秘するが花

 偶々、読書に勤しむか、午睡にでも微睡むか、はたまた鍛錬に精でも出すかくらいしか遣る事が無かった――内番も宛てがわれていない非番の日の事だ。
 その日は、近侍でもないが何となく審神者の自室に居座って、暫くは手持ち無沙汰に書物を片手に出入口側の柱を背に腰を据えて凭れ掛かり、用心棒らしく控えていた。だが、途中で目が疲れてきたのと、内容を読み込む事への集中が欠いてきたのを察して、栞を挟むだけ挟んで読むのを止めた。その後、少しの間ばかりは雑務をこなす審神者の後ろ背を眺めたりなどしていたが、次第に眠気を感じ始めて、己の腕を枕にごろりと仰向けに横になったのを覚えている。
 此処は本丸の中でも最も護りの強い区画であるし、何より現在実装の許されている刀の内である火車切と大慶直胤二振り以外は顕現済みという、大所帯も大所帯の刀剣所持数に加え、全ての刀剣達が本丸内に留まっている日である。常に警戒・見廻りの刀達が居る事も思えば、余程の事でも起こらない限りは一寸ばかし気を緩める者が居たとしても然程問題にもなるまい。
 そう思って、思考を溶かしていく睡魔に身を委ねて、暫し短い小休憩と題してごろ寝に喫した。幸い、その日の近侍は、己が審神者と恋仲である事を抜きにしても、近侍でもなければ特別用事が無くとも側に居る事に対して何も文句を言ってこないタイプの刀であった。しかも、審神者と己双方を慮ってか、自分が居なくとも審神者一人でこなし切れるものと見るや否や、自分の仕事に片が付き次第自然な理由を付けて席を外す、空気の読める者でもあった。空気を読んでくれるのは有難いが、其処まで気遣わずとも良いとは思う端で、まぁ立場を譲ってくれるのであれば有難くと思っている己も同居していて、結局は配慮に甘んじて居座らせてもらっている。
 審神者自身も、気にならない内は大概放任主義を貫くたちなので、好きにしたら良いと言わんばかりに放り置かれた。片や暇刃、片や仕事中な身故に我が儘は言わない。けれども、ちょっかいを出さぬ代わりに傍らで様子を見守りつつ護衛事をするくらいは許して欲しい。其れも、気の緩みから今から一休みに入るけれども。
 仕事に勤しむ自分の背後で己が一寝入りする為に畳へ直に横になった事は、衣擦れの音や気配で気付いていただろう。しかし、其れでもやはりと言うべきか、何も咎める言は口にせず、視界の端で捉えるくらいの視線を寄越すくらいですぐに手元の端末へ意識を戻した。
 甘やかされている自覚はあった。互いが甘えに甘えて、享受する・しないの遣り取りは意識の狭間の水面下で行われていたが。咎めがないのなら、つまりはそういう事なのだろうとして、後は微睡むままに考える事を放棄した。


 ――どの程度の時間が経過したのだろうか。ふと、意識が浮上して微睡みの淵より覚醒する。体感的には数刻程しか経っていないと思われるが、意識が眠りの淵より覚めたならば起きるか否か、一寸ばかし思案した。
 時間にして数秒程だろう。不意に瞑ったままの目蓋の向こう側が翳った事を意識の端で認知し、何者かが己のすぐ側の距離に居る事を気配で悟る。相手は誰だ。万が一、何かあっても良いように本体は手放さずのまま懐に抱えて眠ったので、何か起きれば直ぐ様抜刀出来る準備だけは整っている。眠ったフリを続けながら、神経だけを研ぎ澄ませて相手の出方を探る。
 気配を探ったところ、どうも相手は部屋の主である審神者らしかった。よって、其処まで警戒する必要も無いかと張り詰めかけた緊張を緩ませる。さてはて、我が主人殿は一体全体何をしようと企んでいるのやら。おおよそ、寝込みを襲って可愛い悪戯でも仕掛けようとでもしているのだろう。ならば、直前の不意打ちに目をぱちりと開いて驚かせてやろうか。
