贄と神嫁


 ――この国にはしきたりがあった。
月が本来の位置に戻る年、神々の伴侶として、若者一人を贄とする。
贄の生まれ月により、どの神が貰い受けるか決まる。
伴侶となった贄は、それぞれの神の国に招かれて、その後どうなるのかは定かではない。

 ――そう、幼き頃より祖母や母から伝え教えられてきた。
 古来昔の時代という長き歴史を重ねても尚存在する、いにしえのしきたり。しかし、そのしきたりは絶対であり、異にする事は災いを招く事だと恐れられてきたせいで、今世紀まで代々継承され続けている。
 子供の頃は、幼心故、話半分程にしか聞いていなかったが……成人の年を迎え、立派な大人となってからは、より現実的に捉えるようになった話だ。
 何故ならば、おのが自身そのものが結婚適齢期とやらを迎えたからだ。おまけに、贄として捧げられる娘子の年齢に達してしまった。
 私の生まれ月は睦月の一月だから、もし貰い受けるのだとしたら、暁神様となるのだろう。
 歴史書や巻物などの書物の中でしか見た事の無い神様の事なんて、何だか他人事にしか思えなくて、どうせ自分なぞが崇高なる神様の花嫁になんて選出される事は無いだろうと思っていた。
 だった筈だのに――。
 何の因果であろうか。そんな崇高なる神様の伴侶として、おのが名が挙げられたのだ。つまり、私が贄となり、神様へと捧げられる事となったのだ。
 しきたり上、贄として名を挙げられた若者は、召し上げられるまでの一定期間猶予を与えられる。その期間とは、一ヶ月だ。その短い間に、現世での思い残した事を片付け、家族と別れを告げる準備をし、神嫁として召し上げられる身支度を整えるのである。
 加えて、神嫁となった暁には、人であった時の名を捨てる事となる……と伝え聞いている。この世に生を受けし時にて両親より授かった、命と同等の価値を持ちし名を捨てる……。実感は湧かなかったが、ずっと自分たるものとして名乗ってきた姓と名を捨てるのは、些か抵抗を感じた。別に、特別な思い入れなどは無かった筈なのに。其れまでずっと名乗ってきた名が無くなってしまうのは、何だか自分の存在が希薄となってしまうような、そんな気がした。
 私が贄と選ばれた事に、家族は誇らしさ半分恐れ半分と言った感じの反応であった。
 贄とは言うが、要は神様の嫁子として見初められ、召し上げられるのだ。其れは、とても名誉な事で光栄な事なのだと、両親は喜んだ。しかし、その反面、自分の娘が突然家を出る上に神様の花嫁なんてものになる事に動揺した様子だった。故に、喜びの裏で、自分の娘が人ではなくなる事を憐れんでいるようであった。また、神様なんて高貴な位の方の嫁子になるなど、恐れ多過ぎると言った感情も窺えた。直接口には出さなかったけれども。あとは、身内から贄が選出された家には贄が生きている限りの期間は特別な加護が降り、他より些か優遇されたりする事があるからか、愚かにもその点に欲を見出だしたようにも見えた。
 所詮、人とはそんな生き物だ。どうやら、何処まで行っても人は欲深き生き物である事は変わらないらしい。

 人にとってはあっという間に過ぎてしまう一ヶ月という短き時を、人で居られる僅かな大切な時間を過ぎ、とうとう生まれ月の神様の元へ召し上げられる時が来てしまった。
 人でなくなってしまうという事については、別段何とも思わなかった。元より半世捨て人のように生きていた身だ、今更人でなくなる事に対して後悔を抱く事は無い。
 ただ、生まれてこの方ずっと暮らしてきた家元を離れ、家族とはもう二度と会えなくなるのかと思うと、無性に寂しくなったし悲しくもなった。故に、別れの挨拶を告げる際は、どうしても堪え切れずに泣いてしまった。元々寂しがり屋の泣き虫であったのだ、今生の別れの際くらいは大目に見て欲しい。
