枝葉の縁

※尚、作中の一部にて、一文字則宗と孫六兼元の回想・其の138『最強と無敵』の内容に触れる場面を含みます故、まだ未回収でネタバレ回避したい方はご注意くださいませ。


 其れは、筆での文字書きの練習をしている傍らの世間話で投げられた会話であった。
 本日の文字書き練習のお供に師範役を頼まれた歌仙兼定は、審神者の斜向かいで同じく筆を握りながら言葉を漏らした。
「僕に似て人見知りの気がある君にしては、随分と早い内から懐いたね」
「んー……もしかして、孫六さんの事言ってる……?」
「彼以外に当て嵌まる新刃刀も居ないだろう。存外、心を許しているように見えて、その実一線を引いて距離感を保つ君の事だ。慣れ親しむのにはもう少し掛かると思っていたのだけれど……意外な事にも、早い段階で懐く様子を見せるから、此れでも驚いた方なんだよ? まぁ、君がどのように新刃刀を扱い接するか、古参刀として遠くから見守っているつもりであったから、特に問題が無い限りはこれからも変わらず口出しするつもりは無いけれどね」
「え……そんな意外に思った?」
 手元の一点に視線を固定したまま零された言葉に、視線を上げた審神者は斜向かいの顔を見た。その視線に、一瞬だけ一瞥をくれるも、すぐに手元へと落として滑らかで柔らかな筆使いで文字を綴る方へ集中する事にした歌仙は話を続ける。
「彼の実装を政府より知らされた時、君は、いつも通り取り敢えずのていで鍛刀キャンペーンに参加する構えだったろう。だから、最初は其れ程乗り気じゃないのかと思っていたんだ」
「あぁ……まぁ、何時いつだって縁というものは運にも等しいものだろう。少なくとも、俺はそういう風に考えてて……孫六さんだけに限らず、他の子が来る時全てにおいて、“来る時は来る、来ない時は来ない”って構えだから。縁があればその内来るし、来ない時はまだその時じゃないんだなって感じでね。だから、俺自身としても、孫六さんが十連回し始めてたったの二回目で来るとは思わなくてマジでビビったんだわ」
「そういえば、あの時、彼が打たれる指定の時間である“03:00:00”が表示されていたから少なからず期待はしていたようだけれど、其処まで本気で期待しているようには見えなかったものね?」
「ALL700は枠としてはデカイからな。打刀のレア枠から普通に太刀まで狙えるし、来ても確率的に太刀よりもレア打の可能性のが高いが。其れでも、まぁワンチャン狙えるかなぐらいの心持ちでは居た。鍛刀時間確認して、改めて実装となった新刃についての情報をチェックしてたら、関繋がりで無骨さん……というよりは兼定と縁深いんだなって事を後から知って、“嗚呼、ならワンチャンマジで狙えるかもしれんな”と不思議な事に妙な確信を得てなくもなかったり……」
「じゃあ、主的にも、本当に来てくれるとは思っていなかった訳だ」
「そうなるねぇ……。――あっ、ミスった」
 手習いとして始めた毛筆書きの練習。子供の頃に一度、興味本位で習い事として習った事がなくもなかったが……如何せん、後片付けやら何やらの手間が面倒ですぐに辞めてしまった記憶しかない。おまけに、師範の先生が物凄く厳しい女性で、怒る度に門下生の子が泣き出す事も少なくなかった。自分も一度こっぴどく叱られて、以来その先生の事を苦手な人間として認識していたクチの一人だ。何故、わざわざ苦手とする分野を克服しようなどと思ったのか。全ては、審神者の業務の一環として必要になったからだった。
 近年、文明が発達したお陰で、筆どころか鉛筆すら手に取る機会の減った現代社会、物を書く機会が減って問題視される事も少なくない。審神者業界においては全くその範疇に当て嵌まらないが、その分面倒が増える事もある。毛筆での文字書きを練習し始めた切っ掛けも、護符やら霊符の作成に必要な事だから始めた事だ。此れ等は我々審神者にとって必要不可欠な作業である。しかし、直接筆で墨を用いて文字を書く事そのものに意味があるのだ。言葉とは、文字とは、古来より力を持ちしものとされている。よって、面倒な手間を惜しまずこうして日々上達を目指す事で糧となるのだ。
 そも、綺麗な字が書ければ、その分其れを見た人間からの評価にも繋がる。彼女の字は特別汚い訳ではなかったが、いざ実際に書き出してみると、少し癖があって、自分だけが読めれば良いという体で走り書きした時なんかの文字に至っては、“殴り書き”という言葉が相応しい程に読みづらいらしい。彼女の身内の者がそう言うのだから、他人から見た評価は恐らくそうなのだろう。自分でも、走り書きする時は文字を崩して書くから癖があるなとは自覚していた。まぁ、常日頃握るのは、筆よりも明らかにペンの類ばかりがその割合の大半を占めるが。其れも、学生の頃と比べたら圧倒的に減ったものだ。
 墨で汚れると落ちにくいという理由から、あまり筆を扱う事はしないのだが、業界上そうも言ってられない事もある。基本、護符や霊符の生成は各自自分達で調達しなければならない。己の霊力を込めて初めてその力を発揮するものだからこその代物故に致し方ないとは言え、やはり面倒な行程を挟む事には変わりない。審神者は苦手としながらも、暇さえあれば手首の具合を見ながら練習していた。文字は書かなくなると、途端に忘れていく。脳の活性化を促す意味でも、大事な作業だとして、筆を動かしていた。
 話しながら書いていた所為だろう。注意力散漫となった為か、集中力が切れた模様だ。書き仕損じた紙を台から外す為、文鎮を退けた。書き仕損じた物は、一旦畳の上に広げた新聞紙の上にでも広げて乾かす為に置いておく。そうして、新しい半紙を取り出し、目の前へと安置して、また文鎮で固定する。すぐに練習に戻ろうと思うも、文字書きの練習を始めてから既に其れなりの時間が経っていた。そろそろ手首が疲れてくる頃だろう。審神者は手に取ろうとした筆を筆置きへ置いて、足を崩した。