 そう思い至って、暫しそのままの状態を維持して様子を見る事にした。すると、すぐ側に居ると思しき審神者が何やら横になった己が頭を置く程近い位置へ手を置こうとする素振りを見せたのを感じる。直後、右耳のすぐ近くから畳の小さく軋む音が聞こえた。予想した通りなら、この後己に対して何かしらの行動を起こすのだろう。努めて寝たフリを続けながら様子を窺っていれば、顔に覆い被さるような感覚の次に吐息の掛かる気配を感じて、最も距離感が縮まったくらいでフッと目を開いてみた。すると、やはりという具合に至近距離に迫った審神者の顔が目の前にあった。
 しかし、予想に反して、審神者は平常通りの顔付きをしており、特に悪戯を仕掛けようとしたとかいった反応は見られなかった。別に期待していた訳ではないが、予想が外れた事に妙な残念さを感じて、自然と憮然とした顔付きとなる。恐らく、傍から見れば折角せっかく気持ち良く寝ているところを起こされて不機嫌である……という風に思われる事だろう。そんな顔付きをしている自覚があった。だが、此れを見た審神者からは何とも在り来りな言葉が降ってきた。
「あ……御免、起こしちゃったか。起こす気は無かったんだけど、気配に敏い君の事だから近寄れば起きちゃうよね。配慮に欠けてすまんかった」
「……いや。そもが、あんたは仕事中な傍らで、俺は単に暇潰しで居座っている身分だ。勝手に部屋の隅でごろ寝していた俺も悪かった。……で、主人は寝ている俺の上に覆い被さって何しようとしていたんだ?」
「あぁ、君の頭んとこに置いてあった本が気になって手に取ろうとしただけだよ。その所為で、腕が君の頭の上を股越す形になったから、其れで寝てる君を起こす事になっちゃったんだけども」
 そういえば、眠る前に読み途中で閉じた本を頭のすぐ側辺りに置いてから眠ったのだったか。審神者も程々に本好きの部類に入る者だ。己が何の本を読んでいたのか、興味本位で手に取ろうと思ったのだろう。
 そう考え至るのと同時に、“何だ、悪戯を企んでいた訳ではなかったのか……”と無駄に期待していた風な気持ちに気付いて、少しばかりつまらなく感じた。読みが外れた事が、何故だか至極残念に思えたのだ。何をそんなに期待していたのやら。此れでは、ただの人間の男と然して変わらないじゃないか。
 自覚は無かったが、憮然とした顔付きを予想が外れて拗ねていると捉えたらしい審神者は、にまりと口端を吊り上げて揶揄からかい混じりの視線を乗せて言う。
「……何だ、俺が何か君にやらかす前提で期待でもしていたのかな?」
「……別に、そんなつもりではなかったが……」
「ふふ、相変わらず君はいね」
 そう言ってクツリ、と含み笑んだ審神者は、一寸ばかし何かを思案する風にふと無の表情を作ってそのまま静止した。不意にこういう表情を取ると、途端に威圧感を醸し出すから機嫌を損ねたのかと誤解されがちだが、こういう時の思考パターンを読めていれば、彼女が今何を考えあぐねているかは手に取るように分かった。
 此れは、己が観察してきた経験則からの物言いとなるが、今のようにふと無の表情となって考え込む時は、内なる欲求と闘っている事のが多いと分析する。更に付け加えるならば、今のようにじわじわと瞳を揺らがせながらも葛藤するように僅かに眉間の皺を作る時は、大抵俗物的な事を考えていると見た。
 たぶん……というよりは経験上、促さねば口を割らんだろうと思った己が先に口を開いてやった。この女主人、意外にも普段は何でも大胆に物理行使で物事を解決するタイプの人種なのだが、その実は神経質且つかなりの慎重派故なのか、本音を上手い事隠すのに長けている。何処ぞの鶯太刀のように本音を言うのを得意としないらしい。だからこそ、気付いた時になるべく溜め込ませず吐き出させてやるのが恋刀たる己の役目でもある。一応、其れなりの信頼を勝ち得ているようらしく、己には比較的素直に口を開いてくれる方であると自負している。