 遣り残した事は無いか、最後にそう遣いの方に告げられ、私は涙を拭いながら頷く。少なき友とは別れを済ませていたし、家族ともきちんと話を出来るだけの時間は貰った。未練が無いかと聞かれたら、否と答えるかもしれないが、例え未練があろうと無かろうと、しきたりは覆せない。もし、私が此処で異を唱え、しきたりに反する行動を取ってしまえば、我等が生きる国に災いが降りかかるかもしれない。私というちっぽけな人間一人のせいで国に災厄が降るだなんて事だけは、何だか厭で、避けたい事だった。
 故に、私はしきたりに従って、今日を以て神の御坐おわす隠世へ召し上げられ、神嫁となる。

 暁神様の遣いの方々に連れられて、現世を離れ、隠世との境目となる――要は、神様達が暮らす世界への入口だ――鳥居をくぐっていった。
 鳥居の先は、既に人の世ではない。神か、神に認められし者達しか出入り出来ぬ世界だ。そんな神聖たる場所に、私は迎え入れられる。
 これから私は人ではなく、神嫁として人であった時の何倍も長き時を此処で過ごすのだ。
 神嫁となった贄は、人であった時の理から外れ、寿命が人の其れではなくなる。故に、百年よりももっともっと長い時を生きる事が可能となるのだ。
 花嫁に相応しき白無垢の装束で神の地へ踏み入れた私は、まず美しき光景に目を奪われた。
 神の生きる土地は、まこと美しく、桃源郷のような景色が広がっていた。まるで、お伽噺でしか聞いた事の無い、天の箱庭のようであった。
 神様の暮らす国なのだから、美しくて当たり前なのだろうが、人の世の其れとは全く以て比べ物にはならないくらい美しくて、言葉で表現しようにも、持ち得る語彙力では目の前の光景を語る事は出来なかった。まさに絶句、言葉を失う程に美しい景色が眼前には広がっていたのである。
 思わず息をするのも忘れて見惚れていたらば、知らぬ間に近寄ってきていたらしき人影に気付かなかった。不意に声をかけられて、其処で初めて私は我に返って呼吸を再開する。
「我が国の庭が、そんなにも美しいか……?」
「ッ……!? はっ、はいっ……! つい、思わず見惚れてしまう程には凄く美しくて……っ、その、月並みな言葉で申し訳ないのですが、どんなに眺めていても飽きないなぁ、と…………っ!」
「……そうか」
 声をかけられて初めてすぐ側に誰かが立っている事に気が付いた。
 その人は、明らかに浮世離れした美しさを纏っていて、泰然とした空気を放っていた。その堂々とした佇まいに、すぐにこの人は只者ではないと直感で思った。あまりの突然の登場に半ば呆然としていたら、目の前の男性は目尻を和らげて微笑んだ。
「お前が、我が国に嫁いできた花嫁か?」
「あ、はい……そう、ですが……あの、貴方様は……?」
「此れは失礼した。まずは自己紹介が先であったな……。我は、一月の神にし、夜明けを司る始まりの神なれし、暁神なり。我が守りし人の世より嫁いだ愛しき人の子よ、よくぞ我が元へ参ってくれた。礼を申そう。有難う、我が君よ。これからは、此処がお前の家であり帰る場所だ」
「えっ、あっ……こ、此方こそっ……!  私なぞを貴方様のような尊き方の伴侶に迎え入れてくださり、身に余る光栄に存じます……っ!」
「ふふっ……そう固くならずとも良い。お前はもうこの我の妻たる者なのだから、身分の事なぞ気にせずゆるりと構えて居れば良い」
「えっ……で、でも、そんなすぐには慣れない、です…………っ」
「ふむ……まぁ、人の考え方で言えばそんなものか。ならば、少しずつ慣れて行けば良いさ。時間は沢山ある。徐々に慣れていってくれ。此処はもう、お前の庭でもあるのだから」
