三千世界の鴉を殺して主と朝寝がしてみたい
「今宵、皆が寝静まった頃に主人の閨を訪ねても良いか……?」
そんな一声をかけられたのは、夕餉を済ました後、風呂でも入ろうかなどと考えながら自室へと戻る道すがらの事であった。
此れに審神者は、特に断る理由も見付からなかった為に、大して考える事無く頷いた。許可を得た彼は、「では、丑の刻辺りに参ろう。其れまで、閨で大人しく待っていてくれ」と妙に真面目振った口調で返し、用件を告げ終わるとさっさと背を向けて何処かへと行ってしまった。“何か重要な話でもあるのかな……?”と楽観的に考えた審神者は、取り敢えず言われた通りの時刻まで大人しく自室の寝室の方で寝ずに待っている事にする。
そして、約束の時間頃になって程無くして、審神者部屋の奥の間である寝室を訪ねる足音が聞こえてくる。足音の
「主人の孫六兼元、只今約束通りに馳せ参じた。約束を覚えていて且つ未だ起きている様子であれば、お目通り願えるだろうか?」
用心棒としての仕事時みたいに慇懃な態度でのお伺いを取る態度に、少しばかり普段とは異なる雰囲気を察して、緊張が滲み出そうになるのを不自然にならぬ程度に取り繕って呼び声に応える。
「おぉ、来たかね。言われた通り、大人しく
そう何気無く応えてやれば、襖を開けずのまま彼はこう返す。
「今、俺とを隔てるこの襖戸一枚を取り浚って招いた先に待つのは、男女の営みとやらを許可する事になるが……そういう意図で受け取っても良いと?」
「男女の営みについてなぞ今更の話だろう。わざわざ慇懃な態度に改まってまで許可を伺ってくるとは、どういう風の吹き回しだい?」
「何……偶には、きちんと形から入って許可を賜わろうと思ってね。……其れで、俺はこの先へ入室して良いという事で良いのかい?」
「だから、さっきからそう言ってるじゃんよ」
「では、改めて……失礼仕る」
慇懃な態度も真面目な口振りも変えずに仕切りとして隔てていた一枚の襖戸を引けば、忽ち覗くは大層整った顔をした美丈夫であった。何となく、普段と異なる雰囲気を感じ取って小首を傾げれば、
「この度は、主人に折り入って頼みたい事があって、夜分遅くなのも構わずにお目通り願った。まずは、こんな夜更けにも関わらず、寝ずに俺が来るまでを待ってくれていた事、感謝致す」
そう言うなり、慇懃にも頭を下げるものだから、どう受け答えるのが正解か迷い、戸惑った風に「お、おぅ……っ」といった言葉が返事として口から出ていった。此れをものともせず、意に介した様子もなく頭を元の位置へ戻した彼に、一先ずは話の先を促す言葉を次いでかける。
「其れで……折り入って俺に頼みたい事とは何ぞや?」
「単刀直入に言おう。俺は――三千世界の鴉を殺してでも主人と朝寝がしてみたい……。この意味が分かるか?」
思いもよらぬ言葉が飛び出てきた事に大層驚いてポカン……ッ、と間抜けな顔をして瞠目した。この反応に、見当違いな勘違いをしたのか、苦笑いに近い困ったような眉尻の下がった笑みを浮かべて次のように言葉を続ける。
「あ゙ー……流石に、時代が古過ぎる言葉で通じんかったか? 分からないようなら、主人の分かりやすいように言葉を言い換えて伝え直すが……」
「あー。いや、その……言葉の意味は知ってるのよ……。ただ、其れを今この場で言われるとは思いもしなかったんで、ちと驚いてやな……っ。えっと……其れって確か、高杉晋作の詠んだとされる歌だったっけ? 吉原の遊女が遣う
「おや、知っていたのか? 意外だな……」