 腱鞘炎を患って以来、彼女は長時間の書き物が出来なくなった。しようと思えば出来なくもないが、ぶっ通しで続けていると、ぶり返したように手首や周囲の関節に痛みが走って軋むのだ。最早癖になってしまっていると言っても過言ではない。不便と思いながらも、一度痛めた過去を経た上で今があるので、そのまま放置している。一応、酷く痛む際は湿布薬などの処置は行うが。
 手首を労る素振りを見せた彼女に時間の経過を察した歌仙は、柱に掛けられた時計を見遣って呟いた。
「おや、もうこんな時間か。時間が過ぎ去るのは早いものだね。主も、疲れた事だろう? 今日のところは、この辺でやめにしておこうか。でないと、君の手首を酷使する事になる。痛むかい……?」
「いや……其処まででは。ただ、ちょっと違和感が出てるくらいかな」
「其れは暗に疲れたという証拠だろう? すまなかったね。僕が監督しておきながら、君との過ごす時間が過ぎ去るのが惜しくて、つい長居してしまった。刀数が増える毎に僕等古参の者と過ごす時間を取る機会も減ってしまうから、時折物寂しく思えなくも…………っと。流石に、今のは口が過ぎたね。忘れてくれ」
「いいや。数が増えたからと古参だからと一部の者だけを優遇する訳には行かないと、君達の優しさに甘えて手を回せていないのは事実だ。要領が悪くてすまんね……。古参の君達には、少し寂しい思いをさせていたか。口では何だかんだと言っておきながらこなし切れないとは……審神者失格かな?」
「其れこそ、僕達の驕りだろう。君の優しさに胡座をかいているのは僕達の方だ。君を責める謂れは無いよ。君は、君自身の事を成すだけで精一杯なのに……其れを不器用だからと嗤う者は此処には一振りとして居ない。だから、あまりそんな風に卑下しないでくれ」
「ははっ。悪い、癖なんでね。気を悪くせんでくれ」
 硯の中に残っていた墨を片すべく、書き仕損じて要らなくなった半紙で吸い取る。その後、硯箱の中へと仕舞って、残りの道具達も纏めて片付けてしまう。新聞紙の上に広げた半紙達はまだ乾き切っていないので、このまま部屋の隅の方にでも放置して、乾いたら後で回収する事としよう。
 粗方の片付けを終えた審神者は、片付けの際に墨で汚れた手を洗うべく腰を上げて戸を開けた。すると、室内に充満していた墨独特の匂いが換気されて、代わりに外の冷たい空気が入り込んでくる。室温との差にふるり、体を震わせて、審神者は入口との境目を踏み越えようとした。すると、不意に背後より声をかけられて、歌仙の居る後ろを振り返る。
「ねぇ、君……最初こそその気は無かったのに、やけに彼に入れ込むのはどうしてだい?」
「え……? どうして、か……。あんまり深くは考えてなかったけれども……そういえば何でなんだろうな、と今改めて思った。……けど、何で?」
「対人間とするよりかは、比較的僕等に対しての警戒が薄い事は今更だが……何が君をそうまでさせるのかがふと気になってね」
「成程ね。さて……確証は無いが、何となくの感覚から思い浮かぶ説を上げるなら…………。彼が、程々に戦好きの戦闘狂の気があり、また武器としては実戦刀として名高い事が俺のツボに当て嵌まったのではないかと。ほら、俺ってばリアルに御守りとして持つならどの刀かってなると、真っ先に実戦刀のたぬさん挙げるところあるじゃない? たぶん、そんなところから来る感情故の事なのではないかと。孫六さんにも、関の孫六としてのブランドがあるし。人斬りという点は一旦除いたとしてもさ、実戦刀としての武器の強さは折り紙付きだって証明されてる訳だから。俺、強い刀好きだし……たぬさんとの共通点挙げれば、結構あると思うよ」
「嗚呼……そういえば、君も大概好戦的で戦闘狂の性質を持ちし人だったね。雅じゃあないが」
 明らかな呆れの目を向けてきた歌仙に、審神者は小さな笑みを零して笑う。
「ははっ、戦に勝つ為なら手段を選ばん奴が何を言うかね? 自称文系の物理かます脳筋ゴリラが」
「君ねぇ。其れは雅じゃないからやめろと前にも言った筈だが? 仕置きが必要なら今此処でするのもやぶさかじゃあないぞ」
「良いじゃん、脳筋ゴリラ。強くて格好良いよ? 分かりやすくて、俺は好きだけれど。俺も文系言いつつ最終的には物理で解決させる脳筋派だからな。大抵の事は物理で解決出来る。故に、世の中力が全てなのよ」
「はぁ……っ。全く以て雅じゃない」
 呆れ過ぎて頭を抱え始めた歌仙が呻きを漏らす。其れを肩を竦めて受け止めた彼女は笑いを引っ込めぬまま返した。
「何故孫六さんに入れ込むのかについてだが……たぶん、今言った以外にも理由はあるんだと思う。自覚無いけど……何となく、自分に近しい匂いを感じ取ったんじゃないかなって思うよ。じゃなきゃ、たぬさんの時みたいに、知らず知らずの内に懐入られるの許してないもん。俺、こんな質だから……程々の距離感保ってくれる相手じゃないと苦手意識通り越してATフィールド全開で拒むからな。まぁ、自分の刀に其処まではならんにしても、一線を引いて接するのは間違いないさ。だから、そんな心配せずとも大丈夫だよ、俺は」
「君がそう言うのなら、僕も余計な口は挟まないでおくけれど……関の義兄弟の仲として、此れだけは言っておく。手綱はしっかり握っておく事。不埒者に誘拐された挙げ句監禁された一件の事もある……。彼が変に暴走しないよう、しっかりと目を光らせておくんだよ。勿論、僕達も同様に目は光らせておくが、本当の意味で手綱を取るのは審神者である君だからね。何かあったら相談するんだよ?」
「過保護だなぁ……っ」
「君は自分がどういう立場でどう周りに思われているか自覚無いようだからね。僕達が見ていなくては、また何かやらかされては堪ったもんじゃない。あんな驚きは二度と御免だよ」
