不器用故に愛する
偶々、手が空いていて忙しくしていない時だったからと、厨で大量の食器洗いをしていた折の事だ。膳を下げにやって来たついでに、洗った食器を拭くのを手伝ってくれていた孫六が徐ろに口を開いてこう言った。
「心此処に非ず、といった様子だな」
此れに、「そう見えた……?」と平静を装って手は止めぬまま問えば、「あぁ」との肯定の相槌が返ってくる。
「何か考え事か? 悩み事であらば聞くが」
「うん……まぁ、悩み事と言う程大した事ではないのだけれど……」
「ないけど、何だ?」
「ふと…………俺がこの先何かしらあって倒れるような事があり、病院送りになった末に現世に居る家族に多大な迷惑がかかるようであれば……戸籍から外れれば身内という縁を切ったって事で個人扱いになるし、少なくとも扶養する必要無くなるだろうから金についての心配はせんで良くなるかなぁ〜……と。つらつらと脳裏で考えてた」
嘘偽り無くぽつぽつと素直に打ち明ければ、視界の端で手に取った皿を拭く手がピタリと止まるのを認めた。しかし、構わずそのまま態度を変えずに淡々と洗剤を付けたスポンジで汚れた食器達を洗っていく。すれば、此方の様子に特段変化が無いと見てか、無言で皿を拭く手を再開させた。そうして、一寸の間が空いた程で再び口を開く。
「なぁ、主人や」
「何?」
「あんた、時折思考回路が飛躍し過ぎだとか、突拍子もない事を言うなと言われたりしないか?」
「あー……まぁ、言われなくもない、かなぁ〜とだけ」
「だろうな。いきなりそんな話を振られて驚かん人間は居るまいよ……」
呆れの滲んだ溜め息と共に吐き出された其れを半ば聞き流す
ふと、泡を流し終えてピカピカになった食器を直ぐ側の置き場にカチャリと音を鳴らして置けば、早くも水の切れた物から手に取って拭いていく孫六の指先が僅かに掠める形で触れる。何気無く口を衝いたように「あっ、御免」との謝罪の言葉を発すると、「いや、大した事でもない故に構わんさ」と返され、暫しまた二人の間に沈黙が降りた。この会話を聞く他の者は居らず、意図せず二人きりという時の事であった。
シンクに下げられていた食器全てを片し終える頃には、微妙に漂っていた気まずい空気は霧散していて、終始態度を変える必要性を感じなかった審神者は淡々と蛇口の水を止める。そうして、備え付けのタオルで手の水気を拭っていたらば、同じく食器類を拭く作業を終えたらしい孫六が徐ろに口を利いた。
「其れで……? 完全一人きりの孤独の身となった先、あんたはどうするつもりなんだ?」
「えっ……?」
まさか先の会話の続きを問われるとは思っていなくて、小さく驚くような声を上げたのち、少しばかり思案した様子で返事を返す。
「そうだなぁ……。たぶん、暫くは療養に専念せにゃならんだろうから……審神者業は少しの間休む事になるだろうなぁ。おまけに、戸籍から外れたら必然的に現状かけてる保険とかからも外れる事になるだろうから、手続きやら何やらと忙しくなるだろうし……根無し草な自分でも暮らせるようなお安い賃貸物件も探さにゃならん事になりそうだわにゃあ。そうなると、いよいよ審神者業一本じゃ食って行けんと他に仕事はないか奔走する事になりそうだ」
「成程。いざそんな時が来たら、今言ったような事を本気で成しそうな意思の固さを感じる」
「まぁ、そんな日が来ない事を祈るがね」
「そりゃそうだが……いざとなりゃ俺が伴するとしよう」
「おや。此れは意外な返し」
「そうでもなかろうよ。此れでも、俺はあんたという人間を気に入っているんだ。そう安々と手放すには惜しい使い手だとすら思っている。其れに、俺は主人の用心棒だろう? あんたがどのような道を歩み進もうと、俺は何処までも付いて行くだけさ」
「ふふっ……何ともお優しいこって。歓喜に涙すら出そうなくらいに嬉しい言葉だ。例え、其れが気休めの慰め且つお世辞であろうともね」