 まさかの、おのが嫁ぎ先の相手であり神様の暁神様であられたのである。
 おっかな吃驚し過ぎて、つい動揺が面に出て、盛大などもりを発揮し、終いには片言気味になってしまった。あまりのぎこちない返答に、初っ端からやらかしたと内心冷や汗が溢れ返ったが、如何にも緊張してますという態度を返そうも柔らかく受け入れてくれた暁神様は温かな言葉をかけてくれた。おまけに、私が早くこの場に慣れるように優しいお言葉までくださった。
 何と恐れ多い事か。私はただただ平伏したい気持ちで俯いて足元を見つめていた。すると、ふと視界に彼の手が伸びてきて、顎下を掬うように上向けられる。
「顔を上げ、堂々と胸を張るが良い。お前は我の嫁なれば、そう臆す事は要らぬ。顔を上げ、その瞳を我に見せよ」
「は、はひっ……! す、すみませ……っ!!」
「ふっ……まぁ、慣れぬ内は仕方なかろう。ところで、お前の名は何と言う……?」
「えっ……あっと、小野寺椿――と、申しまする……」
「成程、椿か……良き名だな。では、今日よりお前の名は、椿だ。良いな……?」
「え……? でも、記憶が確かならば、神嫁となった者は、人であった時の名は捨てるのでは……」
「うむ、早い話がそうなるが……其れには訳があるのだ。我等十二ヶ月の神々の贄として捧げられた者達は基本、人の子が多い。稀にそうでない事もあるが、大抵は人の世に生きる人の子から選出する事が殆どだ。すると、人の子は既に生まれ持つ名がある……。其れは、我等で言うところの“真名”というものとなるのだ。“真名”とは、その者をその者たらしめる名であり、命と等しき名の事だ。昔から言われるであろう? 人為らざる者に対し、本名を名乗ってはならぬと……。あれは、その者を縛る理となるからだ。故に、古来より、人の子は、簡単に名を明かしてはならぬと言い伝え聞かされてきたのだ。時と場合によっては、名を奪われてしまい兼ねんからな……」
「だから、其れを防ぐ為に名を捨てると……? しかし、暁神様は、今私の名前をそのまま呼ばれましたよね……? どうしてですか?」
 不思議に思って、思うがままに訊ねたら、彼は素直にこう答えてくれた。
「其れは、お前の名が何ともお前らしく、また美しい名だと思ったからだ」
「へ…………っ」
「椿の花とは、我の月に咲く花ではないか……その花の名を冠するお前を伴侶と戴けた事は、何と稀有なる運命か……。いやはや、此れは嬉しさを隠し切れんな」
「……え、っとぉ…………」
「嗚呼、すまない……我が愛しき君よ。改めて告げよう。人の世より人の生を捨て、我の元へ嫁ぎ参った事、誠に嬉しく思う……っ。白銀の白雪に映える椿の花が如く美しき人の子よ、ようこそ我が暁の国へ。我が生涯を懸けて、お前を幸せにすると誓おう」
 そう、何とも美しく綻んで笑う彼に手を握られながら告げられた私は、心臓が破裂するかと思った。控えめに言って死ぬかと思うくらいに眩しく、尊い光景であったのだ。失神するかとも思ったくらいだが、取り敢えず大事な場面で気絶だなんて大失態は冒さずに済んで良かった……。
 目出度めでたき事に、この度私は晴れて素敵な殿方に嫁入りする事となり、神様の花嫁となったのだった。


 私達の門出を祝う為の宴が開かれ、酒を飲み交わした事で、私と暁神様は正式に夫婦の契りを交わした事になる。のだが――、いまいち実感が湧かず、神嫁となった感覚が分からずのまま、翌日を迎える事となるのだった。
「――椿様、椿様……っ。おはようございます、朝にございますよ。本日より、椿様の身の回りの世話を仰せ付かりました、鶯と申します。朝の身支度を手伝いに参りましてございまする。ささっ、もうじき朝餉の準備が整います故、起きて身支度を整えられませ」
