2.瞼の裏の景色
MRIをくぐり終わって、あれこれと計測され、また簡単だけれども沢山の質問攻めにあった。
「顔に傷がつかなくって良かったわね」
なんて言いながら看護師さんが、消毒の終えた傷口に薬を塗る。わたしの身体はあちこちに擦り傷や痣があって、右足は捻挫していた。
テーピングを貼り直し、ガーゼや包帯を取り替えてようやく解放された頃には 、わたしはすっかりくたくたになってしまっていた。
車いすに乗って部屋に戻ると、お母さんが私が家にいる頃に使っていたタオルケットを持ってきてくれていた。
「あ…、これ…」
「あんたこれ気に入りだったでしょう?食事とかはまだ許可が出ないからせめてこれだけでもね」
「ありがと…」
自分の状態もわからない。打撲したであろう身体中の傷も塞がりきっていない。きっとあと何日かはこの病院にお世話になるんだろう。お気に入りの物が近くにあるだけでも気持ちが和らぐ。
重たい頭と身体をベッドに沈め、お気に入りのタオルケットを引き寄せて抱き枕のように抱え込んで、疲れに抗えないままわたしは目をつぶった。
「……………」
青と藍。
MRIの中をくぐる時によぎった色。
澄み切った青空に眩しい太陽。
それを遮るように影を作った藍色。
もう少しであの切り取られたところが思い出せそうなんだけど、どうしてもそこから掘り起こすことが出来ない。
「…!」
かたん。と音が聞こえ目を開けると、ベッド脇の棚の上に小さな一輪挿しが置かれていた。
「あ…、きれい…。咲いたんだ」
「そう。今朝咲いたのよ。ユイが植えたことは、覚えていたのね」
「……うん」
わたしが植えた薄いピンクの中輪ダリア。
春先に球根から植えてなかなか芽が出なくて、すごく心配したんだよね…。夏になった頃、やっと少し芽がでてきて…。でも少し苗が伸びた頃、今度は台風で茎が折れかけたりして、それでも枯れることなく枝葉を伸ばしてくれていたんだっけ…。
蕾がついた時は嬉しかったなぁ…
「………!」
そういえば…初めの蕾がついた以来、このダリアが咲いたかどうかという覚えがない。
「お母さん、このダリア…最初の蕾?」
「さぁ…、ちょっとそこまでは覚えてないわ。あんたが運び込まれてバタバタしちゃってたから…」
「そっか…。」
「今は、身体を治すほうが先よ」
お母さんが私の頭を撫でながら上掛けをかけた。
「うん…そだね…」
「疲れたでしょう?寝なさい。先生に話を聞いてくるから」
「うん…」
「少し、窓を開けようか?」
「うん、おねがい」
事故防止のためだろう、およそ15センチほどしか開かない窓を開ければ、そよそよと心地よい風が入り込んでレースのカーテンをゆらした。木々の葉がざわめいてはらはらと音を奏で、部屋に秋の空気を運び込んだ
「いい風ね。寒くない?」
「うん。金木犀の匂いするね」
「中庭にいっぱい咲いていたわ。出歩けるようになったら見に行きましょ」
遮光カーテンの方をタッセルで止め、お母さんは部屋から出ていった。カラカラと引き戸が閉まる音が聞こえたあと、わたしはもう一度ゆっくりと目を閉じた。
程なくしてコンコンとノック音が聞こえた。眠ってはいたいけど、先生かもしれないから身体を起こして返事をした。
「どうぞー」
「…おじゃまします」
「………っ!!」
あの、翡翠色の人だ…。
「ユイちゃん、具合はどう?」
赤い花の束を持って、その人は後ろ手に戸を締めた。
「あ、…あの…」
「なぁに?」
わたしの問にニッコリと答える翡翠の人。
微笑んでいるのに、なんでこんなに怖いんだろう…。
震えが止まらなくて、心臓がバクバクと跳ねまわって暴れる。
「………っ」
「ユイちゃん…、もしかして…僕のこと、覚えていない…?」
「!!」
わたしが言い出せなかったことを、翡翠色の人はあっさりと言いのけた。
驚いて顔を跳ね上げれば、“やっぱりね”と言わんばかりに首を傾げながら眉根を寄せてため息を吐く。
「あれだけの事故じゃ、仕方ないよね…」
「………じ、こ…」
やっぱりわたしは…事故にあってこの病院に運ばれたんだ…。
「僕はユイちゃんの幼なじみの沖田総司、だよ。君と将来を約束した仲なんだ」
「…っ!?」
わたしが、…この人と…?
「覚えて、ない…」
「…そう…。でも、僕達は愛し合っていたんだよ…?」
「………っ」
悲しげに肩を落とす、“沖田総司”と名乗るこの人。
わからない、わたしは本当にこの人と結婚の約束をするほど愛し合っていたの?!
愛し合っていたのに、どうしてこんなに身体が震えるの…!?
わたしは赤い花なんて好きじゃないのに、本当にこの人は私の愛する人だったの…!?
「………っ!」
わたしがこの人を忘れてしまっている。その事を悲しんでいる表情をしているのに、唇の端が少し上がっているのはどうして…!?
赤と藍がチカチカと眼の奥で点滅する。
本当に、本当にわたしはこの人とそんな約束を…?
疲れていた上に聞かされた事実に目眩がして、わたしは突っ伏すようにベッドに倒れこんだ。気配で沖田さんが私に駆け寄ったことがわかったけれど、目を開けているのも辛くてタオルケットで顔を覆って光を遮った。
「ユイちゃん!?」
「すみません…さっきまで検査を受けていて…」
「そっか、それはお疲れ様だったね…。ごめんね、それじゃあ僕はおばさんに挨拶してから帰るね」
「すみません……」
「すみません。なんてそんな他人行儀な言い方しなくても大丈夫だよ…」
「……」
なだめるように頭を撫でられたけれど、この感触にも覚えがない。
優しくささやく沖田さんの言葉をどうしてもわたしは受け入れられなくて…、ただただ謝るしかできなかった。
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2015/09/17
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