奇妙な患者



長い手術がおちついて、バイオハザードマークに従って手袋やキャップを捨てる。数時間にも渡るものだったから、他の看護師達も疲れている様でろくに会話もせずにそれぞれがそれぞれの動きをしようとしていた。そこで私はというと、久しぶりにこんなに大掛かりなものをこなしたなと一息ついていた。職員用の休憩室にある自販機でコーヒーを作り、さっきの患者のカルテを書こうと自分の診療室へ戻る。
患者の状態があまりにも生死を彷徨う所だったので急に手術をしてしまったが、患者の家族もなにも呼んでいない状況だ。しかし持ち物が圧倒的に少なく、家族に連絡もつかないと看護師がいっていた。今一度電話をしてみようか。

「苗字さんの所持品についてなのですが…。」
「あ!今お届けしようと思ってて。はい、これです。」
「ありがとう。」

彼女の担当看護師に聞くと、ジップロックに丁寧に入れられたカードやらぺんやらが渡された。しかし、看護師は何か気まづそうにソワソワしている。

「どうしたんですか?」
「…神宮寺先生、少し変な話をしてもよろしいでしょうか。」
「ええ、苗字さんに関係のあることなんですよね?」
「はい…。」

その看護師が言うに、彼女の持っていた名刺の番号にかけてみたら"その電話番号は使われておりません"というアナウンスをきいたらしい。しかし、もちろんそれだけでおかしいと決めた訳では無い。そんなこと日常的にもあってはおかしくない…。
しかし問題は、彼女の名刺に書いてある勤め先の住所。明らかに少なくともこの日本には存在しない場所の名称であること。偽物かと思い、保険証の住所をみても同じように存在しない名称…。申し訳ないと思いながらも折りたたみ財布の中身を確認すると、知らない硬貨と紙幣、名前も知らない銀行のカードが出てきたらしい。
流石にここまで偽物を仕込むなんてことは考えられない。それに、偽物にしては細かくよく出来ている。自分の目を疑った、夜勤中で頭でもおかしくなったのかと思った、彼女はそう語った。

「私、にわかには信じられなくて。」
「ふむ…。」
「それで、救急の人がさっき届けてくれたものがあって。」

これです、と出されたものは不思議なものだった。
ボロボロで、液晶画面はガラスなのか蜘蛛の巣のようにヒビが入り所々剥がれ落ちて中身の部品やコードが覗ける。プラスチックのカバーも薄茶色に汚れ、その向こうに見える機械の背面には欠けた果実のマークが傷をもっていた。世間でも勿論似たような機械はあるが、初めて見るデザインだった。

不思議なことだ、実に。
存在しない住所、硬貨、電話番号。見たことの無い手のひらサイズの機械。
物は試しだと思い、旧知の友人に電話をかける。

『もしもし、寂雷さんじゃないすか、お久しぶりです。どーしたんすか?』
「久しぶり、一郎くん。依頼として…ちょっと調べて欲しいことがあるんだけど、いいかな?」
『成程、了解っす。どういう件でしょう?』
「ちょっと難しい事だから、携帯で詳細を送ることにするよ。期限はそうだな…1週間くらいでいいかな?」
『勿論、それだけあれば十分す。じゃあ、連絡お待ちしてます。』
「うんありがとう。失礼するね。」



一郎君に任せた1週間が経った。食堂でパンを食べながらふと携帯電話を見ると一郎君からはしっかり連絡がきているり私は少し期待をしていた。即座に一郎君から届いていた連絡メッセージを開く。
しかしその内容に私はまた考えをくもらせることになる。

___寂雷さん、こんにちは。依頼の件で、ご連絡失礼します。
大変申し訳ないのですが、調べた住所も電話番号も硬貨も、存在しないみたいです。
それと、携帯端末のようなものも、日本にも世界にもそんなデザインは無いみたいです。
何も成果があげられなくて、マジですみません。

その報告に溜息をついて、『気にしないで、調べてくれてありがとう。』と返事を送る。
どうしたものだろうか。無償で処置をするのはいい、命を多く救うのが医者の役目だ。しかしこのままでは退院しても帰る場所もない、職場も分からなければ生きていくためのお金もない。彼女の行く末に頭を悩ませて今日の昼休みはすぎた。

私が務める病院には、ナースステーションの前には簡易スペースがある。家族面会が来ていると言うので、診察終わりの患者をそこに連れていく。家族の話に医師がそばに居るのも居心地が悪いので、患者とその家族に挨拶をして、すぐにナースステーションに入った。
しかし病棟内の輸液ポンプや心電図のモニターの状況を確認していると、背後でナースコールが鳴った。特徴的な音に反射でふりかえってしまい、誰が鳴らしているのかが目に入る。

"156 苗字さん"

テプラで作られたシール、そこには間違いなくそう書かれていた。