6.外れない檻

「リバビリ…、ですか……」
「ええ。そうです」


丸メガネをかけた髪の長い心療内科の山南先生が、わたしに微笑みながらリハビリ案内のパンフを渡す。

“捻挫のリハビリ”と名されたプログラムのようなものが書かれていて、どのような順序で治療を進めていくか描かれていた。

先生はキイ。と椅子を半回転させデスクに向かい、おそらく私のカルテであろう書類に目を通しながら何かを書き込みはじめた。


「あなたは重度2の捻挫。とりあえず、今の炎症が治まるまで安静にしてもらいます。その後、リハビリをして落ちた筋力を戻さなければ、杖なしでは立てなくなりますよ」
「…そんなに…!?」
「はい。先日の転倒で更に痛めてしまっていますからね。予定より少し長引くと思います」
「……わかり、ました…」


たかが捻挫。と侮っていた。
確かに倒れた時すごく痛かった。だけど意識は容赦なく遠のいていって、自分の足をかばっている余裕なんてなかった。

“捻挫を甘く見たらどうなるか。”を、外科の先生は足のテーピングと湿布薬を替えながら懇々とわたしにお説教をした。寝不足で朦朧となった頭でなんとなく聞いていたことを覚えている。


「無理なく少しづつ始めますから、心配なく」
「はい」
「大丈夫ですよ。一緒に頑張りましょう」
「…はい!」


焦らなくていい、と背を擦られた気がする。

ひとまずは安静。
という事で私はまたあの部屋に戻されることになった。
診察室の窓の隙間から香る金木犀。
ここは、あの中庭が近いのかな…。


「………」


ああ、またあの部屋に…とため息をついて落胆しかけたところで、わたしはある事に気づく。


「せ、先生…!」
「?…どうかしましたか?」
「あの、もう、わたし個室じゃなくても…」
「…?ああ、そうですね…。少し確認してみましょう」


ふむ。と返事をした先生を見てホッと安堵のため息を吐く。

ここは確か、差額ベッド代を払うか余程の重症でなければ大部屋に入るはず。
看護師がつきっきりでいなければならない状態でもないだろう。それに相部屋ともなれば、少しは総司さんの監視が緩むかもしれない。緩まなかったとしても、個室で二人きりはもう嫌だ。

わたしは一縷の望みをかけて、先生に申し出た。

傍らにいた看護師さんに耳打ちをして、先生はまた椅子を半回転させ、今度はわたしの方に向き合った。


「さて、記憶の混濁について少し話しましょうか」
「………はい」
「私はそちらが専門ですからね」


いよいよだ、わたしの不安の元…。

ゴクリ、とつばを飲み込み膝においた手をグッと握り込む。
どきどきとしながら肩に力を入れ構えていれば
先生は目を細めて私に微笑んだ。


「そんなに力まなくても、大丈夫ですよ」
「…っ!」
「私とお話をしながら、絡んだ糸の糸口を探していく治療です」
「…はい」
「こちらも、少しづつゆっくり行きましょう」
「はい…!」


こちらの不安はまるでお見通し。一人勝手に緊張していたけど、おかげで力が抜けた。

ホッとして間もなく、先ほどの看護師さんが来てまたわたしを落胆させた。


「今は相部屋のほうがいっぱいなので、お部屋はこのままで…」
「…そう、ですか…」
「………」


いけない、と分かっているけれど、わたしはあからさまにがっかりとしてしまった。
心理士の先生だからか、そんなわたしの落ちこみぶりを見逃さなかった。


「珍しいですね…。個室を望む方のほうが多いというのに」
「えっ…」


先生の眼鏡の奥が光った気がした。

それはそうだろう。夜、他の入院患者を気にせず眠ることもできるし、お見舞いに来た人たちも他者を気にせず過ごせる。
気兼ねなくいられる個室のほうが良いに決まっている。

…付き添いの人の監視がきついから、なんて言えない。
どう答えたら…と、窮していれば、またふっと微笑まれた。


「無理して答えなくていいですよ。一人で不安、という方ももちろんいらっしゃいますからね」
「…、はぃ……」


なんか見ぬかれたまま上手くまとめてもらった感じがして、少し居心地が悪い。それに、これまでの入院生活を考えて、また少し引っかかる事柄が生まれた。


総司さんとお母さん以外
お見舞いに来る人がいない、という事だ。

バイト先の仲の良かった友達とか、…忙しいのかもしれないけど…


「………」


そういえばわたし、携帯どうしたっけ……。


ふとした疑問がまたわたしを侵食する。まるで水の中に落としたインクが見る見るうちに広がって染めていくように…。


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2015/010/20


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