その日、私は久し振りの外出に、年甲斐もなくはしゃいでいた。
 いつもなら、最低限の買い物を済ます以外の外出は面倒だとか怠いなどと言って、お家に引き込もってばかり居たのに。しかし、やはり私も女の端くれなのか、偶の外出に着飾り街を出歩くのは気分が上がった。
 冬も終わりかけの季節、だが春と言うにはまだ少し寒過ぎる、そんな或る日の事だ。
 野良猫の如く気紛れにやって来た彼を、これまた偶の気紛れに思い立って引っ張ってやって来た、比較的近場に在るショッピングセンター。普段、貯めるばかりで生活費や最低限の支出以外にあまり使っていなかったお金の、絶好の使い道を思い付いた故の事である。
 ちなみに、あまりに薄着で視界に入れるだけでこっちが寒気がして来そうな程いつも同じ服を着ていた彼には、此方がいつかの為にと勝手に用意していた彼用のモコモコモッズコートを半ば無理矢理着せた。尚、此処まで大した文句無く付いて来てくれた理由は、最初に言った“好きなだけ飯を奢ってやる”との文言付きでのお誘いだったからであろうと思われる。彼は、何故かいつも腹を空かせた腹ペコ狼さん状態なので、飯に有り付けるのであれば何だってお構い無しな様だ。今回は其れを逆に利用した形である。
「こんなとこに俺なんか連れてきて楽しいか……?」
「今絶賛私は物凄く楽しんでる最中だよ!」
「……なぁ、思ってたんだが……この状況、本来なら逆じゃねぇーか?」
「うん? 全然そんな事無いよ! だって、今日はこの為にやって来たと言っても過言ではないもの……っ!」
 現在進行形で彼を着せ替え人形にして楽しむ私に、彼は当然の流れのように疑問を投げ掛けてきた。
 そう、本来ならば、歳若き女がこのような場所へ男を伴に連れてきた場合、大抵の場合が同伴の男側はただの荷物持ち役で終わる。しかし、今回の場合は違う。私自ら彼を着飾ってやろうと、半ば強引に付き合わせてもらっているのだ。
 理由は至極簡単。其れは、推しに貢ぐのと然して変わらない方程式である。見てるだけで寒々しいので、お金は全額私が払うから何か適当でも良い、もっと季節感に合ったあったかい格好をしてくれ……っ。――というのが、最もな感想且つ今回の思い付きの行動に出た切っ掛けなのだが。家にやって来るなりの唐突で至極真剣な様子の訴えに、殆ど押し切られる形で頷かざるを得なかったガロウ氏。何の悪気も無かったところに大変すまない思いはあったが、此れも君の為を思っての事である。
 野良猫のように毎日何処かしらへ渡り歩いては屋根の在る場所を探し求めて束の間の寝床へと定める、そんな生活を送る彼の人間としての最低限の生活を守る為に。仮の宿と寝床を提供してやる代わりに、怪人達からの脅威から守ってもらう。其れだけのギブアンドテイクな関係では物足りなくなってしまった、端に独り善がりで寂しがり屋な人間の思い付きだ。
 何時いつ離れるとも知らない、曖昧な関係である筈なのに。ただ自分の自己満足を満たしたいが為に利用して、内心申し訳ないとは思っている。
 本当はきっと、面倒臭い事この上無いといった風に思い抱いている事だろう。けれども、彼は不機嫌そうに眉間の皺を寄せつつも、私の我が儘に付き合って、次々と持ってくる私の衣服達を突っ返す事も無く着替えてくれた。
 面倒臭そうにしつつも、律儀にも全部試着してくれ、一つずつ感想まで寄越してくれる……そんな彼は、やはり優しかった。
「ねぇねぇ、此れなんかどう?」
「其れよか、さっきのが動きやすくて良かった。あと、五回目に着せられたあの一式が一番好みだな」
「じゃあ、さっきの一着とその一式に、あともう一個足して買っちゃおう」
「俺のはもう良い……っ。いい加減疲れた」
「色々と付き合わせちゃって御免ねぇ〜っ! けど、ガロウ君素材が良いから、ついやる気漲っちゃって、めっちゃ楽しませて頂きました……!」
「お前が楽しいなら其れで良いが……お前のは見なくて良いのかよ?」