「どうした……? 何かあるのならば、俺で良ければ聞こう。遠慮せずに言ってみな」
 端的に先を促してやれば、此れに口の中でもごつかせていた言葉を吐き出す事にしたようで。観念したかの如く溜め息を吐き出してから、ぽつりぽつりと胸の内を吐露し始めた。
「いや……わざわざ口にする程大した事でもないんだが……」
「だが、何か言葉にしづらい事があるんだろう? 何でも良いから吐き出してみな」
「あ゙ー……いや、やっぱ良いや。また今度の機会にする」
「何だ何だ。随分と勿体振るじゃないか。そんな風に言われると、逆に気になってしまうだろう?」
「何でもないったら何でもないよ」
「俺と睦まじい仲じゃないか。其処まで言いかけたのなら、いっその事全部打ち明けてくれれば良いのに……つれないね」
 そんな言い回しで言葉を返せば、まだ感情の読めた表情をしていた審神者がスンッ……と再び無の顔となるなり、不意打ちで視界を覆われた。抵抗すればすぐにでも外れる程の柔い拘束だが、一瞬でも視界を奪うには十分な隙であった。全く意図せぬ展開に思わず、「なっ……!?」という小声が漏れ出る。
 どういう意図での目隠しなのかが読めず、動向を探ろうとそのままで居れば、ふと唇に柔く生温かい感触が降ってきた。この感触は、経験則から察するに口付けであろう。突然の其れに驚きを隠せずに覆いの下で目を丸くしていれば、フッと明るくなった視界に目を遮り覆い隠していた掌が退けられた事を察した。次いで、視界を巡らし、未だ己の上に覆い被さった状態を保つ審神者を窺い見る。すると、一見ただの無の表情なように見えて、内なる欲と闘っているのか目元を微かに赤らめさせた表情の彼女が居た。
 視線のみで口付けの意図を問えば、もごりと控えめに開いた口で小さな声で以て答える。
「その……嫌だったのなら、御免……」
「嫌ではないから安心して欲しいんだが……何故、今俺に口付けをしたのか。あんたの心が知りたい」
「……何となく、期待されてたのかなぁ〜って風に思えて……? 後は…………純粋なる興味本位から来る出来心が勝ったのと、無防備な孫六さんが可愛――ん゙ん゙っ、大変色っぽく映りましたので……魔が差してしまった、とだけ…………っ」
「ほぉ……? 寝込みを襲うとは、主人もなかなかにやるようになったじゃないか。ふふっ……まぁ、少なからず主人からの何かしらの悪戯が来ないか期待していたところはあった故、素直に認めよう」
「ん……? という事は、俺が本を取ろうとしてた時点で起きてたって事かいな?」
「そういう事になるかな。あぁ……先んじて言っておくが、相手があんたであると分かった上で戯れに様子を探ってたってのも理由に含むぞ。他の奴等が相手なら近付いた時点で目を開けて起きてる事を示したさ。念の為に言い重ねておくと、今言った以外に他意は無いのでご安心を」
 全く、意地らしいにも程があるこって……。素直に甘えるのが苦手だからと、言葉にするのではなく直接行動で示すとは。なかなかに大胆である。其処がまた愛おしいのだが、さて。お次はどうしたいのかを問わねばなるまい。
 手遊びに己の顔横に散らばる黒髪を一房指に絡めて遊び始めた我が主人へと、上目遣いで見つめてやりながら問う。
「其れで……? 口付けをした後はどうしたいんだ。うん?」
 挑発するようにわざと煽る口調で訊ねれば、チラリ、欲の滲む色を見せつつも、まだ昼間であり仕事の最中だからと理性が咎めて必死に抑え込む風に眉間に力を入れる反応を返した。実に分かりやすくて逆に心配になってくる程に。
 真面目で清楚そうに見えて、その実、本性を暴けば、意外にも性欲強めなたちなのか、度々欲求不満を訴え出す体が疼いて仕方ないらしい。其れを、何て事はないみたいな顔をしてひた隠しにしているのだから、此れを意地らしいと言わずして何と称す。身に余る欲を抑え込み続けるのは至難の業だろう。溜め込み過ぎれば、霊力の循環にも支障を来す。早い話が、適度な発散を促してやる事が解決の早道であった。
