炙り出し

 其れは、平穏な空気漂う万屋街を二人でぶらついている時の事だった。
 突如、進行方向であった道の先が騒がしくなり、見れば、何事かと言わんばかりの人集りが出来ていた。その内、金属と金属とが打ち合うような響きが聞こえ始め、其処で初めて二人はこの騒ぎは敵の襲撃に応戦しようと集まった人集りだったのかと気付いた。
 万屋街は、本丸とも時の政府本部とも別の境界に存在する。何時いつ何処で襲撃を受けるとも分からないとして、万屋街にはそれぞれの支部毎に防御結界を張り巡らせていると聞く。しかし、今この時敵の襲撃を受けたとするならば、敵はその防御結界を破って侵入してきた事になる。
 どのような場においても、敵の襲撃を受けた際の対応の仕方は講習で習っている。其れ以前に、近侍を連れて歩いていた審神者は、先の大戦とも呼べる『対大侵寇防人作戦』に参戦し見事生き抜いた猛者の一人であった。今回、同伴している刀剣男士は一振りのみ。錬度は頭打ちとなって間もなく強さは折り紙付きの強さを誇ると認知している。だが、装備が御守り無しの軽騎兵だけでは心許無く思えた。せめて、遠戦刀装さえ所持していれば援護に回れたのだが、如何せんこの場では部が悪いと判断した。
 既に臨戦態勢へと切り替えていた孫六兼元は、己の主人たる審神者へ指示を仰ぐ。
「どうする、主人? 指示をくれ」
「敵の襲撃を受けた際、まず狙われるのは戦力増強の元となる審神者だ。この場合、俺が真っ先に狙われる事になる。故に、本来ならば、応戦部隊への援護役を買って出るべきなんだろうが……俺は戦闘向きの審神者じゃないんでな。此処は大人しく引き下がる他無い。よって、お前には、俺が安全地帯まで退避するまでの避難経路確保及び道中の警護を頼みたい。用心棒なら、俺の言ってる意味分かるよな?」
「その任務、請け負った……!」
「隔離スペースとなる避難場所は、今来た道を少し戻って左に曲がった奥地の方だ。何分書面でしか確認してない初めて行く処だから、うろ覚え知識だがな……。少し離れてるから走って逃げつつ、まだ避難の済んでない審神者達の誘導を行おう。此処は襲撃ポイントから近過ぎて危ねぇから、急ぐぞ……ッ」
「承知した。殿は任せろ……!」
 時間も惜しいと手短な説明のみ告げて、身を翻し駆け出そうとした矢先だった。審神者の視界を横切る影が映ったのだ。咄嗟に、審神者は警戒の声を発しようとした。
「ッ!? まg――ッ!!」
 直後、其れを封じるかの如く言葉を遮った凶刃の刃が審神者の身を襲った。彼女の声に反応して振り返った目の前で、赤い鮮血の飛沫が飛び散った。其れを目にした刹那、孫六は耳を劈く声で吼えた。
「主人――ッ!!」
 即座に彼はおのが本体を振り抜き、彼女を傷物にした敵短刀を斬り伏せる。一撃必殺の致命の一撃を与え、粒子となって消え去ったのを確認して、凶刃を受けた反動で地へと倒れ伏した審神者を抱き上げた。
「しっかりしろ、主人……ッ!!」
「ッ……!! グ、ソッ……不意を、突かれた……ッ。まさか、苦無の奴が至近距離にまで迫っていたとは……迂闊だった…………ッ。今の奴、絶対ェ隠蔽値高かったろ……殺す!」
「心配せずとも、奴なら俺が倒した。文句なら後で幾らでも聞いてやるから、今すぐにでも此処から撤退するぞ! 幸い、傷は浅そうだ。だが、場所が場所故に出血が多いな……ッ。一旦何処かで傷の手当てをした方が良さそうだが、走れそうか?」
「くッ……如何せん血で視界が片方塞がってて見えん。視界不明瞭なままじゃ、この場を走り切るのは無理そうだ。おまけにクソ痛くてしゃーなくて一気に余裕無くなったわ、糞が……ッ。SAN値残ってるだけでも儲けもんだがな……!」
「了解した。なら、俺が抱えて運ぼう。危ないから、一度眼鏡は外すぞ」
「チッ……こないだ修理出したばっかだったのによ……!」
「ははっ、其れだけ喚く元気があるなら動くのに問題は無さそうだ……!」
 絶賛襲撃を受けている戦時下というのにも関わらず軽口を叩ける程の余力は残っているらしい。負傷しながらもこの元気さなのだから、天晴な肝の据わり様である。しかし、思い切り出血している有り様なのは変わりない。防御本能が咄嗟に反応して後ろに避けたのだろう。そうでなければ、頭ないし首をやられていたに違いない。明確な殺意で以て首を取られかけた事を認識したのだろう審神者が、苦い顔をして苛立たしげに舌打ちを零した。
 安全地帯とまでは行かないものの、少しばかり後退した場所で孫六は審神者を降ろした。
「痛むだろうが、今少しの間我慢してくれ……っ」
「う゛ッ……冗談抜きでメチャクソ痛ェ゙んだが……傷口どうなってる? 自分じゃ見えんのでな……教えてくれると助かる……ッ」
「傷そのものは浅いが、斬られた場所が目の近くの額だからな。その所為か、出血が多い。もしアンタが反射的に避けていなかったら、最悪目をやられていただろうな……。すまん。敵に遅れを取るとは、用心棒と言った癖に聞いて呆れる……ッ」
「俺自身も、自分の身に結界を張るという、至極単純な防御措置を取っていなかったのが悪い……っ。だから、今回ばかりはお相子だ……!」
 傷が酷く痛むのだろう。痛みを堪えるが故に呼吸の荒さが目に付くが、その状況下ながらもニッと笑みを浮かべてみせる余裕は残しているらしい。しかし、その笑みは明らかな虚勢と分かる程に痛々しかった。後悔に押し潰されそうになっている自分への励ましのつもりなのだろう。
 の大侵寇の時でさえ傷を負わなかった審神者が、傷を負った。其れも、顔という一番目立つ場所に。当時、自分はまだ顕現していなかったが、時の政府本部のみならず各本丸も敵の総攻撃を受けるという未曾有の危機に見舞われた事は、本丸の歴史として記憶に新しい事をデータで確認している。特殊防衛線を敷いて立ち向かった時でさえ無傷で生き残ったのだ、其れを自分の不甲斐無さで傷物にしてしまったのを察した孫六は、遣る瀬無い気持ちに襲われ、ギリリッと奥歯を噛み締めて悔しさを堪えた。一度ならず、二度までも審神者へ凶刃の魔の手が迫るのを許してしまった。此れでは、用心棒の名が泣く始末だ。孫六は、長手袋を嵌めた右手で傷口を抑えながらギラギラと殺意を漲らせた。