 古参刀としてしっかりと釘を刺してくる辺り、頭が上がらない。思わず苦笑いを浮かべて、審神者は今度こそ部屋を出て行った。手に付いた真っ黒な墨を洗い落とすべく洗面所へと向かった彼女は、蛇口を捻って温水を出す。其れに手を濡らして、墨の付いた部分を擦り落とす。石鹸を付けて擦れば、泡に浮いたインクの成分が汚れとなって落ちていく。最後、水で洗い流せば、忽ち排水口へは黒く染まった泡が吸い込まれて行った。其れを何とは無しに眺めて水を止める。びしょ濡れの綺麗になった掌を改めて見れば、真っ黒な墨の跡は何処にも見当たらなかった。
「黒に染まる、か……。そういやぁ、たぬさんと同じで、孫六さんも真っ黒だったな……」
 服装の事を挙げて落とした呟きは、誰に拾われるという事も無く、排水口へと流れて行った汚れた水と同様に消えて霧散した。
 その後、彼女は部屋へと戻り、一人、孫六兼元という刀の来歴を洗おうと本棚に仕舞ってある資料とタブレットを引っ張り出す。そして、デジタルデータベースに眠るデータと紙媒体で纏めた資料とを見比べて、少しの間思考する事に耽った。

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 歌仙兼定と毛筆での文字書き練習を終えて数刻経った頃。とある刀が彼女の元へと訪ねていた。くだんの話に上った、孫六兼元――そのひとである。
 歌仙本刃ほんにんより、手習いの時間を終えた事を聞き及んだのだろう。休憩の為にと用意したお茶と本日の茶菓子を用意して部屋の前へとやって来た。
「主人、お茶と一緒に今日の御八つを持ってきたぞ。文字書きの練習も終わったという事なら、休憩するだろう? 失礼するぞ」
 入室に対する断りを挟んで部屋の入口の戸を開くが、中に居る筈の者からの返事が無かった事に首を傾げた孫六は、怪訝な顔を浮かべつつ、己の主人たる女の存在を呼ばった。
「主人……?」
 仕事中の時同様に机に齧り付いたまま頭を伏せている審神者へ近寄り、背後より覗き込んでみれば、手元は何か調べ物でもしていたのか、紙の資料が収められたファイルの束や彼女が走り書きしたのだろうメモらしき物で散らかっていた。審神者本人はどうしていたのかというと、調べ物途中で舟でも漕いだのか、そのまま寝落ちてしまったらしい。この冷える季節に何も着ないまま転た寝するのは非常によろしくない。
 孫六は机の片隅に手に持っていた盆を避けて置くと、自身の首に巻いていた襟巻きを解いて彼女の首へ巻き付けてやった。幅広く長い其れは、審神者が身に着けるとショールを羽織っているかのような絵面となった。此れだけではまだ風邪を引き兼ねんだろう。手短に置いてあった、文字書き練習する為にと脱いで置かれていた半纏を両肩へきちんと覆えるように羽織らせる。此れで良し、と言わんばかりに一つ頷きを落とした孫六は、調べ物途中で寝落ちてしまった彼女の傍らへ腰を下ろした。審神者が目を覚ますまでの見張り役を買って出たのだろう。
 厨当番の者が折角せっかく淹れてくれたお茶が冷めてしまうと思わなくもなかったが、お茶くらい後で淹れ直せば済む事だ。審神者としての業務以外でも自分達への理解を深めようと努力を怠らない彼女を労って、今は休ませる事にした孫六は敢えて起こさず見守った。手隙の暇潰しに、彼女の柔らかで細い猫毛の髪を梳いて遊ぶくらいは許されるだろうとして。


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 ――数分後、夢の淵を揺蕩っていた意識を浮上させた審神者は目蓋を震わせた。次いで、小さく呻き、俯いていた事でずり落ちた眼鏡のブリッジ部分を押し上げ、傾いていた体を伸ばしながら欠伸を漏らす。その際、自分の口元が何かに埋まったのを感じて、首を傾げた。首元を見下ろせば、何やら見覚えのある白の三本筋の入った黒い襟巻きが巻かれている事に気付く。道理で首元があったかかった訳か。
 審神者は転た寝から目覚めたばかりの半寝惚け頭で首を竦めて、いつの間にやら巻かれていた襟巻きへ鼻先まで埋めた。そうして、鼻腔を擽る、襟巻きに染み付いた彼の匂いをすん、と吸って、僅かに口元を緩める。嫌いではない匂いに包まれるのは、存外良い気分だ。自然と緩む口元にふにゃりと目元すらも和らげていると、不意に真横辺りから声が聞こえてきた。
「そんな風にされると、其れを貸した手前で返してもらうのが惜しくなるんだが……。随分と愛らしい事をしてくれるじゃないか主人? 俺が相手じゃなかったら、うっかり妬いてしまうところだったぞ」
 ギクリ、聞こえてきた声に体を硬直させた直後、ギギギ……ッ、と油の切れたブリキの玩具の如くぎこちない動きで横を向く。すれば、すぐ横の側で机に頬杖を付いてにやにやとやに下がった面を向ける男と目が合った。口元は未だ男の物に埋まったままだった。男は審神者と目が合うなり、浅葱の目を弓なりに弧を描かせてにんまりと笑う。
「ふふっ、おはようさん主人。勝手にお邪魔してるよ」
「……………………あの、何時いつから其処に…………?」
「主人が調べ物途中で寝落ちているのに気付いてから、まだ半刻も経ってはいないが……まぁ其れなりに。午前はまるっとお勤めで忙しく、午後からも文字書きの練習で疲れたんだろう。少しは休めたかい?」
「……あ゙ぃ゙、お陰様でゆっくり休む事が出来ました…………っ。その、君が来た事に全然気付かなくて御免ね……?」
「ふふっ……別に咎めるつもりなど端から無かったんで気にしないでくれ。其れよか……その襟巻き、気に入ったんなら、暫くそのまま貸しといてやろうか?」
「イエ……もう起きたので、丁重にお返し致します……。俺が寒くないようにって貸してくれたんだよね……。有難うございました」
「まぁ、そう言わずに。もう少しそうして居たら良いさ。否定しないって事は、気に入ったのは事実なんだろう?」