「えっ? 私は良いよ。今日は最初からガロウ君の買うつもりで来てたんだし。まぁ、ついでだから、一応ちょこっとだけ見ておこうかなぁとは思うけども」
 あまりにも格好良くて似合い過ぎるから、途中から夢中になって彼の服を選んでいた私は、そんな感想を零して。試着し終わって買わない服を陳列棚へ戻しつつ、購入を決めた服でいっぱいのカゴをレジへと持っていく。勿論、始めに宣言していた通り、会計は全て私持ちである。
 其れなりに値の張る衣服達の詰まった、ショップのロゴ入り袋を受け取って、嬉々として彼の方へ振り返る。
「どうもお疲れ様でした〜! 私の個人的な我が儘に付き合ってくれて有難うね! 後はもう君の自由に好きに過ごくれて良いから……っ!」
「本当に全部買っちまったな……物好きかよ、俺なんかに貢ぐとか」
「ふふふっ、推しに貢ぐってのは大体こんなもんよ」
「はぁ? 意味分かんねぇ」
「分からなくても結構よ。私が満足してれば、其れだけで十分なんだから」
 いっそ鼻歌でも口ずさみそうなくらいの上機嫌さで、足取り軽く女の子向けの衣服を展示するショーウィンドウを通り過ぎた。そんな私の隣に並んで、「ふぅん……」と気の無い返事を返しながら付いてくる彼が、ふと立ち止まって目に入ったとある一着を指差して口を開く。
「アレとか、お前に似合いそうだけどな」
「えっ……?」
「ん、彼処に飾ってあるマネキンの着てるヤツだよ」
 顎で指し示された方角を見遣って、取り敢えず適当な返事を返した後、再び彼の方を見返して抱く疑問を口にする。
「あー…………え? 私の選んでくれるの?」
「せっかくこんなとこまで来て、俺のばっか買うだけ買ってハイ終わりっつーのは……何か違うだろ」
「えぇ〜、そんな気遣う必要無いのに……っ。全部私がやりたくてやった事なんだから」
「つーか、俺ばっか散々着せ替え人形にされて終わんのは気に食わねぇんだよ。お前も同じ目に遭っとけ。仕返しってヤツだ」
 にやり、彼が悪い笑みを浮かべて愉しげに笑う。此れぞ、紛う事無き悪人面である。私は、一瞬だけ顔を引き攣らせて彼を見た。
 そんな私に構う事無く、彼は私の腕を引いて、半ば強引に興味の惹く店へ入っていくと。先程指差した服を着るマネキンの元まで引っ張って、近くに居た店員を呼び寄せ、相変わらずの怖い顔で「コレって試着出来るのか?」と問うた。呼び止められた店員は、彼の威圧感にビビりながらも、試着可能である旨とサイズ違いの物も別の場所に取り揃えている事、また奥に試着室もある事の案内をしてくれた。
 この人、たぶん仕事出来る人だな……なんて明後日な事を考えつつ、彼の背後から様子を窺っていたらば、徐に此方を振り返った彼が再び口を開いて言う。
「お前、幾つだ?」
「えっ? えっと、歳なら先々月の二月ふたつき前に二十六になったばかりだけど……」
「違ェ。俺は服のサイズの事言ってんだ」
「あっ、御免。服のサイズなら、LかLLだよ。縫製の仕方のせいか、物によって小っちゃかったり大きかったりするから。基本的にはLサイズの物を着てる事のが多いかな?」
「じゃあ、今言った二つのサイズ、どっちとも頼むわ」
「はい、畏まりましたぁ〜。少々お待ちくださいね……っ!」
 そう言ってそそくさとその場を去って行った店員と目の前の男の言動とに驚いて、私はキョロキョロと視線を彷徨わせた。
「えっ……さっきのマジの本気で言ってたの?」
「あぁ。本気と書いてマジって読むつもりで言った」
「で……今の私が着るの?」
「気に食わねぇなら別のにするけど……お前、俺が言った感じのヤツ、別に嫌いじゃなかったろ?」
「うん……まぁ、嫌いじゃないし……どっちかって言うと好みな方ではあるけども……っ」
「なら、一遍着てみれば良いんじゃねぇか? 俺ばっかの見てるよか、お前のも見た方が来た甲斐もあるってもんだろ」
「いや、別に私はガロウ君のだけ買えれば其れで満足……っ、」
「良いから、オラ、さっさと行け。あんま遅くなっと暗くなんだろうが」
