智己との出逢い01
此所は、現代日本のとある田舎に住む少女のお話である。
まだまだ学生な少女…露罹未有は、気分良さげな様子で学校からの帰宅途中だった。
余程良い事でもあったのか、鼻歌混じりで楽しそうに歩いていた。
もう少しで自宅へ着くと思っていたそんな矢先、飛んでもないものを目にした。
(え…?ええぇー……っ、マジで?これ、本当にマジでか…?)
目にしたものに対して、心の内で盛大にぼやく。
ここ近年では稀に見るであろう光景に目を疑った。
(うわぁ…ワンちゃんが居るよ……。しかも、リード無し。…誰だよ、あの犬飼ってる奴…?迷惑極まりないっていうか、近隣住民にとって危ないっていうか。つーか、下手したら今現在進行形ですぐ側に居る私(不可抗力)が危ないって…。飼い主近くに居ないのかな…?居るなら即行出て来いって。)
眉間に皺を寄せつつ、あまり関わりたくないが家には早く帰りたいとばかりに、モロな様子で盛大に避けて通ろうと端へ寄っていく。
ちらちらと視線だけを動かし、道の真ん中で佇む犬を観察した。
(まさかじゃないけど、周り誰も居ない感じ…?嘘だろ……野良、とかではないよね。うん、流石にそりゃ無いっしょ。今時、野良犬なんて居ないって…。単に、放し飼いかリード無しでの散歩中か何かでしょ。………もし、本当に脱走中の犬とか野良犬とかだったらどうしよう…。そういう場合、見付けたら保健所とかに連絡すれば良いんだっけ?………あれ、どうすれば良いんだっけ…っ?)
思考の中で段々と不安になってきた未有。
どうか、あの犬が此方に気付きませんように…!
そう祈りながら、まさに今、犬の真横を通り過ぎて行こうとしていた時であった。
突如、ピクリ、犬の耳が此方に向いたのだ。
その反応に、思わずギクッ!と緊張を走らせた未有は動きを止める。
ゆっくりと此方の方へ首を動かした犬。
先に存在を認めて様子を窺っていた所為で、目が合ってしまった。
歩みを止めて固まってしまった未有は、なるべく相手を刺激しないようにと完全に動きを止めた。
此方を見つめたままの犬も、何故か動きを止めている。
緊張を走らせる彼女の頬に冷や汗が伝った。
両者何も発さず、見つめ合う事数十秒。
先に動いたのは、犬の方であった。
パタリと一振りされた、シュルリと伸びた尾。
瞬きした双眸は、優しげな瞳をしていた。
そして、よくよく見れば落ち着きのある雰囲気と威厳に満ちた顔付き。
事故か何かで失ったのだろうか、左前足には義足が付けられていた。
偶然にも巡り逢った犬は、逞しくも凛々しいシベリアンハスキーだったのだ。
本来、犬より猫派な彼女だったが、元々動物全般が好きだった未有は、動物好きな気持ちと好奇心が勝り、敵意が無く襲ってくる気配の無い事を確認すると肩に入っていた力を抜いた。
改めて周りを確認してから、小さく声を出しながら恐る恐る近付いていく。
『大丈夫、怖くない怖くない…私怪しくないよー…っ。』
目の前のハスキー犬は、全く吠える事無く黙ってじっと此方を見つめて待っていた。
再び、パタリと揺れた尾。
ビクビクとしながらも、ぎこちない動きでそぉ…っと手を伸ばした。
此方の動きに反応した犬が、自ら鼻を近付け匂いを嗅いできた。
『……噛まない、よね…?頼む、お願いだから噛まないで。私、お前に危害加えるつもり無い。ただ撫でてみたいだけだから。だから、攻撃してこないで…っ。』
小声で呟いた言葉を理解したかは定かではないが、随分と大人しい犬であった。
相手の匂いを確認し、敵意が無く安全な人間だと判断したのか、警戒を解いたハスキー犬はぽすりと頭を擦り寄せてきた。
恐々ながらも優しく触れてやると、嫌がらずに撫でさせてくれた。
(随分と大人しいワンコなんだなぁ…。顔付きからして、優しい性格のワンコなのかな?…お座りとか言ってみたら、出来るのかな。)
頭から背中にかけてユルユルと撫でていると浮かんできた欲求。
期待の眼差しを向けて、犬の方を見つめてみる。
『お前、良い子だな。試しに“お座り”って言ったら、お座りしてくれるのかなぁ?でも、私飼い主じゃないから、無理かな…?んー、でもでも、ワンコ見たら試したくなるのが子供心なとこから来る好奇心……!…これから私が“お座り”って言ったら、お座りしてくれる…?あ、けど、ワンコには指示する時は英語の方が良いんだったっけ。なら、“Sit down”か…?』
中腰で屈み込み、ハスキー犬と向き合っていた未有は、試しに指示を出してみた。
そしたら、その犬は大人しく従ってくれたのである。
『おぉ…っ!お前、お利口さんだなぁ〜…。じゃあ、今度はお手してみようかな。出来るかな…?はい、お手っ。』
そう言って犬の正面から少し下に向けて、手を差し出してみた。
やはりというか、大人しく言われた通りにお手をするハスキー犬。
続いて、“おかわり”と反対の手を差し出してみると、これもまたきちんと言われた通りに反応を返した。
そのお利口振りにすっかり警戒を解き、気分を良くした未有は、これでもかと言う程に撫でくり回し褒めちぎった。
『お前、めちゃくちゃお利口さんじゃないか…!偉いね。偉い偉い、良い子だぁ〜…っ!』
「…ガウッ。」
『あっ、ごめん、痛かったかな…?ごめんね。こんなお利口さんで良い子なのに、お前をほっぽって飼い主さんは何処に行っちゃったのかね…?』