 兎にも角にも、まずは止血せねばならない。孫六は一旦深呼吸を挟んだのち、己が首に巻いていた襟巻きの端を噛むと、力一杯横へ引っ張り繊維を縦に引き裂いた。細めに引き裂いた其れを止血帯代わりに彼女の傷口へ押し当て、頭へと固定するべくグルグルと巻き付ける。簡易的な止血方法だが、無いよりはマシである。簡単には解けぬようしっかりと結び目を固く結び、簡易的処置が終わった事を知らせた。
「取り敢えず、此れで止血処置は完了した。後は、時の政府の保護区域に着いてから改めて治療を受けろ。今は、此れくらいしか出来なくて悪いな……っ」
「はは、十分だろ。こういう時、ただの人間であった事を悔やむね……ッ。君達刀剣男士みたいに手入れ出来たなら、此処まで辛くはないんだろうが……、ッ……叶わぬタラレバを言っても時間の無駄だな……っ。ホント、人間て不便で嫌んなっちゃうわ……!」
「……主人は、俺達とは違う。だから、そんな言葉を易易と口にするもんじゃない……っ」
「フフッ……事実だろう?」
 傷の痛みにかんばせを歪ませて笑みを浮かべる彼女は、いびつだった。其れを理解している彼は否定の言葉こそ口にしない代わりに、顔を顰める事で答えとした。
 剣戟の音が近くで鳴り響き、もうじき此処も安全ではなくなるのだろうと察した。二人は立ち上がり、索敵して周囲にはまだ敵が来ていない事を確認して、退避行動を再開する。
 直後、すぐ側をザザッと地を擦る音が聞こえ、厳戒態勢で振り向いた二人。即反応を示した孫六が、手負いの彼女を庇うべく前に出て構えを取った。しかし、視線を遣った先に居たのは、他所の所属らしき刀剣男士であった。応援部隊として駆け付けた者の一振りだろう。よくよく見遣れば、彼の二の腕には政府所属を表す腕章が付けられていた。その色と識別紋様から察するに、政府から派遣された警備隊の者である事が分かる。審神者は、途端に警戒を緩め、庇いの姿勢で居た孫六を制して口を開いた。
「君は、政府所属の者だな。腕章から察するに、警備隊の者だろう?」
「そういう君は、本丸所属の審神者か。しかも、既に手負いとは……出遅れてしまったか。すまない。君が傷付いたのは、此方の落ち度だ」
「いや、自分等が居たのが、偶々襲撃現場近くだったのが運の尽きだ。君が自責の念に駆られる必要は無いよ。そんな事よりも、戦況はどうなっているのか、情報が入っているのなら教えて欲しい。加えて、被害状況についても教えてくれないか? 既に手負いの身なるが、全く動けない程ではない。霊力の質も量も人並みにあると自負しているし、動けるだけの余力は残している。ならば、治療班として手入れに従事するべきだろう。人員は一人でも多い方が良かろう。こんな異常イレギュラーな事が起こってる状況だ、負傷者を一時保護する為の避難シェルターが出来てる筈だ。可能ならば、案内をお願いしたいんだが、出来るか?」
「心得た。俺は、時の政府より派遣された、警備隊所属の膝丸だ。一応、戦闘に特化した者を纏める班に身を置いているのでな。戦闘に関する問題の保証はしよう。君の協力に心より感謝する」
「俺は、陸奥国に本拠地を置く一審神者の黒子だ。同伴は近侍の孫六兼元になる。改めて、宜しく頼む」
「一先ず、説明は走りながらにしよう。シェルターの近くまでは俺が先導するから、なるべく遅れずに後を付いて来てくれ。出来るか?」
「俺が主人を抱えて走れば可能だな」
「よし。では急ごう。此処もじき戦場となる。巻き込まれないよう、審神者を安全な場所まで隔離するぞ」
 手短に必要な会話を切り上げると、安全地帯まで引き下がるべく走り出す。再び審神者を抱え上げた孫六は、警備隊だと述べた膝丸の後を追った。遅れずすぐ後ろを付けて駆けて来る彼の様子を一瞥した膝丸は、前へと向き直ったタイミングで再度口を開く。
「早速だが、審神者の君が聞きたがっていた現在の戦況を述べると、五分五分といった状態らしい。先行して応戦に臨んだ部隊の者達が善戦してくれたお陰で、何とか前線で抑えている状況だ。だが、何時いつ戦況が傾くとも分からん。故に、如何なる事態が起きても対応出来るよう、我々政府所属の応援部隊が各地より派遣されているという訳だ。尚、一時撤退用に急遽設立された避難シェルターも問題無く機能し、各地点で救護者と負傷者が立ち入れ替わりで動いている。其れでも、場所によっては手が足りていない処もあると報告が上がってきていてな。此処から最も一番近い場所が其れに該当する為、正直人手が一人でも増えるのは非常に助かる……っ」
「ははっ……こんな俺でもお役に立てるのなら何よりだね……っ」
 孫六に抱えられながら自嘲気味な笑みを浮かべた審神者が答える。負傷した上での話に、彼女の精神状態を危惧したが、今この場で余計な口を開くのも憚られた孫六は、閉口した状態で走る速度を上げ、前を駆ける膝丸に並走する。其処へ、再度口を開いた審神者が疑問を提示した。
「一つ追加で質問するが、俺がこれから向かうっていう避難シェルターの防御措置はどうなってる?」
「其れについては、現場に着いてみなければ判断し兼ねるな……っ。すまない。俺も此方に到着したばかりで、避難区域全容の把握がまだなのだ。一応、常時通信機インカムで情報は確認しているが、連絡班もそれぞれ手一杯な状況で稼働している。故に、此ればかりは許してくれ」
「成程、把握した」
「……必要な事とは理解しているが、それ以上口を開くと舌を噛むぞ主人」
「おっと。此れは失礼。うっかりその点を失念して喋っていたな。すまない」
「いや、アンタはアンタで自分の仕事をしているだけだろう。問題は無いよ」
「そうか。其れならば安心した」