 押し出されるみたいな形で試着室の方まで歩かされ、そのまま彼の選んだ服を試着させられた。何やかんや言いつつ、彼は人の事を見ているからセンスが良い。私の好みを把握した上で選ばれた服は、彼の目論み通り似合っていて、服が浮く事も無く自然に馴染むような雰囲気だった。
 彼の選んだ一着のワンピースを身に纏い、試着室のカーテンを開けば、待っていた彼が出迎える。
「おっ、やっぱり俺の予想は間違って無かったか!」
「寧ろ、理想と合い過ぎてて吃驚なんだけど……っ」
「当然だろ。俺が選んだヤツなんだからよ。サイズの方はどうだ? 肩回りとか、動かしにくいとか無ェか?」
「ん……試しに軽く動いてみたけど、問題無さそう」
「さっき値段の方も見てみたが、丁度売り尽くしバーゲンセールってのやってるからか、コイツも対象商品に入ってるらしくて、そこそこ安かったぞ。俺用に買った服よか全然安いくらいなんだからよ、一着くらい自分用の買ってみれば良いんじゃねぇーの? まっ、買うのはお前なんだから、好きな方にすりゃあ良い」
「……うん。じゃあ、せっかくだし……買っちゃおっかな」
「買うのか?」
「うん。だって、せっかくガロウ君が選んでくれた服だもん。しかも、めっちゃ私好みのイイ感じのヤツ……! セール対象商品ってなら、買わなきゃ損じゃない! あはっ、久々のおニューの服だなんて嬉しいなぁ〜っ! やっば、テンション上がっちゃうわ……!!」
 結果、即買いって流れで購入を決意。可愛らしいデザインの紙袋に包まれた新品のお洋服を手に、私は気分晴れやかに店を後にした。
「いやぁ〜っ、素敵な買い物をしましたわ……! 切っ掛けをくれたガロウ君には感謝しなきゃだね! 有難う、ガロウ君! お陰で素晴らしい買い物が出来ました!!」
「んじゃ、次はその服の下に着るヤツ見に行くぞ」
「え……まだ見る気なの?」
「はッ、寧ろ其れだけで終われるなんて思うなよ? 散々俺の事振り回したんだ……っ、その仕打ちはたっぷりお返ししてやらなきゃだよなぁ?」
「うわぁーぉ……っ、ガロウ君すんっごい良い笑顔……ッ。まぁ、確かに私の気の済むまで付き合わせたところはあるから、その分の埋め合わせは勿論させて頂く所存ではありますけどもッ……な、何卒お手柔らかにお願いしますね?」
「ふんっ、んなの知ったこっちゃねェーな。オラ、さっさと次行くぞ。今度はその服に似合う下着見に行くんだからな」
「え゙っ!? ちょまっ……今下着って言ったか、この子!? 嘘でしょ!! マジで正気か!?」
「応よ。だからさっさと見て買い物済まして飯食いに行くぞ。最初に飯奢るって言った話、忘れてねェーからな」
「いや、流石にちょっと待って踏みとどまって……! その顔でランジェリーショップ入るのは不味い……!!」
「ぁあ゙? どういう意味だ、そりゃ」
「兎に角、一旦ストップ! ステイだよガロウ君……っ!!」
「俺は犬か!」
 躊躇い無くランジェリーショップの方向へと進んで行こうとする彼の腕を掴んで、何とか踏み留まってもらおうと必死に抵抗した。思わず、ヲタク用語が口を突いて出て行ったが、知らぬ存ぜぬ彼からは違う意味でのツッコミを頂く。
 一先ず、私のあまりの必死さか、今の一言が効いたのかは分からぬが、一応はその場に踏みとどまってくれたらしい彼にトドメの一言を告げた。
「とっ、取り敢えず、下着くらい自分一人で買えるから……! 歳下の君を連れて入るのは恥ずかし過ぎて軽く死ねるから頼む早まらないでくれ……っ!!」
「チッ…………じゃあ、後で買ったの見せろよ。其れで譲歩してやる」
「わ、分かった……っ。お家帰ったら、買ったの見せたげるから、其れで我慢してね……!」
「何か可愛くてヒラヒラしたヤツ且つエロイの選べよ」
「まさかのリクエストされるだと……ッ!?」
「だって店一緒に入って選べねぇんなら、そうするしかねぇーだろうがよ」
「うん……まぁ、そうか……そうなるよな、普通……。うん……取り敢えずは、分かったよ。なるべく善処するね……っ」