そう言って立ち上がり、再び周囲を窺おうと首を巡らせたところで、誰かの声が聞こえた。
其方の方を見遣ると、誰か男の人が小走りに此方の方へと駆けてきているようだった。
この犬の飼い主だろうか…。
男は、犬の近くで立ち止まると、一呼吸置いて口を開いた。
「…もうっ、トモミ、ダメじゃないかぁ〜…!勝手に何処かに行ってしまうから、探したんだぞ?」
会話から察するに、どうやら飼い主で間違いないようだ。
成程、この犬の名前は“トモミ”という名前だったのか。
首元をよく見てみれば、きちんと首輪が付いており、ドッグタグの先には<TOMOMI>と名が書かれていた。
「急に手を離れて行ったが…何か気になるものでも見付けたのかい?」
犬と同様、優しげな飼い主のようだ。
纏う空気と言葉に含まれた音が優しい。
飼い主と逢えて嬉しいのか、犬は穏やかに笑って緩やかに尻尾を振っていた。
これで、このワンコとはお別れだ。
ちょっぴり寂しい気持ちになったが、無事に飼い主と逢えて良かったねと思い、静かにその場を去ろうと足を踏み出すと。
「…あっ、ちょっと待って…!君、僕が居ない間、この子と遊んでくれたんだろう…?ありがとう。彼も、久々に僕以外の人間と触れ合えて喜んでるよ!」
何やら唐突ににこやかに話しかけられてしまった。
人見知りな彼女は戸惑いつつも早めに返事を返し、さっさと会話を終わらせて去ろうと、取り敢えず踏み出しかけたその足を踏み留まらせた。
『ぇ………っ。あ、そうなんですね。それは、良かったです。でも、別に私何もしてないですから…。じゃ、じゃあ、私、用がありますのでこれで……っ。』
「あぁ…っ!ちょ、ちょっと待って!まだ訊きたい事が…っ!!」
『え…あ、はい…。何でしょうか?』
何故か分からないが、また呼び止められてしまった。
今度は何だろうかと、男の方へ頭だけを振り返らせる。
「君…たぶん、ここら辺に住んでる子だよね?良ければ、これから行く道を教えてくれないかなぁ…?実は僕、この子を連れて或る家に向かってたんだけども、この辺りの道は昔の旧い道が多くて迷ってしまったみたいでね…っ。持ってる地図では、この辺りに在る家だと思ったんだけど…。」
『…はぁ…?』
「あ、もし、急ぎの用事とかが無ければだけど…案内をお願い出来ないかな?」
『…えぇ、まぁ…特にそういった事は無いので大丈夫ですが…。えっと…そのお探しの家って、どちらのお宅なんですか?』
顰めっ面で紙の地図とにらめっこをする男の人に、内心警戒心を抱きながらも、なるべく感情が表に出ないよう平常を装い、問うた。
今のご時世、何でもデジタルな時代。
スマホ端末片手にあれば、何処ででも画面上で地図を見れるという時代にも関わらず、大きな折り畳み式の紙の地図を使っているとは、随分とアナログな人だ。
男は顔を上げると、メモを取り出し、それを彼女へと見せながら言った。
「えっとね、今向かっているお家が“露罹さん”っていう名前の人のお宅なんだけど…。」
『………………え?』
一瞬、未有は我が耳を疑った。
思いもよらぬ展開に、目を見開く。
「…もしかして、知ってる人のお宅だったかい?」
『………え……いや、知ってるも何も…露罹は私の苗字で、私の家なんですが…。』
動揺を隠し切れないといった形で、しどろもどろになりながら言葉を口にした彼女。
彼としても思わぬ出逢いだったようで、驚いた様子の口振りで反応を返した。
「えっ!そうなの…!?それなら、良かったぁ〜…っ。なぁんだ、地図は間違ってなかったのかぁ!あはは…っ、目的の場所まであともうちょっとだったのに変に迷っちゃってたなんて、可笑しいねっ。」
無事目的地まで辿り着けると分かってホッと安堵する男。
足下に居るシベリアンハスキーのトモミが、男の顔を見上げた。
男は、トモミへ安心するように声をかけた。
「大丈夫、これで、無事目的地に着きそうだよ!トモミ…!嗚呼、そうだっ。そういえば、自己紹介がまだだったね。初めましての相手には、まず自己紹介するのが礼儀だ。…どうも、初めまして。僕は、
金雀枝要と言う。宜しくね?」
『…えと、…露罹未有です。自宅は此方になりますから、すぐ其処ですよ。』
「突然の訪問で申し訳ないね。あ…っ、別に、決して怪しい者とかではないからね!?そこは、安心してくれて構わないよ…!」
思い出したように慌て出し、見るからに怪しそうな発言をする。
まぁ、端から他人を簡単に信用する気も無いので、別段気にするまでもない。
取り敢えず、ウチに何かしら用があっての事なのだろう。
といっても…恐らく、用があるのは母や父の方であって、彼女ではないのだろうが。
一先ずは、お客さんとして扱わなければ…。
『…私の家は此方です。今、鍵を開けますから…。』
「ありがとう…!…へぇ、結構大きな家なんだね。」
『元々、昔民宿をやっていたらしいので、それで…。あ、どうぞ…。汚ない所ですけど、上がってください。少し散らかってますが、今片付けますので。』
「え?あ、あぁ…っ、お邪魔します!」
そんなに昔造りの家が珍しいのか、金雀枝は暫く外観を見つめたまま固まっていた。
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