魅惑の誘惑、蠱惑の憂鬱
女は、総じて甘い物好きだと認識している。その証拠に、妹のゼンコも、土産の品にケーキだとかの甘い物を買って帰ると、大層喜んで目をキラキラ輝かせながら弾けんばかりの笑顔を浮かべる。目の前に居る女も例外ではないのか、家に寄るのに用意した手土産のタルトケーキに目をキラキラさせて受け取った。
まぁ、喜んでもらえたなら何よりだと、出迎えるなり勧められたソファーへ腰掛け、お菓子のお供に出された紅茶を啜る。当然、俺に用意された席は、女の向かい側で、彼女の様子がよく見える場所だった。
早速持ち寄った土産の人気お菓子店の箱は開封され、中に入っていたタルトケーキは丁寧に皿の上へ乗せられた。そして、お洒落なフォークと共に自分の方へも差し出され、目の前へ鎮座する。
「ふわぁ〜っ! こうしてみると、見るからにとっても美味しそう〜! おまけに私、タルト系大好きだったからめっちゃ嬉しい!!」
「取り敢えず、今店で人気で一番売れ筋の高ェヤツって事でオススメされた物にしてきた。確かお前、キャラメル味だとかの甘いヤツ、好きだったよなぁ?」
「うんっ! この風味豊かな甘ぁ〜い香りが最っ高に食欲をそそるよね! ふふっ、素敵なお土産有難うバッド君……! 早速頂きまぁ〜っす!」
「おう……っ」
好物の甘いスイーツを前に興奮を抑え切れねぇのか、溢れんばかりの笑みを浮かべてケーキの皿を掲げた。其れを眺めながら、紅茶を啜り、彼女の反応を窺う。
自身が土産に買ってきたタルトケーキは、店で一番人気らしいキャラメルタルトだった。ザクザクとした下地のタルト生地の上に、とろりと蕩けた甘い匂いの漂うキャラメルが流し込まれていて、表面はツヤツヤとした輝きを放っていた。サイズは、掌の上にすっぽり収まっちまうくらいの小振りのサイズなのに、丁寧に皿の上へ飾られただけでこんなにも魅力的に見えちまうんだから不思議だ。
綺麗に美しく作られたタルトケーキへ、彼女はそっとフォークを差し入れた。キャラメル層の下はタルト生地だからこそ、ボロボロと崩れちまうんじゃないかと思ったが、思ったよりしっかりとした土台として作られたのか、案外断面は崩れず形を保っている。一口サイズに小さく切り取られたタルトケーキは、サクリと音を立ててフォークに突き刺され、吸い込まれていく様に彼女の口の中へ運ばれていった。
暫しの咀嚼の後、じっくり余韻を味わうように頬を綻ばせた彼女が呟く。
「んん〜っ! この風味豊かな香りが堪らんですなぁ〜……っ! 土台のタルト生地も素晴らしく美味しくて、感激ですわぁ……!」
「美味しかったんなら良かったってこったよ」
「うんっ! 此れは、とっても美味なる物だよ……! ここ最近食べたスイーツの中でも、今季一に輝くくらいべらぼうにうんまいッス〜! あ〜……こんな美味い物食ってたら、ダイエットなんて考えらんねぇっすわ〜。しゃ〜わせぇ〜っ」
たった一口食べただけに大袈裟なまでの感想を零す。まぁ、其れだけお気に召してもらえたなら、また今度同じ店の別の物を土産に用意しなくもない。あと、そんなに好評ならば、妹のゼンコにも今度同じ物を買って食べさせてやりたいと思う。妹が彼女と同じように喜ぶかは、果たして謎だが。同じ女と言えども、味覚はそれぞれで異なる訳だしな。
そんなこんな考えつつ、ずっと紅茶ばかり啜って口許を覆い隠し、女の一挙手一投足の様をつぶさに見つめていたら。不意に、タルトの上のソース部分であるキャラメルがフォークの柄を持つ指の方まで垂れて、彼女が慌てた声を上げた。思った以上に緩い作りだったのだろう、持ち上げた際に傾けたところからタルトの土台から溢れて指先へと伝い、彼女の綺麗な掌を汚した。
俺は、一旦目の前の光景から視線を外して、周囲へ巡らせ、何か拭く物は無いかと探した。布巾やティッシュでも、何かしら拭える物があれば何だって良い。居間ならば、たぶん確実に何かは置いてあるだろうと視線を巡らせて、比較的自身の近くにウェットティッシュの存在が置いてあった事に気付く。其れを一枚でも取って渡してやろうと、紅茶のカップをソーサーごとテーブルへ置いて、腰を浮かせかけた時だった。
「あいやぁ〜……キャラメル部分が垂れちったや……。こりゃ、ベタベタになっちゃうんだにゃ。んー、でも勿体無いし、一旦舐めちゃえ!」
「はっ……、」
口から覗く赤い舌先が、ぺろぺろと指先から甲の方へ伝ったソースを舐め上げる。自身の掌が汚れてしまったも、垂れて汚した其れは甘く蕩けるキャラメルだからと、余す事無く全て平らげる勢いで丹念に赤く艶やかな舌で舐め取っていく。
