相見えたその時から焦がれ
絡め取られるは
何処までも遠く深い、境目も分からない泥沼のような底で声を聴いた。其れは、女とも男とも取れそうな、中性的な声音で、柔らかな……けれど、凛としていて芯のある、そんな響きだった。その声に導かれて、己の魂が霊格を帯び、確固たる形を成して形成されていくのを感じる。縁が結ばるとは、このような事を指すのかもしれない。そんな事を考えながら、明確な意思で以て呼び起こされた意識を引き寄せる。手繰り寄せた枝葉と何かが、光を帯びて形と成った。
男は、生まれて初めて目蓋を開き、その目に己を呼びし者の姿を映し、顕現を果たした証としての口上を述べた。
「討ち入られれば討ち返す、暗殺、血闘お手の物。武士に、浪人、用心棒――……」
開いた眼に映った者は、人の子であった。顔付きは童顔で幼く見えなくもないが、その人の子から漂う雰囲気から恐らく齢は妙齢程といったところだろうか。何やら驚き固まったように息を呑んだ佇まいで此方を見上げていた。
其れを見下ろしながら、男は浅葱色の双眸を細めた。今代、己が主人と仰ぐは、まさかの
明らかにまだ年若いであろう女人などに戦の采配を握らせ、自分のような存在を励起しなければならない程、旗本は悪いのか。口上を述べる最中に脳裏を巡った事はそんな事である。
しかし、目の前で息衝く人の子は、自身の口上を述べ終わらぬ内に何とも形容し難い顔をして、その小さな口を動かし声を発した。
「ぇっ……嘘、マジか? え? 早ッ…………いや、来てくれたんは純粋に嬉しいんだけど、ガチで驚き過ぎて思わず息呑んじゃったわ……。――うん、そうそう。孫六さん来てくれました。まさかの二十連目でお迎えという最速の早さで、現在進行形で動揺に対する余韻が凄まじい」
「――人斬りの花形、最上大業物の孫六兼元とは俺の事…………って、大層驚いたんだろう事は分かったが、せめて口上くらい最後まで言わせてくれないかね、主人……?」
「っくく、アカン……声とのギャップやば過ぎて脳味噌バグる……ッ。控えめに言って笑けてきてしまうんやが、どうにかならんかな……っっっ? ――ははっ……無理か、分かった。頑張って慣れるわ。そっちも引き続き鍛刀頑張ってね。お先にお迎え叶った俺も、早くそっちにも来てくれるよう祈っとくから」
「…………?」
一人で自己完結したように喋る様子に首を傾げていると、片耳へ手を当てるようにして喋っていた女が苦笑を浮かべながら答えをくれた。
「すまんすまん……っ。お姉やんとリアルタイムで通信しながら鍛刀してたから、変な感じの対応になって御免やで。改めまして、ようこそいらっしゃいました〜! 来てくれて有難うね、孫六さん。俺は、此処本丸で指揮を預からせてもらってる審神者になります。こんなよく分からん奴が審神者やけど、どうぞこれから末永く宜しゅう頼んますね……っ! とりま、まずは新刀剣男士恒例行事の撮影会と称しまして、ちょっとスクショ撮らせてね」
簡単な自己紹介を終えるなり、手にしていた掌よりも少し大きめ程の金属の板を目の前に掲げてカシャカシャと何かの音を鳴らす。何かしら意味があるのだろう其れを行った後、満足したような笑みを浮かべて改めて此方へ向き直った。
「いや〜、まさかこんな早くお出迎え出来ると思ってなかっただけに変に動揺しちゃって御免ね? 今まで鍛刀キャンペで鍛刀成功しても、二十連目とかっつー早さで来た事無かったからさ。鍛刀当番担当してくれた無骨さんには感謝にゃのです……! 無骨さんには誉進呈なる! ホンマに有難うね〜!!」
「此レはただ主人から任された務めを果たしたまで。故に、礼には及ばない。早めに迎えれた事は喜ばしい……が、お陰で資材が余りに余ってしまっていルが……どうすル? 追加で回すのか、否か、指示を」