「期待してっからなぁ〜」
 にやにやと厭らしい笑みを浮かべながら手を振り送り出す彼に、私は羞恥から顔を真っ赤に染めたまま、背中に彼の期待の眼差しを受けつつランジェリーショップへと入店した。何だか彼の都合の良いように丸め込まれた感が否めないが、彼を振り回した罪悪感はあったので、素直に受け入れる事にした。
 そうして、彼のご希望に添いそうな――普段ならば絶対に選ぶ事の無さそうな、ちょっとエッチでセクシーな物を一着と、上下セット且つ普段着用の物を二着程購入して店を出た。
 会計時、店前での遣り取りを知ってか知らずか、レジ担当の綺麗で美人なお姉様から生温かい視線を頂いた。おまけに、例の下着を袋に詰めながらの台詞がコレである。
「もしかして、彼氏さんとデートですか?」
「えっ……はぁ、まぁ……一応、たぶん、そんな感じなん、ですかねぇ……?」
「うふふっ、お似合いのカップルですよ……! 恥ずかしがらずに、今夜頑張ってくださいね! 応援してます……っ!」
 言葉最後に小声でそんな言葉まで添えてくれた、名も知らぬお姉様(今日初めて会った初対面の人)。恐らく、他とは違って明らか力の入った感じのチョイスの一着が勝負下着だと思われたのだろう。盛大なる勘違いだし、そもそもが私達二人は単なるギブアンドテイクで成り立つだけの曖昧な関係故に、お互い共そんな気は無いと思っている。少なくとも、彼にその気は無いだろう。言動がヤンチャで其れっぽく聞こえなくはない時はあっても。
 一先ず、私はレジ担当のお姉様に愛想笑いだけを返して、彼の元へと戻った。
 すると、彼はいつも通りの調子で声をかけてきた。
「買う物は買えたか?」
「うん、一応はね」
「んじゃ、買い物は此処までにして、飯食いに行こうぜ。時間はちと早いが、散々振り回されて腹減った」
「つって、君会う度いつもお腹空かせてるけどね」
「あ゙? 何か文句あっかよ」
「うんにゃ? 別に何も無いよ。よく食べる子程可愛いもんさね。食べる所は、フードコートで良い?」
「飯が食えるんなら、どの店だろうが何処だって構わねぇよ」
「ん。じゃあ、フードコートの方にしよっか。食べたい御飯は、君の好きな物好きなだけ選んでくれて構わないから」
 そう言って、彼とフードコートのエリアへ移動して、少し早めの晩御飯を食べた。帰りの運転の事もあるから、腹八分目よりも軽めくらいに留める。打って変わって、食べ盛り育ち盛りの彼は、山盛りポテトと巨大ハンバーガーにBIGサイズの炭酸ジュースまで付けてペロリと完食したみたい。流石は男の子、よく食べる子だ。
 あんなに食べてもまだ足りないのか、最後に某有名ファーストフード店のチキンが沢山入ったお得パックをお土産に購入する。本当にお肉が大好物だなぁ。
 大好きなお肉が食べられる嬉しさで上機嫌な様子の彼が、ご機嫌そうに口を開く。
「やっぱ肉が一番美味いし最高だよなぁ〜!」
「偶にはお野菜もちゃんと食べようね。じゃないと、栄養偏っちゃうよ? ガロウ君はまだ育ち盛りなんだから、バランスの良い食事を心得なきゃ……っ」
「ぁあ? んなモンいちいち気にしてられっか。俺は好きな物たらふく食えて腹が膨れりゃ其れで良い」
「まぁ、ご立派だ事。そんなガロウ君の事だから? 今腕に大事そうに抱えた其れも、帰り道の間で食べちゃうだろうから、家まで持たなさそうだね」
「そんときゃそん時だ」
 片腕には、自分用にと買って貰った服の詰まった大きな手提げ袋を提げている。意外と気に入ってくれたのか、乱雑に適当に扱うでもなく普通に持ってくれている。もう片方では、今しがた買ってきた某有名ショップのお得パックのチキンが入った箱を大事にぶら提げている。
 同じく、私の手にも、本日購入した戦利品なる物が提げられていた。
 こうも何だか平和で穏やかに同じ時間を過ごせていると、勘違いしそうだった。
 所詮、彼と私は、利害の一致からつるんでいるだけの曖昧な関係性だのに。其れをずっと繋いで留めておく理由も術も、何一つだって無い。