「……あ゙い、おはようございます……。朝早くからどうもなのです……。でも、私、自分の身支度ぐらいは自分で出来ますから、どうかお気になさらず……、」
「そういう訳には行きませぬ。私も主たる暁様より仰せ付かりし義務があります故、与えられた務めくらいは果たさねばなりません。私は、椿様御付きの小間使い兼お手伝いとなったのです。慣れぬ事にて戸惑われるお気持ちも分かりますが、どうか私の仕事を奪わないでくださいまし」
「えっと……其れは、大変失礼致しました……」
「分かって頂けたならば嬉しいでございまする……! ところで、椿様は朝に弱い方だったのでございますねぇ……?」
「何とも情けない限りですみません……っ」
「いえいえ……っ、その分“寝ている椿様を起こす”というお役目を果たせるのですから、私としては全く構いませんよ!」
 宴が明けた翌日の朝、本日付けで私の付き人となったらしい鶯と言う遣いの方がお見えになった。名前の通りに美しい鶯色の髪と歌うような声のその方は、恐らく暁神様の眷属となられる方なのだろう。鳥のような羽根を纏っているし、完全なる人外なんだろうなぁ。
 そんな事を寝起きの頭で考えながら身支度を手伝ってもらい、朝餉を頂きに寝間を後にした。
 昨晩も食事を摂った時の部屋へ行くと、既に先に来て待っていたらしい暁神様がいらっしゃった。朝にも関わらず相変わらずお美しいお姿で、寝起きの頭には少々眩しいくらいである。
「おはよう、我が愛しの君よ。初めて此方の世で迎えた夜は、よく眠れたか……?」
「おはようございます、暁神様。昨晩はお酒が入っていた事もあってか、思っていたよりもぐっすりと眠れました……っ」
「左様か。しかし、そう言う割りには未だ少し眠たげであるが……」
「ふふふっ、どうやら椿様は朝が弱いようにございまするよ、暁様」
「其れは其れは……何とも愛らしい限りであるな。我が妻は、そんなところでも愛らしさを発揮するのか……朝から何とい事よ」
「ゔぅ゙っ……情けない限りで申し訳ございません……!」
「何を恥じる事がある? お前の其れは、我からすれば愛らしき事だ。此処は人の世と違うのだから、人の世での理や規則は関係無い。故に、朝が弱いからと咎める者など居らぬ。下界と異なり、此方側は時の流れも異なる故な……恥じる事は無い。無理に直そうとする必要は無いからな?」
「ひぇっ……まさかの全肯定……! 恐れ多過ぎまする……っ!」
「其れと、昨晩も申したが……お前は少し固過ぎる。もう少し肩の力を抜け。そんなに凝り固まったままで居たら、早に疲れてしまうぞ……?」
「は、はいっ、すみません! 善処出来るよう努力致します……!」
「暁様、此れは今暫くの間はどうしようもない事かと……」
「致し方ない。椿が此方での生活に慣れ、馴染むまでには暫し掛かるであろう。まぁ、急ぐ事は無いさ。まだ此方に来て一日目だ。ゆっくりと日を重ねて行こう」
 そう言って穏やかに笑まれた暁神様は、やはり優しくお天道様のように温かい方だと思った。

 朝餉を共に摂った後は、広い宮殿内を案内して頂いた。食後の軽い運動も兼ねての其れは、何だか散歩のようでもあった。
 案内してくれたのは、他でもない、私の旦那様となられた暁神様であられる。彼の手に引かれる形で宮殿内のあちこちを案内された私は、次々と広くて迷子になりそうな空間の説明を受けた。
「此処は、我の執務室だ。主に仕事に籠る際に使う部屋だな。彼方の奥に見える間は、我が寝に使っている閨の間だ。晴れて夫婦と結ばれたのだ、今日より一月ひとつき程の間は蜜月となる故……お前さえ良ければ、今宵より我が閨で共寝しようか」
