衝撃とショックと、



"住所がない。"

衝撃的な事実を突きつけられてから何となくぼーっと入院生活を過ごしている。勿論信じられなくて神宮寺先生に思わず詰め寄ってしまったが、診察の度に彼が与えてくれる地図や本には一切、よく似たものはあっても私の知っている住所はなかった。許可を得たしパソコンホールにいって調べてみたこともあるが、成果は得られず。
だってそんなことあるか普通?ないよな?夢でも見ているんじゃないか、だってあれだけ大きな事故だったしな。私は実は目が覚めていなくて、ここは心の深層世界・・・でないと、話に聞いた大怪我なんかこんなすぐ治っていくわけもないんだ。きっとそうだ、よし早く目覚めてくれ私。仕事にも支障は出るし、家族にも迷惑がかかるぞ。
ちなみに、初めての顔合わせから神宮司先生とは度々診察でお話をしている。彼も私の元の家とか、記憶が無くなっているのではないかとか、いろいろ調べるのを手伝ってくれている。無茶苦茶に申し訳ない。彼は聖人か何かなのだろうか?もっと給料上げてくれ病院。チップとか渡すべきかもしれん。まあ結果は”残念ですが”しか出てこないのだが。就職で落ちるよりもショック。というか、もうなんか諦めそうだ。諦めたところで絶望的な状況は変わらない。諦めなくても変わらないけど。頭痛い。

「苗字さん、こんにちは。」
「こんにちは。」
「この前の件ですが・・・。」
「・・・やっぱりだめかあ。」
「力になれなくて、すみません。」
「先生は悪くないです、ほんとに、微塵も。謝ることなんて何もないですよ。」

今日の診察の時間だ。眉を下げる先生に、慌てて首を振る。実家の住所も調べてもらった件、やっぱりないらしい。ほらな。
しかし先生はまだ申し訳なさそうで、そのまま体調の変化とか、怪我の様子とかを診る。身の回りのことは何も進まないが、怪我の治癒だけは猛スピードで進んでいく。一応言っておくが、神宮司先生に言われた例の血液検査は私が人間だということを証明してくれました。当たり前です。でも変にドキドキしてしまった・・・。
ばちぼこに折れていた骨も、レントゲンを撮ったがほとんど治っていた。血液検査でも証明されたとはいえ、自分で自分が怖くなってくる。もう一回検査してくださいなんて言ってしまいそうだ。自我を見失うな、自分。落ち着け。

「こんな状況で言うのも申し訳ないのですが、伝えるべきことなのでお伝えしますね。」

十分に検査もして、二人で首を傾げて話して、また今日の診察も終わったと松葉杖を取ろうとしたときに引き留められた。また悲しいお知らせっぽいな。もう今更ショックをうける余裕もないが、一応心して聞こう。

「退院日が、決まりました。一週間後です。」
「たいいん」

退院。たいいん。・・・タイイン。
サッと自分の顔が青くなるのを感じた。そうだよね、いつか来るとは思ってた。だってここ病院だもんしかも結構でかいトコ。夜中に目が覚めたときとか聞こえるけど、急患とかもわりとくるから患者さんは多いはずだ。寧ろ私の怪我の治り具合からして、ここまでよく入院させてくれていたなってくらいだよね。ああ、住所が見つからないことにボーっとしすぎて完ッ全に忘れていた!やばい、どうしよう。だって家も職場も実家もない。退院はいいにせよ、病院を出てからどこへ行く?持っていたわずかなお金も、電車の定期もここでは使えないみたいだし。生きていけるはずない!
先生もそんなことはわかっているから、猶更こんな顔で伝えてきたのだ。ああ、どうする、どうする私。住所もないんだから戸籍だってあるのかわからない、この国に私という人間が存在していて、住んでいるという事が証明できるものが何もないってよく考えたらとんでもないことだよね?よく考えなくてもとてもやばい!え!パニック!!

「苗字さん、混乱する気持ちはわかります。大丈夫ですか?」
「いえ、ちょっと・・・スミマセン、頭追いつかないです。いや、ついてるんですけど、不安が結構ヤバイ、ですね。」
「そうですよね・・・。」

先生は何とかもう少し引き延ばせないかと掛け合ってくれたみたいだけど、上の人もできるところまで延ばし切った結果らしい。そりゃそうだ、だって私今ただの金喰い虫だもん。
納得してても、私がまずい状況である。何とか策を考えないと。でも、お金がないとネットカフェ(この世界にあるのか?)にも泊まれない。ああ、今なら確かに言える。お金が一番大事です・・・。