 審神者に配慮した速度で駆けているとは言え、運ばれている身で口を開けば舌を噛み兼ねない。其れを指摘した彼の諌め言に、先導していた膝丸は失念していた事を率直に詫びた。
 途中、何人かの審神者とその同伴者と思しき刀剣男士等とすれ違う。大半が動ける状態にあり、自身の刀である刀剣男士に連れられ、避難を急いでいる状況だった。だが、中には恐怖心から身動きの取れなくなった者達も居り、その者達へは叱咤の激を飛ばして避難誘導を行った。
「間もなく目的地だ。ので、少しだけ速度を上げるぞ」
「了解した。主人は振り落とされないよう、しっかり俺に掴まってろよ……!」
「ん゙っ!」
 舌を噛むからと口を閉ざしていた審神者は、一声返事を返すだけ返して彼へとしがみ付く力を強めた。其れを合図に二振りは足を速め、更なるスピードアップをかける。程無くして、膝丸の言う避難シェルター地点まで辿り着いた。
 中には、まだ数人の審神者と負傷者しか居ないようだ。孫六の腕から降ろされた審神者は、直ぐ様張られた天幕へ防御結界の強化を施すべく懐に入れていた護符を叩き付けた。少々荒っぽいのは、この際目を瞑って欲しいところである。
 動ける人員が来てくれた事を察したのだろう、入口で控えていた一人の男審神者が立ち上がり駆け寄って来た。
「もし……! そちらは、応援部隊の方とお見受け致しますが……!」
「あぁ。その通り。俺は、政府より派遣された警備隊の者だ。数少ない人員で良くぞ此処まで持ち堪えてくれた……っ。引き続き、俺以外にも応援部隊は駆け付ける予定なので、安心して手入れ作業に従事して欲しい」
「あぁっ……連絡がちゃんと行き届いていたんですね! 良かった……!! 駆け付けてくださって本当に感謝致します……!!」
「此方も、負傷はしている身ではありますが、動けない程ではないので手入れ班として応援に馳せ参じました。取り急ぎ、被害状況を教えて頂けますか?」
「なんと……っ、その状態で駆け付けてくださったのですか!? その高き志に感服致します……! 状況は、ザッと見てあまり芳しくはないとお判りでしょう……っ。此処は最前線に置かれたシェルターですので、兎に角人手が足りていなくて、手入れの手も間に合っておらずに負傷者が渋滞している状態です……。そんな中、まだ動ける貴女が来てくださったのは本当に有難いです……っ!」
「周辺の警戒及び戦闘は、ウチの孫六兼元と政府の膝丸が請け負いましょう。戦闘に割けれる刃員が少ない事は心許無く思えるでしょうが、全く居ないよりはマシでしょう。現在この場での指揮を執れる方は何方ですか? 出来れば、その方から指示を仰ぎたく思うのですが……」
「申し訳ありませんが、現状手入れに集中するのみで手一杯で、指揮を執れる者は誰一人居らず……っ」
「分かりました。では、私が代表して現場の指揮を預かります。手始めに、重傷でまだ手入れの行き届いていない刀剣男士の方がいらっしゃいましたら、私が請け負いましょう。其れから、緊急事態においての措置として、誠に勝手ながらではありますが、怪我の程度においてのレベル分けを行います。よろしいですね?」
「トリアージですね……了解致しました。では、奥に寝かせてある重傷の方からお願いします……! 刀装装備を付けていない個体だった模様で、酷い有り様なんです。彼を保護した際、近くに彼の審神者様と思しき姿が見られなかったので、恐らくお使いを頼まれて単独でいらした個体なのかと……」
「承知しました。では、そちらの手入れから始めましょうか。――状況は見て分かったな? 警護はお前とそっちの膝丸に任せたぞ。俺は今から手入れに集中するから、手を離せなくなる。何かあったら大声で叫べ。俺もそうする」
「あぁ。請け負った」
「右に同じく、此方も異論は無い。他の応援部隊が駆け付けるまで、何とか持ち堪えてみせよう」
「お前等だけが頼みだ。武運を祈る……!」
『応!』
 迅速に現場へ当たる為、指揮者を買って出て手早く指示を告げた審神者は、急ぎ天幕の奥へと移動し、手入れ作業へと当たった。途端、指揮者の居なかった現場には少しだけ希望が見えたように空気が軽くなる。采配を受けた二振りは、指示通りに警戒へ当たるべく、何時いつでも本体を抜けるよう厳戒態勢を取った。
 まず、彼女が真っ先に始めたのは、役割分担への指示だった。この場で最も動ける余力を残した自身が重傷の刀剣男士の手入れに当たり、その他中傷から軽傷の者は先に到着していた面布を着用した女審神者が担当、人間の負傷者については入口に居た男審神者が担うように役割を分担した。幸い、前線に置かれた救護幕という事もあり、負傷者は人間よりも刀剣男士の方が圧倒的に多い。よって、最も負担が大きいのは刀剣男士への手入れ役だ。手入れに必要な資材が近場に無い以上、直接手入れへと臨む為、通常の手入れを行うよりも霊力消費は大きい。持久戦に持ち込まれたら即崩壊する人員の少なさであった。負担の大きさを理解した彼女は、責任重大な役目を自ら引き受けてしまった事を早くも後悔した。しかし、弱音を吐く事はせず、気持ちを入れ替える為の深呼吸を終えるなり、気合いを入れるべく両頬をバチンッと叩いて持ち場の作業へと入る。
 彼女が任された一番最初の負傷者は、何処かの本丸所属らしいという個体の加州清光であった。破壊一歩手前という程酷い状態で、此れで未だ意識を保っているというのだから驚きだ。ほぼほぼ虫の息状態ながらも、朦朧としつつもギリギリ何とか意識を保っているらしい。譫言で彼の持ち主であろう審神者の事を心配する言葉を呟いているが、其れも今の内だけだろう。彼女は意を決して霊力を注ぎ始めた。
「貴方の手入れを担当する審神者だ。資材が手元に無い為、直接霊力を注ぐ方法でしか手入れ出来ない。気持ち悪いかもしれないが、我慢してくれよ」
「――あるじ……あるじ……ごめん、ごめんね……おねがい、ぶじでいて…………」