 色事を直接体に教え込み、体を重ねて感じる快感を覚えさせたのは己自身である。求められれば、断る選択肢は無い。元より、好いた女に誘われれば受けて立つような気質だ。普段は美麗な名刀名剣に囲まれつつも、負けず劣らずの男前度を発揮する程の御仁であるが、しとねで己に組み敷かれた時ばかりは生まれた性に違わずしおらしくなる。そのギャップがまた堪らなくハマっていく理由の一つでもあった。
 言外に肯定の意を汲んだ問いかけに、欲に濡れた瞳が揺らぐ。じわり潤む目を一寸ばかり伏せると、観念したかのように口を開く。
「ぅ゙っ……ま、まだ日も高い内から盛る程飢えてはいないので…………。でも、ちょっとばかしムラッと来ちゃったのは事実なので……ッ」
「ムラッと来た、と。…………ふ、ふふ……っ、そうかい。無防備に寝ていた俺を見て疼く熱が煽られたか。くくッ……構わんよ。口付けくらい何時いつだって何回だろうとも大歓迎さ。主人の気が済むまで付き合ってやろう」
「いや……今以上にキスなんぞしちゃったら、其れこそ発情しかねんので遠慮しておく……」
「発情とな」
「言い得て妙な響きは其れぐらいしか思い当たらんでな……。という訳で、すまんが俺は此れにて失礼して仕事に戻るとするよ。あ、本はまた次の機会に読ませて頂ければ結構なんで――」
 其れ程までに昂ってしまっているのなら、抑えるよりも軽く発散した方が多少は楽になるだろう。直球的誘い方が不得手なら、いっその事意地らしいまでに間接的にでも求めてくれれば応えてやるのもやぶさかではないと、何度口にすれば分かってくれるのやら……。焦れったい感情に衝き動かされ、今度は己の方から仕掛けていく。
 素っ気無くもくるり此方に背を向け、体の向きを執務机の方側へ向けた彼女の――畳に付いた手をそのまま縫い留めんと、半身起こした勢いで己の掌を重ね置く形で引き留めた。そうして、逃さないとでも言うようにその場に固定し、首だけを振り返らせたところへ不意を突く形で唇を掠め取る。まさか今の流れで己から口付けをされるとは思っていなかったのだろう。完全に油断していたらしい彼女があからさまに動揺した様子でビクリと肩を揺らした。其れに気分を良くしながら、尚も攻める手は緩めず、舌で唇を割入り口内を蹂躙する。
 劣情に駆られていたのは真だった模様で、快楽に耐性の低い審神者はそのまま崩折れる如く腰砕けになった。即オチ2コマ宜しく、あっという間の陥落であった。銀糸引く唇を離して見遣れば、大層蕩け切った顔をしていた。此れは、誰にも見せられないものだろう。己だけが知っていれば其れで良い。決して己以外には見られる事を許してはならない、本丸の主人たる者としてあるまじきあられもない姿。己のみが知るところの、我が主人である女の顔。
 “秘するが花”とはよく言ったものだ。恋刀だからこそ許された、己のみが知る一面というものに優越感を感じて知らず愉悦に富んだ笑みを浮かべていた。
「あ〜あ〜、口付け一つだけに何て顔してるんだい? そんなにも欲求不満で体が求めて仕方ないのならば、俺を頼れば良い。俺は主人の刀であり、主人の恋刀だぞ? 利用出来るものは全て利用してしまえ。口でも手でも体でも、求められれば拒まんよ。何せ、俺はあんたという女に酷く溺れてハマり込んだ男だからなぁ〜……返って我慢される方が滾るってもんだ」
 そう言った直後に「という訳で、だ」と続けて、今まで自身が寝転んでいた場所へ反対に彼女を押し倒して組み敷く。次いで、耳元へ直接捩じ込むが如く唇を寄せて囁いた。
「少しばかり羽目を外したところで、どうせすぐに正気に戻って賢者タイムとやらになるあんたの事だ。余程気をトばさん限り心配は無用だよ。俺が付いている事だしな。安心して、一寸ばかし発散する方に集中しておけ」