「まだ受取箱の資材も受け取り切れてないもんなぁ〜……。資材は貯蓄する分には全然良いんだけど、減らなきゃイベント報酬で貰ってたの受け取れないしなぁ。かと言って、十連二回回したくらいじゃ日課任務こなすだけで元に戻っちゃうし……。今回は乱舞用の二振り目狙いでもう少し回してみるとしようか。思ったより早く来ちゃったから、予想以上に目減りしてなくて資材余りまくってるし。まぁ、別に一振りお迎え出来れば十分だから、後はゆるっと適当に回すという感じで行こうか」
女は、顕現したばかりの己を放置して、隣のお仲間と言葉を交わした。一旦、その視線は己から離れ、手元の冊子の方へと移される。遠目に覗き込むと、何やら黒い字で文字が綴られているのを察するに、何かを記録した物なのだろう事が窺えた。書面で見て分かるように纏めているとは、どうやら真面目な質の者なようだ。
「鍛刀当番はどうすル……?」
「う〜ん、そうだねぇ……。
「承知した。では、此レは一旦失礼すル。孫六兼元とは、また後で」
近侍の者だろうか。近しい縁を感じる者が鍛刀部屋を去って、自分と審神者だけが残された。何を任されるのかを大人しく待っていれば、此方を振り返った女がはにかんだような微笑を浮かべて口を開く。
「今のは、無骨さん――こと、人間無骨。関の義兄弟たる君にとっては、何かと縁があるんじゃないかな? 紹介が遅れてすまんね」
「いや……今のを聞いて、成程と納得していたよ。そうか……兼定の縁が、俺を呼んだか」
「今のところ実装が叶ってる兼定三振りは全員揃ってるし、その他君と最も縁深いであろうだんだら模様の新撰組刀も全員揃ってるよ。今日は君の入隊を祝して歓迎会を開くと思うから、夜は宴になるだろうね。所謂無礼講というヤツになるから、君も好きならお酒を楽しむと良い。但し、羽目は外し過ぎないようにね?」
「ほぉ。そんな風に歓迎してもらえるのは嬉しいな。是非とも御相伴に与らせてもらおうかね。旨い酒に旨い飯、其れに義理人情と多少の面倒事まで揃えば、俺の出番だ。そういう意味では、此処は良い場所なんだな」
「まぁ、これからゆっくり知っていけば良いさ」
「歓迎会とやらには、主人も参加するのかい?」
「そりゃあ勿論。目出度く新刃君が来てくれたんだもの。来てくれて有難うって事で、皆と一緒に君の参陣を祝うよ。気持ちとしては、一緒にお酒も楽しめたなら良かったのだけど……今仕事詰まってて忙しいから、お酒は控えさせてもらうがね……っ」
「おや、そいつぁ残念だ」
「ふふ、お酒はまた今度の機会という事で。さて……話は此れくらいにして、一先ずは本丸内の案内をしようか。案内役を呼ぶから、ちょいとお待ちを」
鍛刀部屋から出るなり、懐から小さな鐘を取り出したかと思うと、女は其れを鳴らして一振りの名前を呼んだ。
「清光や〜い、お呼びだよ。おいでおくんなましぃ〜っ」
鐘の音は不思議な程よく響き、鼓膜を揺らした。すると、鐘の音を聞き付けてか、何処からともなく一振りの刀がやって来る。
「主、俺の事呼んだ?」
「応ともさね。この度、目出度くも新刀剣男士のお出迎えが叶ったんでな。本丸の案内役を頼みたくて呼んだんだ。生憎、俺はこの後もまだ仕事でな……っ。また部屋に籠もらにゃならんから、その間に孫六さんの案内をお願いしたくてね。部屋については、事前に伝えた通りの空き部屋のどれかを宛てがってあげて。その他の説明については、清光に任せる」
「りょ〜かいっ。じゃあ、後は全部俺が引き継いどくね。鍛刀お疲れ様、主」