 一応、手入れを開始する前に一言、二言前置きの説明を告げて取り掛かる。状態は酷いが、このままの状態で放置する訳にもいかない。自分の本丸の初期刀である彼とは違う事を理解しているが、姿形が同じ同位体という事実が彼女の涙腺を刺激した。だが、泣いている暇などこの場には無い状況下だ。彼女は乱暴に頬へと伝った涙を拭って、泣きそうになる意識を無理矢理内へと押し込み、歯を食い縛って何とか軽傷寄りの中傷にまで回復させる。完全にまで手入れを行っていたらすぐにへばってしまうからだ。他の重傷者へと移る為、面布の女審神者へバトンパスした。一声かけるだけで此方の意図を察したらしい女審神者は、一つ頷きを返して加州清光の手入れへ移った。
 その後も似たような遣り取りを何度か繰り返し、段々必要以上の言葉は交わさない黙々とした流れ作業となりながらも、皆それぞれ尽力を注いだ。審神者の人手が増えぬまま刀剣男士ばかりの負傷者が増え、手入れする霊力にも限界を訴え始めた者が出始めた辺りで彼女は新たな指示を出すべく一旦手入れの手を止めて立ち上がる。
「このままじゃ埒が明かない……っ。誰か、動ける者の中で装備も生きている者が居たら、近くの店から資材もしくは御守りや刀装装備の調達を頼みたい。此れは憶測にしか過ぎんが、此れだけ緊急を要す事が起きてるんだ……万が一を想定して資材及び其れに準じる物を蓄えている筈だ。大至急其れ等の調達を頼みたいんだが……誰か居ないか?」
「俺が行こう! 俺なら比較的軽傷であるし、槍の攻撃を食らって負傷はしたが刀装もまだ生きているから役目を負うには妥当な相手だろう」
 候補者を募れば、何処かの本丸所属の極個体である大包平が立候補の声を上げた。すぐ側に他古備前二振りも一緒に居る事から見て、彼の同行者だろう。三振りの中で大包平だけが軽傷で済んだらしい。彼女は頷きながらも念には念を入れての確認を取る。
「此方としては、刀剣男士の誰かしらが動いてくれたらそりゃ嬉しくはあるが、一応訊いておく……本当に任せても良いんだな?」
「男に二言は無い! 錬度についても心配には及ばん! こう見えて俺は既にカンスト間近な程修錬を積んだからな!!」
「審神者から御守りは渡されているか?」
「無論、特上の御守りを賜っている!」
「刀装の種類は?」
「重騎兵二つと盾兵が一つ。何れも損傷は軽微で一、二回分の戦闘をこなす分には問題は無いだろう」
「十分だ。恩に着る。しかし、一振りだけとは心許無いか……。誰か他に続ける者は居るか?」
「はいはーいっ、俺が行きまーすっ!」
「八丁か。そっちも負傷しているようだが、行けるのか?」
「あははっ……その点は大丈夫。傷そのものは本当に大した事なくて、此れ殆ど敵倒しちゃった時の返り血だから……っ! よって、問題無く動けるんで、兄さんと一緒に行かせてください!! あっ、刀装の方も全然壊れてなくて盾兵二つ共生きてるから、その辺の心配も要らないですっ!! ちゃんと特上御守りも装備済みです!!」
「お宅の弟さんはこう言ってるが……良いのか?」
「構わないだろう……。生憎、俺はまだ手入れが済んでおらずの動けない状態だからな。そんな俺が付いていくよりは余っ程お役に立てるだろうさ」
「了解した。では、二振りに調達の役目を任せるぞ。武運を祈る……! 孫六は二振りの援護でなるだけ敵の注意を引き付けといてくれ!!」
「心得た!!」
 天幕の中から声を張り上げた彼女に、反応した孫六が振り返り様敵脇差を斬り捨てた。疲労は多少蓄積しているみたいだが、現状まだ動けない程ではないようだ。刀装も二つとも生きているようで、負傷者ばかり相手していた目で見ればピンピンして見えた。
 二振りを見送ってすぐに手入れ作業へ戻り、中傷寄りの重傷で手入れの順番を待っていた鶯丸の傷を直していく。曰く、先の二振りと共に居たら、自分にばかり攻撃が集中したらしい。彼等が対峙した敵は槍だけで構成された遊撃部隊との話だ。聞くだけでも恐ろしい編成である。高速槍が居なかった事だけでも幸いだ。
 そうこう手入れを続行していたらば、不意に表が騒がしくなったのに気付いて顔を上げた。同じく、入口で人間側の傷の手当てをしていた男審神者も顔を上げて、天幕の外へ向けて首を伸ばす。
「何事でしょうか……?」
「さぁて……とんと分からんが、最悪な事態でさえなければ後は全て細事でしょうな」
「気になってしょうがないので、自分がちょっと見てきます……! 丁度、自分の役目に一区切り付いたところだったので!」
「くれぐれもお気を付けて……!!」
 丁度手が空いたとの事で自分が見てくると言った男審神者がパタパタと天幕の外へ出て行くのを見送り、残された女審神者二人は引き続き手入れ作業に集中した。
 間もなくして、血相を変えて舞い戻ってきた男審神者が心底慌てた空気で声を荒げて告げる。
「緊急事態発生です……っ!! 此処が前線の一時避難シェルター兼救護幕となっている事が敵側に漏れた模様です!! 数にして二部隊分の数の敵群が此方へ向かっているとの報告が警備隊偵察部隊の者より伝令……ッ!! 直ちに戦闘態勢を整えるようにとの通達です――!!」
「はあッ!? 嘘だろう!? 巫山戯ふざけんなよ糞政府……ッ!! 指令出すなら現場見てから物言えってんだ!!」
「荒れていらっしゃいますね……っ。心中お察し致します」
「クソッ……まだ動けない重傷者が残ってんだぞ……!! ったく、毎度無茶苦茶言ってくれるぜ政府様はよぉ……ッ!!」
 手早く手入れを終わらせるべく、此処ぞという時にまで取っておくつもりだった切り札の最強治癒力の込められた御札を、手入れ待ちで天幕の隅で転がっていた御手杵へ幾分か手荒な手付きで叩き付け、祈りを込める。即時傷が完治した事に、何処かの本丸所属の極個体である御手杵は目をぱちくりとさせて驚きを露わにした。
「あっという間に傷が治っちまった……!! アンタ凄いなぁ!?」
「切り札用に残してた数少ない御札の効力だ。貴重品なんでな、これ以上無理はしてくれるなよ……! すまないが、俺は外の者の様子を見てくる!! まだ戻って来ていない例の二振りの事も気になる……っ。手入れの済んでいない者達は引き続き手入れを受け、今すぐにでも動けそうな者は俺の後に続いて来い……!」