 トドメとばかりの囁きを落とせば、なけなしの根性で繋ぎ止めていた理性を瓦解させたようで。尖らせた小さな牙を狩りをする獣のように喉元へと突き立て噛み付いてきた。動物的本能が勝ったのだろう。こうなれば、理性というものなどあってないようなものだ。可愛い仕返しを喜んで受け入れてやりつつ、迫り上がってくる笑みに口角を吊り上げほくそ笑んだ。
 辛抱強く待ての出来た、欲に飢えた可愛らしい獣に餌を与えてやらねばなるまい。此処で言う餌とは己自身であり、可愛らしい獣とは今おのが真下に組み敷き我が首元へ歯を立てる審神者の事である。
 果たして、本当にいのは何方か。わざわざ口にするまでもない。
 軽く愛撫しただけで吐息混じりの小さな嬌声が彼女の口より上がる。其れを他に聞かせてなるものかと口で塞ぎやれば、忽ち音はくぐもり室外には漏れにくくなる。仮に聞こえたとしても、其れは耳をそばだてでもしない限り聞こえんという話だ。余所事に意識を遣るくらいなら、今だけは行為に集中する方を選んで欲しい。そんな意図を含ませて、舌先を捕まえ甘く食みながらひたと熱を帯びた視線を注いだ。一瞬の隙すら見逃さんぞ、と分かりやすく示すように。

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 ――其れから、幾らかの時間が過ぎた頃。
 他の雑務をこなしていたらしい近侍殿が仕事の進捗の様子を確認しに戻ってきた。
「主、あれから進捗の程は如何でしょうか?」
「嗚呼……主人なら今俺の横で眠ってるよ」
「えっ……。孫六はまだ居たのか? というか、今何と……?」
 涅槃像の如く体を横たえて手元の書物へ視線を落としたまま応じれば、言葉の意味を掴み損ねた様子の近侍殿が一瞬怪訝な調子で聞き返す。此れに漸く文字から視線を上げ、体勢は変えずに首だけ背後を振り返って先と同じ口調で口を開いた。
「うん? 見たまんまを伝えただけなんだが……些か言葉足らずだったか? 此れは失礼。主人なら、少し疲れたから仮眠を取るんだと言って、その場で横に伸びたかと思ったら立ち所に寝入ってしまわれたぞ――という事が言いたかっただけなんだ。伝わらなんだったらすまんかったね」
「いや……まぁ、そういう事なのなら、主が起きた後にでもまた改めて様子を見に来る事にするよ。それでは、また後程出直そう」
「はいよ。主人が目覚めたら俺の口から伝えておこう。お務めご苦労さん」
 簡潔な言葉のみの遣り取りを交わして、本日の近侍殿は再び部屋から去って行った。其れをしっかり見届けてから、己の胸辺りに頭をくっつけて眠る審神者の安心し切った顔を見下ろす。今しがた近侍殿に向けて言った言葉は、実際に彼女自身の口から聞いた真実を織り交ぜて告げた為に嘘偽りは含んでいない。伝えずとも良い余計な部分は端折って必要な情報のみを共有したに過ぎない。
 まぁ、口付けだけとは言え、加減が出来ずに散々苛め倒してしまったが故に、もう暫くの間は目覚めないものと思うが――と思っている内に、ゆうるりと目を覚ました様子の審神者が緩慢な動作で目蓋を開いた。「おっ、思ったよりもお早い起床だったな?」と口を衝いて出ていった言葉を投げかけるも、寝起きてすぐな所為か頭が働かない様子でぼんやりと瞬いていた。そんなユルいところも愛らしくて、ついつい口角が上がってしまうのは最早仕方のない事だ。
 一先ず、彼女が短い小休憩で一寝入りしている内に顔を見せた近侍の様子を伝えておく。
「つい先程の事だが、近侍の篭手切江が一瞬だけ様子を見に来ていたぞ。しかし、主人が疲れて眠っていると伝えたら、また後程改めて様子を見に来るとだけ言って帰って行ったよ」
「あ゙ぇ……折角せっかく来てくれとったのに、すまねぇ篭手君や……」