「うん。そんじゃあ、俺は持ち場に戻るよ。来て早々構ってやれんですまなんだや、孫六さん」
「仕事とあらば致し方あるまい。次は、夜の宴会の時にでも」
「ほいたら、また後でね」
そう言って、まだ仕事が残っていると告げて離れに在るという自室へと戻って行った女。その忙しさに、この短時間で審神者が務める仕事量の多さが少し分かった気がした。
主人と仰ぐ娘と何処と無く近しい雰囲気を纏う刀と向き合い、口を開く。
「アンタが、此処の初期刀か何かか……?」
「そっ。俺、加州清光。この本丸の初期刀で最古参の古株だよ。アンタが、今回主がお迎えしたっていう孫六兼元ね」
「如何にも。俺こそが、関の孫六且つ三本杉の焼刃で有名な最上大業物こと孫六兼元だ。来て早々主人が女だって知って少しお驚いたよ」
「まぁ、俺達刀からしてみれば、基本武器を扱うのは男って印象が強いから、ギャップを感じるのも無理はないよね〜。でも、ウチの本丸はあの人が審神者で主だから。ちょっと危なかっしいところもあるけど、根は真面目で優しい良い子だし、何より俺達の事物凄く大事にしてくれる上に愛情たっぷり注いでくれるから……アンタもその内分かるようになるよ、あの人の良さを」
「へぇ、其れは楽しみだな」
今しがた分かれたばかりの娘を思い浮かべて思う。華奢な線の細さに曲線を帯びた独特の体付きから、見るからに女だと分かる見た目をした彼女。しかし、いざ口を開けば、随分と男勝りな言葉遣いと妙に古めかしい言い回しが、何処かその存在をちぐはぐとさせた。見た目は女、けれど中身は男のようにも受け取られる。何とも曖昧で掴み所のない娘だ。
言葉を交わすまでは、女と来ればさぞか弱く、虫も殺せないような者なのだろうと勝手に想像していた。だが、いざ口を開いてみれば、その予想が良い意味で裏切られた事を知る。眼鏡の奥から覗いた二ツ目には、歴史を守るという戦に真に向き合ってきた歴戦の猛者としての威厳が溢れていた。其れこそ、何処と無く好戦的な色すら覗く目付きには、興味が
――その後、何やかんやを挟んで初陣を許された己は、特別何を言われた訳でもなく、主人の望むような働きをと戦果を挙げ、中傷の身で帰城した。本陣へ突っ込んだまでは良かったが、力及ばずあと一歩というところで大将首を討ち取り損ね、惜しくも敗退という形で帰城する他無かった。悔しくも歯噛みしながら血塗れのボロボロ状態でゲート門を潜ると、其処には主人たる審神者が待ってくれていた。
「おかえりんしゃい、孫六さん……! お勤めご苦労様です!! さっ、手入れ部屋の準備は出来てるから、行こうか……っ。肩、貸した方が良いかい?」
「ははっ……其処まで重傷じゃあないから不要だ。気持ちだけ頂いておくよ……っ」
「戦には敗れたかもしれないけれども、君が無事折れずに帰ってきてくれただけで有難いよ。戦に負けた事自体は悔しいかもしれないけどもね。其れも、新刃たる君が経験すべき洗礼だ。その悔しさをバネにこれから頑張って行けば良い。君が強い刀である事は知っているからね」
「慰めのつもりか……? だとしたら、少しばかり甘く見られたものだなぁ……っ。
「いいや。でも、伝えるべき時に伝えておかないと後悔する事もあるからね。だから、言ったまでさ」
「そうかい……っ」
一度は断った筈の支えの手を、しかし彼女はそっと己の背へと回して触れた。その手が血に汚れてしまう事も厭わずに。古来より、女人は子を成すが故に血への耐性はあるものとしてきたが……成程、確かな筋の話だったらしい。
そのまま、己を手入れ部屋へと連れ込んだ後、必要な資材と霊力を回して、後の事は式神に任せ、大人しく傷が完治するまで寝て治す事を命じられた。寝て治るものなら寝るんだが――と漏らしたのは自分だが、まさか本気で寝かされるとは思っていなくて、審神者を振り返り見たのは記憶に新しい。
