あの人が死んだと聞かされた。

嘘だと思いたかった。

でも、呪術師という役職に就いている限り、いつだって死とは隣り合わせの生活だ。

残酷だけれども、受け入れ難い事実であったけれども、受け入れるしかなかった。

あの人が、死んだ。

あの、七海さんが。

ずっと憧れていた先輩が、死んだ。

もう、彼はこの世には居ない。

もう、彼と逢う事は叶わない。

誰か嘘だと言って欲しかった。

悲しいのに、悲し過ぎて心が死んだのか、はたまた人の死についての話を聞く事が多過ぎて涙が枯れてしまったのか、涙は一つもこぼれてくる事は無かった。

いっそ一粒の涙でも泣けたなら楽だったのに。

私はなんて冷たい人間に成り下がったのだろうか。

絶望の淵に立たされたようだった。

暫くまともに任務を遂行出来なさそうだと判断して、それまで働き詰めだったのを理由に溜まっていた有休を使って休ませてもらう事にした。

勿論、緊急の任務が入れば否が応でも駆り出されるだろうから、そのつもりで居た。

特別な物は何一つ置いていない、必要最低限の物だけが置かれた殺風景な一人暮らしのワンルームに帰る。

疲れた。

たったの数日だけでも良い、とにかく休みたかった。

泥のように眠って何も考えないようにしたい。

化粧を落とし、全ての服を脱ぎ捨てて下着だけの姿になってからベッドへとダイブした。

眠る直前までもずっと彼の事を考えていた。

亡くなった…好きだったけれど、何も伝えられぬまま還らぬ人となってしまった彼の事を。

あの人だけは、この先もずっと生きていて欲しかった。

何で彼が死なねばならなかったのだろう。

彼ではなく、代わりの誰か…そう、私みたいな人間が死ねば良かったのに。

幾ら悔いろうともキリは無い。

とにかく眠ろう。

今は眠ってしまった方が良い。

眠って、一度全ての思考にリセットをしたら、きっと次に目を開いた時にはまだマシな思考で居られる筈だから。

私は目を閉じた。

どうか、夢の中でも良いから、一時の幻でも彼に逢いたかった。

逢って、彼の笑顔を拝みたかった。

そして、伝え切れぬまま終わった想いを告げてしまいたかった。

彼からの答えは別にどうだって良い。

私の中の気持ちにケリが付けられるのなら。

重たい躰を布団に沈めて眠る。

ついでに思考も全部沈めて。


―意識の落ちた先は、やはり暗闇の中だった。

呪術師にはお似合いの真っ暗闇。

でも、そんな空間の中に一筋の光がポツンと射していた。

其処へ、私は導かれるように近付いていく。

近くまで来て、光と思っていたものが光ではなかった事に気が付いた。

光と思っていたものは、実は暗闇の中に浮かぶ真っ白な装いをした人で、その上には暗闇の中では眩しい色の耀きをした金髪の頭が乗っかっていた。

眠る直前まで焦がれた彼である。

嗚呼、私が想うばかりに夢にまで呼んでしまったのかと思った。

嬉しい反面、やはり夢の中でしか逢えないのかという悲しみが甦る。

彼は、哀しげに微笑んでいた。

口は噤んだまま何も言おうとしないのは、きっと死人に口無しだから敢えて口を開く事はしないのだと理解した。

彼の佇まいは、生前のものと同じであった。

いつでも真っ直ぐに伸ばされていた背中は夢の中でも変わらずである。

私は夢の中ならば告げても良いだろうと、それまでずっと押し隠してきたもの全てを吐き出した。

貴方が好きでした。

ずっと憧れでした。

どうして死んだりしたんですか。

貴方はまだこの世に必要とされていた人だろうに。

貴方なんかではなく、私が代わりに死ねたならどんなに良かったか。

嗚呼、どうして、どうして……。

彼は静かに私の言葉を受け止めてくれた。

縋り付くようにくずおれた私を支えるように、自身も膝を付いて一緒に悲しんでくれるみたいに。

私の気持ちに寄り添ってくれるかのように。

夢でも良い、一時でも彼に逢う事が出来たなら、其れで良い。

伝え切れぬまま終えた筈の言葉も告げる事が出来たから。

目が覚めた時は、前を向ける。

いつまでもへこたれている訳にはいかないから。

動き出さねば。

時は待っちゃくれない。

止まらず、進み続けなければ。

私は呪術師。

この世に蔓延る呪いを祓うのが仕事、存在意義だ。

其れ以外の余計な事は考えるな。

不器用な私に、沢山の事を考えながら同時に沢山の事を成す程の技術も技量も無い。

ならばシンプルに居ろ。

明日を迎える為に。

寄り添っていてくれた彼が、不意に私の頬へと手を伸ばしてきた。

きっと酷い顔付きをしているだろう。

もしかしたら、窶れているかもしれない。

幻滅されるかな…なんて死んだ人間に思って何になるんだか。

何の生産性も無い事など考えても無駄でしかないのに。

それでも、今だけは幸せだった。

彼が私の頬へ触れてくれているから。

今まで一度として顔に触れられた事が無かった分、夢みたいな時間だと思った。

事実、此処は夢の世界だけれども。

“七海さんが私に触れてくれている”、其れだけでも凄く嬉しかった。

痩けた頬を撫ぜるように触れる手が擽ったい。

私は遂に堪え切れなくなって小さく吹き出した。

どうしたんですか、七海さん。

そんな風に触られたらむず痒くなるじゃないですか。

そう言えば、彼はホッとしたような安堵の顔を浮かべて口を開いた。


