こころねのよりどころ


 眠りながら泣いている主を見た。
 偶々、朝早くに目が覚めて、ついでに、厨当番であった燭台切の光忠の方から朝飯が出来たとの呼びかけがあったのもあって、起こしに行ってやろうと思い部屋を訪ねた。そうして、執務室の奥、審神者のプライベートの領域となる寝室の戸を開けた先で、見てしまったのだ。眠りながら悲しそうに涙する主の姿を……。
 度々話には聞いていたが、実際に泣きながら眠っているところを目撃してしまうと、何とも言えない複雑な感情が胸を占めた。
 取り敢えず、俺は何も無かったかのように平然を装って、朝餉が出来た事を知らせるついでに起こした。
「おはよう、主。朝餉が出来たそうだ。起きろ。早く起きねば、大包平の奴に全部食われてしまうかもしれんぞ」
「ん゛ぅ゛ー……っ、起きる……から、先…行って食べてて……」
「分かった。では、言われた通り、俺は先に大広間へと行って食べながら待っているぞ。主も、飯が冷めぬ内になるべく早めに来いよ」
「ん゛ー……っ」
 朝の弱い主はまだ眠たげなようで唸り声を上げていたが、此方の呼びかけに対する反応から見るに、じきに起きてくるだろう。俺は、今見た事は誰にも言わず胸に仕舞っておく事にした。無闇矢鱈むやみやたらに話す事でも無いだろう。こういう事は、そっとしておいた方が良い。
 ただ、まぁ、俺も大概お節介焼きだ。気まぐれを起こしたという体で、少しテコ入れをしといてやろう。今代の我が主は、誰かとそっくりで、本音を語るのは苦手らしいからな。抱え込み過ぎないよう、時にはガス抜きを手伝ってやろうか。
 そんな思いが切っ掛けで、俺はその日の昼過ぎである八ツ時の休憩時に、再び主の部屋を訪ねた。
「主、少しだけ良いか……?」
「うん? 今は丁度休憩中だから構わないけども……何かな?」
「単刀直入に言おう。主、君は今、誰にも言えずに居る何かしらを溜め込んではいないか?」
「えっ……何、どしたの急に…? 何でんな事訊いてくんの?」
「今朝方、朝飯が出来た事を知らせるついでに起こしに行っただろう。その時についての事なんだが……まぁ、その先は敢えて触れずとも自分で分かっているだろうが……。前の俺ならば、黙って見て見ぬ振りを続けたところだが、今は違う。極めて帰ってきた俺の事を誰よりも知っている主ならば、俺が言いたい言葉を察してくれるだろ…?」
 傾けていた湯呑みを置いた主が、一瞬にしてそれまで作っていた表情を削ぎ落とした顔で以て訊ねてくる。
「其れは、逆に、俺がどういう質の人間かを分かった上で言ってんだよなぁ?」
「勿論だ」
「下手な世話焼き程嫌っている事は、俺の取る態度で知ってる筈だよな?」
「嗚呼。だから、敢えて踏み込んだ話をしているんだ。今のまま行けば、君は確実にまた・・限界を迎える。そうなった暁に下手な自棄を起こされては、堪ったもんじゃないからなぁ。そろそろテコ入れではないが、ガス抜きの手伝いでもしてやろうかと思ったまでさ」
「ぶっちゃけ余計なお世話だと言いたいところだが……相手がお前だ、何か伝えたい事があってわざわざ俺以外は誰も居ないタイミングを見計らって来たんだろ?」
 不貞腐れたような空気を漂わせてはいるが、此方の意図を察してくれたのだろう、比較的素直に話を聞く姿勢に入った主が茶卓に頬杖を付いた。声音も落ち着きを取り戻したものに戻っている。俺は自分で淹れた茶を一啜りして一拍置いたところで、本題へと切り出した。
「なぁ、主……俺もなかなかに大概な奴でな。簡単な事で君を失いたくはないと思うくらいには、君の事を気に入っているんだ。大包平を喚んでくれた事にも大層感謝しているしな。故に、俺は…君の平穏くらいは守ってやりたいと思っている」
「其れって……たぶんだけど、“ただ守る”ってだけの言葉通りの意味じゃあ無いんだろ……?」
「流石は主、察しが良いな」
 湯呑みを置いてにこりと意味深に微笑めば、主は頬を引き攣らせて引き気味の態度を示した。しかし、俺は態度を変えぬまま主にこう言った。
「主、俺が君を一時的な感情で隠したいと言ったら……どうする?」
「えっと……言葉通りの意味なら……お前が俺を神隠しするって事になるけども……意味、合ってるか?」
「合っているぞ。そうだ、俺は君を守る為に、俺の神域へ連れ去りたいと考えている。嗚呼、心配はせずとも、ちょっと置いたらすぐに返すつもりだ。悪まで君の心と精神の平穏を保つ為の措置として連れていくだけだからな。君が大丈夫そうなら、ちゃんと元の場所へ戻すさ」
「えぇー……っ。一応信頼はしてるから、下手な事はしないだろうなとは思ってるけども……何か、急な突拍子も無い話と展開に、ちょっと脳内追っ付かんぞ……っ」