 そうだと分かっていて、いつか必ず離別する事が分かっている関係性を何時いつまでもずるずると続けているのは、単なる私のエゴに過ぎない。
 どうせ、お互い共に曖昧で居るのなら、この先もずっと変わらず曖昧なままで良い。その方が、きっと、彼の負担にもならないだろう。
 私よりも一回り程も若く歳下な彼の事を思えば、私なんかが足枷になってはいけない。立場は不安定且つアレだけども、彼にはまだまだ長き未来が待っているのだ。私という存在なんかで大切な時間を浪費して欲しくない。
 矛盾した気持ちを抱えているとは思っていたけれど、其れは其れ。飽く迄も、私は彼にとって都合の良いモブみたいな存在で居れたら、其れで良い。そうして、陰で彼の支えになれたらば、其れで。

 自身の車を停めた場所を目指すべく、駐車場への道のりを歩いていた途中で、不意に彼より背後から抱き締められた。まだ家までの道のりにすら辿り着けていないのだが、どうしたのだろうか。もしや、家どころか車へ辿り着かぬ内に我慢の限界にでも達したのだろうか。
 突然謎の行動に出た彼に、私は内心焦りながらも面には出さない形で応答してみせる。
「……どしたの、ガロウ君? 此処、まだ駐車場ですらない道のど真ん中なのだけども」
「寒ィからカイロ代わりに引っ付いただけだ」
「ふふっ、そっか。確かにまだ朝晩は冷えるものねぇ。その為に、今日あったかい服買ったんだから、明日からちゃんとした服着てね」
「お前も着てくれるってんなら、着てやらん事もない」
「分かったから……取り敢えず、一旦離れようか。このままじゃ歩きづらいし、公衆の目もあるから……ねっ? 良い子にしてくれたら、帰った時ご褒美あげるから」
「餓鬼扱いすんじゃねぇ。俺を幾つだと思ってやがる。俺は手前ェが思ってるよりずっとデケェんだからな。あんまり調子こいてっと……その無防備な首筋に噛み付くぞ?」
「あらやだ物騒。野蛮な狼さんだ事ね」
「チッ。舐めてんじゃねェーぞ、クソが……ッ」
 思った以上になかなか離してくれぬ彼に、羞恥も相俟って私は尚も言葉を重ねて諭した。
「ガロウ君、寒いのと甘えたな気分なのは分かったから、ステイ。君のぶら提げたチキンの箱が入った袋のせいで、今ものごっつチキン臭凄いから。せっかくの空気ぶち壊す形で申し訳ないけど、めっちゃチキン臭いよ」
「……チッ」
「コラ。舌打ちばっかしない。柄悪過ぎるぞー」
 雰囲気をぶち壊す言葉だったかもしれないが、事実には変わりなかった為、在るが儘の現状を申告したら、案外素直に言う事を聞いてくれた。最初から今みたいに言えば良かったな。


 ――道中何やかんやあったが、無事駐車場エリアから家までの道のりを走り終え、自宅の駐車場スペースまで帰ってきた。
 帰りの車の中での彼は、予想に反して大人しく、空になるやと思われたチキンには一切手を出さずに帰り着いた。もしや、思っていたよりも腹が膨れていたのかな。
 手荷物を持って車から降り、自宅の鍵を開けて部屋の明かりを点け、荷物を何処か適当な場所へ仕舞わなければと思案しつつ。取り敢えず、ソファーの足辺りにでも置いて上着を脱ごうとしていれば、またもや不意打ちという形で彼より背後から抱き付かれてしまった。お陰様で、腕は中途半端な位置で身動き取れなくなり、上着も脱ぎかけの状態で止まらざるを得なくなった。
 お店の駐車場までの時と言い、一体どうしてしまったのだろうか。私は分からずのまま、一先ず彼の機嫌を損ねないようにと、脱ぎ途中の上着もそのままに、自身の肩へと埋められた彼の頭を撫でる事にした。
 そして、なるべく刺激しないようにを意識して、努めて穏やかな声を発した。
「どうしたの、さっきから……珍しく積極的に甘えたさんだねぇ。いつもこれくらい甘えてくれたら、年相応で可愛いのに」
「俺ァ餓鬼じゃねぇって何遍言ったら分かんだ、バァーカ」