「えっ……貴方様と一緒に寝るという事ですか!? えっ、そそそんな恐れ多い事、控えめに言って無理ですぅ……ッ!!」
「何故だ、我等は正式に夫婦の契りを交わした身……今更畏まる必要は何処にも無い」
「暁神様は良くても、私は無理です!! だって、緊張のあまり絶対に眠れる気がしません……っ!!」
「くっ……我が妻は恥ずかしがり屋なのだな……そんなところもいぞ」
「ああああっ……甘過ぎて免疫の無い私にはちょっとどころかだいぶオーバーキルですぅ〜……ッ!」
「はははっ……言っている言葉の意味は分からなかったが、我が君は面白いな」
 突然の夫婦らしき事を言われて心臓が飛び出るかと思った。確かに、新婚さん的意味合いで言うなら、そういう事で合ってるんだろうけども、私にはまだ自覚も足りなければ覚悟も足りていないのだ。床を共にするだなんてハードルが高過ぎる。
 そもそも、今の今まで誰とも付き合った事も無ければ、現実に存在する異性の人を好きになった事も無い。つまりは、生まれてこの方一度も恋愛経験の無い、恋愛経験値ゼロの喪女なのだ。其れが何の因果か、神様の花嫁に選ばれてあっという間のトントン拍子で人妻だ。相手は人ではなく、神様であるが……。
 少女漫画とかで見てきた恋愛の初歩的レベルで既に心臓破裂しそうで死にそうになっているのに、其処でいきなり共寝するとか言うミッションなぞ課されたら、私確実に脳内がキャパオーバー起こして爆発四散する自信がある。絶対死んじゃう。いや、まぁ、実際はそんな簡単に死ねない体になったんでしょうけども……ハートが無事に済まない。控えめに言って無理無理の無理。けれど、相手は神様故に、人間相手のムーヴが通じない。穴があったら入りたいどころか暫く埋まってたいレベルで羞恥度振り切れてるんだが、どうしたら良いんだ……っ。
 というか、さっきから旦那様な暁神様からの甘い視線が痛くて堪えられないんですが。眩しさに軽く溶けそうなんですが、どうしたら良いんですか、誰か助けてェ……っ。
 そんなこんな恥ずかしさから顔を真っ赤にして覆い隠していたらば、クスクスと笑みを零されていた暁神様が此方を見つめたまま口を開く。
何時いつまでそうしているつもりだ……? 何とも愛らしいのは良い事だが、そのままでは我が愛しの妻の顔が見えぬではないか。そろそろその手を退けて、その下に隠れた顔を見せておくれ」
「ひえぇっ……!! 貴方様のご尊顔が美し過ぎて、控えめに言って直視出来ませぇん……っ!!」
「ふふふっ……我の事を美しいと申すか。其れは何とも嬉しい事を言ってくれる……っ。安心せよ、お前も我に劣らず美しく愛らしいぞ、我が椿よ」
「ぴぃっっっ!?」
「ははっ、我が妻は照れが勝ると雛鳥の如き鳴き声を発するのだな。い事よ」
「もっ……かっ、勘弁してくださいましぃ〜……っ!」
「ふむ……あまり弄り過ぎては可哀想か。嫁が可愛過ぎるからと揶揄い過ぎては嫌われてしまうと、口を酸っぱくして言い含められておるしな……今日のところはこの辺で留めておくとするか。すまん、些か揶揄い過ぎたようだ。気を悪くしたのなら詫びよう。我ともあろう者が、何とも愛らしい娘子が我が花嫁として嫁いで参った故か、柄にもなく少々はしゃいでしまっていたらしい……っ。此れでは、今度宵神と会った際に笑われてしまい兼ねぬな……」
「暁神様もはしゃがれるような事ってあるんです……?」
「そりゃあ、我とて人並みにはしゃぐ事くらいあるさ。こんなに愛らしい花嫁を貰えれば、特にな。ふふふっ……我は幸せ者だ」
 そう言って何とも幸せそうに微笑まれた彼の美しさと言ったら、筆舌に語り難い程の尊さで、秒で語彙力がご臨終してしまった。何だ、その如何にもな蕩けるような微笑みは……! 直視なぞ不可だ不可ァッッッ!!