「こう見えて、俺は結構あんたの事を買っているし、執着している方なんだがね。故に、今はそのように受け取ってくれても構わんが、いざその時が来た時は問答無用で付いて行くからな。療養専念の為に入院している主人に代わる働き手が側に居た方が安心するだろう? 何、仕事なんぞ選り好みしなければ働き口など幾らでもある。此れは、あんたが常日頃より口にしている事だ」
「確かに、そうかもしれんが……」
「主人が動けぬ代わりに俺が稼ぎ頭になって支えれば良いだけさ。其れくらいの甲斐性は持ってるつもりだぞ? それとも……俺が伴では心許ないか?」
暫しの無言の後にゆるゆると首を振って否定の言葉を紡ぐ。
「……いや。嘘でも君だけでも側に居てくれると言ってくれるのは有難いよ。有難うね。でも、先の話は飽く迄も単なる仮定の話だ。精々、そうならないように努めて藻掻くさ。まっ、何事も成るようにしか成らんとは思うがね」
「何とも潔くていっそ清々しい事だな」
「生きるのに必死なだけだよ。とことん不器用過ぎて死に損なってるだけかもしれんが」
「ははっ。なら、仮に最悪な結末を辿ったとしても伴出来るように俺も鍛錬強化に努めておこうかね。志半ばで折れでもしては、主人に顔向け出来んからなぁ」
「地獄の果てまで付いてきそうな程の事を言っておいてか?」
「言えてる。……ははっ」
二人して厨を出て行く頃には、何処となく先までとは違う空気を纏っていた。まるで、本当にそんな時が来たら真にでもしそうな意思の固さすら滲ませて。
――その後、野暮用があると途中で審神者と別れた孫六は、先程まで二人で交わしていた会話を思い返していた。そして、知れず口端を上げて喉奥を鳴らして笑む。
(人斬りの花形たる最上大業物であるこの俺、“孫六兼元”を死出の道の伴とするか……。どんな反骨精神を抱けばそんな独り善がりな思考回路となるのやら。まるで、己一人が死に逝こうと周りの者は誰も悲しまんとでも言うみたいじゃないか……。まぁ、主人の過去がどうあろうと此方の知った事ではないが…………どのような形であれ、頼られれば請け負うのみだ)
クツクツ、と一人部屋へと戻る道すがら、長き黒い前髪の下で仄昏い色を宿した目を煌めかせていた。
(嗚呼……どうしてこうも愛おしいのやら。其れでこそ、最高の使い手且つ俺の持ち主たる主人だが。並大抵の覚悟ではないな、アレは……。一歩間違えば、敵前に踊り出かねん豪胆さだ。あれでいて男でないのが惜しいね…………。まぁ、あれくらいの胆力ある女の方が好みと言えば、そうだが。……果たして、この先どのように突き進んで行くのやら。願わくば、本気で俺を伴にしてくれる事を願うね)
歴史修正主義者との戦が始まって早数年。実装顕現を許されてから日の浅い孫六は、まだまだ新参者に近い扱いであった。しかしながら、既にこの本丸では先に顕現を受けた者達と肩を並べている。百振りを超える数の刀剣達が居を構えた城の頂点に、主人たる審神者は君臨する。女だてらに指揮を執ってはいないのだと、先の会話からも読み取れた。
審神者は、いざ自分の体が動かせぬ事態となっても、審神者業への事については“休む”と言及した。決して“辞める”とは口にしなかったのである。つまり、何があろうとも審神者の役目を辞する気はないとの構えである、という訳だ。この答えを聞いて、高揚しない訳がなかった。何故ならば、“使命を全うするまでは死んでも死に切れぬ”と遠回しに言っているも同然であったから。
人斬り刀と称そうとも恐れず、反対に己の手足として使いこなしてみせるのだから、天晴である。孫六は、この事実を確認して、愉悦を覚えていた。審神者は自身を手放さない。其れどころか、用心棒として側に置く事を約束したのだ。仮に気紛れに放った戯言であろうとも、あの審神者の事だ、本当に事が起きれば己を伴にして口にした通りに行動へ移すだろう。其れくらいの行動力は持っていた。
危ういまでに不安定且つ曖昧ながらも、芯だけは真っ直ぐに保つ。其れが孫六の主人たる人物であった。故に、孫六は歓迎する。己を使うならば、地獄の果てであろうと報いてみせると。
公開日:2024.07.23
加筆修正日:2025.01.13