「都々逸の作品としては代表作とまでは行かなくとも有名中も有名な作品だし、今の歌を引用または題材にした創作作品も其れなりに多く存在してたりするから、その関連で……」
「へぇ。まさかそっちの方にまで造詣が深かったとは思わなかっただけに驚いたよ」
「まぁ、俺も大概自称文系を名乗ってる身なんでね。興味関心のあるものは片っ端から聞き齧ってるかな」
「ほぉ……なら、俺が言った意味も分かるという体で解釈しても良いんだな?」
改めて確認を取ってきた彼の口調こそ真面目なトーンのままだったが、ひたと見据えて離さない様子の視線だけは夜の色を宿してギラついていた。其れに気付かない程
口で受け答えるよりも先に己の手を差し出すように伸ばして、夜半に閨への入室を許されたにも関わらず未だ慇懃な姿勢を崩さないままの男の横髪を一房掬い取って耳に指先が掠めるように触れて掛けた。そして、勿体振った真似をした詫びだと言わんばかりに許しの言を告げる。
「今更閨での事で俺がお前を拒むような事があってか……? 答えは、“YES”一択だよ。…………というか、わざわざこういう事口にさせんなよ、恥ずかしい……ッ」
「形から入るのに礼儀を欠く訳にはいかんと思ってな。……だが、受け入れてもらえて安心したよ」
「そもそも、“夜に訪ねるから寝ずに待ってろ”って事前宣告された時点で“そういう事だろうな”の意図で伝わってるから、別に改まっての許可なんか取らなくったっても構わないのに……」
「主人の気が変わるかもしれんのに、そういう訳にもいかないだろう?」
「ん゙ん゙っ……孫六さんに求められる事に対しては、一度も嫌と思った事は無いので、余程の事でも無い限りは早々に気が変わる事は無いですし……。恥ずかしいのもあるんで、いい加減、こういうお伺いを立てる感じの流れ省いて欲しいくらいなんですけど……っ」
「そうか。なら、次回からは気安く合図のみで了承の確認を取る事にしよう。主人自身が少しずつ行為や雰囲気に慣れてきたという事なら、段階を踏んで先へ進めて行けそうだしな」
お互いに納得するところへ話が着地したところで、事の流れは本題へと突入していく。
「それじゃあ、据え膳有難く頂戴すると致しますかね?」
そう告げて、懐を寛げるなり審神者を押し倒してきた。しかし、その手付きは強引なように見えて優しく、勢い付けて組み敷かれたにも関わらず痛みはなく、頭はきちんと彼の掌が受け止める形で支えられていた。途端、視界は反転し、見える景色は彼という男の顔いっぱいが占めるだけとなる。彼越しに見えた天井は、足元に設置している間接照明で薄明るく見えた。
一瞬だけでも意識が余所へと逸れた事を察したのだろう。目の前の視界を塞ぐように顔を寄せてきた男が、欲に飢えた目を隠さずに咎める視線を向けて言う。
「こら。おっ始める前の初っ端から余所事を考えているんじゃないよ。自信失くしたらどう責任を取ってくれるんだ?」
「俺よりも大層年嵩で
「俺はあんたと違って何もかもが初めて尽くしだよ。全部あんただけに捧げるさ」
「ふふっ……相変わらず可愛い
「煽るのがお得意なあんたにゃ負けるよ」
その言葉を最後に、後は彼の口付けに全て飲み込まれていった。夜はまだ明けない。
夜明けだろうか。
朝が来た事を告げる明け烏の鳴き声が意識の遠い端で聴こえて、眠りの淵から意識が浮上した。目蓋を開ければ、カーテンを閉めた窓の外が薄っすら白じんで明るくなっている事が分かる。
けれども、寝付いたのが数刻程前で頭はまだぽやぽやと微睡んでおり、起きる気になれなかった。最も、己を懐に大事に大事に掻き抱いて離さない目の前の温もりから離れ難く思えたのが、まだ起きたくないと思った一番の理由であるが。