「へへっ、丁度良いや。まだまだ暴れ足りなかったところだったんでなぁ……いっちょぶん殴りに行くとしますか!!」
「此レも其レに続こう。傷は完治した。刀装も御守りもまだ無事であル。故に、敵の首級を取るべく働くとしよう」
 手入れの済んだ通称AKIRA刀と呼ばれる二振りが殺る気MAXな顔付きで後に続いて来た。二振り共血気盛んで大変頼もしい限りである。彼女は彼等を率いて天幕の外へと躍り出た。直後、剣戟の音が鼓膜を打ち、警護役に付いていた二振りが交戦中である様子が目に入った。直ぐ様、彼女は二振りの援護の指示を飛ばし、自身も懐に仕舞っていた護身用霊符を取り出し、式神を召喚した。神獣擬きの其れは二体で一対と成り立つ獣の類であった。彼女はその二体に攻撃に転じるよう命令を下す。即時、二体の獣は入口側へ迫って来ていた太刀へと飛び掛かり、鋭い爪と牙攻撃をお見舞いした。しかし、刀剣男士ではない者による攻撃など、たかが足止め程度にしかならない。破壊にまで追い込むには、刀が必要であった。だが、誰も彼も切迫した状況で応援を要請する事は叶わない。仕方なしに、彼女は腹を括って深く息を吐き出した。
「一か八か、試してみるか……ッ」
 スッ……と心を落ち着けた彼女は一瞬だけその目を伏せ、胸の内で或る者の名を呼んだ。
 ――お前の力借りるぜ、たぬさん……ッ。
 吐息を吸い込んだ彼女の周囲のみ一時的に霊力の流れが変わる。其れに気付いた敵の動きも味方の動きもピタリと止まった。不可解な気の流れに彼女のしようとしている事の意図が読めず、孫六は訝しげな顔付きで彼女を見遣った。
「主人……? アンタ、一体何を仕出か――ッ、」
 刹那、ブワリと彼女の周囲一帯に紫電のような気の流れが走り、彼女の髪を纏めていた髪留めが不自然にバチンッと弾け、消し炭と化した。次いで、彼女の口が詠う。
「――汝、縁を結びし者の力を我に。お前は俺を、俺はお前を。交わした我が名に宿れ。奴等に鉄槌を下す力を我が手に……!!」
 瞬きの一瞬であった。不意に躍りかかった凶刃が彼女へと振り翳される。
「主人ッッッ!!」
 反射的に孫六が叫んだのは、同時の事であった。
 しかし、その場に居た誰もが予想だにしない出来事が起きた。凶刃に倒されたに見えた彼女が平然と立ち続け、その場に倒れ伏したのはなんと敵の方だったのだ。見れば、先程まで何も手にしていなかった彼女の手に、刀が握られていた。切っ先は折れているものの、武器としてならまだ使えなくもない代物である。一体何処から持ち出したのか。答えは、今しがた彼女が対峙した敵の手元にあった。
「あの審神者……自分の力だけで殺りやがったってのか?」
「いや、待て……ッ。少し、様子が可笑しい……。アレは、もしや…………っ、」
「――ボォーッと突っ立ってる暇があったら一匹でも多く斬り倒せ、馬鹿共が」
 政府所属の膝丸が彼女の異変に気付き、その回答を口にしようとしかけたところで、彼の背後を襲おうと密かに迫っていた苦無に致命の一撃を与えた審神者の彼女が振り返り様血払いをしながら遮った。その目は、ただの人間にしてはあまりにも煌々と明るい色を放っていた。本来、彼女の瞳は日本人特有の黒目だ。其れが、何故か淡い黄金色へと変じていたのである。その事に気付いた孫六はゾッと血の気が失せゆく心地に襲われた。
「嘘だろう……? 今の一瞬で俺の背後へ移動したというのか……っ?」
「アンタッ……いつの間に――!?」
「今話してる暇なんぞ無ェぞ。んな暇あったら手を動かせ、手を」
 冷たく爛々と血に飢えたような光を宿した二ツ目を煌めかせて、彼女は飛んだ。敵薙刀の足元への薙ぎ払い攻撃を避ける為だ。通常の彼女では考えられない回避行動である。後方へと一旦退いた彼女は、体勢を立て直し、切っ先の折れた刀を構えて薙刀へと躍りかかった。そして、その手でまたとなく斬り伏せてみせ、そのまま次の敵へと標的を移していく。まるで、人が変わってしまったかの如き現象であった。
 孫六は混乱した頭のまま、鍔迫り合っていた打刀を力で押し負かし、刃を弾き返したついでに苛立たしげに顎へと柄頭での一発をお見舞いした上で袈裟斬りに斬り伏せる。その後、血払いをする間もなく次の敵へと刃を振り下ろした。
 そんな彼の側で敵と斬り結んでいた政府刀の同田貫は、敵を次々に屠りながら零した。
「あの審神者、どっかの刀と契ってんな。じゃなきゃ、あんな力出せねぇ筈だろ……っ。金色の目ン玉した奴とか、俺含めいっぱい居るからすぐにゃ思い付かねぇが……あの審神者に交じる霊力から察するに――おっと、危ねぇな。斬った敵投げるなら方向に気を付けろよ、アンタ」
「すまん……ッ。敵の多さに少々苛立っていてなぁ。周りを気にかけている余裕なぞ残ってないんだ。悪いな」
「へっ……俺にも分かりやすく嫉妬剥き出しにぶつけといてよく言うぜ。アンタ、あの審神者の刀だろ? さっきの謎現象について、何か聞いてなかったのか?」
「事前に聞いていたらこんなに苛立ってはいないだろうな……ッ!!」
「左様で」
 これ以上の無駄口は叩くまい。其れこそ、嫉妬に狂った奴の愚痴を聞く羽目になりそうで。この忙しい時にそんな面倒は死んでも御免だと思った同田貫は、引き際を見極めてあっさりと離れて行った。
 一通り近辺の敵の殲滅を終えた者達は、辺りを警戒しながら救護幕の入口近くへと集まる。
「皆生きているな?」
「あぁ。此レはまだ戦えるぞ」
「一旦、敵は片付いたが、現状まだまだ油断は出来ない。何故ならば、第二陣が来る可能性が大いにあるからな。次の戦闘に備えて、各自装備の点検と、負傷が見られるならば一度手入れを……、」
 そうこう必要な会話をする暇も無く、新手の襲撃か、すぐ近くのポイントから剣戟と遣り合う怒号が飛び交うのを耳にした。その場に居た誰よりも早く反応してみせた彼女が、直ぐ様式神二体へ鋭く指示を飛ばす。
