2.夜空

「今帰りか?」
「……、一君も……?」
「ああ。バイト帰りだ」
「お疲れ様」
「あんたもな…」


明日は休みだし、母も夜勤だから、と、ほんの少し残業をしていった。

20時を回った夜の空気は本当に冷たくて、吐く息を白く彩る。

星の瞬く夜空が浮き立たせた月灯りが、余計に刺す様に身体中に纏わりついてきて、切れかけた街灯が心の揺れを表す様に、チカ、チカと私達を照らす。

はぁ、と夜空に向かって息を吐く。

立ち昇った白い息はあっと言う間に掻き消えて、それを一君は隣でただ無言で見詰めてる。

寒いから口元を隠そう、と、マフラ―を引き上げようと俯いたら伸びてくる一君の手。


「ユイ」
「……っ」


一君が私の腕を引いて唇を重ねてくる。


「ん、……んっ」


一君の唇も、私を抱き寄せる掌も冷たいのに、口内に侵入してくる舌は熱くて…、無理矢理にでも私の中の熱と欲望を引き擦り出される。

私の身体を壁へと押し付け更に舌を奥深くと進め逃げる私の舌を誘い出すかの様に艶かしく蠢く。


「っ…ふ……ん」


もう口内での厭らしい水音しか頭に響かない位に互いの唾液が絡まり合って、酸素を得る為に一度唇を離しては、白い吐息を漏らしてまた貪り合う様に重ね合う。



こんなキス、するなんて狡い。

あなたが欲しくなってしまう。

でも、私から欲しちゃ駄目なんだ…。



だって、そんな甘い関係なんかじゃないから。

だって、そうでしょう…?



私みたいな、何の特技もないキャリアも 見立ても至って十人並み。
ないない尽くしの地味な私が、こんな格好良くて近所で評判の好青年とセックスしてるなんて言うだけで、世間は彼のことを味方するでしょう?



…私がたぶらかした、って。



だから、私は一君にこんな気持ちを抱いちゃいけない…。


「ん、んん…」
「何を、考えている……」


唇を僅かに離し、触れ合わせながら一君は私に問う。


「、なに、も……」


応えられる訳も無い質問、意地悪な質問。
だから当たり前の答えを出せば


「…ッん」


やはり再びに塞がれる唇。



こんな所でキスなんかして、誰か近所の人に見つかったらどうしよう。

とか

一君に夢中にさせられるくせに、どこか冷静な自分がいて嫌になる。


「………」
「んんっ、……!」


一君と会えば、この関係の曖昧さに心が重くなる。

“どうして私なの?”

そう問い掛けたいけど、この関係に甘んじていたい自分もい、確実に心の中に居る。
そう一君に問うてしまったら関係が終わっちゃうんじゃないか、って心の何処かでいつも怯えている。

季節は冬。

人肌恋しい季節の所為にして、私はこの疑問を心の奥底に沈めて、一君から注がれる口付けに委ねる様にして、身を傾ける。

息を紡ぐことすらままならない長い口付けから解放された私は、くたり、と脱力してそれを支える一君の腕にしがみ付くしか出来なかった。

熱っぽい吐息を、私の耳元に差し込みながら


「……あんたを…、抱きたい…」
「………ッ!」


腰に掛っていた一君の掌が下へ滑る。


「や、っ…だめ…、っ」


人気の無い暗がりの路地の奥へと、一君は私の身体を抱き締めたまま押しやろうとする。


「………ッ」


少し長めの前髪の隙間から覗いた一君の瞳が、何かに葛藤しているかのように苦しげに揺らめいていて


「はじ、め…」


その瞳に囚われ、切なくなった私は言葉に詰まって、情事の時にしか呼ばない事にしている呼び方を敢てして、唇を一度そっと自ら触れさせた。

分かってる。

これから何をされるかなんて、もう分かっている。

欲してはいけない、と分かってていても、一君から強引に引き摺り出された私の体内の熱は、引く事無く私の中で燻り続けて私を潤ませる。

止められない、もう駄目。


「ユイ……」
「口、塞いでいて……」
「ユイ……ッ」
「ん、んんん……っ」


私の身体を壁に押し付け、膝裏に腕を差し入れ脚を折り曲げさせて自身の身体を割り入れる。
少しだけ下着をずらし、一君の熱を押し進められる。


「……ッ、…ァ……!」
「ユイ……、ユイ…っ」


互いが盛りのついた雄と雌になって、快楽をただただ貪り合う。

荒々しく吐き出した吐息が白く立ち昇っては、張り詰めた寒空に掻き消えていった…。

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