其れから、また微睡む睡魔に身を委ねて安らかな眠りに就く。次に目を覚ましたのは、日がすっかり昇り切った後の事であった。
――朝餉の支度が整った事を知らせに来たのだろう。控えめな声音で起床を促す呼び声が襖の向こうよりかけられ、再度意識が浮上する。
「おはようございます、主君。朝餉が出来ましたので、起こしに参りました。起床してのご支度の方はお済みでしょうか? もしお済みでないのでしたら、お手伝い致しますが……如何致しましょう?」
寝起きにも優しい気遣いの行き届いたこの声は、初鍛刀の前田の声である。いつも通り、準備が整ったからと呼びに来たのだろう。
情事の跡が色濃く残る寝起きの状態で
何より、あどけない寝顔を曝して未だ深く寝入って目覚める様子のない彼を起こしてしまうのは忍びない。よって、そっと彼の腕の中より這い出て、適当に掴んだ衣を羽織って隙間程だけ襖戸を横へ引いて応じた。
「おはよう、前田君……。
“昨晩は大変お愉しみでしたね”と言わんばかりに掠れた声で告げると、諸々の事情を察した童姿の刀は声をより潜めて言葉を返す。
「おやおや。此れは大変失礼致しました。お休みのところをお邪魔してしまい、すみません……っ。では、主君と孫六さんの分の食事は避けておくとして、僕は後程出直してくる事に致しましょう。また、お昼近くの頃に改めて声をかけに参りますので、其れまでごゆっくりとお休みになられてくださいませ。人払いの方も僕がしっかりと努めておきますので、安心して休まれてくださいね」
「手間掛けさせちゃって御免ねぇ。お気遣い痛み入りますぅ……っ」
「では、失礼させて頂きますね」
「本当有難うね、前田君」
「いえ、僕は主君の懐刀ですから。当然の事を為したまでです」
そう誇らしげに胸を張って言った小さな刀の頼もしい事、頼もしい事……。流石は、本丸顕現順二番目を司る最古参組である。貫禄が凄過ぎてときめきすら感じてしまった。己の初鍛刀がこんなにも立派に育ってくれて嬉しみしかない。
そんなこんな思いつつ
寝起きで頭の働いていない状態で手に取った衣が、意図せず今横に寝ている恋刀が着ていた小袖であったなどとは露にも思わず。そして、敢えて口にせずとも、其れを羽織って隙間程だけしか開けずに顔を見せた時点で、彼女の初鍛刀は色々と察していたのだった。優秀な小さな刀は、閨での房事においても暗躍する出来た刀であった。
――時は、昼過ぎ。
遅起きでの朝餉兼昼餉な一食目を食した後、午後へとズレ込んだ朝分の仕事を片す傍らで、ふと昨晩言われた誘い文句を思い出した審神者は本刃へ問うた。
「ねぇ、孫六さんや。今、話しかけてもヨロシ?」
「うん? 別に構わんが……どうした、何か不備や気になる事でもあったか?」
事務仕事をこなす審神者の斜向かいの位置で、用心棒としての仕事をこなす傍らで暇潰しに懐に入れて持ち込んでいた書物を読む孫六が、呼びかけに応じて顔を上げる。此れに、徐ろに呼びかけ筆を動かす手を止めた審神者は言葉を紡いだ。
「いや、ね。昨晩
「そりゃあ……主人の周りは常に刀が集まり、やれ何やらと騒がしくしているだろう? だからだよ。偶には、しっぽりゆっくり誰にも邪魔されぬ静かな時間を二人きりで過ごしたかったんでね。其処で某幕末の志士が詠んだ歌が思い浮かんだんで、引用させてもらったという事さ。主人は引く手数多な身の上であるが故に、俺個刃
「あぁ……其れであんな言い回しになった訳かァ」