「風牙、雷牙……ッ!!」
『ガウッ!!』
 細かい指示は無くとも意図を理解したらしき獣二体が先行して剣戟の鳴り響く地点へ駆け出す。其れに続く形で後を追った彼女に弾かれる形で他の者達も遅ればせながら続こうとした。
 式神を先行させた方角を見遣れば、調達班として出ていた古備前二振りが道中保護をしたのだろう、避難に遅れて取り残されていた幼女審神者と其れを抱えて果敢にも敵と立ち向かおうとする初期刀と思しき個体の山姥切国広等が応戦中のようだった。しかし、幼女審神者の同伴者の方は既に満身創痍の状態で戦線崩壊寸前である。おまけに、彼等が対峙していた敵は、救護幕内で居残った極個体の鶯丸が言っていた、槍のみで編成された遊撃部隊の残党であった。しかも、どうやらその首級を務めるのは、高速槍らしい。頑丈な守りと硬さを備えた敵に苦戦しているのを見て、彼女はコンマ零秒での判断を下した。
「調達班並びに山姥切国広……!! ――“伏せろ”ッ!!」
『ッ――!!』
 言霊の乗せられた彼女の声に弾かれるようにして咄嗟に伏せた彼等の中心を、高速槍の繰り出した一撃必殺が貫いた。其れを目前で躱した彼女が、突き出された長い柄を掴み相手を動きを封じた上で、槍の持ち主である敵将の横っ面へ容赦無い飛び蹴りをかます。此れに怯んだ隙を許さず、彼女は奪い取った武器を今度は反対に敵将の首元へ突き刺した。念には念を入れて、その首を斬り落とさんと手首を回転させて薙ぎ払う動作を取る。瞬間、文字通り敵将の首が飛び、辺り一面に返り血の雨が降り注いだ。其れを頭からぶっ被った彼女は、不敵に嘲笑を上げながらいびつに笑った。
「そんな柔な攻撃で俺の首は取れんぞ! 来るなら死ぬ気で掛かって来い!! そら、貴様等の欲しがる審神者の首ぞ!! 獲れるもんなら獲ってみろ……ッ!!」
 彼女の額を覆っていた血に塗れた布が、横端から遅れて切れ目が入ったと同時にはらりと落ちて地に落ちた。先の槍の一撃が掠めていたのだろう。止血帯代わりに彼女の頭へ巻き付けていた物が、真っ赤に染まり切ってどす黒くその色を変えていた。戦闘で動き回った所為で傷口が開いたのだろう、右頬を新たな血が滴り落ちているのを見咎めて孫六は鋭い声を発して制した。
「主人ッ……!! それ以上動くな!! 出血が酷くなって失血死するぞッ!!」
「此れぐらい、まだ動けなくもない。幸い、傷は浅いしな……流れる血は鬱陶しいが、拭えば見えなくもない」
 そう言って、得物を持つ手とは反対の腕の袖で拭う仕草を取るも、出血の多さの方が勝り、拭った後から後から新しい血が伝い落ちてきて煩わしげに顔を顰めた。まだ暴れる気満々のそんな彼女を止めようと声を張り上げる孫六は、両肩を掴んで引き止める。
「アンタは審神者で人間だろう!? 敵と戦うのは俺達の仕事で、アンタの仕事じゃない……!! 其れに、アンタ最初に言ってただろう!? 自分は“戦闘向きの審神者じゃない”って!! 話が違い過ぎるぞ……ッ!!」
「あぁ……確かに、俺は元来血の気は多くも戦闘系審神者としての性質は持たない。……が、出来るか試してみたら出来たというだけ。今は少しでも戦力が多いに越したこたぁねぇだろう? 故に、俺も戦う。今なら殺れなくはないさ。あの忌々しき高速槍の首をも討ち取り返してやったんだからな。お陰様で、俺は今非道く昂ってるよ……嗚呼、此れぞ真に求めていた光景だってな」
「気は確かか!? 血を流し過ぎて正気を失ってるんだろう!? 血に飢えたやら何やらは本来俺達の在り方だ!! アンタにその在り方は間違ってる……ッ!! 頼むから、正気に戻ってくれ主人ッ――!!」
「………………」
 浅葱の目に覗き込まれて懇願され、興が冷めたのか、フッと黄金色の輝きが鳴りを潜め、元の黒い目へと戻る。途端、彼女の力が抜け、ガクリとその身を崩した。咄嗟に受け止めるも、突然の事に動揺した孫六は狼狽えた。
「おいッ主人!? しっかりしろ……!!」
「――そう焦らなくても、其奴、単に気が抜けて落ちただけみてぇだぜ?」
「えっ……?」
「慣れねぇ力使った反動だろうよ。たぶん、今初めて使ったんだろうな。気絶すんのも無理もねぇよ。其奴は人間。俺達とは違う存在だ。人智を超えた力を扱うにゃ、其れ相応の器が必要になってくる……。ただの人間がよくやるぜ、全くよぉ。力を行使しようにも、器が耐え切れなきゃ反対に死んでたかもしんねぇってのに……見上げた根性だぜ。あの一瞬で己の命を秤に掛けて臨んだってんなら、その審神者飛んだ化け物だな。良いねぇ、そういうの……ゾクゾクするぜ」
 政府刀の同田貫曰く、慣れない力を使った反動で一時的に意識を失ったのだと言う。言われた通り、出血は悪化しているものの、呼吸は少し浅いが確かに息をしていた。
 孫六は心底胸を撫で下ろし、脱力し切った彼女の身を抱き抱えて天幕へと戻る事にした。幸い、今の応戦で敵の手は途切れたらしい。残っていた残党も既に残りの手の者等が片付けた模様だ。天幕の中へと引き返せば、安全地帯よりずっと様子を窺っていたのだろう手入れ要員の男審神者が駆け付けて口を開いた。
「お疲れ様です……! どうぞ、奥の空いた場所へ安置してあげてください!」
「すまない。礼を言う」
「そんな、我々の代わりに体を張って守って頂いているのですから、礼には及びません。寧ろ、此れくらいの事しか出来ないのが歯痒いばかりです……っ。一先ず、貴殿の審神者様の傷の具合を見ましょう。あれだけ激しく動いての戦闘でしたから、当然の事とは言え、見るからに出血が酷いですね……っ。今、止血帯を用意しますね」
「あぁ……助かるよ」
「えっと、傷の手当ての方は……」
「主人の手当ては俺がやるから、アンタ等は他の奴等を見てやってくれないか? 調達班の奴等が逃げ遅れた幼女の審神者とお伴の刀剣男士を保護していただろう? そっちの方が重傷みたいだから、俺達の方は自分等で何とかするさ」
「……畏まりました。では、止血帯用の布は此方に置いておきますね」
