1.白く塗り替えられた

“よかった、ほんとうによかった
 
ごめんね、ユイちゃん。ほんとうにごめん、、ぼく…ぼく…”


そう、翡翠色の瞳に涙を浮かべて亜麻色の髪の男の人はわたしの手を握りながら涙を流した。


「???」


訳がわからない。この人の事をわたしは知らないし、どうして泣いているのかもわからない。

強く握られた手が痛くて、少し引こうとすれば、その翡翠の奥が瞳が鋭く光ってわたしの手を捉えて離さない。

やめて、と言いたいのにその目が怖くて言いようのない不安に覚え、わたしは言葉を発するのを、やめた。


「ユイ!」
「お母さん…」
「おばさん、ユイちゃんが…」


こしと目元をこすって涙を拭った翡翠色の瞳の人は、立ち上がってわたしのお母さんに椅子を譲った。
ぎぎ、と音を鳴らしパイプ椅子に座りなおしたお母さんも涙目でわたしの手を握り、良かった、良かったと繰り返していた。

本当に訳が分からない。


「おかあさん…、なんで、泣いてるの…?わたし、どうして病院にいるの?」
「ユイ…、覚えてないの…?」
「お母さん、すみません、失礼いたします」


白衣を着た女性がお母さんをどかし、わたしのまぶたを上げて眼にライトの光をあててきた。
この人はこの病院の医師なんだろう。何か検査をされているんだと分かったから、おとなしくこの人の指示に従った。


「脳外科の先生に報告してきます。横になっていてください」
「……はい」


心配そうな表情をしながらも、お母さんは乱れた上掛けを直してくれた。


「ユイちゃん…」
「…っ!!」
「ぼくの、こと…」
「………??」


一連のことを見守っていた翡翠色の人が、お母さんの後ろからわたしを見つめる。その表情は悲しげで…。だけどその問いにわたしは応えることができない。
誰だかわからない、お母さんにこの人のことを聞きたいけれど、たとえようのない胸騒ぎがそれを思いとどまらせる。



「………」



パタパタという足音と、何かカートのようなものを引くカラカラという音がせわしなく聞こえる。
引き戸が開かれ、白衣の男の人と看護師さんが入ってきた。何かを計測する機会をベッド際に寄せ、その機械から粘着シートのついた物を取り出しわたしのこめかみに次々と張り付けていった。


「…?」
「じっとしていてくださいね。」


なんの検査をされるんだろう…。本当に訳が分からない。わたしの身に何が起きてるのかわからなくて、怖くてたまらない。


「これは何かわかりますか?」


先生が手に持っていたペンをわたしの前に持ってきて少し動かして見せる。


「ボールペン、ですよね…」


何が始まるか戦々恐々していたのに、意外な質問に少し拍子抜けをした。
その後も、先生の持っている物や部屋にあるものを指され、その物の名前を知っているかどうかの検査をされた。
ふん、と短いため息を吐いた先生が、バインダーに挟んだ紙に、さっきわたしの前で見せたボールペンでサラサラと何かを書き込んだ。


「ひとまず脳波の検査をしましょう。明日の午後MRIが空いているので。それまで横になっていてくださいね。」


そう言いながら無言で看護師さんにそのバインダーを渡し、お母さんに明日の検査の説明を始めた。
こめかみに貼り付けられたシートを外され、ほっと一息をついてほんの少しだげ首を動かして窓の外の景色を見た。


ああ、やっぱりここは病院で、病室だ。それにこんな生々しい感覚。夢でもないんだ…。


自分に何があったかさっぱりわからない。明日の脳波の検査って…何でそんなことするんだろう。あちこち痛む身体が“わたしは事故にでも遇ったんだろうか"と思わせる。

だけど必死に思い出そうとしても、この病院にいる理由だけがすっぽりと切り取られたようにして見当たらない。
家で過ごしたこと、アルバイトをしていたこと。友達のこと、お父さんにお母さん。みんな、みんな分かるのに

その理由だけがすっぽりと切り取られたようにして見当たらない。


「…ユイちゃん…」
「………」


その切り取られたであろう記憶の中に、きっとこの人もいたんだろう。


わたしはどうしても、この人のことを思い出せない。


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2015/09/15


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