あなただけ、遠い





喰種である事をみんなに告白してから、食事の時間はコーヒーだけを出してもらえるようになった。コーヒーだけは味がわかると告げた時のサンジさんは、とても嬉しそうだった。あの時の安堵した表情に、勝手に救われた気がしている。

「ハルちゃん、コーヒーだよ。」
「ありがとう、サンジさん。」

朝食の時間にダイニングに向かい、ソファに座るとカップが差し出された。カップを受け取り、差し出された腕を辿ると、眉尻を下げて微笑むサンジさんがいた。

あれから、まだサンジさんと二人で話すことはできていない。もちろん、食事前にキッチンで過ごす二人の時間も、もうなかった。喰種だと告白した時の、泣きそうに歪んだ彼の顔が忘れられない。何を話しても、また傷つけてしまいそうで身がすくんでしまう。彼との間に生まれた溝を受け入れる勇気は、まだなかった。

おかわりはいつでも声かけてね、とサンジさんが去っていく。ふわりと香った煙草の匂いは、コーヒーの香ばしい香りにかき消された。
サンジさんが丁寧に淹れてくれるコーヒーは、相変わらず世界一美味しい。



「ねえハル。コーヒーだけは、味が分かるのよね?」
「そうだよ、ロビン。何でかは、わからないんだけどね。」
「不思議ね……」

隣で紅茶を飲んでいたロビンが、ふと尋ねてくる。
その話を聞いていたウソップが身を乗り出し、チョッパーもその隣で真剣にこちらを見ていた。

「じゃあさ、メシにコーヒーかけちまえば、食えるんじゃねェのか!?」
「ウソップ、良い質問だね。それが、だめなんだ〜。」
「えー、だめなのか?」

私の答えに、チョッパーはわかりやすく肩を落とした。

サンジさんが作ってくれたティラミスを思い出す。あれは酷い味だった。期待してしまったからこそ、落胆が大きかった。そもそも、コーヒーをかければ食べられるなら、喰種はこんなに苦しんでいない。

じゃあ、とチョッパーのお皿に乗ったわたあめサンドを指差すと、お皿の上に視線が集まった。

「例えばさ、チョッパーは甘いものが大好きだけど、唐辛子にお砂糖かけたら、食べられる?」
「エッ!?無理だろそりゃあ!」
「同じ事なんだよ。」
「おんなじ、なのか……?」
「試してみたこともあるんだけどね、だめだったんだ。」

もちろん私はお砂糖の甘さも唐辛子の辛さも、味は知らない。手探りで出したこの例えは、彼らに伝わっただろうか。

私の話を理解しようと首を捻る彼らを見ながら、コーヒーを啜る。私という異端の生物を理解しようとしてくれている、その事実が嬉しくて、口元が緩むのを隠した。

「そっかあ、サンジにお願いしてみようかと思ったのになー。」
「おい、チョッパー!」
「わ、わりィ!」
「んーん、大丈夫だよ。」

チョッパーが残念そうに呟くと、ウソップが慌て止めた。チョッパーも立ち上がる勢いで腕を振って謝罪する。私とサンジさんの間にできてしまった微妙な距離は、みんなの共通認識になってしまっているのだろうか。
どうしたものかと困って隣のロビンを見ると、紅茶を啜りながら微笑んでいる。その表情は読めなかった。


ロビンさんからロビンへ、チョッパーくんからチョッパー、ウソップくんからウソップ。隠すものがなくなって、名前を呼ぶ度に少しずつみんなと距離が近くなっていく気がした。___ただ一人を除いて。




サニー号の地下へ降り、フランキーの部屋を覗く。一際大きな背中が、細やかな作業に集中しているのが見えた。火花が飛び散り、金属のぶつかり合う高い音が響いている。
彼の手を止めてしまうことに躊躇したが、せっかくここまで来たのだ。作業音に負けないよう、意を決して声を張った。

「フランキー……!今大丈夫?」
「オゥ!ハルか。どうした?」

目元を守っているゴーグルを持ち上げて、フランキーがこちらを振り返った。片眉を上げて、しげしげと私を見ている。

「あの、ごめん。また釣竿壊しちゃった。」
「お前はたまーに、力加減がスーパーな時があるなァ!任せろ、直ぐに作り直す!」

真っ二つに折れた釣竿を、フランキーに見せる。せっかく作ってくれたのに、巨大魚との攻防の末に力加減を間違えて破壊してしまった。無惨な姿になった釣竿を彼に見せるのは、これで何回目だろうか。

「ごめんね、作業中に。」
「気にすんなァ!お前に頼られてアニキは嬉しいぜェ!!アゥ!」

申し訳なさで萎れた私を見て、フランキーもといアニキは勢いよくポーズを取る。アニキの前腕には、綺麗な星が出来上がった。
その姿を見ていたら、じわじわと笑いが込み上げてきた。

「……ふ、あはは!あのね、すごく大きい魚が引っかかって、力んじゃった。」
「次はお前のパワーにもデッケェ魚にも負けないように、頑丈でスーパーな釣竿作ってやるからな!」
「ありがとう〜、フランキー!」

行きは重かった足取りも、帰りは軽くなっていた。
新しい釣竿ができたら、すぐに釣りをしよう。美味しい魚を釣って、フランキーに食べてもらいたい。





"ご飯"を食べなくなったことで、私の体調は急激に回復していた。これまでずっと異物を消化し続けることで、常に体は重く怠かった。体力の温存と回復のために、休息をこまめに取っていたが、今はもう必要ない。
だから甲板のこの芝生でゴロゴロする必要もないはずなのだけど、何せ天気が良い日はこの場所が1番心地いい。結局気づいたらここに来てしまっていた。