「孫六さんは中傷になってすぐに真剣必殺出してくれたから、損傷も軽くて治りも早いから、然程時間掛からずに手入れ部屋から出られると思うよ。初陣で疲れただろうし、今日のところはゆっくりお休み。札使って一瞬で手入れ完了する事も出来なくはないけども……まぁ、其処まで急く必要も無いしな。ゆっくり養生して、また次宜しく頼むよ」
「別に動けない程重傷を負った訳じゃないんだがなぁ……」
「手入れ部屋で大人しくする事も、また経験の内さな。一応、食事時には厨番の子達に運ばせるから、食事面の心配は要らんぞ。あと、暇潰し用の何かも用意してやっとこうか……。孫六さん、本はお好きかい?」
「まぁ、其れなりに嗜むかな」
「じゃあ、書庫から適当なのを見繕って持ってきておくから、手入れ中暇で退屈で仕方ないって時にでも読んでくれ。中には、手入れ中じっとするのが苦手な子も居るんでね……そういう子達の為の暇潰し方法も幾らかあるから、必要に応じて用意しよう。話し相手が必要なら、其れも勘定に入れておくが……?」
「いや……既に十分だよ。心遣い、感謝する……っ」
「礼には及ばんさ。俺がしたくてやってる事だ。俺は戦の指揮を執るだけで、現場の事は君達に任せ切りだからな。此れくらいしか心を尽くせんが……まぁ、何かあればまた声をかけてくれ。俺は仕事に戻るが、部屋の外に誰かしらを待機させておくから、何かあれば其奴に声かけてやってくれ。大人しく養生するんだぞ」
去り際、布団へ横になる己の頭を撫でて行った事に、妙なむず痒さを覚えながらも、決して悪い気はしないと思う。手入れの過程で本体の刀に触れた時もそうだが、彼女に触れられるのは、存外心地良いと知った。彼女の手に撫でられた前頭部に触れて、その優しく温かな熱にまた触れたいと願いながら、余韻に浸った。
後日、リベンジにと挑んだ出陣先で勝ち取った大将首を掲げて帰城したら、受け取りを丁重に拒否されてしまった。予想していた事ではあったが、どうやら人の子は敵の大将首を貰っても扱いに困るからという理由であまり喜ばないらしい。刀の身としては、戦勝の証になると思ったのだが……。回収は、南海太郎朝尊が喜んで引き受け、何やら不気味な笑みを浮かべていたのだけが印象に残っている。
本丸に顕現してから幾らかの日が経った或日、近侍のお役目を任された。この本丸では、近侍の任は数日〜数週間程で交代する仕組みなんだそう。采配は、審神者の気まぐれで、大抵は古参の者が務める事が多いと聞く。基本的には、一度は皆必ず任せられる仕事だという事で、新参者の自分にも役目が回ってきたようだ。
名誉とも言える仕事に喜んで引き受ければ、事務仕事を片す審神者の傍らに護衛も兼ねて侍る。戦う事こそが主軸の自分が、やれ野良仕事だ事務仕事だのは向かなかったが、此処では好き嫌いを言わずにこなさねばなるまい。文句を言わずに簡単な事務処理を手伝っている傍らで、無言なままも如何なものかと思って言葉を発した。
「審神者ってのは、思っていたよりも遣るべき仕事量が多いんだなぁ。此れを今までずっと続けてきたのかと思うと、素直に尊敬するよ」
「あー……まぁ、此れでも昔に比べたら楽になった方なんだぜ? 俺、審神者やってる歴としては、比較的古参の中堅寄りなんだけどさ……初期の頃はマジで仕事量半端無くてな。ブラックも良いとこだったんだぜ。今は政府の方もだいぶ改善してホワイト化したから日課量もマシになったし、新人審神者にも優しい体制になったけど。俺が審神者んなった時はまだ真っ黒な暗黒期でねぇ……そりゃもうしんどかったわな色々と。ぶっちゃけ糞みてぇな任務あったし。何なの、一日数振り必ず手入れしろみたいなヤツ……意味分かんなかったわ。普通に考えて阿呆じゃねぇーのと思ったね。控えめに言ってクソだわ。許すまじ黒社会。撲滅してしまえ」