「此処のところ、立て続けの連日で寝不足だったんだろう? まだ眠いのならそのまま寝ていても構わんよ。何かあれば俺が起こそう。ただでさえ睡眠負債が溜まっているんだ……少しでも寝てしまった方が体への負担も減るだろうさ。今ばかりは、仕事の事は忘れて寝ちまいな」
「うんにゃ……せめて、書類作成だけでも終わらせとかんと後が面倒じゃき起きるぅ……」
「そうかい」
 そう言って、のそのそとした動きで横たえていた体を起こし、くありと猫みたいな欠伸を一つ漏らしてしぱしぱと瞬きを落とす。我が主人がご起床とあらば己も起きるかと、涅槃図から片膝立てて胡座をかく姿勢へ移す。そのまま、仕事へと戻るであろう彼女の傍らに座す形で読書を続けようと、視線を文字へと落としかけたところで、ふと右肩に柔らかな温かみを感じて其方を向いた。見れば、此方側へと重心を傾けるように彼女が体を寄り掛からせていた。珍しくも、目に見えて分かる甘えの姿勢に一瞬だけ目を瞠るも、甘えの対象として選ばれた喜びが笑みとなってクツリ、と喉を鳴らす。
「仕事に戻るんじゃなかったのか……?」
 戯れに気安く咎めるような指摘の言葉をかけるも、発した声音は思っていたよりも優しく柔らかな音であった。其れを受け取った審神者は、子供が愚図るような声を口の中で漏らしてからボソリと小さく答える。
「ん゙ぅ゙……俺だって、偶には女らしくしなを作って誰かに甘えるみたく寄り掛かったりしたくなるよぅ。……普段じゃ絶対にしないけども」
「確かに、普段の生活の中ではあまり見る機会の無い事だな」
「平常時は、本丸を束ねる審神者らしく毅然としてあらねばの精神で以て仕事に当たってるからね……。どうしても男勝りな方が強く出ちゃうんだよ。そのお陰で、度々戦闘面においてお口の治安の悪さが垣間見えちゃうんですけれど」
「そうじゃない今は、貴重な一面を拝めた……という事か。ふふっ……其れは嬉しいね。主人が甘えても良いと思う対象に選ばれたという訳だ。心が歓喜に震えて今にも小躍りしてしまいそうだ」
「孫六さんが嬉しくなった反動で小躍り始めるシーンとか、控えめに言っても面白過ぎて見てみたいんだが……?」
「また今度の機会にな」
 己と二人だけの空間がそうさせたのか。はたまた、其れ程までの信頼を勝ち得ていたからなのか。恐らくは何方も答えに含まれるのだろう。甘えても良いと思われるまでの信頼は築いてきた自負はあるし、恋仲にある相手と二人だけの空間というものは口も緩みやすい。そのお陰様で、ポロリと口にされた本音を聞けた。
 彼女は、なかなかに警戒心が高い故に、本音を出すのを嫌う上に、出す相手を選ぶところがある。よって、滅多な事でもない限り、彼女の本音を聞く事は叶わない。たぶん、これまで吐き出された言葉達は、飽く迄も本音に程近いものだ。其れが、こんなにも甘えられた上で口にされるとは……好いた女に頼りにしていると示されて嬉しくない訳がなかった。
「取り敢えず、今はさっさと残りの仕事を片付けてしまいな。その後からでも時間は作れるんだ、その時になってから存分に甘えてくれば良い。でないと、あんたが其処まで心を許していない相手にまで女の顔をした姿を見せる事になるが……?」
「むっ……其れは、我が沽券にも関わる事なので非常に困る」
「そういう事なら、今暫し甘えたモードとやらはお預けだな」
 女の顔と称して違いない顔を浮かべた審神者の頬を擽るように手の甲で触れる。すれば、やけに神妙な顔を作った彼女が同調して頷いた。次いで、己の肩へコテンと預けていた頭を浮かせたかと思えば、離れ難さを表すように額を擦り寄せてきた。随分とまぁ心を許されたものだ。相手が最上大業物の人斬り刀にも関わらずに。敢えて口にはせずに心の内で独り言ちる。
