鶯の神匿カミカク


 その日の夕餉前、夕暮れ時の事であった。
「おい、夕餉が出来たから呼びに来いと言われて来たんだが……って、何で主は部屋に居なくてお前が平然と居座ってるんだ鶯丸」
 今朝方の彼と同じようにしてやって来たらしい大包平は、彼女の部屋を訪ねた。そして、当の本人が居ない代わりに、呑気にお茶を啜る鶯丸が居た。その事に呆れた大包平は、憮然とした態度で問う。其れに対し、彼はのほほんとした態度で答えた。
「主が此処に居て良いと言ったんだ。だから、こうしてのんびりと茶を楽しんでいた」
「全く…お前という奴は、修行から帰ってきてもそういうところは変わらないな……っ。主が何処に行ったかは知っているか?」
「主ならば、疲れたから一休みすると言って奥に籠って行ったぞ」
「寝たのか? こんな中途半端な時間に?」
「此処のところの主は多忙を極めている。よって、疲れが溜まっていたとても、何ら可笑しくは無いだろう? もう少ししたら俺が声をかけておく。今は休ませておいてやれ」
 彼の返答に一瞬怪訝な表情を返したものの、一応は納得したらしい大包平は不服そうにしながらも頷き、奥の間へ向けていた視線を戻した。その間も始めと変わらずずっと瞑目したままお茶を啜っていた鶯丸へ、大包平の目が留まる。
「そういえば、お前……何故目なんか瞑っているんだ?」
「俺が目を瞑っていては可笑しいか?」
「いや、別に可笑しくはないが……何故、俺が此処へ来てからもずっと瞑ったままなのかと気になってな」
「ふふっ……変なところを気にする奴だな、お前は」
 その瞬間、不意に違和感というような不自然な感覚を感じたのだろう。途端に眉間へ皺を寄せた大包平は、険しい表情を作って警戒を露わにした。
「おい、お前何か隠しているな……? 答えろ!」
「ふっ……流石は大包平、勘が鋭い奴だ。……だが、今はその察しの良さは控えるべきところだったな」
「何だと……っ? 一体どういう事だ、鶯丸!」
 態度を豹変させた大包平に合わせるようにピクリと反応を示してみせた彼は、片目を開いて見つめた。二人の間を漂う空気は、一気に剣呑なものへと変わっていく。
「悪いが、今はお前に付き合っている余裕は無いんだ。すまんが、とっとと部屋から出て行ってくれ」
「理由も分からずのまま、この場を去る訳が無いだろう!」
「チッ……此れだからお前は馬鹿だと言うんだ……!」
「馬鹿と言う奴の方が馬鹿なんだ! そんな事よりも、質問に答えろ! お前は何を隠している!?」
五月蝿うるさい、あまり大声で喚き立てるな。集中を欠く……っ」
「何を今更っ……いや、待て。さっきの主の所在を問うた時のお前の態度も気になった。今も変わらず可笑しな態度のままだが、さっきの質問へのお前の回答に、俺は不可解な点を覚えた。よって、主が奥の部屋で寝ているという事も嘘だという可能性があるな。お前を問い質すより、先に主の所在を確めさせてもらうぞ」
「あっ……! こら待て、大包平! 早まるんじゃない!」
「ふんっ! だったら、その不自然な態度を取る訳をさっさと話しておくんだったな!」
「この馬鹿が……っ!」
 思わず舌打ちをした鶯丸が腰を上げるより早く奥の間の襖へ手を掛けた大包平が、勢い良く両開きの襖を左右に開け放ち、中の様子を窺い見る。そして、探していた当人は居らず、敷かれたままの布団が中央にあるだけでガラン……ッとしている事を知った。まるで、もぬけの殻のようである。寸の間唖然とした大包平であったが、すぐに我へ返ると、咄嗟に背後に居る鶯丸へ掴み掛かる勢いで詰め寄り、問い質した。
「貴様ッ……主を何処へやった!?」
「女人の寝室を勝手に覗き見るとは頂けないな、見損なったぞ大包平……っ!」
「良いから答えろッ!!」
「あ゛ーもうっ、最悪だ……! あのまま黙って去って行ってくれていたらば楽だったんだが……っ、こうなったらば仕方がない。些か面倒だが、此れ以上無駄に騒がれるよりはよっぽどマシだ。すまんが、お前も付き合ってもらうぞ……!」