 またもや目を瞑って悶えていれば、目元を覆い隠していた手を取られて、不意打ちで口付けを落とされた。
 何処の乙女ゲーですか!? 端的に言って寿命縮む程吃驚して絶句する。
 そのままフリーズしていると、目を細めて笑った彼が私を真っ直ぐと見つめたまま言った。
「ふふっ……あまり我を翻弄してくれるな。我とて男の身……あまりに愛らしさが過ぎれば抑えが利かなくなるやもしれぬ故、程々にしてくれると助かる」
「ッッッ……!?? が、頑張って善処させて頂きます……ッ!」
「慣れぬところに無理を言ってすまんな。我も男故、あまりに愛らしいとお前の意思を無視して組み敷いてしまいそうでな……。其れはあまりに無粋と言うもの。出来れば、お前の事は大事にしたいのだ。今や我の妻なれど、元は人の子故、我等と作りが異なる……よって、下手に傷付けるような真似はしたくないのだ。分かってくれるな……?」
「は、はいっ……! 此方こそ、そんな大層大事に想われて、大変恐縮の身です!! 有難うございます、暁神様……っ!! ――むぐっ、」
 またもや不意を突かれる形で口許を彼の人差し指で封じられ、心臓を跳ねさせて目を見開く。すると、彼は少し複雑そうに顔をひそめられ、何処か子供が不貞腐れたかのように言葉を口にした。
「その、“暁神様”という呼び方……我が妻という身ながら、夫を呼ぶに少々堅苦し過ぎやしないか? 人であった時の生真面目さが抜け切らぬ事は一向に構わぬが、今やお前は我の妻、そして我はお前の夫なのだぞ? もう少し夫婦と言うに相応しき呼び方で呼んでくれまいか……? 今の呼び名のままでは、些か他人行儀のようではないか……。其れは、少し、寂しくなるぞ…………っ」
「み゜ッッッ」
「どうしても今暫くは畏まる態度を変えられぬと言う事なれば……そうだな……せめて、“暁様”と呼んでくれないか? 其方の方が、まだ少し距離が縮まった風に思える……っ。どうだ……?」
 なんて格好良く美しい顔で可愛らしい事を仰るんですかァッッッ!!
 此れが漫画とか画面の中での出来事なら、躊躇わずにそう声を大にして叫んでいた事だろう。え、ギャップってヤツなんですか、コレ?? 飛んでもなくイケメンで美しい男神様が、何か唐突に愛らしい事を言い出したのですが……えっ、何コレどういう事??
 思わず予想だにしない展開に脳内宇宙猫からフリーズ起こして呆然と固まっていたら、不安に思ったらしい彼が私の顔色を窺うように覗き込んできた。
「椿……? 急に黙り込んでどうしたのだ……? もしや、今のも性急過ぎただろうか……。すまぬ、我は人の世の営みについては疎い故……やはり、今一度学び直してから再び迫った方が良いだろうか?」
 体格の良い長身の方がわざわざ私の身長に合わせて背を屈めてくださるだけでもトキメキを禁じ得ないのに、更にはそんな爆弾落とさんでください、さっきからギャップジェネレーションからの萌が半端無くて心臓がドッッッしまくりですんで。
 ……なぁんて軽口叩ける筈も無いので、にやけから緩みかける口許を押さえながら控えめな口調で告げた。
「不安にさせてしまったのならすみません……っ。その、ちょっと脳内の処理が追い付かず、少々状況を理解するのに時間が掛かってしまいました……。えっと、今の間は、別に貴方様を嫌いになったとかそういう事では一切無い為、ご安心ください……っ。あの、貴方様がそうお望みになられるのでしたら……これからは、暁様と、お呼び致しますね? 私の事は、これからも変わらず椿、と呼んでくださいませ。私は貴方様だけの椿にございます……ですから、そうご謙遜なさらずとも結構ですよ? 貴方様は偉大なる神様なのですから……どうか、貴方様は貴方様のままで居てくださいまし、暁様」
「ッッッ……!! 我が花嫁が尊いッ……!!」
「ひえっっっ!? 今、何と!??」
「我が花嫁がいと申したのだ!! 嗚呼……っ、我が妻椿よ……! 我の伴侶となってくれた事、ほんに嬉しく思うぞ……っ!!」