「ハイハイ。……取り敢えず、一旦上着だけでも脱がせてくれる? 中途半端な状態のままは、流石に気持ち悪いから」
「……チッ、わぁーったよ。脱がせてやりゃあ文句は無ェんだな?」
「うん、そう。聞き分けの良い子は好きよ。有難う……って、ちょっと? 私自分で脱げるんですけど……っ、」
 素直に脱ぎ途中だった上着を脱がせてくれるかと思いきや。何故か、拘束という名の抱擁を解くなり、私の上着を無理矢理剥いできたガロウ君。訳も分からずされるがままで居たら、追い剥ぎするみたく持ってかれた上着を床へ投げ捨てるなり私をソファーへと押し倒してきた。驚く間も無く、視界は暗転し、気付けば目の前はガロウ君のドアップ越しの天井という具合だった。
 私は目をぱちくりさせながら、呆然と目の前の彼へと問う。
「あの、ガロウ君……っ? 何で……、」
「帰ったらご褒美、くれるって話だったよなぁ……?」
「え……あぁ、うん……確かにそうは言ったけども……この状況は一体?」
「お前、此処まで来てまだ何も理解出来てねェーのかよ。どんだけ平和ボケしてんのか、手に取るように分かるぜ。俺が男だって事、まさか忘れてたとは言わねぇよなァ……?」
「いや、あの……っ、流石の其れは無いからね? 君が立派な男の子だって事くらいは、流石に認識あるから……っ。でも、其れと此れに何の繋がりが……、」
「普通、男が女に服贈んのには、自分が着せた服脱がす為の口実っつーか、其れ前提の行為であって、有りがちな話だと思ってたんだが……お前知らなかったのか? まぁ、実際は俺が選んだだけで直接買ってやった訳でもねぇし、まだ着せた訳でもねぇーけどよ」
「いや……其れくらいは、恋愛経験値ゼロの喪女な私でも知識として知ってるけど……何で」
 改めて現状を問えば、真剣な眼差しを向けていた彼が目を細めて射抜く。
「今其れを訊くってなぁ野暮ってモンだろ」
「えっ……ちょちょ、待っ……!」
「待たねぇ。お前はもう余計な口開くな。黙って俺に抱かれてろ」
 出掛ける前にと着込ませたモコモコモッズコートを脱ぎ捨てると、今日は冷えるからと着込んでいたセーターまで追加で更に剥かれて、インナーに着込むピッタリとした素材のハイネックで下着同然の薄着にされて流石に焦る。しかし、其れ以上服を剥かれる事は無く、お互い薄着になったところで再び密着する形となった。
 外気に触れた露出部位と薄着にされた上半身が寒いと感じたが、その内、彼の高い体温が移って馴染むように温かくなる。彼の熱がすぐ側にあって、私を包むように居る。今度は正面から抱き締められたが故か、首筋へと埋められた彼の頭が、視界の端に映る。
 まるで、勘違いしてしまいそうだった。私達の曖昧である筈の関係が、崩れ去って、別のものへと再構築されていきそうで。
 別に、私は、曖昧なままでも構わなかった。確固たる繋がりが無くたって、私という存在が少しでも彼の居場所となっていれば、其れで。
 だけれど、きっと、心の何処かで其れだけでは物足りないと思っていたのだろう。単なる拠り所で居るだけでは駄目だと、そんな欲張った風に……。
 本音を言えば、離れたくなんて無かった。だって、こんなにも優しくしてくれる。とっくの昔に離れ難さを覚えてしまっていたのだ。いずれは別れてしまう事が分かり切っている関係性なのに。温かなぬくもりをくれる彼に縋ってしまいそうになっていた。
 たぶん、彼と居る事で欲深くなってしまったのだと思う。何だかんだ言いつつも彼は優しいから。彼の優しさにすっかり絆されてしまったのだ。
(いっそ、ひとつに溶けてしまえたなら、其れで何もかもが片付くのに…………っ)
 でも、きっと、不良ながらも最低限の節度はきちんと持つ彼の事だから、強引に事へ及ぶ事はしないだろう。見た目通りの粗暴さで強引にも乱暴に事に及ぶくらいの威勢があれば、私は彼の事を嫌いになれたかもしれない。そしたら、此処まで大事な内側へと引き入れてしまう事も無かったのだ。