「そんなに大変な時期が……いやはや、頭が上がらないねぇ」
「そんなのを経てきた今、俺はホワイト運営出来てて物凄く幸せです……。守りたい、皆の笑顔……」
「成程ね……。争いを好まない主人らしい事だ」
「戦は嫌いだよ。戦なんてやったって碌な事は無い。生むのは利益なんかじゃない……飢えと憎しみの連鎖だ。戦争が起きれば、
「そう言いつつも、主人はなかなかに好戦的な性格をしていると見るが……?」
「其れは其れ、此れは此れ。血の気の多さは、また別の話さね」
非道く矛盾していると思った。戦を嫌いながらも、その実は心の奥底で燻るものを抱いている。そんなところが、負けん気の強さとして表面上に表れているのだろう。人の子の面白さでもあった。
演練先で見た彼女の姿は、まさしく戦の指揮を執る者だった。やるなら勝てる戦を。ぶつけるなら全力で。女だてらにその力を振るってはいない事をまざまざと見せ付けられた。己の刀等を信じ、思いを託して采配を執る。他所本丸の部隊との模擬戦という形での戦だったが、観戦の為にその場に佇む彼女からはある種の畏怖や覇気を感じた。戦に対する熱気がそうさせたのかは分からないが、己の部隊が得物を振るう様を凝視する彼女の姿が脳裏に焼き付いて離れない。爛々と見開かれた二ツ目は、敵と対峙した時の自分達と似通った空気を察したのだ。
本丸の執務室でただ事務方に就いている今の彼女に、そんな空気は微塵も感じられないが。アレが彼女本来の素の姿だとしたら、嬉しいようなそうでないような複雑な感情に苛まれた。ただの人間で収まっている内は、出来れば戦など避けた方が良いに決まっている。でも、血に飢えた刀が居るのは事実で、人斬りであった自分もその一振りだ。彼女みたいなか弱い見た目の娘が侍るには向かない。其れを分かり切っていて敢えて侍るのならば、余程の好き者である。
乾いた紙の音と文字を綴るペンの音が響く一室の中で、何か興味を惹く事はないかと探った。出来る事なら、淡々とした言葉の遣り取りをするのではなく、素の感情でぶつかり合いたい。
目を通し終えた書類を卓へ置いてから、一つ鎌をかけてみる事にした。
「なぁ、アンタは戦を嫌うという割には、こんなにも戦の側に身を置く仕事に就いているが……其れは何故だ? 嫌なら、政府からの勧誘など断れた筈だろう?」
「そうさな……。でも、俺は最終的に審神者になる道を選んだ。自分の意志で、君達刀剣男士という存在と共に在る事を選んだんだ。その決断に、悔いは一つ足りとも無いよ。在るが儘の歴史を守る……其れが俺の使命だ」
「泰平の世から招致されたにも関わらず、ご立派だ事だ」
「何が言いたい……?」
其処で初めてペンを動かす手を止めた審神者が、顔を上げ、此方を見た。次いで、怪訝な顔を作って、眉を顰める。穏やかで淡々としていた声音に険が滲んだのを察して、内心ほくそ笑んだ。獲物が罠に引っ掛かったと。そのまま、浅葱の目を向けて、意味深に笑みを浮かべて言葉を紡いだ。
「だってそうだろう……? アンタは良い歳した女だってのに、男には目も向けず戦の采配を執る為、日々仕事に明け暮れている。健気だと思うと同時に哀れに思えてなぁ……」
「俺を、可哀想だとでも
「人の子の娘ならば、誰ぞ好い人を見付けて結納の儀を交わしたのちに子を成すだろう。その道を奪われたのだとしたら、憐憫で泣いてしまいそうだと思えてな。もし、アンタが望むなら、慰めの相手にならん事も