「はぁっ? おま、何をッ……!?」
 自分の胸倉を掴んでいた大包平の腕を無理矢理掴み取り、謎の言葉を宣言した鶯丸。意味の分からない展開に狼狽えた大包平は、そのまま目の前の空間が歪むような感覚を覚えた直後、意識を暗転させた。
 そうして、意識を取り戻した大包平が次に目を開いた時には、目の前に鶯丸の姿は無かった。おまけに、先程まで己が居た場所とも異なる場所に立っている事に気付く。ハッとして、大包平は辺りを見回し、渦中の二人は何処だと声を発した。
 見たところ、主の部屋にそっくりなような場所だが、何処か違う。
 同派であり兄弟のような者と言い合いをしていて、どうして自分はいきなりこんな場所に来ているのか。てんで分からぬ大包平は吼えるように怒った。
「おい、出て来い鶯丸!! そして状況を説明しろォッッッ!!」
「そう怒鳴り散らさずとも聞こえてるぞ、馬鹿。俺はコッチだ」
 不意に、戸を隔てた向こう側からの者の声がした。直ぐ様反応を示した大包平は、左手にあった出入口と見られる障子戸を勢い良く引いた。すると、部屋を出てすぐの縁側らしき場所に腰掛け、背を向けている鶯丸の姿があった。彼の姿を見付けるなり、大股の早足でズカズカと歩み寄ってきた大包平は、再び大声を発して怒鳴り散らし始めた。
「探したぞ、貴様ァ……ッ!! 此れは一体どういう事か説明しろ!!」
「だから五月蝿いと言っているだろう……っ、耳元でデカイ声で喚くんじゃない。せっかく安らかに眠っている主が起きてしまうだろうが」
「はっ? 主が眠っているだと……? 其れは、さっきまでを誤魔化す為の嘘の方便だったんじゃ……」
「俺の膝元をよく見ろ馬鹿。全く……何の為の人払いか分かったもんじゃないな」
 彼に言われるまま視線を落とすと、確かに彼の膝を枕に横たえて眠る主の姿があった。怒りと混乱のあまりに視野が狭くなっていたのだろう、言われるまで気付かなかった大包平は小さく驚き、咄嗟に己の口許を覆った。鶯丸はその様子に溜め息をきながら、「まぁ、座れ」と促し、今に至るまでの事情を説明し始めた。
「主からの希望で誰にも言わぬ形での事だった故に、何も説明せず巻き込んだ事は悪かった。しかし、あれ程騒がずとも良かろうに……。お陰で俺はお前も此方へ引っ張ってくる羽目になったじゃないか。ただでさえ簡易的に創っただけの空間だ、均衡が崩れればすぐに元に戻ってしまう……。だから集中を欠きたくないと言ったのに、お前という奴は……っ」
「いや、だからといって、何も説明されずのまま怪しい態度を返されれば疑うのも無理はないだろう……! つい、この間大侵寇なんてものがあったばかりだ! 余計に警戒するに決まってるだろうが……っ!」
 寝ている彼女を気遣ってか、声を落として小声で食って掛かる大包平は、やはり不服と言わんばかりに訴えてくる。其れを半ば雑に聞き流しながら、彼は答えた。
「此処は何処かという問いに対しての答えだが……此処は、俺の創り出した神域だ。お試しの簡易的なものだから、簡単に崩れるがな」
「はっ……? 神域……って、お前、どういう事だ?」
「端的に言えば、神隠しとやらをやってのけたというだけさ。勿論、主に望まれたからやったという話だが」
「何故、主はそんな事をお前に……」
「俺が主に言ったんだ、“このまま行けば、またいつか君は限界が来てしまう”と……」
「気付いていたのか、お前も……」
「主は、誰かさんに似て、本音を語るのを苦手としているようだからなぁ……。そのせいで、口に出来ぬままの感情を内に溜め込む事が多い。其れが過ぎれば、人は簡単に心を病み、壊れる……。俺は、そうはなって欲しくなかったから、敢えて“神隠し”という手段を用いて主の平穏を守ってやろうとした。此処は、その為に用意した場所だ。また下手な自棄・・・・・を起こされては堪ったもんじゃないからなぁ?」