 こんなにも虚しく苦しさに悶えるのは、明日にも明後日にも私だけ。彼は何も知らないし、気付く事は無いだろう。
 どうか、そのまま気付かないままで居て。そして、この先も変わらず、今と同じような曖昧な繋がりで居て。そうすれば、其れだけで私の独り善がりな寂しさは埋まるから。だから、どうかそのままの君で居て欲しい。
 矛盾していたって良い。ただ、この名も付けられぬ関係性が壊れてしまうのが、怖かった。また、一人ぼっちになってしまうのが、嫌だった。たった其れだけの、私の自分勝手なエゴだ。
 一回り程も歳下な癖に、私よりも大きく立派な広い背中へとぎこちなく腕を回す。すると、思っていたよりも筋肉質な線をした体に触れて、彼が異性たる身に魂を宿している事を知った。鼻先に触れてしまうくらいの距離に、彼の肩先があった。ぼんやりと逡巡している間も、耳元近くでは彼の息衝く音が聞こえていた。
 もう、全部曖昧になってしまえ。このまま境界線も何も溶けて無くなってしまえば、きっと楽になる。
 私はとうとう色々と塞き止めていた理性やら思考とを放棄した。そうして、ただ求めるがままに彼の肩口へ鼻先を擦り寄せて息を吸い込んだ。すると、彼の匂いが胸いっぱいに満たされて、何とも言えない幸せな心地に満ち足りたのだった。
 もう少しだけ。もう少しだけ、このままで居よう。どうせ、彼が上から退かない限り自由は利かないのだから。其れならば、いっそ、今この時を堪能し切ってしまおう。彼の気紛れが起こした、甘えたの少し先のこの行為に、逆に甘えてしまう形で。
 そう抱いて、私は静かに目蓋を伏せるのだった。


執筆日:2023.03.03
公開日:2023.03.08

【後書き】
今回のテーマが“離”を含む熟語や動詞という事でしたので。
在り来たりかもしれませんが、真っ先に思い浮かんだ熟語である“離別(もしくは別離)”という言葉を元に執筆致しました。基本的には、テーマとタイトルの言葉をベースに物語を構成していった感じです。
当企画テーマの作品を書こうと思い付いた最初は、全く別の雰囲気のお話を書くつもりでいたんですけど、いざ書き始めたら結果的には当作品という形に収まった次第です。
当初思い付いた構想段階では、当作品とは全く異なる感じで、タイトルから得たイメージからもっと重たく暗い感じの重厚感半端ないストーリー構成のものを考えておりました。明らかに死ネタとなるような、そんなストーリーで……。
しかし、其れだとあまりに重た過ぎるかなぁと思いまして。最終的に今作の形に落ち着いた感じです。
本当は離れたくないけれども、いつかは離れてしまうだろう二人の関係性を、最終的にタイトルへ込めた形の仕上がりになりましたかね。
切ないけれども、その中にある甘酸っぱい雰囲気を感じ取ってもらえたら幸いです。
最後に、余談ですが……。物語終盤を執筆中、周りからの雑音にせっかくの集中を欠かれたくないなぁと、其れまでノーイヤホンだったのからイヤホンを嵌めて作業BGM代わりに音楽を流し始めたんですけど。
流した曲が思った以上に作品の雰囲気にまぁ合致してしまいまして……。勢いある内にガガッと書き上げた後になって、改めて思いました。
偶々、前回編集作業の過程で聴いた音楽をそのまま流しただけだったのですが……予想外にも作品の雰囲気と筆の乗りを盛り上げる形となりました。
ちなみに、今回作業BGM代わりに流していた曲は、DAOKO×米津玄師さん楽曲の『打上花火』でした。
素敵な音楽がこの世に存在していた事へ再度感謝致します。
曲の歌詞と雰囲気が、作品のイメージと雰囲気にマッチしてしまった事が、逆に功を奏したのが幸いでしたね。お陰様で、自分なりに素敵なお話へ良い感じに仕上げる事が出来て良かったです。
後書きを締め括るにあたりまして、素敵な企画を用意してくださった朝谷様には大変感謝致します。
この場をお借りして、改めて御礼申し上げたいと思います。
この度は、素晴らしき企画にて私の稚作な作品を並べてくださり、誠に有難うございました。