27.溢れた思い
「もう、受付にゆかねばならない時間だな。まだ聞きたいことはあるが…、まずはここを出よう」
「はい。ユイ、行こう」
「はい……」
なんだろう。言いようのない不安が押し寄せている。胸がざわざわして、背後から陥れられるそうで落ち着かない。
早くここを出て、一さんと二人になりたい。そして、たくさん話しをしたい…。
だけど、やっぱりそう簡単に事は運ばない。
意識して目をそらしていた現実は逃げても逃げても、いつも駆け足で追いついてくる…。
病院を出て、目の前のタクシープールに向かう道のりの向かい、逆光のシルエットに思わず足が…竦んだ。
わたしの足が止まるのなんて、お見通しだったんだろう。止まった途端、そのシルエットの主はわたしに向かって歩を進めだした。
隣にいた近藤さんが向かいからくる人物に気づき、わたしは一さんの腕にしがみついた。
「おお!総司ではないか!」
「こんにちわ、近藤さん」
「調度良かった、お前に聞きたいことが…」
「何ですか?何でも聞いてください。ああ……斎藤君、…久し振りだね」
「………」
総司さんの表情は、近藤さんだけに向ける、あの優しい笑顔ではない。
笑ってはいても眼の奥は鋭く光り、口角は上がっているのに、正視できない程に恐ろしい。
一さんが、近づいてくる総司さんからわたしを隠すようにして立ちはだかった。そしてその背中は、怒りに満ち溢れている。
「ユイちゃん、だめでしょ?勝手に出て行っちゃ。心配かけて、悪い子だなぁ」
「………っ!!」
わたしを一さんから引き離すでもない。
だけど高圧的な笑顔がますますわたしを震え上がらせる。睨み合う一さんと総司さん。
互いに一歩も譲らない牽制に、たまらず近藤さんが割って入った。
「あー、…総司。一体どういうことなんだ? 俺の知る限りでは、ユイくんは斎藤君と将来を約束したと以前に聞いていたのだが……。お前の先日の話とだいぶ違うようなんだが…」
近藤さんの問に少し肩を落とし、「あーあ…」と、白々しいほどに長いため息を吐いた総司さんは…ほんの少しだけ困ったような表情になっていた。
「…近藤さんに詳しくは話ししてませんでしたね。僕は借金の肩代わりに、ユイちゃんを貰ったんですよ」
「!?」
──ユイちゃんが僕のお嫁さんになる代わりに、僕がユイちゃんの死んだお父さんの借金の肩代わりをする事にしたんです。ね、ユイちゃん?
「この時ほど父の会社を継いで良かった。そう思えた日は無かったですよ」
そう言いながら一さんの肩越しに、にこりと笑顔を向けられ、頭が真っ白になる。
死んだ…?お父さん、が……?
借金の、肩代わり、に…? わたし…が…?
わたしが、総司さんのお嫁さんになる…?
ザーッと耳の裏で音がして、血の気が引いてゆく。
「………あ、─ぁ…っ」
そしてすべて、思い出した。思い、出された。
───小さな町工場の社長をやっていたお父さん。
そのお父さんが保険金目的で自ら命を絶った。
となり町に大きな工場が建ち、お父さんの下で働いていた技術者さん達が、好条件を呑んでどんどんその新しい工場に引きぬかれていってしまった。
残ったのは山ほど余った売れない部品と、まだ借金の残る機材。そして引き抜かれなかった従業員さん達。
その日、一番悲しいはずのお母さんは、涙を流す事も許されず従業員の人たちに頭を下げ続けていた。今まで仲良くしていた従業員の人たちは口々にお父さんの事と、お母さんを責め罵った。
明日のことはどうしてくれる!
未払い分考えても、とても足りない!社長だけじゃない、我々も生活できなければ首をつらなければならない!
耳に残っているのは、ごうごうと嵐のように飛び交う罵声。堪らずわたしもお母さんの横に並び、お母さんを庇うようにして頭を下げ、暴言を浴びせられ続けた。
路頭に迷い、わたし達さえ明日がどうなるのかわからなくなっていた。
そんな時
それを聞きつけた総司さんが、わたしに提案したんだ…。
ユイちゃんが僕のお嫁さんになってくれたら、お父さんの会社を僕の子会社にしてあげるよ。そうしたら、みんなを助けられるでしょ?
はじめはお母さんも突然の申し出に驚いていたけれど、困っている幼なじみを見捨てるなんてできないと説得され続け、結局、折れる形でこの提案を受け入れた。
…お父さんの保険金でも立て直しはおろか、不払い分さえ賄いきれないことは、曲げようもない事実だったからだ。
「わた、しが……」
わたしを彼に渡すことで、お父さんの会社を立て直す。そういう事になったんだ…。
一さんと既に将来を約束していたわたしは、家と、総司さんの板挟みになって…そして…徐々に心を病んで…、無理やり病院に入院させられたんだ…。
治療のかいなんてもちろん無く、わたしの心はどんどんボロボロになって、もう、生きる気力すら無くなっていく、そんな日々の中
突然入院し、行方不明のような状態になっていたわたしを、一さんは自力で探し出して見つけてくれた。
そして一さんに会えたことで、わたしは自分の心を取り戻すことができたんだ…!