「私もいろいろ考えてみます。一緒に何とか道を見つけましょう。苗字さんは、怪我を治すことに集中してくださいね。」
「はい・・・。有難うございます。」

肩を落として、診察室を出る。明らかに元気がなくなった私の事を心配して先生は病室まで送ってくれようとしたが、あとのお仕事もあるだろうからお断りした。もう迷惑かけられない、っていうか一人にしてほしい。
なんか、住所が見つからないってことを少し軽く見ていた気がするな。いや、勿論すごい困ったなって思っていたし、絶望もしたけど。こうやって実際生きるということに関わってくる問題に直面すると、そのマイナスさが露骨に頭の中をいっぱいいっぱいにする。無だ。なんかもう、え?どうする??頼れる人もいないんだよ、今、私。
泊まっている多床室に戻ると、隣のベッドのおばあさんが”おかえり”と*かれた林檎をくれた。どうだったかを聞かれたので、退院が近い旨を伝えると喜んで”おめでとう、寂しくなるわね”と言われた。何も言えなくて、口角は上げてその場は乗り切ったけど、上手く笑えていただろうか。その日は一人になりたくて、普段だったら続けて談笑しているが薬の副作用でと嘘をついてカーテンを閉めさせてもらった。考え事をしたかったから。リミットは一週間、ショックを受けている暇はない。・・・でも一日くらい、よく考えさせてほしい。



「こんにちは、苗字さん。体調の方はどうですか?」
「元気です。悲しいくらいに、元気です。」
「そうですか・・・。」

先生には困ったように笑われてしまった。でも事実です。
明日はついに退院の日。あの夜、ゆっくり考えさせてもらって次の日から私はいつもよりも熱心に調べものをした。今までどうりパソコンや本で調べるのはもちろんの事、病棟の休憩室に足を運んで物知りそうなご老人のお話に付き合ったりして、パソコンではなかなか出てこなさそうな情報も得られやしないかと試したり。昔から切り替えが早いと言われていたが、看護師の職業病もあるのだろう。神宮寺先生も驚いていた。
でもまだ何も解決していない。悔しいが、進捗は0だ。ここまでくると腹が立ってくる。なんで?人が此処まで必死こいて調べてんのに一欠けらも情報が出てこないのはどう考えたっておかしい。妖精さんでもいて、私が情報を見つける前に隠してるに決まっている。ピーターパンは嘘などついていなかったのだ。妖精はいる説を私はかたくなに提唱することを心に誓う日々。

「今日も、順調に回復していますね。」
「ですよね。いつもありがとうございます。じゃあ、失礼します。」
「ああ、苗字さん、少し待ってくれますか?」
「?はい。」
「一つ提案があるのですが、」

“私の家に住みませんか?”
続けて先生の口から出た言葉を飲み込むのに時間がかかった。え、何?何て言った、この人。”一緒に住む”?いやいや、誰と、誰が?

「病院の近くに住んでいるのですが、部屋は一つ余っています。来客用に使っていたので、クローゼットもベッドもありますよ。」
「え・・・プロポーズ?」
「おや、やはり説明してから言うべきでしたね・・・。」

先生がいう事には、とりあえず一人で暮らすめどがつくまでは先生の家にいてはどうかという提案らしい。すぐに人が来ても先生の方は大丈夫なようになっていて、日用品をそろえる程度も先生が助けてくれるらしい。聖人すぎてマジで何を言っているのか理解できない。
先生に何もメリットがないじゃないですか、というと、私の話を聞かせてくれればいいという話だった。私の今までの話を着ているだけで、ただの妄言ではない、一貫性を感じたらしく、先生はそこに興味がわいたそうだ。さらに理解ができない、聖人だけど変人なのかな。すごすぎて頭のねじ一個飛んでる?忙しすぎて、疲れちゃったのかな。昨日の夜病院内ちょっとみんなバタバタしてたしね。急患多そうだったし。お疲れだよ、ちゃんとお休みあげてください委員長。
でも私には断る理由がない、逆に、怖いくらい得しかない。いや、先生と住むことになったら一つ屋根の下に男女が共に住むっていう図ができるんだけど、この先生は危険性を感じない。今までの関りで判断したことだけど。だって私は今持つ記憶があればいいだけなのだ。勿論独り立ちするための勉強とか、戸籍獲得とか努力はするけど。不安定な間は面倒を見てくれるってお話だし。・・・おいしすぎる、話だ。

「ほ、本当に・・・?本当にいいんですか?」
「ええ、勿論です。寧ろ、怪しくないですか?生活と安全は保障いたしますが・・・。断っていただいても、全然いいのですよ。」
「いえ!ここで縋らなかったら絶命の道しか見当がつかないので、ありがたすぎるご提案です!ありがとうございますよろしくお願いします!」

・・・こういうことで、私のこの世界でのとりあえずの安定は結ばれた。