4.飛び込んだ、あお
風が少し冷たくなってきたから、遠回りしながら病室へ戻ることにした。
身体もなまっていたし、運動不足解消の為にワンフロア下を回ってゆっくりと長い廊下を歩くことにした。
(あ、ここから入院病棟か…)
知らない人に会っても仕方ない、元きた道を戻ろうと杖の向きを変え、踵を反した時、視界に入ったものにわたしの足は縫い付けられた。
「……………」
個室のネームプレート。
その名前にわたしは釘付けになっている。
どうして、知らないはずの人の名前なのに…こんなに胸が騒ぎだすの…?
沖田さんのことを初めて見た時の心臓の暴れ方とは、また違う。
何なの、この感覚は…。
「斎藤一」と書かれているネームプレート。
「は、…じ…」どうしてわたしは名前を口にしようとしたんだろう。どうしてわたしは扉に手をかけているんだろう
知らない筈の人なのにこのまま扉を開けるなんてとても失礼なことなのに
止められない…なんで…?
ダメ。という気持ちと開けたい。という気持ちがせめぎ合い、結局、中の人のことを確かめたいという気持ちには勝てなかった。
簡単に開く扉なのにやけに力が入った。
中の人に気付かれないように、ゆっくりと引き戸がを開く。
白い清潔な部屋に、 自動点滴装置のランプがチカチカと点滅している。
眠っている、のかな…
ベッドに人の気配はあるけれど、ちょうど顔の方までベッド上の仕切用カーテンが引かれ、見えるのは掛布の外に出した点滴につながれた腕だけだった。
(あ…)
さら、と布の動く音が聞こえ、この病室の窓が開けられていることに気づいた。窓が少し開いていて、そこから風が吹き込みカーテンを揺らしていた音だ。
そよそよと注ぐ優しい風は、部屋の中の人を柔らかく包む。
その刹那──ほんの、少し。風が強く吹き、ふわ。と仕切用カーテンが大きく揺れた。
「……………っ!!」
意図せず視界に飛び込んだ色に、わたしは心臓を鷲掴みにされた。
「……っ」
藍の髪が、白いシーツに散らばっている。その人は未だ固く目を閉じ、定期的な呼吸を繰り返しているだけ。
「………」
事故にでもあったのだろうか…。
顔は擦り傷がいくつもあり、頭には包帯。腕も、脚も折れてしまっているのかギプスが填められている。
再び吹き込んだ風が、この人の髪を揺らし、長めの前髪が頬にかかる。
「あ、…。もう…また、…」
なんの躊躇いもなく、わたしはこの人に手を伸ばし、髪を横によけた。
「………っ!」
当然のようにしてしまった、どうして…こんな事、わたし平気で…
それにこの人の前髪がいつもこうして目に掛かってしまう、という事を知っている。
そして、まただ、って当たり前のように髪を避ける仕草にも覚えがある。
どくんどくんと心臓が騒ぐ。
何か、頭の中で引っかかっていたものが取れそうな感覚がして、懸命に記憶をたどる。あと少し、あと少しなのにそこから先は真っ暗でたどることが出来ない…
「………ん」
「っ!」
どうしよう!起こしちゃった…!
完全に目を覚ましきらないうちに部屋から出ればいいというのに、何故かわたしの足は言う事を聞かず、この場に縫い付けられたままでいる。
数度のまばたきをして、この部屋の人は完全に目を覚ました。
(…あ!)
知っている、藍…
あの空と、この瞳の色の藍。
あの日の、色……!
「ユイ……」
「!!」
なんで、この人はわたしの名前を…!?
「っ!」
頭の後ろを殴られたような衝撃が走る。
ずくん、ずくんと大きく脈打ちわたしの脳内をゆさぶる。
警鐘か、それもとも見てはいけない世界を見てしまったのか
ばちばちと目の奥に火花が跳ねて立っていられない。
「あ!………っぅ!」
「ユイ!?」
動かすだけでも辛いのに、捻った方の足をかばっていられる余裕も無くわたしはその場に崩れ落ちた。
藍の瞳の人がわたしの名を叫んでいる、というのに
意と反してすうっと世界が闇に包まれ、真っ暗な世界にわたしは堕ちていった。
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2015/09/18
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