「……、うん…。」


厨組の者達に言われて起こしに来たんだろう彼に甘やかされて、今少しだけ布団に籠ったままでいる事を許可されて、彼からの優しい温もりを享受しながら布団に包まる。

ついでに、握ってくれていた彼の掌を抱くように擦り寄ると、彼はそのまま私の頭を撫ぜてくれた。

全部が全部優しさでしかない。

どうしてこうも彼は私に優しくしてくれるのだろう。

戦にしか能が無さそうな癖して、誰よりも人間らしく、不器用そうに見えて器用で、優しい。

きっと、他のどの刀剣達よりも人の元を渡り歩いてきた来歴が彼を人間足らしめているのだろう。

その温もりが、今の私には非道く心地好くて仕方がない。

人間である筈の私よりも温い血潮を巡らす躰が、可笑しくて、また愛しくて堪らない。

嗚呼、とんと可笑しな話だなぁ。

不思議な感覚すら抱けてきて、遂に私は笑いを堪え切れずに小さく息を漏らしたのだった。


執筆日:2021.02.12

【後書き】
今回の作品、実は初めの内は当サイトで連載中の中編か短編辺りで掲載するつもりで書いておりました。
しかし、書き進めている内に、何だか企画サイト・晩餐様の某お題に合いそうなお話だなぁ…と思ってしまって、書き始め当初とは予定を変えて企画提出用に仕上げる事に致しました。
元々は、『何も無い掌をただ見つめて想ふ』という思い付きのタイトルに合うお話を書くだけのつもりだったのですがね(笑)。不思議なものです。
ですが、書きたいと思うお話を好きなように書けた事は嬉しい限りです…!
最後に余談ですが、もし中編枠とするなら、時間軸としてはまだたぬさんが極めていない頃…本丸が出来て初期の頃付近をイメージしておりました。
後書きを締め括るにあたりまして、素敵な企画を用意してくださった左上様・鈴木様には大変感謝致します。
この場をお借りして、改めて御礼申し上げたいと思います。
この度は、素晴らしき企画にて私の稚作な作品を並べてくださり、誠に有難うございました。
※当作品のタイトルは、企画サイト様指定のものをそのまま使用させて頂きました。