20.暗転

*「ん…」
「ユイ…」
「ん…」

一君の唇が瞼や頬、それから私の唇を柔らかく何度も掠めて擽る。


「ん、一…君」
「すまぬ、起こしてしまったか…」
「ううん、良いの…」


唇が心地よくて目を瞑っているなんて勿体ない。

ふわふわした甘い心地に包まれたくて、私は一君の胸元に擦り寄って鼻先を擦り付けた。


(…………?)


身体を捩った時に、ある違和感を感じた。

右脚が重い。


「……え」


じゃらり…、と鉄が擦れ合う音が耳に入って、私は視線を自分の右足に向けた。私の右足首には華奢ではあるが銀の足枷が填められている。そしてその先には長く続く銀の鎖…。


「……っ…!!」
 

辺りを見回して、やっと部屋の異様さに気付く。

鉄の格子で塞がれた小窓。壁中に張り巡らされた有孔ボード。

部屋にあるのは、今私と一君がいるベッドだけ。


「………っ、」


一君を仰ぎ見れば、酷く優しい笑みを湛えて私を見つめている。そして足元の枷に視線をやる。

私と同じく横たわらせていた身体を起こし、愛おしそうにうっとりと枷から繋がった銀の鎖を手に取って、しゃらと音を鳴らした。


「─と、─か…?」
「!?」


会えなかった間に付き合った人の名前を、一君は表情も変えずに口にする。

口角だけを上に吊り上げ、やはり先ほどと変わらない、酷く優しい笑顔で吐き捨てるように私に言った。


「全くひ弱な男達を選んだものだ」


一君は大きな溜息を吐きながら、演説でもするかのように饒舌に話をしだした。


「……っ」


あんたは俺がしっかりと抑えてなければ何もできない弱い女なんだ。それを理解しないで生きようとするから、こうなるんだ。

仕方のない女だ

俺がいないと何もできず泣いてばかりで…。
 
誰もあんたが愚かで哀れな女と気づいていない。
俺という男の側にいればもう、安泰だ。

……全く、しょうのない女だ

あんたは本当に、どうしようもないくらい、弱く醜い哀れな女だ。

故に、故に俺があんたを守るしかなかろう。



「はじめく…」


どうしたの?何を言っているの?と問いたくても、私の言葉は一君の伸ばされた掌によって遮られる。

頬に触れた一君の手は優しいのに、どうしてこんなに何も、私は感じなくなってしまったの?


強張ってゆく私と正反対の表情で、一君はまた口を開く。


俺がいなければ?生きて行けぬだろう?ずっと側にいてやる

だが俺以外を視界に入れるな。
俺以外を考えるな

俺だけを、俺だけのことを見て考えて生きていけば良いのだ

それがあんたの幸せなんだ

言葉を発するな。
意思などいらぬ。そんなもの、俺にとっては無用だ


だから…
だからあんたは…

俺の言葉だけを聞いていればいい…


「…………………」


途中から耳鳴りがひどくて一君の言葉が理解できない。

視界がぼやけるのはどうして?

私はやっとあなたと会えて、幸せに包まれて、これから二人で愛し合って生きていくんじゃなかったの…?

呆然とする私に、そっと唇を重ね…


一君は私に呟いた。



「もう、離さない…」



一君の目が月の光を反射して蒼く光る。
怖くて怖くてたまらないはずなのに、私は目を逸らすことができない。



「ユイ…」
「……………」



私の髪を撫でながら、一君は私との思い出話をたくさんする



「………あの日…」
「…………」
「具合悪いのを押してまで図書館に行くなどと母に嘘を付いたのは、あんたから連絡が得られなかったからだ…を何処で何をしている、何処へ行った、そればかりが頭を巡り、母が夜勤に行くの見計らって外に出るつもりだった…」
「………」
「なのにあんたから俺の元にきてくれた、…ああ、あの日ほど嬉しかった日は無い…」
「…………」
「愛している……愛しているユイ…」


いつからだろう


一君の狂気染みた気持ちに薄々気づいてしまっていた事を。

あの異様な数のメールからだろうか
あの異様な数の着信からだろうか


でも、そんな一君から離れる事なんて、私には出来ない。

だって、一君の腕、という 鎖に囚われてしまったから…。そしてその腕の鎖を私は選んだのだから


「ユイ…」
「…………」


意思を持つことを禁じられた私は、口を閉ざして貴方を見つめる。

私が発する言葉は、貴方から身体を愛された時だけ。

否定の言葉を言えば、貴方の顔は悲しげに歪んでしまう
愛の言葉を伝えれば、貴方の顔は苦しげに歪んでしまう
貴方の名を呼べば、貴方は私に手を伸ばして痕を残していく


鉄製の重い扉が重低音を響かせながら閉ざされる

ガチャン、と重い錠がかけられた音が鼓膜を震わせた

暗い暗い部屋の中、私の元へと向かう一君の足音だけが、室内に木霊してゆく…

冷たく硬い鉄で囲われた窓の格子から見えた風景は、雪に覆われて真っ白。

私のいる部屋も、無機質で真っ白

不香の花、すべてを覆い隠し塗り替える雪の異名



ひらひら、はらはらと



私の意識の上にも 真っ白な雪が降り積もる。

月明かりに反射する白が眩しくて、私は目を閉じて世界を黒く閉ざした。

香りのない花は、私の世界を音もなく静かに白く塗りつぶしていった。

心から求め合ったのはあの日が最後なのか







心から求め合ったのはあの日が最後なのか




─end─

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