「今すぐその減らず口を慎まんと、その舌切り刻んで二度と喋れんようにするぞ」
突如、ぶわりと総毛立つような怒りの矛先を向けられ、思わず口を閉ざした。喉から這うような低音で以て言葉を発した彼女の目が、眼鏡の奥でギラリと光る。瞳孔すらかっぴらかれているのではないかとせん程の鋭き眼光が己を突き刺した。途端、腑の底をゾクリとした何かが走って高ぶるのを感じた。其れを自覚すると同時に吊り上がる口端を隠しもせずに、わざと煽る言葉を重ねようと口を開く。
「その殺気……ただ燻らせておくには勿体無いねぇ。肥前のに負けず劣らず、良い殺気をしてる……堪らなく唆られるよ。女らしかぬそのドスの利いた声も、アンタ足らしめるものとして、包み隠さず曝け出してみろよ」
「俺を、可哀想な目で見るな……ッ。俺は、お前なんかに憐れまれる程落ちぶれちゃいないし、まだまともな精神で以て勤めている……! 好きで俺はこの場に居るんだ、其れを憐れむ事は許さんぞ貴様ァ……ッ!!」
「はははッ、良いぞ良いぞ……! もっと曝け出してみろ! そうでなきゃ、つまらんだろう? アンタは此処の大将首だ。其れを、あんな斬り応えも無い骨ばかりの奴等なんかに容易く刈り取られるなんざ御免なんでな。発破をかけてどれくらいの反応を見せるか、試してみたのさ。結果、思った以上の手応えを得れた事に満足しているが」
「あ゙ぁ゙……? 何……端に人の事煽りたかっただけかよ……ッ。良い趣味してんな、お前……。次やったらその髪ズル剥けの丸禿げにしてやるからな。よぉく覚えとけ、クソが……ッ」
「ふふふっ……クソか、ははッ……口が大層お悪い事で」
「悪う御座んしたね。嫌なら煽んじゃねぇーよバァーカ」
一気に険を削がれたような不貞腐れた顔をして書類を捌くのに戻る事にしたのか、ずり落ちた眼鏡のブリッジ部分を直し、手放していたペンに再び手を伸ばして手元へ視線を投げた。心無しか、文字を書く手付きが荒々しくなっているのは気のせいではないだろう。
クツリ、喉奥で笑みを零した後に、卓上に手を付いて身を乗り出し、彼女の目の前へ影を作れば、其れを煩わしく思った審神者が再び険のある視線を寄越して睨んだ。
「……おい、光を遮るな。手元が見づらくなるから――、」
「その懐に飼い慣らす殺気を殺す事はするなよ。でないと、アンタみたいな人間はすぐに死ぬ。良くて拐かされた先で後継を産む為の種として利用され兼ねん。女とは、昔からそういう意味として戦には向かんとされてきた。力で勝てないと分かり切っているからな。一度捻じ伏せてしまえば、最後その命尽きるまで喰い物にされるだけだ。……此れは侮辱ではなく警告だよ、主人」
「はッ……んな扱い受けるくらいなら、舌でも噛み切って死んだ方がマシだね」
「敵側にその慈悲が残っていればの話だがな」
するり、審神者の細い首に手を伸ばして掴む。男とは言え、打刀である自分の掌でさえこのようにして容易に掴める細さなのだから、敵から見ればもっと脆く儚く映るだろう。手折る事も難くはない筈だ。けれど、其れは己の刃が許さないだろう。敵の手になどくれてやるくらいならば、
生まれてこの方二十数年余りばかりの娘が、見上げた覚悟である。そんな彼女の覚悟を、笑いはしなかった。ただ愛しいものとして、受け入れる。何より、決死の打首覚悟で生きてきた連中とは縁深い身だ。目の前で負けん気を張って睨み付けてくる娘もまた、そんな連中と近しいものを持っていた。故に、目を惹き心を惹くものがあった。
「俺は此れでも此処の暮らしを気に入っているんだ……そう安々と死なれても困るんでね。敵に襲われたとて、勝手に死ぬんじゃないよ」