「はははっ……そう急な話でもないさ。はっきり直接口に出したのは俺かもしれんが、君の刀ならば、俺以外にも同じ事を考えたり思ったりした奴はザラに居るだろうよ。何せ、皆等しく君の事を慕っているのだから……遅かれ早かれ、誰かしらが言い出しただろうな」
 そう言うと、主は複雑そうな表情を浮かべて口籠った。現世での彼女の事は知らんが、此処に居る時の彼女は案外感情に素直な方である。機嫌が良ければにこにこと笑っているし、機嫌が悪ければイライラとしたオーラを放って憮然とした顔付きで以て据わった目付きだ。まぁ、かと言って、心の中までは覗き見る事は叶わない故に、こうして口火を切ったのだが……。さて、彼女はどう反応を返してくるだろうか。立場上の話を持ち出し、事務的に断ってくるか。はたまた、俺に恐れをなして逃げ出すか。何方にせよ、あまり良い反応が返ってくるとは思っていなかった。しかし、主は次にこう言った。
「大侵寇ん時の前日譚的な話の時に、清光もチラッと言ってたけどさァ……ぶっちゃけ、神隠しってそんな容易に出来るもんなの?」
「まぁ、ただの器物で居た時は不可能だったかもしれんが、今の俺達ならば可能かもしれんというレベルの話だな」
「マジか。でも、そうじゃなきゃ、巷で神隠しがどうのと騒がれたりはせんわなぁ……。刀の付喪に過ぎんとは言えど、末席とは言え神の位を戴く存在だ。そりゃあ出来なくもない、か……。何か、一気に現実味が湧いちゃった感じやね〜……っ」
「という事は……少なくとも、主自身も心得くらいはあったという事か?」
「そりゃあ、こんな職業に就いてりゃ当然っちゃー当然だわな。おまけに、俺もこんなんだから、ちょっとくらいそういう事に期待したりしなかった事も無い、し……」
 まさかの返答であった。確かに、主の精神的脆弱性を突いて言い出した事ではあったが、まさかそこまで今の話に肯定的な反応を見れるとは思っていなかった。故に、俺は驚きを露わに口を開いた。
「驚いたな……まさかそこまで肯定的だったとは……。俺はてっきり、否定的な反応を返されるか、恐れをなして逃げられるかと思っていたんだが?」
「いや……そりゃまぁ、いきなり何も言われず隠されたりなんかされたら、ビビって怖がる反応返したかもしんないけども……理由が分かってるorちゃんと話を通されてたんなら、そうじゃないさ。あと、相手が信頼を置く俺の刀じゃなくて、全くの見知らぬ他所の刀相手だったら違う反応だったわな」
「自身の本丸の刀であるなら、神隠しされる事も厭わんという事か……。君は随分俺達に入れ込んでいるな? 審神者という立場としては、あまり許されたものではないと思われるが」
「本来ならな。けど、大侵寇の時に清光がサラッと話題に出したくらいだ。審神者を守るという手段でなら、隠すって禁忌的手段すらも厭わんというこったろう。少なくとも、俺は先の件をそう解釈して受け取ってるぞ」
「そうか。では、此度の話は是と頷くか……」
「まぁ、俺も大概馴れ合わなさキングだし、何かと一人になりたがる節があるからな。家でもそうだけど、なかなか放っといてくれないから……ちょっと煩わしく思う時もある。其れだけで本丸の皆を嫌うという事にはならないけれどね」
「そういえば、主は、あの一匹竜王と似た質をしていたんだったか。成程、ならば心の平穏を保つ為に俺達に隠される事を望んでも不思議は無いな……」
 俺は安堵の溜め息をいて、再び自分の茶に口を付ける。主の方も同様に湯呑みに口を付け、喉を潤したところで口を開いた。
「ところでさァ……さっきも言ったけど、神隠しって、んな容易に出来るもんなの? 普通、真名とか握ってないと出来ないもんじゃねーの?」
「まぁ、本格的に神域へ連れ去る場合ならば、真名を知る必要があるだろうな。だが、簡易的に行う分なら、仮の名くらいでも出来ない事も無いだろう」
「仮の名とな」
「そうだ。神隠しには、やはり名前というのが最も有効的な力になる。故に、名前は大事にしろと言われるんだ。名前というのは、その者の個……体を表すものだからな。その名を奪われた時、其奴は個を失い、やがて他との境界線が曖昧になり霧散するように消えて居なくなる。だから、主みたいな人間は特に気を付けろ。人為らざる者に安易に心を許し、名を委ねるなよ」
「え……何、此れって、最終的そういう話だったの?」
「いや? 一応は釘を刺しておいた方が無難かと思って、忠告したまでさ。君は俺達みたいな存在に好かれやすい質のようだからな」
「あー……まぁ、親が親だからかね。ウチのオカン、霊感強い質だったから……視えちゃ不味いもんが視えてたらしいし。あと、守護霊がお坊さんなんだとか。家系も、辿ってくと神職と寺系の血筋両方入ってるらしいし」