「其れで、俺が部屋へ訪ねてからもずっと目を瞑っていたのか……」
「俺も初めてやった事だ、上手く行く自信は無かったんでな……出来る事なら、主一人だけを連れ込むだけに留めたかった。……が、お前があまりに騒ぐから、面倒だと思って、ショートカット技とやらを使わせてもらった。お前の事ならば、敢えて訊く必要なんて無いからな。お陰であっさりと引っ張って来れたぞ」
「面倒だからと説明を省いて実力行使をするな! 相手が俺だったから良かったものの、他の奴だったならば斬り掛かっていたぞ……! というか、そもそも神隠しをするには相手の名を握らねば出来ぬ事だったのではないか!? お前は、この為に主から真名を聞き出したのか!?」
「残念ながら、ハズレだ。俺が預かったのは、悪まで仮の名に過ぎん」
 そう言って、彼は懐より小さく丸めた紙を取り出した。そして、其れをそのまま大包平へと寄越した。突然、拳を突き出されるように何かを寄越された大包平は、身を引いて困惑を露わにする。
「な、何だ、いきなり……っ」
「此れが、主から預かった仮の名だ。巻き込んだついでに、お前に預けておく。お前ならば、悪用したりなどの心配も要らんからな」
「ほぉ……? やけに厚い信頼だなぁ?」
「ふっ……俺とお前との仲だからな、当然だろう」
「当然、か……嬉しい事を言ってくれる」
「中身、見ないのか?」
「当たり前に見るに決まっているだろう? そう急かすな」
 小さく丸められていた短冊形の紙を丁寧に開けば、其処には、或る一字のみが記されているだけだった。大包平はキョトンとし、些か肩透かしを食らったかのように片眉を上げ、口を開く。
「此れが、主が預けたという名前か……?」
「仮の、だがな。短くて実に覚えやすいものだろう?」
「其れは…まぁ、そうだが……何というか、こんな簡単に心を許されるのも複雑というか……端的に言って、此奴に警戒心というものは無いのか?」
「いや、一丁前の警戒心はあるからこその“仮の名”なんだろうよ。そもそもの警戒心すらも無ければ、初めから審神者名などと言ったものは名乗っていないだろう。……其れに、今回の件の話を通すついでに、本人自らに言われてしまったよ。俺は、主の真名を預かるには値しない者だと。流石の其ればかりは相手を選ばせてくれ、だそうだ」
「ふははははっ……! 実に、主らしい言葉だ。此奴の言いそうな事だな。……そうか。ならば、此れは俺が預かっておく事にしよう。お前がうっかり落として他の奴等に見られたりなどせぬようにな」
 一つ景気良く笑った後に、大包平は鶯丸がしたように仮の名を記した紙を小さく折り畳んで丸め、ポイッと菓子でも含むように口の中へ放り込み、飲み込んだ。その一連の様を眺めていた彼はニヤリとした笑みを浮かべて笑い、言う。
「お前も俺と同じようにするとはなぁ」
「この方が確実だろう?」
「まぁ、其れはそうなんだが……所詮は兄弟というヤツか。あとで知った主に怒られるかもしれんな」
「ところで……主は何でお前の膝を枕にして寝ているんだ?」
「此処のところ、多忙で缶詰めになっていた事はお前も知っているだろう……?」
「嗚呼……大侵寇が終わったかと思えば、次は大阪城、その次は秘宝の里と引っ切り無しの休み無しだからな。皆揃って慌ただしい限りだ。特に極修行を終えた後の者達は、主と揃って働き詰めだな。まぁ、交代交代に動いているから、俺達刀等はマシだが……主は身一つであるから故にそうも行かぬだろう」
「そのせいもあって、余計に主は心身共に疲弊し、色々と溜め込んでいたらしい……っ。元々、主は審神者になる前の事で心を病んだままだと言う……。加えて、例の下手な自棄を起こしての自殺未遂だ。放っておける訳が無いだろう……? まぁ、そのせいで構われている事に、主自身は嫌がっているがな」
「成程……今回の件に至るまでの流れは読めた。要は、此奴のガス抜きとやらを促す為だな……?」