――やっと、笑ってくれましたね。


口パクでそう仰った七海さんは、非道く安心した様子で顔を綻ばせていた。

そういえば、今の彼はいつものサングラスを掛けていないからか、普段隠れていた表情がよく見える。

目程口よりも感情を雄弁に語るものは無いから。

綺麗なエメラルドグリーンの瞳が煌めいていた。

その中に私が映り込んでいるなんて、夢のようだった。

声は聴こえないけれど、確かに今、彼の優しげな声が聴こえた気がしたのだ。

もう感無量な想いであった。

あんなに泣けなかった筈の目からあふれんばかりの涙が止めどなくこぼれてくる。

その涙を、彼の指が拭ってくれる。

嗚咽混じりに私は呟いた。

例え夢の中でも、逢いに来てくれて有難うございます…っ。

其れだけで、私は救われます。

……と。

途端、私は彼の腕の中に閉じ込められていた。

幸せな時間だった。

嗚呼、愛しき人が私の存在を抱き締めてくれている。

死んでしまった後だから、生きた温度を感じる事は出来なかったけれども、其れで良い。

彼に抱き締められたという事実、想い出さえ抱ければ。

私は明日も生きていける。

七海建人という人の想いを抱えて生きていける。

ゆっくりと離された躰に、私は顔を上げた。

彼の目を真っ直ぐに見つめて。

有難うございます、七海さん。

お陰で素敵な想い出が出来ました。

例え夢の中の出来事だったとしても、私には十分な幸せですから。

死んだ後まで、最後まで私の気持ちに寄り添ってくれて、本当に有難うございます。

幸せ過ぎて、今度は別の意味の涙が溢れた。

七海さんが少しだけ身を屈めて顔を近付けてくる。

瞬きの間に彼と零距離で唇が触れ合って呼吸が止まった。

感触は分からなかったけれど、今、確かに彼は私の唇へと口付けた。

天にも昇る想いである。


――貴女と出逢えて良かった。呪術師をやって来て良かった。貴女という人に出逢える事が出来たんですから…悪い事ばかりでは無かったですよ。


口パクだけれど、彼はそう言って儚げに笑った。

生まれてきた意味、死んでいく意味を後悔しなければ、きっと彼も救われたのだろう。


――有難うございます、李鞠さん。


最後の別れ際に名前を呼んで去っていった彼に促されるように目が覚めた。

起き上がると目元は濡れていて、夢を見ながら現実でも泣いていたんだと知った。

枕元に触れてみたら、すっかりぐっしょりと濡れてしまっていた。

後で洗濯に出しておかないとなぁ。

そこで、ふと数回、目を瞬かせる。

不思議ともう大丈夫な気がして、ベッドから降りた。

下着だけの姿だったのからちゃんとした服を着て、御飯を食べる。

ここのところ、ずっとまともな食事を取ってきていなかったから、しっかりとした食事を取るのは久し振りである。

軽食でもしっかりと腹に物を入れて、栄養を補給する。

それから活動を始める為、閉め切っていたままだったカーテンを開き、部屋の中に日の光を入れる。

食べた食器を片付けて、溜まっていた洗濯物を纏めて洗濯機の中へ放り込んだ。

今日は天気が良いから、きっと洗濯物もよく乾く事だろう。

乾かす場所が足りない分は、近くのコインランドリーにでも持っていって乾かすとしよう。

せっかくの有給休暇だ、思い切り羽を伸ばしてゆっくりと過ごしたい。

嗚呼、そうだ。

冷蔵庫の中身が空っぽになっているから、近くのスーパーとかに買い出しに出掛けよう。

ついでに、軽くお洋服なんかも見たりしてショッピングを楽しもうかな。

任務で忙しくて仕事着以外の服はあんまり着る機会少ないけれど。

久方振りに甘いスイーツ巡りなんてしても良いかもしれない。

疲れた時には甘い物に限る。

特に心が疲れている時の甘い物は格別だ。

目の腫れを取ったら、少しだけ買い物にでも出掛けよう。

必要最低限の物くらいは揃えておかないと。

そうやって、少しずつ日常を取り戻していって、私は今日も生きていくのだ。

亡くなった彼の分まで生きていく覚悟を背負って。


執筆日:2021.04.07

【後書き】
呪術廻戦夢専門の企画様には初めての参加だったので、とても緊張しました。
夢小説の企画その物には何度も参加した経験はあったのですが、一つのジャンル専門というのは初めてであったせいもありますね。
テーマが『夢』という事でしたので、参加した当初は漠然と宿儺様で書こうかなぁ…と考えておりました。
しかし、選んだタイトルを見ながら考えていたら、段々とナナミンで書きたくなってしまって、気付いた時にはナナミン夢として書いておりました(笑)。
最近ナナミンへの思いが強過ぎるせいですかね…?
基本的には私はアニメから入った勢且つ+α的に一部原作知識も仕入れてるだけの者ですので、完全なる原作勢の方からすれば、私の書く呪術夢は色んな部分で欠けた風に思われるかもしれません。
故に、ちょっと不安も残りますが…企画提出用作品とさせてくださいませ。
後書きを締め括るにあたりまして、素敵な企画を用意してくださった内海道様には大変感謝致します。
この場をお借りして、改めて御礼申し上げたいと思います。
この度は、素晴らしき企画にて私の稚作な作品を並べてくださり、誠に有難うございました。
※当作品のタイトルは、企画サイト様指定のものをそのまま使用させて頂きました。