「敵の手に堕ちるくらいなら、テメェが討ち取るとでも……?」
「アンタだって、敵の手に犯されるくらいなら、自分の刀に斬られて死ぬ方が余っ程マシと思えるだろう……?」
女の真白い首を手にしたまま告げれば、其れを咎めるでもなく受け入れた女が眼鏡の奥で笑う。
「この短期間で俺の事よく分かってるじゃないか」
「初っ端あんなブチ切れ方されてりゃあな。アンタが
「狂犬とは言い得て妙だ」
「アンタだって、恐ろしく怖い牙を隠し持っているじゃないか。嗚呼、アンタの場合は、牙というよりは爪かな……? まぁ、その何方共か。兎に角、その鋭さを尖らせたままにしておけよ。心の刃は
言い含めるようにして告げた言葉に瞬きで以て頷いてみせた審神者に満足して手を浮かせれば、不意にその手を取られ、まるで甘えるように擦り寄られた。突然の其れに驚き目を瞠って見つめる事しか出来ずに居たらば、ふと女の目が眼鏡越しにツイ、と寄越される。
「仮に、もしその時が来たとしても……君は君が成すべき使命を全うしろ。目の前に居る敵に一切の容赦をするな。この手は、俺を守る為にあるものじゃない……其れを肝に銘じておけ」
「……主人の身も守れずして、用心棒なぞ名乗れないんだがね。其れだけの覚悟表明と受け取っても……?」
「俺も含めた上での歴史と言うのなら、其れは其れで構わんが……君達の本来の仕事は、飽く迄も歴史修正主義者を狩る事。其れを忘れちゃならない。……俺の存在は二の次くらいで良いんだよ」
「アンタが居なきゃ、元も子もない話だがな。俺が刀を振るうは無論言われるまでもなく……ただ、その霊力源は俺を励起するアンタが居てこそ成り立つ話だ。其れを忘れてもらっちゃ困るぞ」
「ふふっ……案外可愛い事を言うね」
弧を描いた二ツ目が、眼鏡の奥で煌めく。次いで、カリリッ、と手の甲へ立てられた小さな歯に、先程のものとは別の感情がゾクリと内側に沸き立つのを感じた。女の犬歯が淡く立てられた箇所を凝視する如く目を離せないでいると、戯れにも歯を立てたお詫びだと言うような労りの口付けが落とされる。途端、柔い唇が関節部位に触れて、ピクリと手指が揺れた。
「俺とて半端な覚悟で此処まで来ちゃいないんだ。自分の死に方や死に場所くらい自分で決めるさ。敵の世話になるなど、死んでも御免
ただの娘にしてはよく尖った牙をしている。まるで、獣の如き其れに愉悦を覚えなくもなかった。
そうこうしていれば、書類片付けに飽きたのか、戯れに己の手を弄くり遊び始めた。さっきまでの威勢の良さは何処へ行ったのやら。鳴りを潜めて子供っぽく振る舞う審神者に、落差を感じずには居られず、苦笑を漏らさらざるを得なかった。
その後、暫くそのまま放置していれば、審神者が猫のように己の手へ頬擦りをして言った。
「孫六さんの手は大きくて温いね。此れで刀を握るんだから、そりゃ格好良いに決まってるわな」
「其れは……褒めてるのか?」
「さぁて、どっちだろうにゃあ」
女は妖しく微笑む。某童話に出て来る
思い付きで煽ってみるも、結局相手を真に揺らがす事は叶わず、躱されてしまった。逆に、自分の方が翻弄されているとは……末恐ろしい女だ。その女が自身に心傾けてくれる事を嬉しく思うのも、また妙に思えてゾクリと肌が粟立った。
所詮、根っこは似た者同士とでも言うのか。引き寄せた枝葉に混じったものを何処と無く擽ったく思いつつも、悪い気はしないで飼い慣らそうとするのだから、結局は同じ穴の
いつか、その真白の細い首が血に塗れてしまわぬ事だけを祈っておこう。手折るなら、せめてもの慰みとして我が手の内であらん事を――。擦り寄る頬を撫ぜてやりながらそんな事を思うのだった。
公開日:2023.12.14