「話が早くて助かる。主は、どうしても本当の本心は語ってくれない質だからなぁ……俺達がこうして促してやる他無いんだ。生まれ持った性質というか、根付いてしまった癖や性格なんかは、そう簡単には直せぬものだ。故に、俺くらいは分かってやれたらと思っての事さ……」
「そうだな……お前も、此奴も、本当の事を語るのが苦手な奴だ。本心を語るのに、時間が解決する事もあるだろうが……そうも行かない事柄だってある。焦らずゆっくり待ってやれば良い。ゆっくり待つ事は得意中の得意だろう? お前は」
 自信に満ちた物言いに、今度は鶯丸がキョトンとする番だった。ぱちくり、瞬きを挟んだのち、吹き出すように笑い始めた彼は、眠る彼女に向かって口を開く。
「ふっ、あははははははっ……!! 今の聞いたか、主よ……! くふっ、此れは傑作というヤツだな! っふふ、はははははっ……!! やばい、腹が捩れるッ……くふふふふふっ……!」
「おいっ! 今の俺の言葉にそんな笑う要素あったか!? というか、幾ら何でも笑い過ぎだろう……っ!! 主を起こしてしまったらどうするんだ!?」
「どっちみち、そろそろ起こすつもりだったから構わんさ。流石に、飯を食わずまま……というのは良くないからな。そういう訳だ。おーい、主〜起きろ。飯が出来たそうだ。早く起きねば大包平が全部食ってしまうぞ〜?」
「食わんわっ!! 好き勝手に要らん事まで吹き込まんで良い!!」
 それなりに騒がしくしてしまっていたにも関わらず、主はぐっすり眠っていたようで、鶯丸の呼びかけと肩を揺する振動で初めて目を覚ましたらしい。寝起きてすぐの主は、子供がするように愚図付いた唸り声を上げ、枕にする彼の膝へ擦り寄る。その愛らしい無垢な様子に、彼は何処か嬉しそうに微笑みを浮かべ、未だ眠たげに愚図る彼女の頬を擽る。
「寝起き故に愛らしく素直なのは構わんが……俺の隣には大包平も居るからな。お試しの簡易的とは言え、初めての神隠しで主も負荷を受けただろう? 今回は此処までにして、俺達の本丸に帰ろう。あまり長居しても、皆が心配するからな。主も、皆に対し要らぬ心配をかけるのは嫌だろう……?」
「んーぅ……っ」
「さぁ、お目覚めの時間だ――起きろ、■」
 其れまでぼんやりしていた筈の彼女が、ピクリと反応を示した。同時に、彼は大包平へ告ぐ。
「空間が崩れる。俺にしっかり掴まっていろよ、大包平」
「は……? まっ、」
「すまんが、今回創ったモノは簡易的な創りでしか創っていなかった故に、彼女が目覚めれば此処も崩れる仕組みになっているんだ」
「そういう事は最初に言え――…ッ!!」
「聞かなくても分かるだろうと思って敢えて言わなかったんだ。まぁ、どうにかなるだろう」
 鶯丸の言葉を最後に、再び空間が歪み意識が遠退いていく感覚を感じた大包平は、目を瞑った。
 そうして、またとなく意識が暗転し、再び両目を開いた先で目覚める。
「気分はどうだ? 大包平」
「お前は、どうして一番肝心な話を先に話さないんだ……!」
「話す暇も無かったというのが事実だ。経緯を説明するだけで手一杯だったしな。其れは兎も角、無事戻ってこれたなら良いじゃないか! 結果オーライというヤツだ……!」
「お前のそのいい加減さをどうにかしろと俺は言ってるんだ……っ!!」
「ちょっとぉ、何いがみ合ってんの……? つーか、俺、主に御飯出来たから声かけてねって頼んだよね?今まで何してたのお前……」
「なっ……! 俺はちゃんと伝言を伝えに来たぞ! だが、此奴のせいで結局俺が悪いみたいになってるんだ!! 何とか言ってくれ……ッ!!」
「ハイハイ、兄弟喧嘩は他所でやってね。主寝てたなら先言ってよ、もぉ〜。ハイ、其処邪魔、退いた退いた〜。おーい、あーるじ、晩御飯出来てるよーっ。おーきてぇーっ」
「ん゛ぅ゛ーん……っ」