「ぅ゙っ………………何処から何処まで見てました?」
「一部始終の全て、かな……? ははっ……随分愛らしい事を仕出かしてくれたもんだ。俺が身に纏っている物がそんなに気に入ったか?」
 羞恥心から顔を上げれなくなってしまった審神者は、真っ赤に染まっているであろう顔を隠そうと襟巻きを深く被って俯いた。当然ながらではあるが、途端に彼の匂いに包まれてしまうのだから、堪らず審神者は後ろへと倒れ、悶え転がる。そのまま暫くジタバタと足をバタつかせていたが、すぐに疲れてパタリと動かなくなってしまった。息をしていない。まるで屍のようであった。
 仕方なく側へにじり寄った彼が審神者の肩をペシペシと叩いて意識を呼び戻す。
「おーい、何時いつまでそうしている気だー? 寝るならちゃんと布団に寝ろよ。動くのも疲れたと言うのなら俺が運んでやらなくもないが、どうする?」
「すぐ起きます……ッ!!」
「はいよ。別に俺自身はアンタを運ぶくらい造作もなかったがね」
「いや……流石に其処まで世話になる訳にゃイカンでしょうよ……っ。君達揃って審神者の事甘やかし過ぎだぞ……もっと叱ってくれても良いのよ……っ」
「ただでさえお疲れなところに鞭打つような真似はせんよ。俺にそういう趣味は無いんでね」
「さいでっか……」
「ところで、何かしらの調べ物をしていた事は机の状態を見て分かったが……何を調べていたんだ?」
 身を起こした審神者の肩から落ちた半纏を掛け直してやりながら問えば、再び一瞬ギクリと硬直させてからぎこちなく口を開いて言った。
「そのぉ……個人的に気になった事が何点かあったので、ちょっとばかし孫六兼元の事についてを少々…………」
「おっと、まさかの俺の事と来たか。ふむふむ、其れで……? その気になる事とやらは分かったのかい?」
「一応は……? 調べ物と言っても、君という刀がどういう刀なのか、来歴とかをちょっと洗い出してみてただけなんだけどね」
「俺の何が主人の中で引っ掛かったのかは知らんが、わざわざ自ら時間を掛けて調べるとは余っ程気になる事だったんだな。俺本刃に訊いてみるという手段もあっただろうに、敢えて其れを取らなかったとの風に見たが……その理由を訊いても?」
「えっと……ぶっちゃけ、君自身に訊いても分かんない可能性がワンチャンあったから、かなぁ……っ。ので、手当たり次第手元にある資料やら何やらを引っ張り出して調べてたって事にゃのです……」
「ほぉ。俺自身にも分からん事とは、一体どういう事か説明してもらっても?」
「え゙っ」
「えっ?」
 まさか其処まで追及されるとは思っていなかったのだろう。狼狽えた様子でおろおろと視線を右に左にと泳がせる彼女は、怪しさ満点であった。審神者の態度にスンッ……と真顔になった孫六は、その視線を覗き込もうと顔を寄せる。明らかなる圧に押し負けた審神者は、恥ずかしそうに襟巻きで鼻先まで顔半分を覆いながら答えた。
「正直に話すから……一旦顔退けて。近い……ッ」
「主人が好きな俺の目が近くにあるというのにか?」
「今その話関係無いから持ち出さんでくれ頼むッ……!」
「ふむ……しょうがない。話してくれるというのなら、聞こうか。そもが、俺の事を改めて知ろうなんざ今更な事と思うが」
「個人的に気になったら、分かるまでモヤモヤし続けちゃうので……手っ取り早く調べただけなので悪しからず……。そもそもが、調べる切っ掛けとなった素朴な疑問を抱いたのも、歌仙に言われた事が切っ掛けだし……」
「之定の歌仙が……? 俺について何を言われたと?」
「その…………ぇ、今思ったけどコレ、本刃にぶっちゃけて良い事なんか……? いや、まぁ……どうせ嘘付けない質だからどっちみちぶっちゃけた方が楽っちゃ楽なんだけど……ホンマに大丈夫なんかな。ぇ、何か不安になってきた……違ったら何か微妙な空気になりそうで嫌なんだけど…………」
「取り敢えず、話せる分だけ話してみてくれ。その後、空気が微妙になるかはさておきだ。ぶっちゃけ話してくれないと、逆に俺が気になり過ぎて夜しか眠れなくなるじゃないか」
「いや、しっかり寝れとるやんけ。ふざくんなボケ」
 唐突な罵倒にも涼しい顔で受け流した彼は、話の続きを待った。其れに促された審神者は、半ば気まずい空気ながらも口を割って話し始める。
「……その、何でコソコソ隠れるように調べ物してたかって言うとね……君が顕現した時の状況にどのような条件があったのかを整理したくて調べ物してたんですわ……。此れは、本丸にもよりけりなんだけど、鍛刀祈願の際には大抵その刀に纏わりそうな物を触媒として用意すんのね。んで、俺も実際鍛刀前に中の人動画を見ていざ鍛刀チャレンジしてみた訳なんだが……其れだけで顕現したというには、何か薄い気がして」
「其れでわざわざ休憩も取らずに調べ物をしていた、と……」
「来歴浚ったら何か分かるかもと思って、逸話やら何やらジャンル問わずに調べてみたら、まぁ幾つか、顕現に当たって必要となったんじゃねーかなって可能性のある資料を見付けまして……」
「ほぉ」
「其れで見付けた一説が、武田信玄の愛刀でもあったとかどうとか書かれたもので……。孫六さんて、孫六兼元が打った刀の集合体扱いだし、且つ物語から派生したものが顕現する時のベースになってるんじゃないかと個人的に思いまして。もし、信玄公が使ってたとされる逸話も混ざってるなら、ワンチャン鍛刀成功となった鍵に繋がるかもしんないのよね……。というのも、俺、こう見えて武田家の末裔に当たる血筋だしな」
「そうだったのか?」
「うん。実はね。俺も中学の頃に母親に聞かされて初めて知った事だったんだけど……俺の家系って、実は武家の血筋に当たるらしい。“らしい”とするのは、本当に家系図を見て確認した訳ではなく、飽く迄も人からの伝聞のみで知った情報だから。でも、武家の家系の血筋なのは本当の事らしい。母方の先祖の方が武田信玄の血縁者だったとか、親族の葬式か何かで寺で保管してる家系図を確認した時に見たから確かな情報筋なんだと。だから、武田信玄の一説もワンチャン有り得るのかも、と」