最早半年前の出来事となるが、確かにそんな時期もあったなと当時の事を脳裏に思い起こして苦笑いを浮かべた。時が過ぎ去るのは早いもので、あっという間に彼が顕現して早半年と三ヶ月余りが経過した。彼と契りを交わしたのは出会ってから其れなりに経ってからの事とは言え、恋仲という関係になったのが早い方であったのも相俟って、すっかり今の関係性に落ち着いてしまっている。其れ程までに彼が早くにこの本丸へと馴染んだという事でもあった。そう思えば、何だか温かい気持ちが込み上げてくる。
審神者は、ペンを片手にしたまま頬杖を付いて緩やかに口角を上げて微笑んだ。
「ふふっ……誘い文句としては、とても粋でグッと来る感じの響きで大変良かったと個人的には思ってるけども?」
「おや。主人は、ああいう口説き方がお好みかい?」
「言葉で気持ちを表現するというのは、なかなかに難しい事だ。どう伝えたら相手に想うままの感情が伝わるのか、其れを至極完結に短く纏めたものが、嘗て我々が歩んできた歴史を築いてきた偉人達の詠んだ歌になるんじゃないかと思っているよ。故に、昨晩の誘い文句は結構胸に響くものがあったと此処で打ち明けておこう」
「はははっ……なら、次の誘い文句も主人の心に響きそうなものを考えておかなくちゃなあ」
「ふっ……そこそこに期待しておこうかね」
「ふふっ。其処は素直に“期待しとく”だけで良かったろう? 全く……俺の主人は素直じゃないな。まぁ、そうやって花の乙女らしく恥じらい照れ隠しする様が可憐で愛らしいのが堪らんのだが」
「おっさん臭ァ……ッ」
「おい。その言い方は傷付くぞ……っ」
「あっ、やっぱ他の幕末刀に比べて自分が一番年嵩な見た目(風貌)で顕現したの気にしてるんだ?」
「主人……?」
「ははっ、
軽く茶化せば、じとりとした視線を貰って、予想通り過ぎる反応に愉快だと含み笑んでしまった。あまり
拗ねた孫六は、未だ笑いの余韻でクツリと喉を鳴らす彼女への仕返しをせんと身を乗り出し、幾らか強引な手付きで
「昨晩散々可愛がってやった筈だが、まだ足りないとでも言いたげな仕打ちだなぁ、主人や?」
「あれ……本気で怒っちゃった? 今のくらいで怒っちゃや〜よ」
「なら、此れは意趣返しという事で」
そう言うなり、彼は審神者の喉元へと噛み付いた。昨晩散々致した後で、漸く寝付いたのも今朝の朝方の事だというのに、お盛んな事で。閨での情事を彷彿とさせる行為を施された審神者は、思わずボッと顔を赤らめた。幾ら本丸の離れに在る部屋とは言え、声を上げなかったのは賢明な判断であった。其れでも、脊髄反射で息を詰まらせた事は丸分かりであろう。
「あまり俺をおちょくってくれるなよ? うっかり今みたく手が出てしまいかねないからなぁ。まぁ、一応は手心を加えて手加減はしたつもりだがね」
「実際に出たのは手じゃなくて口だし、牙じゃないか。血肉に飢えた獣ばりに人様の首狙っておいてよく言うぜ……っ」
「油断して警戒をお留守にしていたあんたが悪い。そも、俺は常に主人のケツを追い求めるような狂犬様だぞ? あまりに無防備を曝していたらば、据え膳宜しく獲って喰うぞ」
「朝方近くまで抱き潰しておいてまだ求めるか、この盛ったド助平駄犬め」
「くくくッ、何とでも言うが良いさ。何と言われようとも、俺はただ
ああ言えばこう言うスタンスで言葉を返された審神者は、一先ず、今の首を狙っての攻撃に対する仕返しとして彼の胸倉を掴んで引き寄せ、合わせるだけの口付けを送り返してやるのだった。
公開日:2024.07.18
加筆修正日:2025.10.19