 またもや言い争っていたらば、一向に戻ってこない大包平にやきもきしたのだろう、大包平へ主を呼んでくるように頼んだ張本人である加州がやって来た。そして、現場を見て、呆れた表情を浮かべて愚痴を零す。次いで、自然とした流れで二人を眠る彼女の枕元から引き離し、起こしに掛かる。
「ん゛〜……っ、今何時……?」
「夜の七時半過ぎたところだよ〜。おはよう、主。仕事終わった後、寝ちゃってたんだね? 言ってくれてたんなら、俺達もちゃんと配慮したのに……」
「んーん……こっちこそ、何も言わんまんまですまなんだやぁ……。ちと、疲れてしもうて……ついコテッと行ってしもたんじゃにゃあ〜……」
「ん、良いよ。主、此処んとこ働き詰めで忙しかった分、疲れてただろうし。偶には、のんびり休んだり気を抜かなきゃね」
「そうだぞ、主。初期刀殿の言う通りだ」
「お前もだからな、鶯丸。主寝てるの知ってたんなら、ちゃんと伝えろよ馬鹿」
「其れについてはすまん。あまりにもぐっすり寝入っていたようだったんでな。起こすのは忍びないと思ったまでだ」
「ふんっ……ざまぁみろ!」
「馬鹿第一号はお前なの忘れんなよな、この馬鹿ネヒラ」
「ブフッ!! 馬鹿ネヒラかっ……! 良い響きじゃないか……!! これから大包平の事を呼ぶ時は、是非とも“馬鹿ネヒラ”と呼ばせてもらおう……っ!」
「貴様、喧嘩売ってるのか鶯丸ゥッッッ!?」
「う゛〜ん……寝起きの側から喧しいのぉ……っ」
「おいコラ、主が五月蝿いっつってんでしょ? 騒ぐんなら出てけ。晩飯抜きにするよ」
「ほら、初期刀殿がお怒りだ。俺達はさっさと退散するぞ、大包平」
「お前のせいだ! お前の……っ!」
 加州の凄みに、古備前派のお爺ちゃん刀二人は大人しく部屋を後にしていく。其れを見送ったのちに、加州は起き抜けの彼女へ改めて声をかけた。
「御免ね〜騒がしくしちゃって……。あとで彼奴等にはお灸据えとくから」
「んーん……別にそんな気にしてないからえいよぉ〜……」
「んー、でも、俺が気に入らないから…拳骨一発ずつは食らわせとかないと気が済まないかなっ」
「そっかぁ〜……程々にね…」
「うん、分かってる! そんな事よりも……っ、主、また寝ながら泣いちゃってたの? 目尻、微妙に赤くなっちゃってるし、目蓋も少し腫れぼったくなってる……」
「ん……大丈夫だよぉ。嫌な夢とか怖い夢見た訳じゃあ無いから……心配してくれてアリガトね」
「キツくなった時は、ちゃんとキツイって言いなよ……? 主、放っとくとすーぐ無理するんだから……っ。今日は御飯食べて一時腹休めしたら寝な? 疲れ取れてないみたいだしさ。今日は早めに休もう。眠れなさそうなら、俺達が付いててあげるからさ。安心して」
 左目の眦に残っていたらしき涙を拭って、腫れぼったくなった目蓋を労るように優しく親指の腹で撫ぜてくる。其れを大人しく受け入れる彼女は、目蓋を撫ぜる加州の手を握って頬を擦り寄せた。
「大丈夫……俺はまだ平気だから、そんな心配げな顔しなぁいで」
「御免……でも、俺、やっぱり主の事心配だから…重かったりしんどくさせてたら本当御免ね?」
「良いの……っ。清光達が居てくれるから、俺はまだまともで居られるんだから……。不安にさせて御免ね。俺はずっと皆の事が好きよ。だから、笑って清光? 俺、清光の笑ってる可愛い顔見るのが好きだから……どうかお願い、お前はいつまでも笑ってて」
「うん……っ、主がそう言うんなら……俺、笑ってるね。主が笑顔になれるなら、飛びっきり可愛い笑顔見せたげるんだから……!」
「うんうん、俺の初期刀は世界一可愛いよっ」
「へへっ……主だぁーい好き!」
「んふふっ、嬉しい! 俺も清光の事大好きよ〜……っ! 一緒に御飯食べに行こっか」
 愛しくて堪らない初期刀と仲良く手を繋いで、古備前のお爺ちゃん二人を追い駆けるように遅れて二人も大広間へと向かい始める。
 つい先程まで本丸とは異なる場所へ居た事など、微塵も感じさせない雰囲気であった。

執筆日:2022.04.30
再掲載日:2023.04.12