「此れは驚きだな……っ。まさか、主人が実は武家の出の者だったとは、聞かされなきゃ分からない話だ」
 純粋に驚いたのだろう。目をぱちくりと瞬かせながらしげしげと此方を見返してきた視線が物語っていた。其れを直に受け止めつつも、審神者は付け加える。
「末裔と言っても、かなり代重ねた上の本家か分家かも分からん事だからね。まぁ、この話聞いてからは、自分の血の気の多さはそっから来てんのかもなぁ〜と思わなくもなかったがな。戦と聞いて血が滾ったり戦闘狂の気があるのは、武家の血筋が影響しての事かもしれん」
 もにょもにょと首を埋めた襟巻きの余り部分を手遊びに弄りながら零した審神者は、そう話を区切った。
 縁がどう繋がったかは不明だが、自分の元へ来てくれたからには誠意を尽くしたい。彼女のそんな思いを暗に感じ取った孫六は、クスリと笑みを口元に乗せて笑った。
「そんな風に俺の事で頭をいっぱいに考えてくれた事については、純粋に嬉しく思うよ。……にしても、そんなに気になる事かね?」
「審神者としては、気になる事にゃのです。だって、まだお喚び出来ていない他所本丸の力になれるかもしれないんですもの……っ。顕現が物語派生のものだったら、媒介は多数に及ぶし、どの縁が結ぶか分かんないじゃない? まぁ、ウチは比較的ゆるっとしてっから、“来る時は来る、来ん時は来ん”としてるけどね。故に、新刀剣男士実装の知らせが来た時も、そんなに乗り気ではなかったんだよね。もしかしたら、逆にその物欲の無さが高じて物欲センサーが働かずに来てくれたのかもだけど。う〜ん、でも其れだとやっぱ条件として弱くない……?」
「……俺の場合に限っては、そんな難しく考える程の事はないと思うがね」
「へっ……? そうなん?」
 コテリ、小首を傾げて真横を見遣った彼女に、孫六はニヒルな笑みを乗せて口を開いた。
「そうだとも。俺がこの本丸に来たのは、恐らく来るべくして来たと言った感覚だからな。其れこそ、アンタに惹かれてという線が近いか」
「惹かれる、とは……?」
「少し臭い言い回しになるが、運命的とでも言うのかね……。俺がどういうものを好み己の基盤とするか、顕現してからの短い時を一緒に過ごした主人なら分かるだろう?」
「えっと……旨い飯と旨い酒に、多少の面倒事と義理人情――だったっけ?」
そらんじて言える程にまで覚えていてくれたか。ふふっ……俺は果報者だな……こんなにも主人からの寵愛を受けているんだから」
「孫六さん……?」
 ふと零された呟きに、意味を理解出来なかった審神者が不思議そうにその名を呼ばう。そのようにして己の名前を呼ばれる幸せを知ってしまった今、知らなかった時には戻れない。其れこそ、ただの鋼の石ころであった時になど。
 孫六は浅葱の目をゆるり緩めて、彼女の髪を一房掬い取った。男の自分よりも短い、けれど触り心地の良い其れは、肩に触れるかどうか程の長さである。ひと月前までは一つに纏めて結い上げていたが、気温が下がって寒くなったからか、半分下のみ下ろされ、残りは自分と似たような形で結われていた。
 完全に一緒でないのは、春先に散髪した際にバッサリとベリーショートの長さまで切った上に、襟足部分を刈り上げ風にしていた為、伸び揃うにも段カットで綺麗に揃わない為だった。団子状に結えなくもないのだろうが、長さが綺麗に揃っていない所為で、恐らく団子状に纏めたら短い部分がぴょんぴょんとはみ出て歪な形になってしまうだろう。――まぁ、その頃の自分は、まだ実装前で遥か深い海の底のようなところで意識を彷徨わせていたので知らなかった事なのだが、顕現してすぐの頃に己に縁ある刀達が教えてくれたのだ。
 最初は短かった髪も、時を経て徐々に徐々に伸び、今や首裏を覆えるくらいに伸びた。其れを、季節に応じてハーフアップに結わえている。団子結びに出来るくらい生え揃えば、晴れてお揃いとなるだろう。
 自分と似たような髪型にするのは敢えての事なのか。真相を訊く事は野暮ったく思えて訊いてはいないが、少なからず自分を思っての事だったなら嬉しい。
 刀は人と在ってきた物だ。その姿が持ち主と似た姿になれるなら、どんな姿であろうと喜ぶだろう。
 戯れに掬い取った髪に唇を寄せて口付けを落とす。
「俺が主人の声に応えて早くに顕現出来た理由を教えてやろうか……?」
「え、何々……?」
「其れはだな……アンタが俺好みの人間だったからだよ」
「えぇ……どういう事?」
「主人も義理人情に篤い方だろう? また、面倒事を抱え込みやすい質と来たもんだ……。其れでいて、おまけに俺を形作る枝葉を幾つも持ってるんだから……応えない方が可笑しいだろう?」
 孫六兼元とは、彼女が言うように、人が語り継ぎし物語を派生に顕現した刀だ。故に、彼を織り成す逸話は多岐に渡る。其れ故、容易な事では揺らがない。そんな彼の枝葉の幾筋かが審神者へと辿り着いたようだ。よって、深い海の底を揺蕩っていた意識は霊格を帯び、分霊としての核を得て、彼女の求めに応じて馳せ参じた。
 その浅葱の二ツ目が初めて覗いた際に映したものは、己を励起し審神者である女である。彼女と相見えた時より、この孫六兼元の物語は始まったのだ。彼女の刀在るべくして在れと。手繰り寄せた枝葉が脳髄で囁いた。
「なあ、主人。俺は来るべくしてこの本丸に来た訳だが……其れをアンタはどう捉える?」
 審神者の答えを待って浅葱の視線が一心に注がれる。此れを受けた審神者は、少しばかり照れ臭そうにはにかみながら答えた。