「成程な。だから、俺達との相性が良い訳か」
「話戻すけど……実際、神隠しするにしても、どうするの?」
 まるで世間話でもするかのような軽さで訊いてくる主には畏れ入るばかりだ。内心、俺は含み笑みながら答える。
「簡易的に行うだけなら、真の名を預かる必要も無い。……が、やはり名前を知る知らないだけで成功率は違ってくる。故に、俺は今から主へ仮の名を訊ねたい。預かった仮の名は、勿論この事以外に利用する気は無いし悪用する気も無い。加えて、他人に言い触らす真似はしないと誓おう。此処まで言えば、信用してもらえるだろう……?」
「いや、元から信用はしてるからこの話続けてるんだが……。仮の名は勿論の事だろうけども、神隠しって具体的にどうやってやるの?」
「主より預かった名前に、俺の霊力と言霊を上乗せして、俺の領域へ引っ張り込むんだ。やるなら、眠っている時が一番すんなり行きそうだな。眠っている時なら、主の方から余計な抵抗を受けたりもしなくてやり易そうだ」
「そんなもんなのな」
 あっさり受け入れたらしい主は、平然とした顔であっけらかんと言い放つ。次いで、霊符作成用の練習紙を引っ張り出しかと思えば、其処へさらさらと何か文字を書き始めた。少ない文字数の其れはすぐに書き終えたのか、筆を置くなり俺の方へと差し出してくる。俺は其れを受け取り、控えめな声で訊ねた。
「此れは……?」
「俺が普段から多用してる仮の名だ。本名とも審神者名とも異なるもんだ。現世の実家で自分の物に名前書く時とかあったら、大抵この名前使ってる。端的に言って、ペンネームとかハンドルネームみたいな感じかな。仕事とか真面目な事以外で自分の名前使うの、何か好きじゃなくて……其れで、その名前使ってんの。お気に入りのヤツだから、たぶん隠す時の効果としちゃあ十分なんじゃない?」
「確かに、思い入れが強ければ強い分、効力は増すし、成功率も上がるだろうな。……だが、本当に良かったのか? 仮の名とは言え、そんな大事な名前を俺が預かっても……」
「本名じゃねーから良いよ。流石に、真名は預けらんないけどな。幾ら信頼を置く相手とは言え、其処までは気ィ許せてねぇから。悪いけど、真名を預ける相手くらいは選ばせてくれな」
「嗚呼、其れで構わないさ。寧ろ、其れくらいの節度はきちんと弁える意識はあったんだなと安堵したぐらいだ」
「すんませんねぇ、自分の刀にはゆるっゆるの甘々で」
「いや、大丈夫さ。君は、無意識でしっかりそういう事への意識・対策はしているようだからな。心配には及ばないだろう」
「なら良かった」
 主自らの直筆で書かれた文字を見つめながら思う。
「■、か……。一字なのが君らしいな」
「俺って分かる名前なら何だって良いんだろ?」
「嗚呼、問題無い。では、しかと受け取ったぞ、主」
 そう言って、俺は受け取ったその紙を小さく折り畳んで丸め、口の中へと放り込んだ。途端、ギョッとした主が慌てふためいて身を乗り出し、俺の肩を掴んでくる。
「おまっ……何やってんの!? そんなもん食べちゃ駄目でしょ!! 早く吐き出しなさい!! ほら、ペッしなさいって!!」
 そう言ってくる事だろうと予見していた俺は、口に入れた瞬間すぐにゴクリと飲み込んだ。よって、今更吐き出す事は不可能だ。
「すまんな。もう飲み込んでしまった」
「え゛え゛〜……っ。あとで腹下したりとかはやめてくれよ……? 手入れで治るなら何とかするけども……。何でわざわざ飲み込んだりなんかしたのよ?」
「この方が手っ取り早いと思ったまでさ。他の者に知れる心配も無くなる。まさに一石二鳥だろう?」
「小さく丸めていたって紙は紙なんだから、そんなん飲み込んで喉詰まらしても知らんぞ?」
「何、茶を飲めば解決する事だ」
「適当かよ……」
 呆れ返った反応を見せた主は、そのまま腰を据え直し、お茶休憩に戻る事にしたらしい。俺も共に茶を飲みながら、用意された茶菓子に舌鼓を打った。
 今日の御八ツは、小豆が作った抹茶と餡子のロールケーキという物だった。新茶によく合う味で非常に美味だった事もあり、大満足の御八ツであった。あとで礼を言っておかねばならないな……。また今度、小豆を茶の美味い店に連れてってやろう。同じ備前派の者は可愛くて仕方がないからな。そうだ、その時は謙信や山鳥毛といった上杉の者も一緒に誘ってやろう。場は賑やかな方が愉しいからな。人目の多い場を苦手とする主だが、誘えば付いてきてくれるだろうか……。俺は、主ともゆっくりのんびりと気兼ね無くお茶をしたいのだと、仕事を終えた後にでも伝えるとしよう。
 一先ず、今は主と共に茶を飲み、菓子を摘まみながらのんびりと過ごすのだった。

執筆日:2022.04.30
再掲載日:2023.04.12