その時、このペンダントわたしに預け、共に逃げよう、と手を差し伸べてくれたんだ。
ぼとぼとと涙が溢れだす。
一さんのくれた深い蒼の菫青石のペンダント。そう、それを一さんにつけてもらおうと思って、手の中に握りしめていたんだ。
それを持って、約束の場所へ向かう途中で…総司さんに見つかって、捕まりそうになり…、失くさないように慌ててポケットに入れ、駈け出して…、そして…階段から……
「………」
そこから、あの太陽の光と空を掻くわたしの腕と一さんの蒼…
階段から落ちるわたしを助けたのは、一さんだったんだ…。だから、あんな大怪我を…。わたしの、せいで…
「………っつ」
「ユイ!」
頭の中で記憶が濁流のように流れ込む。まるで映画のフィルムがガシャガシャと早回しで次々と映像を映し出すように
耐えられない。
これまでのものなんて比べ物にならないくらいに、頭が締め付けられる。
崩れ落ちそうになって、必死で一さんにしがみつく。一さんのもわたしを離すまいと抱きしめる腕に力を込めた。
きっと、今離れてしまったら
一さんと、最後になってしまう…!
「沖田、あんたはユイの心を殺してまでユイ手に入れたいのか!」
「そうだよ? それのなにが悪いの? …それに、君には関係ないでしょう?」
「関係ある!! ユイは俺の恋人だ!」
「いい加減にしてくれないかなぁ。…横から割入って攫うような真似しておいて…」
「お前と言う奴は…!」
一さんと、総司さん二人の言い争う声が怖い。ズキズキと痛む頭が徐々に抵抗する意識を奪ってゆく。
痛みから、一さんにもしがみついていられなくて…たまらず頭を押さえた。そのわたしを、一さんは守るように抱きしめてくれているのに、わたしは頭を振るしかできない。
「さ、ユイちゃん。帰るよ。歩けるようになったんなら、式の用意を急がなきゃ。」
「ユイ、大丈夫だ。行く必要などない!」
「一さん…いや…、いや、ぁ…わたし…!」
やっと、やっと一さんの元に戻れたのに…、なのに…、なのに…!
もう、手放したくなんてないのに、…なのに…、一さんがわたしにくれた鍵…が、鍵が…!
「ユイちゃん、行こうか。全部思い出したんなら誰の手を取るべきか、言わなくてもわかるよね?」
「…あ、っ」
「ユイ!!」
頭を押さえた指の隙間から、無情にもそれは零れ落ちて
カツーン!! と金属音を辺りに響かせた。
その音は私の頭の中を手加減なくガン! と大きく揺らし、ぶつりとわたしの意識をもぎ取っていった。
真っ白に塗り替えられた感情が身体中の力が抜き、わたしはその場にへたりこんだ。
するりと離れてしまった一さんの温もり。
もう、二度とこの手を取ることは、できないんだ…。
駆け寄る一さんを制するように、総司さんは私の目の前に立ちはだかる。
「ユイ、大丈夫か!」
「触らないでね? …君にユイちゃんが救えるの?」
「っ!!」
「さぁ、ユイちゃん。戻るよ」
優雅に微笑みながら、総司さんがわたしに手を差し出す。
わたしはその手を…
その手を選ぶしか道はないんだ…。
残されたみんなのためにも、お母さんの為にも…。
引導を渡せ、とわたしに鋭い視線を送る総司さんは、きっと今一番楽しいんだろう。
初めて見たと言ってもいいほど、優しく残酷な笑顔。
涙があふれて声が震える。
でも、でもわたしにはどうする事もできない…
「……ごめんなさい…、はじめさん…──ごめん、なさい…」
「……ユイ!」
「さあ。きちんとお別れしないと」
「……──っ…」
「ユイ…!!」
そんなこと言えない、だけどもう一さんの手を取るわけには行かない。
涙でぐじゃぐじゃで、もう、一さんの表情すらわからない。
いえ、きっとわたしは見たくなかったんだ。
一さんの、顔を…。
「待ちなさい! ──総司!」
「近藤さん、お騒がせしてごめんなさい。でも僕は彼女がほしかったし、助けたかった。僕しかユイちゃんを助けられないんだ」
「総司、それは違うぞ…!」
「……失礼します」
腕を捕まれ、強く引かれる。
項垂れながら足を引きずるようにしてこの場を後にする事しかしか、できない
耳に入ってくるのは、もう誰のものの声かもわからない
ただ、ただ “あお” 遠くなってゆくことだけが悲しくて苦しくて…
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2016/06/28
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