「ふふっ……そりゃあ、喜んで迎え入れるに決まってるでしょうとも。俺の声に応じて来てくれたんだもの。……俺はね、俺が出会うものは全て見るべくして知るべくして出会ってきたと思ってるの。だから、孫六さんもそうなんだと思う。所謂、運命的な感じで……? なんて言ったら、ちょっとアレかな……っ」
 口の中でくふくふと微笑を転がした審神者は再び襟巻きに鼻先まで埋めて笑った。其れに、もう愛しげな視線を注ぐのを隠しはしなかった。
「なあ、主人よ。一つ提案があるんだが……良いかね?」
「うん? 何だい?」
「アンタからの寵愛を受けるお返しに、俺も主人へ寵愛を注ぎたく思っているんだが……駄目か?」
「ひょえッ……! え〜…………マジすか……其れ、どれくらいの本気度です?」
「命懸けたって良いぞ。其れくらい、俺は主人にぞっこんの首ったけなのさ。この孫六兼元を此処まで骨抜きに惚れ込ませたんだ……其れ相応の責任を取ってもらえるんだろう?」
「あぇっ……待って、そんないきなり本気で来られると無理…………ッ」
「こらこら、逃げるんじゃないよ。アンタの事が好きで好きで仕方ないって言っているのに、逃げられたりなんかしたら悲しくなるだろう?」
「そんな事言いつつも、愉悦を隠そうとしないのは反則だと思います……! 端的に言って狡い……ッ!!」
「ははっ、バレたか」
 最初から隠す気も無かった癖に、何を言い出すのやら。
 本気で迫られると弱い事を知っている男は、逃げ腰の審神者の腰を捕まえて、その身を畳の上へと組み敷きながらうっそりと笑う。彼女の上へ覆い被さるように囲えば、途端に黒き衣と男の長い髪が肩より背中より落ちてきてカーテンを作った。薄暗闇に囲われた視界の中、鮮やかに輝くのは浅葱の二ツ目のみだ。思わず、その美しさに一寸ばかり見惚れてしまえば、あとは男の思うがままである。
 審神者の顔に掛けられていた眼鏡を取り外し、静かに顔を寄せれば、反射的にギュッと力強く目蓋を瞑られた。その閉じられた二ツ目の間辺りに狙いを定めて意図的に口付ければ、口付けた場所から注ぎ込まれた微量の神気が作用して、彼女の瞳の奥を侵蝕する。次に彼女がその目を見開けば、男と同じ色をした瞳が覗く事だろう。
 男の唇が離れたのを察して固く閉じていた目蓋をゆるり、開く。すると、愛おしくて堪らないと言った風に浅葱の二ツ目を蕩けさせた目と合った。
「嗚呼……思っていたよりも綺麗に染まったなぁ」
「えっ……何、どゆ事??」
「今主人に口付けた際にな、ちょっとでも俺の色に染まりやしないかと思って、お試し的に微量の神気を注いだんだ。そしたら、想像以上に綺麗に染まってくれたようで、嬉しくて嬉しくてね」
「えっ……! 今、俺の目どうなってんの!?」
「俺と同じ色になってるよ。まさしく、お揃いというやつだな」
「ほぁッ!? うっそ、マジか……!! えっ、ちょっ、鏡鏡……っ!!」
「此れで良いかい?」
「アザッス……!!」
 慌てて起き上がろうとしたので、素直に上から退いてやれば、鏡を所望するので、机上の隅に置かれていた折畳式の手鏡を手に取って渡してやる。其れを此れでもかと覗き込んだ審神者は、感嘆の声を漏らして瞬きした。
「ほえ〜……っ、ホンマや……マジで孫六さんとお揃いになっとる……! 凄ェッ……!!」
「勝手にやったが故に、てっきり怒られるのかとばかりに身構えていたんだが、予想外の反応だな……っ」
「え? 怒ったりなんかしないよ。だって、こんなにも綺麗に染まってんだもん。仮にカラコン入れたってこんな綺麗にはならんよ? ので、有難く感謝こそすれど、怒ったりなんかせんて」
「俺の色に染めた事を受け入れると……そう受け取って良いのか?」
「うん。孫六さんとお揃いの浅葱色お目々、俺も嬉しい!」
 にぱり、と音が付きそうな程の満面の笑みを浮かべた審神者に、施した側の孫六はキュッと口を引き結んだ後、眉間に盛大な皺を刻んで顔を覆ったかと思えば天を仰いだ。そして、ボソリと取り繕わない本音を呟く。
「今の反応に其れは狡いだろう……ッ。俺の主人はどうしてそうも俺を喜ばせる事ばかり言うんだ……!」
「え……? 御免、何て??」
「次こそアンタの事を抱くからな。二言は無いぞ。絶対抱く。そんで、芯から俺の色に染めてやる……ッ」
「ヒエッ! 何か怖い事言ってんだけど、どうしよう……っ。ところで、この目の色ってどれくらいで元に戻っちゃうの?」
「あぁ……まぁ、簡易的に微量のものを注いだだけだからな……。早くて数時間か、長く保っても一晩で元に戻るだろうよ」
「あいや……そんなすぐ戻っちゃうのか……にゃんだか勿体無いにゃぁ……っ」
 すぐに元に戻ってしまう事を残念がった審神者は思ったそのままの言葉を零した。すると、其れを聞いた彼がスンッ……とまた表情を削ぎ落として真顔となった。そして、審神者の両肩を掴んだと思えば、ガチトーンで呟く。
「よし、抱くか」
「は?」
「アンタが望むなら、今すぐ抱く事も吝かじゃないぞ。俺と本当の意味で揃いになりたければ、今すぐにでも可能だ。まぁ、ちょっと神気の注ぎ過ぎに気を付けんと酔わせちまうかもしれんから注意が必要だが……其処んところは俺に任せてくれ。絶対気持ち良くしてやるから」
「いや待って何でそういう話になってんの!?」
「アンタが俺と揃いになりたいと言ったからだが??」
「キスするだけでこうなるなら、わざわざエッチな行為まで及ぶ必要も無いのでは……っ」
「其れは其れ、此れは此れ。気持ち良い事は幾らやったって良いもんだろう?」
「駄目だ、このひと思考が完全に助平一辺倒と化してる……ッ! い、今はまだ昼間の内なので、明るい内からそういう事するのには抵抗があります!! あと、今はそういう気分じゃないし……っ。ので、またの機会という事でオナシャス……ッ!!」
「そう堅い事言わずに、なあ?」
「今日のところはキスだけで勘弁して……ッ。ほら、このお目々に免じてさ! ねっ?」