 不用意に他の者の手に触れられるのを疎んだ事を空気で察した男審神者は、余計な口は挟まず必要事項のみを告げてその場を去った。彼に指摘されたように、今しがた調達班より保護された一人と一振りの状態の方が酷かったからだ。そちらの手入れへと集中するべく、彼女の事は彼女の刀に任せる事にしたらしい。
 横抱きに抱えていた彼女を空いたスペースの壁へと凭れ掛からすようにして降ろし、改めて傷の具合を確認した。すると、浅かった筈の傷口が激しい戦闘の後で開いてしまい、其処からドクドクと絶えず新たな血が流れ出てしまっているのを認めた。孫六は、迷わず止血帯用に貰った布を患部へ押し当て、グルグルと巻き付けてから再度簡単には解けないようにと固結びで留め、少しでも出血を抑えようと患部を圧迫しての止血方法を取った。
 すると、グッと傷口を押さえられた事の痛みで気が付いたらしい審神者が呻いた。次いで、ゆるゆると目蓋を持ち上げ、片方だけ利く視点を動かして彼を見た。その瞳は、いつも見ている彼女本来の黒色をしていた。其れに内心非道く安堵した様子の孫六は、声を抑えた調子で口を開く。
「気が付いたか……。此処は、救護幕の中だ。慣れない力を行使した反動なのか、一時的にも気絶した主人を俺が運んだんだ。失神に至る要因は、出血し過ぎた事によるものだろう……。ただでさえ、アンタは負傷して出血した所為で貧血気味だったのに、其処へ更に戦闘で激しく動いたりなんかしたらあっという間に悪化するに決まってるだろう? 何でそんな無茶したんだ……」
「…………一か八かの賭けだった……」
「は……?」
「……俺も、まだ確信は得てなかった事だったんだが……試してみて初めて分かった……。俺は、一度、夢の中で彼奴と契りを交わしていたらしい。夢での話だったから、まさか本当に出来るとは思っていなかったんだけど…………こうして力を使えたって事なら、恐らく現実での事だったんだろうな……」
 彼女が吐き出した独白にただただ衝撃を受けた孫六は、何も言えぬまま黙って先を促す事しか出来なかった。其れに促された訳ではないが、喋り続けても良いと受け取ったらしい彼女は、言葉を続けた。
「本来戦闘系審神者でない筈の俺が戦えたのは……屹度きっと、名前を明かしたからだ。夢での話で記憶は朧気だけれども……俺は、確かに彼奴に……本名を教えた。だから、さっき彼奴の力を借りる事が叶ったんだと思う……」
「……つまり、アレか……? アンタは、どっかの誰かに名前を握らせたって事か……?」
「そう、なるんだろうね……。俺は、真名をとある刀剣男士へ預けたんだ…………。今後起こり得るかもしれない万が一の事態に備えて……自分を失ってしまわないよう、この世に繋ぎ留めてもらう為の楔として。審神者さえ生きていれば、その審神者に励起された刀剣男士達は折れない限り生き続ける事が可能だからな……生存競争に勝つ為に託した希望とでも言おうか」
 彼女本人の口からもたらされた衝撃の事実に、彼は喉を震わせる事しか出来なかった。何とか言葉を紡ごうとするも、その声を震わせないようにするので精一杯だったのだ。
 異様にカラカラに渇く喉に生唾を飲み込む事で遣り過ごし、孫六は問う。
「主人……アンタが、真名を預けたっていうのは、何処の誰にだ?」
「……俺の本丸に居る、同田貫正国――たぬさんだよ。彼は、俺の辛苦を共に背負ってくれた、優しい御刀様だからね……。信頼の元で預けたんだと思うよ…………今の今まで、夢の話だとして確証は得られていなかったけれども。先の戦闘で確証は得た……。俺は、もうただの人間だった頃には戻れない。……まぁ、元より戻る気なんて更々無いんだが」
 其処で、孫六は、己の主人が負傷を負った事で危機的状況に追い込まれた結果、本性を露わにして常に無く好戦的に変貌した事を悟った。今まで知らなかった彼女の内に隠された危うさに気付き、そのあまりの危うい在り方を嘆いて、込み上げる感情を堪えるべく目を伏せた。
「……アンタの、その在り方はいけない……っ。そういう在り方は、俺達の専売特許だ。アンタの其れは、余りにも危うく脆い……。言ってしまえば、諸刃の剣になり兼ねん。平和な世に産まれ生きてきた娘が、どうしてこんな在り方を……」
「其れは……たぶん、戦闘狂紛いの血の気の多さが転じての事だろうなぁ……。以前、本丸が直に襲撃を受けた“大侵寇”の際も、恐れ慄くよりも得体の知れぬ高揚を覚えて、腹の底からゾクゾクと血が沸き上がるような……そんな感覚に至った事がある。その時点で、俺は他と違うんだろうなっていう事を悟ったよ……」
「…………」
 独白の全てを聞いた彼は内心で、――嗚呼、この人の子も自分と似たような感情を抱いていたのか……と、複雑な気持ちを抱いた。取り敢えず、今後彼女の危うげな在り方は改める必要があると認識した。
「ふふっ……こんな醜く歪んだ人間を、君はいとうかい?」
 ただの人間は、自分達と異なる分子を見付けると、途端に忌避し、恐れを抱く。不穏分子だ何だと囃し立て、騒ぎ、果てには孤独に追い遣る事だろう。其れを過去の経験から熟知している審神者は、歪んだ笑みを浮かべて言った。
 とうに根っこから歪んでしまっている事を分かっていた或刀は言っていた。“いびつだからこそ、尚愛しく、美しいのだ”――と……。彼女の現在り方は、最早今に始まった事ではない。ならば、其れを否定するのは、間違った選択となるだろう。彼女の歪さをも受け入れんとして、何が付喪だ。元より、己は彼女より励起された、正真正銘彼女の刀である。持ち主が己を信じて打ち明けたのだ。物が其れに応えずして何とする。
 孫六は長く深い溜め息を吐き切ってから伏せていた眼を開いた。そして、浅葱の目をしかと見開き、彼女を射抜いた。
「今更、そんな事如きで厭うものか……。俺は、主人の刀だぞ。アンタが俺を信ずるならば、俺は其れに応えるのみ。……アンタの覚悟、しかとこの身に受け取った」