 一度、仕事モードに切り替われば、先程まで緩慢な動きだったのから一変して、キビキビテキパキとした動作に変わる。その表情にも眼差しにも、先までの女らしく甘えた様子は窺えない。つまりは、己だけの知るところという訳だ。優越感に浸るな、という方が無理であった。


 其れから一刻程経過した頃に、再び顔を見せた近侍の声にいつもの審神者然とした顔付きで以て振り返る。
「近侍の篭手切江です。入室してもよろしいですか?」
「どうぞ〜」
「失礼致します。休憩から戻られたんですね。あれから進捗の程は如何でしょうか? 何か私が手伝える事があれば承りますが」
「うん。小休憩挟んで回復したから、今のところ順調よ。さっきは前置き無く休憩入れちゃって御免ねぇ〜。俺が休んでる間に篭手君来たって聞いて申し訳なかったわ」
「いえ。幾ら審神者にしか出来ない仕事ばかりとは言えど、休憩時間を挟むのも大事な事ですから。心の栄養もしっかりと取りませんとね!」
「ふはっ、そうやね。ほんじゃ、この一通り計算済みの書類、経理担当の子等に確認してもらいたいから持ってってもらえる? あと、こっちの打診案の方も一回意見取りたいから、余裕あれば回覧頼んだ」
「了解しました。此方、それぞれの担当の者達へ渡しておきますので、安心してお任せくださいね!」
「ふふっ。頼もしい限りだの」
「では、失礼致しました」
 折り目正しい一礼と共に発された退室台詞に、「うむ」と一言言葉短く返して緩く手を振って見送った。そんな一連の流れを、文字を追いながら横目に聞いていたのからポツリ口を零す。
「さっきまで猫のように甘えていた奴と同一人物とは思えん変わり身様だな……」
「そりゃ、当たり前だわさ。誰彼構わずに尻尾振る程、俺は安くも軽くもないぞ」
 当然の事のようにあっけらかんと言ってのける、其れこそが信頼の証であると言っているようなものなんだが。此れには黙して、口角を上げるのみで返事とするのだった。


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 其れからというもの。特に取り組めなどした訳ではないが、彼女が“審神者”という肩書きを忘れてただの女に戻りたく思った際に、小さな愛らしい悪戯を仕掛けられるようになった。
 ふと通りすがりにすれ違う時などに、声も無く不意打ちで後ろ髪や袖の端を控えめな力で摘まれ引っ張られるのだ。此方が其れに気付いて足を止めるなりその場に留まって振り返るなりすれば、その手は無言で離され、何事も無かったかのように去っていく。そんな意地らしくも愛らしい真似をされれば、此方も男である。期待に胸を膨らませて、宵が満ちた頃合いを見て閨を訪ねに向かう。この小さな愛らしい悪戯を、己は彼女なりの控えめな夜のお誘いであると察して受け入れた。


 ――暮夜の刻となった頃。
 夜陰に乗じて密かに閨を訪ねれば、満を持したように欲の滲んだ瞳を隠さずに彼女がにじり寄る。その頃には、すっかり心の準備が整っていたのだろう。熱くなった吐息を何とも悩ましげに色っぽく吐き出して、己の差し出した腕の中へとしな垂れ掛かってくる。体をくねらせ擦り寄る様は、発情した雌猫そのものだった。其れを逃さぬよう懐へ囲って閉じ込めて、噛み付くように深く口付け、行為を始める。
 身包み全てを剥ぎ取り、生まれた姿のまましとねへと転がし縫い留める頃には、彼女はすっかり出来上がった顔をしていた。たった一振りひとり、己だけが知り得る彼女の顔を視界に入れて愉悦に富んだ笑みを浮かべる。こんなの、馬鹿にもなるだろう。唯一無二、己だけしか知らぬ、己のみが許されているものなのだから。決して誰にも譲ってなどやるものか。独占欲に等しい感情をぶつけて痕を残す。白い肌に映える赤い花を咲かせた場所こそ、己以外が暴く事は無い場所。この行為こそが、己と彼女だけが知る秘め事だ。


執筆日:2024.07.15
加筆修正日:2024.07.17
公開日:2024.08.10