「むっ…………その言い方は狡いぞ……っ。けど、仕方ない……今は口吸いだけで我慢しておくか」
「うんうん……っ! キスくらいなら、まだ抵抗感薄いから……!」
「分かった。じゃあ、その内平気になる方向で慣れて行こうな。口吸いすらまだまともに出来てないから」
「ぅ゙あ゙ッッッ…………ん゙ん゙ッ…………ぜ、善処致します……」
「言質取ったからな。ほら、こっち向きな」
 そう言って、孫六は審神者の顔を引き寄せて少し強引に且つ性急に口付けた。そして、昼間だというのに濃厚なキスをお見舞いして審神者をその気にしてやろうと画策するのだった。実際は、審神者の言い付けを守って口付けだけに留めたが、おまけとして首元へ有り有りと分かりやすい痕を付けたのは彼なりの甘えだ。ギリギリハイネックの襟や髪の影に隠れるかどうか怪しい場所へ痕を付けられた事に、審神者は膨れっ面で抗議するも、痕が消えぬ内は襟巻きを貸しておくからという条件で飲む事になるのである。結局、惚れた相手に弱いのは何方も同じだ。
 最後に、またもう一度目の間の辺りに口付けを落とされて、二重重ねで浅葱色を移すのであった。其れを夕飯時に大広間へ移動した際に、出会う者皆に揶揄からかわれるのだが、この後すぐの話である。


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 昨晩、重ねに重ね合わせる為か、最早何度目か分からない口付けを両目の間で受け止めた審神者の瞳は、まぐわった訳でもないのにしっかり濃く其れなりの色相を保って浅葱色に輝いていた。寧ろ、昨晩の夕飯時よりもはっきりとしているのではないかというくらいにはくっきりと輪郭を帯びた浅葱色をした両目をぱちり、眼鏡の奥で瞬かせながら朝餉を食べに部屋を移動していたら。大広間へと続く道すがらで寡黙で陰気な雰囲気漂う大柄な太刀――こと、天下五剣の一つとして数えられる、大典太光世と一緒になった。
 向かう先が同じならばと、共に大広間へ行こうと誘った審神者の言葉に、言葉短く首肯を示して横へ並んで歩く。そうして、一緒に歩き始めてすぐ辺りで何かを思い出したらしい大典太は、内番ズボンのポケットから何やら掌大程の紙の束を取り出し、其れを審神者へと手渡してきた。意図が掴めなかった審神者は、小首を傾げて、己の手の内にある紙の束と其れを手渡してきた男の顔とを見比べる。すると、寡黙な大典太は、審神者の疑問符でいっぱいらしき思考を読み取って懇切丁寧に教えてくれた。
「其れ……アンタが、今年の長月の頃――今の暦で言うところの九月の頭ら辺だったか……? 高熱で寝込んだ病み上がり時に、俺を病斬りの加護として長らく側に置いていた時期があったろう。その時に、伴として付いて行った先で訪れた寺の事が書かれたパンフレットだ。あの後色々とドタバタしていたし、何かとゴタ付いて忙しかった為に、俺に預けたまま忘れていただろう……? 歌仙兼定から、アンタが最近来たばかりの新刃の顕現の事で頭を悩ませていると聞いてな……もしかしたら力になれるのかもしれんと思って、其れを渡しておきたかったんだ」
「ほあっ……! そういや、すっかり忘れてたね!? 何やすまんかったな、光世ちゃんや……っ!!」
「いや……俺に病を祓う事の出来る力があるのは事実だ……。其れにあやかって側に置かれる事も、毎度の事だから気にしていない。俺がアンタに伝えたかった事は其れだけじゃないんだが……」
「あぇ? まだあるの? おせぇーてくだせぇ……っ!」
「アンタ……確か、俺を伴に引き連れて行った先の寺で参拝していただろう? 足腰に効くとか言うヤツと、あともう一つ……アンタの友人だとか言っていた、学友時代の“先輩”とやらで審神者見習いの女と一緒に参拝した場所がもう一箇所あったろう? 記憶が確かなら、縁結びの御利益があるって言う……」
「あ〜っ! そういえば、確かにそんな処にお参りした事もあったっけか……! えと、其れが何か……?」
「孫六兼元を打ったのは、時系列的にその後という事になるだろう……? だから、アンタが彼是あれこれ考えていた事よりも、最も簡単で分かりやすく説得力の強い答えが其れなんじゃないかという事だ。あまり意識していなかっただけに、頭からすっぽり抜け出ていたんだろうが……。恐らく、アンタが心底驚く程早く孫六兼元を喚べたのは、彼処で祀られていた縁結びの神様とやらのお陰なんじゃないのか?」
「なっ……なん、だ、とぉ…………ッ!? そ、そんなまさか……っ、そんな事があっても良いと……!? この俺に!?? そんにゃ、馬鹿にゃ……ッ!?」
 最終的に行き着いた結果に、地味に驚くと同時にショックを覚えた審神者は、「ピシャーンッ!!」とまるで雷にでも打たれたかのような衝撃を受けた顔をして固まった。心無しか、わなわなと打ち震えていると、後ろからやって来たくだんの刀が顔を覗かせた。
「朝っぱらからこんな道のど真ん中で固まっているとは、一体何事だい主人……?」
「おぅふッ……噂をすれば何とやらにゃん……ッ」
「ほぅ? この孫六兼元の事を噂していたとは、一体どんな話をしていたのか、非常に興味深いなあ?」
「知りたいか……?」
「うん? 主人の代わりにアンタが教えてくれるっていうのかい?」
「あぁ……。恐らく、主は暫くショックを受けた衝撃から立ち直れんだろうからな。俺の口から話した方が早いだろう。仮に、主が復活したとしても、まともな精神では居られんだろうから……話をしようにもまともな会話が成立しないに俺の秘蔵の酒を賭ける」
「へぇ。アンタも酒好きなクチか。良いね……今度飲み比べと行こうじゃないか?」
「陰気な俺と飲んだところで面白くも楽しくも何ともないと思うが……そんな俺とわざわざ飲み比べしようなんざ、余程の物好きか」
「何、こう見えて俺は旨い飯と旨い酒が一等好きでね。話が合えば是非酒でも飲みながら語り合おうじゃないか。其れで……俺の・・主人と何の話をしていたんだって?」