その光景が、齢十七の俺には些か刺激が強過ぎて……思わず、中途半端に固まったまま一部始終をガン見してしまっていた。すると、ある程度舐め取り終わって気が済んだのか、ちろりと口端を舐めて咥内へと仕舞われた舌先に、ゴクリッ、無意識に生唾を飲み込む。
一通りの流れを見守ったのち、ふと此方を見遣った彼女にドキリとした。
「御免バッド君、悪いんだけど、そっち側の近くにウェットティッシュなぁい? 手、ベタベタになっちゃったから、洗う前に一旦拭いときたくってさ」
「えっ……あっ、おおぅっ……コレだよな!? ほらよ!」
「ありがと〜っ、助かる〜!」
今しがたの光景など無かったかのように振る舞う彼女に、俺は調子を狂わせられつつも事の次第を上手く口には出来そうも無く、結局はぶっきらぼうな事以外には言えず、黙って腰を落ち着け直した。
そろり、チラリと視線を自身の股へと落とすと、やはりと言うべきか、主張する物がズボンの下で起き上がっていて、所謂テントなる物を張っていた。気まずい、非常に気まずい。何気無く向けた視線が捉えた場面がまさかの場面で、つい盛り立とうとする煩悩が男の本能を揺さ振ろうとしていた。
落ち着け自分、冷静になれ……ッ。ズボンの裾を掴むのと一緒に太股の肉も強くガリガリと引っ掻いて理性を保とうとした。
たぶんだが、このままだとバレるに違いない。その証拠に、端から見てあからさまに分かりやすく主張してみせる自分の股に、頭を抱えて蹲りたくなるような気持ちに陥りながら、然り気無さを装って脚を組んだ。恐らく、こうでもしない限り絶対にバレる……!
内心冷や汗をかきながら、再び紅茶を口にする為、ソーサーと共にカップを手に取った。若干手の震えが滲むが、この際気にして居られねぇだろ……!
カタカタと小さく小刻みに音を立てつつも、平然を装って紅茶を飲むフリをしていたらば、目の前の彼女から再び声をかけられた。
「あれっ……? バッド君、食べないの? 全然手ぇ付けてないみたいだけど……」
「あ゛ーっ……まぁ、喉……渇いちまってたからよ……っ。先に、紅茶飲んで潤してからじゃねーと、喉詰まらせちまうかと思って……っ」
「ありゃ、そうだったの? 其れじゃあすぐにカップの一杯とか空になっちゃうよね! ちょっと待ってて! 今おかわり用にポットごと持って来ちゃうから……っ!」
「アザーッス……」
本当は其処まで紅茶に拘っていた訳ではないし、ぶっちゃけ最初の一杯分などとっくの昔に飲み干していて、意味も無くカップを持っていたのだ。その理由は、告げる事も出来ない程淫らで、同級生の女子なんかに言わせれば“不潔ッ!”とドン引きされる事間違い無しの下ネタと化す為、言うに言えない内容である。
個人的な理由で勝手に盛ってそういう目で見てしまった負い目を感じつつ、キッチンの方から戻ってくる彼女を黙って迎える。そうして、二杯目の紅茶を注いで貰いながら、今度こそ自分で用意した土産のタルトケーキに手を付け始めるのだった。
取り敢えず、暫くの間は、タルトケーキと彼女をまともに見れそうもない……。
「んふふっ、ケーキ美味しいね……!」
「……ん、思ったよりも美味いなコレ……っ」
「ザクザクとした食感のタルト生地と、上のとろっと滑らかなキャラメルソースがマッチして凄く美味しいよね! 此れは、後引く味だわ〜っ」
「……そうか」
「バッド君、さっきからめっちゃ紅茶飲むじゃん。よっぽど喉渇いてたんだねぇ。もしそんなに気に入ったならさ、その紅茶売ってたお店、今度教えようか? 紅茶とか珈琲とか海外の商品を色々と取り扱うお店なんだけどね、いつも沢山のお客さんで賑わってるくらい人気で、全国各所にチェーン店あるくらいなんだから……! 其処のお店ね、此れまた美味しいお菓子とかも沢山取り扱ってんの。全部輸入品だからこそ、他ではあまり見掛けらんない商品もいっぱいあるからねっ。今度会う時は、ゼンコちゃんも誘って一緒においでよ! ついでに、買い置きで買ってたストックのワンパック渡しとくから、お家でゼンコちゃんにも飲ませてあげてね! 淹れ方はお茶と同じで大丈夫だから!」
「お、おうっ……ありがとよ……っ」
「いーえ〜っ! ふふふっ、きっとゼンコちゃん喜ぶと思うよ? 大好きなお兄ちゃんから美味しい紅茶淹れてもらったら!」
「ん……とりま、家帰ったら早速淹れてみるわ……っ」
どうか、帰るその時まで何も気付かないでくれと、無邪気に話しかけてくる彼女へ、結局帰るが帰るその時まで終始願うのみで終わるのだった。
公開日:2023.03.18