 止血帯の真白の布に濃く滲む赤に、孫六は額を寄せて告げた。自身の忌避すべき部分も含めて受け入れると言った彼の言葉に安堵したのか、再び両の目を閉じた彼女は息をく。

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 間もなくして、敵の襲撃は収まり、敵の手は撤退。各避難シェルター拠点へは政府より派遣された応援部隊の者達が駆け付けた。此れにより、残党も含め全て塵芥と消え去った。我々時の政府勢力側の勝利である。
 今回の襲撃で負傷した者達は皆一様に政府直属の救護部隊に回収され、専用医療施設にて治療を受けたのち、各所属先へと戻された。彼女もまた、自身の本丸への帰還が叶い、心底安堵し、出迎えた各々からの熱い抱擁と心配する声を受け止めた。
「もうっ、本っっっ当に心配したんだからね!? たぬきの刀装が、戦闘した訳でもないのにいきなり砕け散った時なんて、主に何かあったんだって大騒ぎになって、兎に角気が気じゃなかったんだから……ッ!! 敵の襲撃受けてたとか冗談じゃないからね!? 今回は前回以上にガチの本気で心配したんだから、反省してよね!!!!」
「はははッ…………耳が痛い言葉だね……っ。その件に関しましては、俺自身心の底から申し訳なかったと思ってるよ……っ」
「金輪際、こんな真似しないでよね……っ。主が怪我するとか、痛々しくて見てらんないから……!」
「本当御免て……っ」
 一方、離れた場所から審神者と初期刀が交わす一部始終を見守っていた孫六は、己と同じく彼女達から一歩引いたところから静観していた者へ足を向けた。その事に早くも気付いたその者は、彼の鋭い視線を受け止めて控えめなトーンで口を開く。
「俺に訊きてぇ事が山程あるんだろ……?」
「話が早くて助かるよ」
「……此処じゃ場所が悪ィから、主への説明が済んだ後で構わねぇんだったら話してやるよ。だから、んな殺気立つな。逃げも隠れもしねぇでちゃんと説明責任は果たすからさァ……主の事、責めないでやってくれよ。彼奴も、考えがあっての今回だったんだろうからよ。恐らくだが……主が結果的力を使う事になったのは、手負いの獣状態だったが故の土壇場での判断からだと思うぜ。そういう意味では、俺ひとりが責められる義理は無いも等しいだろ……? なあ、自称主の用心棒さんよォ」
「重々承知の上だ……」
「なら、その馬鹿みてぇな殺気を収めるこったな。さっきからチクチク癪に障って仕方ねぇ。喧嘩売る相手を間違うなよ? 俺は、彼奴が望んだから、彼奴が望むように力を貸してやったまでだ。後から来た分際で生意気な悋気起こすんじゃねェーよ。俺は飽く迄も主のモンだ。所有物が持ち主の指示に従って何が悪い? 俺達は歴史を守る為に顕現した武器で、人間じゃねぇ。主も、其れを理解した上での采配を行ったに過ぎねぇ。……其れを履き違えるな」
 本丸で顕現した序列としては、黎明期から居る同田貫正国は先輩刀だ。先輩刀としての立場故、柄にも無く新刃刀を諌めるべく説教を垂れたのだ。彼が述べた事は全て至極真っ当な意見である事は、頭では理解していた。けれど、其れを素直に受け入れ切れないのは、自我を持ってしまったが故の事であった。
 今回、彼女が負傷するに至ったのは、側に付いていながら守り切れなかった自分の落ち度だ。其れを言い訳するような事はしない。ただ、何故彼女が真名を預けるに至った相手が己ではなかったのか、また、何故己はその事についての一切を聞かされていなかったのか、其処へ達するまでの信頼を得られていなかった事に気付いて悔しくなってしまっただけだ。情けなくも、八つ当たりをぶつけてしまった事を自覚し、返す言葉も無い。
 打ちひしがれて顔を上げれない孫六に、同田貫は先輩刀として慰めるべく、肩に手を置いてトントンと叩いた。
「まぁ、新刃ながらも主を生きて本丸まで無事に返したんだ。怪我一つだけで済んで良かったと喜べよ」
「……主人に敵の手が掛かるのを、一度ならず二度までも許しておいてか……?」
「審神者ってのは、誰彼に恨みを買いやすい職業だ。生きてるだけで儲けもん。主も其れを分かってるから、アンタを咎めなかった……違うか?」
「ッ…………」
「俺達は主に従うだけ。……アンタも、腹ァ括りな。主はっくに腹括ってんぜ。でなきゃ、俺に真名なんぞ預けねぇし、死に物狂いで敵と殺り合おうなんざ手に出ねぇよ。その点を踏まえれば、アンタは彼奴への理解が追い付いてねぇと手に取るように分かる……。だから分かりやすく嫉妬なんざ見せ付けてんだろ。くっだらねぇ。嫉妬なんてもん、犬も食わねぇぞ。アンタも主の刀だって言いてぇなら、覚悟を示せ。んで、自分が折れても良いってくらいの根性見せやがれや。そうでなきゃ、彼奴の手綱なんて取れねぇぞ。今俺が言えるのはそんくらいだ」
 最終的には何も言えずにただ黙って突っ立っていたらば、項垂れる自分の頭を鷲掴んだ同田貫に揺さぶられる。
何時いつまでもつまんねぇ湿気た面してねぇで、風呂行って汚れ落として、ついでにその面どうにかして来い。んで、服も着替え終わったら審神者部屋へ来い。話は其れからだ」
 そう言ってその場を去って行った彼に、雑な手付きで励まされた事を理解した孫六は、ぐしゃぐしゃに乱れた髪もそのままにポカンとしたのちに、遅れて込み上げてきた苦い笑みを噛み殺して答えた。
「嗚呼、そうだな…………一先ずは、そうさせてもらうとしましょうかね」
 此処で何時いつまでも惨めったらしく居るのは、覚悟を示してくれた彼女に申し訳が立たなくなる。両頬を叩いて気持ちを入れ替えた孫六は、自室へ着替えを取りに行こうと足を向けた。湯浴みが済んだら、今度こそ彼女へきちんと向き合う為に身形を整えておかねば。
 立ち止まっていた歩みを再開させた孫六は進み出す。彼女の刀であり続けるべく。
 斯くして、今回の襲撃事件以降、審神者が外出する際、用心棒としての護衛役を担うのは彼のお役目となるのであった。


執筆日:2023.11.30