 明確な意図での牽制としてわざと取って付けたような言い回しに、遠回しに自分以外の刀と話していた事に悋気を抱いたと示す、新刃ながらに肝の据わった刀は審神者と同じ浅葱色を嫌に細めて射抜く。本丸の顕現序列で言うと中盤期〜後半期寄りである大典太だが、其れでも顕現して日の浅い彼よりは先に顕現していた先輩刀である。所謂中堅どころを張るくらいの序列であるにも関わらず、また私闘ケンカを吹っ掛けるには向かない相手でもあるのに、あからさまな牽制を込めて絡まれた。基本的に他者との争いを好まない大典太は、面倒臭そうな空気を察して溜め息混じりに返事を返した。
「心配せずとも……俺は主とどうこうなろうだなんて一切考えていないから安心してくれ。……で、肝心のアンタについての話だが……。アンタと主との縁が繋がった要因の最も有力候補は、縁結びの御利益じゃないかという話をしていたのさ。主自身忘れていた事だったようだから、聞かされていない話だったろうが……主は、アンタを本丸に迎える少し前に、或る寺に行っててな……」
「縁結び……? 主人がか」
「あぁ。切っ掛けは、友人の勧めで偶々連れて行かれた先がその寺だったというだけなんだが……。其処で、アンタの主は、御利益があるからと寺へ参拝したついでに、祀られていた縁結びの神様にも参拝していたんだ。その時、主が願ったとされるのが、仕事に対する人の縁と……審神者の小さな願いとして、新刀剣男士との縁だったと聞いている。俺もお伴で連れられていたから、主と一緒に話を聞いていたが……どうも、その寺は子宝と縁結びの御利益がある寺で有名な場所という話だ。だから、主が今日まで挙げてきた臆測の説よりも、一番可能性が高く強くアンタ等を引き寄せたのは、縁結びの力が働いての事だろうな――という話を今していたところだったんだ」
「ほぉ〜……其れはまさかのまさかな話だったな。大変興味深い話を聞かせてもらったよ。有難う」
「別に……。話も終わった事だし、俺はもう行っても良いか? 先に行った兄弟が待っているんでな。じゃあな。……嗚呼、一つ忠告しておくが……主はそっちの方には疎い上に免疫低いから、あまり苛めてやるなよ。泣かれて被害を被るのは、おもにアンタの方になるだろうからな……。じゃあ、今度こそ失礼させてもらうよ」
「あぁ。この礼は、今度酒盛りを共にさせて頂く際にでも酒の肴を振る舞うって事でどうだい……?」
「アンタが腕を振るってくれるという訳か……」
「旨い酒に旨い肴が揃えば、言葉数は少なくとも話のタネくらいにはなるだろう? 腕には其れなりの自信があるんでね。まぁ、今後の楽しみに取っておいてくれ」
「そういう事なら……さっきの煽りに対する溜飲も下げるとしよう。まぁ、小心者な俺が端から喧嘩なぞ買う気も無かったがな。一応、楽しみにしておいてやるよ」
「引き留めて悪かったな。じゃあ、また後で」
 話が済むなり、大典太はさっさとその場を去って朝餉を取りに移動した。まぁ、二人の空間に巻き込まれるのを避けたというのが正解だろう。
 地味なショックを受け、宇宙猫と化していた審神者は、二振りが話し込んでいた間ずっと固まったままであった。其れを現実へ引き戻そうと、揃いとなった二ツ目を覗き込むようにして声をかける。
「おーいっ、主人〜? そろそろ戻って来〜いっ」
「――ハッ……!? にゃんとも奇妙な宇宙空間にトリップしちまってたぜ……! クルクル回るお惑星様ほしさまが綺麗だったんだぜ!」
「そうかい。少しばかり意識飛ばしてると思ってる内にアンタが何を見ていたのかは知らんが、戻ってきてくれて何よりだ。ところで……主人よ、俺とアンタが巡り合わせたのは、縁結びの御利益あってこその事だと今しがた大典太光世から聞いたんだが、どうしてそんな大事な話教えてくれなかったんだ……?」
 愉悦を満面の笑みに貼り付けてにやにやと揶揄からかう満々の様子で圧を掛けてくる孫六に、審神者は思い切り明後日の方向へと首を背けて気まずげに目を泳がせる。その内、引いても尚迫って来る勢いに負けた審神者は、昨日から借りっ放しの三本杉を模した柄の入った黒い襟巻きに鼻先まで顔を埋めてもごもごと口を割った。
「光世ちゃんに言われるまで思い至らなかっただけだよ…………ッ。だから、そう迫られて脅されても、此れ以上出る物は何も……ッ」
「はははっ、そうかい。という事はだ……やはり、俺とアンタは巡り逢うべくして出会った、という訳だなっ。縁結びの縁が、俺と主人とを結び付けたとは、言い得て妙だとは思わないか? ふふふっ……此れ程までに愉快な回答は得られまいよ……! まさしく、俺達は運命的な出会いを果たしていた訳だ。嗚呼、義理人情の美しきかな。俺と主人との縁を結ぶ手助けをしてくれたっていう、その神様には感謝しなければな。今度、一緒に御礼参りにでも行くかい?」
「行くのは別に構わないけれど……子宝祈願はしないからね」
「主人が望まぬ内は俺も望みはせんよ。……まぁ、気が変わった時は一言言ってくれたら良いさ。その時は、容赦加減無しに抱き潰して、アンタが善がりに善がって狂うくらい昇天させてやろう」
「死刑宣告かよ、この物騒助平刀め……ッ」
 本当の意味で審神者の二ツ目が揃いの色に染まり切るまで、既にカウントダウンは刻まれているのだった。


▼以下、キスされた場所による意味を解説。
首・首筋:首や首筋へのキスは、『執着』への表れでもあるよう。噛み付く程のキスは怖いですが、優しいキスであれば、愛情表現の一つと受け止めてあげましょう。(※尚、作中においてのキスも例外無く愛情表現としての表れです故、何だかんだ惚れた弱みという形で受け止めている感じです。良かったね、孫六さん(笑))


執筆日:2023.12.09
公開日:2023.12.11