「ひゃああああっっっ!?? あああ暁様っ、あのっ、いきなりの抱擁は心臓に悪過ぎます故、一言断ってからにしてくださいましィ〜ッッッ!?」
「すまん!! 嬉しさのあまり配慮に欠けた!! だが、今ばかりは許せ!!」
「ひえええぇっっっ…………!! めっちゃあったかいし何か良い匂いするしで兎に角やばい……ッ!! 控えめに言って心臓飛び出そう……!! ひいぃ〜っっっ!!」
 いきなりの盛大なるハグに完全脳味噌は考える事を放棄したようだった。お陰で、抑えていた心の叫びがまろび出てしまっていた。
 物理的に急激に縮められた距離により、思わず軽く魂が昇天しかけるところだったが、きちんと想いを言葉にする事で神も人も通じ合えるのだという事が如実に分かった出来事であった。これからは、この事を教訓に、お互い少しずつ歩み寄って行ければ幸いに思う。
 一先ず、あまりにイケメンオーラを急激に摂取し過ぎてそろそろ心臓が限界を訴えている為、一旦離れてもらおう。でなければ、冗談抜きで私が恥ずかしさで死んでしまう。
 其れを伝えるべく、私は控えめに彼の大きく広い背へ回した手を叩いた。
「あっ……あのっ、暁様……! そろそろ離れては頂けませんでしょうか……っ!?」
「……もう少しだけ、このままで居ても良いだろうか……? お前の抱き心地が思った以上に良かった為に、少々離れ難いのだ……っ」
「かっ……!! (可愛いかよ、コンチクショウッッッ!!)」
「“か”……? “か”……何だ、椿よ?」
「な、何でもございません、今のは気にしないでくださいませ……っ。その、抱き心地が良いとの事は大変嬉しく思いますが……ずっとこのままで居るのはちょっと申し訳ないというか……控えめに言って私がそろそろ限界で死にそうなので離して頂けますと助かりますッ……!」
「何、其れはイカンな……! 突然力一杯抱き締めてすまなかった!! 勢いの余り力加減が出来ていなかっただろうか? 人の子は繊細だからな……っ、何処か痛めたりはしていないか?」
「そっ、その点については大丈夫ですので、ご心配は無用です……っ! お心遣い痛み入ります。えと……そのぉ、限界と申しましたのは、私の羞恥度が既に限界を振り切っておりました故、分かりやすく“死にそう”だと表現しただけであって、本当の本当に死にそうという訳ではございませんので、誤解無きよう……っ」
「そうか……っ! ならば、良かった……ッ」
 そう言って大層安堵したようにホッと溜め息をかれた時、其れまで前髪の下に隠れて見えなかった右目が露わになって、太陽のように美しく輝く瞳の色が此方を覗いた。
 そのあまりの美しさに、私は息を飲んで見惚れてしまった。再び無言で静止してしまった私を不審に思ったのか、暁様がまた先程のように至近距離の近さに顔を覗き込んでくる。
「椿……? またぞろ固まってしまっておるようだが……どうした? 知らぬ間に何か粗相をしてしまっていたか?」
「あっ……いえ……その、違くてっ……! あの、今、初めて暁様の右目が見えて……其れで、あまりの美しさに見惚れてしまっておりました…………っ。すっ、すみません! いきなり変な事を言って……!」
「……そうか、我のこの眼を美しいと言ってくれるか……そうか……。礼を言おう、椿よ。我は、お前の瞳も我とはまた違った意味で美しいと思うぞ? 黒曜石のようにきらきらと光り輝く様は、何時いつ見ても美しい」
「へ、あ、有難う…ございます……??」
「我が愛しき妻よ……どうか、お前はお前らしいままで居ておくれ」
 陽のように温かで美しさを湛えた瞳を細めてそう愛しげに呟かれた暁様は、そのまま私の唇へと一つの口付けを落とされるのであった。


後書き
※スキイチpixiv6月企画であった『神々の伴侶』への投稿作品となります。
※尚、補足として、物語始まりの冒頭文は、企画概要欄にて明記されていたあらすじ文(?)を引用しております。
※原文は此方より。
初出日:2022.06.24/加筆修正日:2024.05.08