今日もゴロゴロしながら柔らかい日差しの心地良さを堪能していると、黒い人影が視界に入る。

「ブルック!ねえ、あの曲、聴かせて?」
「おや、ハルさん。もちろんですとも。」
「お、ブルック!なんか弾いてくれんのか?」
「ルフィも一緒に聴こうよ!」
「ししし、おう!」

ブルックを呼び止めて、あの夜に聴かせてくれた曲をリクエストする。するとちょうど近くにいたらしいルフィが、目を輝かせて現れた。ルフィは私の横に座り込んだ。

ブルックがバイオリンを構えて弓を引いた瞬間、空気が震えた。優しく響く音色は、孤独に苛まれていた夜を思い出させる。
ブルックがあの夜聴かせてくれた曲。耳の奥に優しく残って、私の背中を押してくれた、宝物だった。

ルフィと向かい合うように身体を起こして座る。
バイオリンの音色が、二人の間の空気を震わす。心地よいはずなのに、リズムを狂わすようにドキドキと鼓動が速くなる。

「ねえルフィ。お願いがあるの。」
「おう、なんだ?」

優しい音色に耳を傾けていたルフィの瞳が、私を捕らえる。強くて、優しい瞳。ここに、安心を置いておきたかった。

「私が仲間を喰いそうになったら、ルフィが止めてね。約束して……殺してでも、止めてね。」

膝の上に置いた拳に力が入る。いざ言葉にしてみると、とても重たいお願いだった。でもルフィはほんの一瞬だけ目を見開いて、すぐににかっといつもみたいに笑った。

「バカだなー、お前。」
「え?」
「そんな約束、しねェよ。」
「そんな、」

ルフィの強さなら、理性を飛ばした喰種にだって勝てるはず。そんな期待をしていた。私の張っておきたかった予防線は、儚く立ち消えていく。
私の落胆を他所に、目の前の船長は笑顔を絶やさずに続ける。

「お前が暴れたら、止めてやる。でも、殺さねェよ。仲間だから。」
「で、でも、喰種って危ないんだよ?」
「お前がどんなに危ないやつでもよ、おれたち強ェからよ!殺さずに止めてやる。その約束なら、できる。」
「っルフィ……!」

ルフィの手が私の頭に乗って、少し乱暴に髪の毛をかき回される。頭を押さえられたことで少し落ちた視線を彼に戻すと、だから殺せとか言うな、と眉を少し下げて笑っていた。

「ルフィさん……かっこいい!着いていきます!!」
「ちょっとブルック!それ私のセリフ〜!!」
「ししし!おもしれーなお前ら!」

ふと音楽が止まり、ブルックが入ってきた。
もう良いところだったのに、と少しむくれて見せて。3人でケラケラ笑う。笑い過ぎたのか、別の理由か、目尻からは涙が零れた。


夕刻になり、甲板は茜色に染まっていた。
海を見ながら先程のルフィとの約束を反芻していると、誰かが近づく気配がして、私のすぐ後ろで影が揺れた。カチャリと金属がぶつかり合う音が聞こえた。この匂いは、ゾロさんだろうか。

予想通り緑髪の剣士が現れ、私の隣にドカッと座り込んで酒瓶を置く。

「あー、なんだ。その、お前が暴れた時は、俺も止めてやるから。」
「へ?」
「だから、安心してこの船にいろ。」

唐突に目も合わさずにそう言うと、仏頂面で私にグラスを差し出した。
ああ、そうか。さっきそばにいたのか、もしくはルフィかブルックから聞いたのか。たしかに彼はこの船では2番目の賞金額、となれば彼の言葉はとても心強い。

「ゾロさん……いや、ゾロ。」
「おう。ほら、酒持ってきてやったから。飲めよ。」
「あの、私……お酒も味わえなくて、飲めないんです。すみません。」
「あァ!?そうなのか?」
「ふふ、でもありがとうございます。とっても頼もしいです。」

当たり前だ、と少し赤くなった耳を隠すように瓶ごと酒を煽るゾロ。不器用な人なんだな、と思いながらその優しさに少し酔いそうだった。





翌日、柔らかな日差しに照らされた甲板で、ナミのみかんの木のお手入れを手伝っていた。
潮風とみかんの爽やかな香りが混ざる中、黙々と手を動かしていると、ふとナミが手を止めて顔を近づけてきた。

「……ねえ、ハル。あれからサンジくんと話せてないの?」
「う、うん。嘘ついてたのがバレちゃったから。すごく傷ついた顔してたし。もう私と話したくないんじゃないかなあ。あの、気を使わせてごめんね?」

私も手を止めて声を潜めて返す。特に声を抑える必要はないけど、なんとなくそうしてしまった。
ナミは何かを考えるようには眉を寄せ、納得しているのかいないのか、微妙な顔をしている。

「ねえ、なんで食べられないのにキッチンに通ってたのよ。」
「それは、食べられない代わりに、過程を見たくて。サンジさんが心を込めて作っているところを見れば、味はわからなくても、思いはわかるかなって。……もちろん楽しかったのもあるけど。」

そこまで話すと、ナミの表情が少しだけ緩む。

「あら、素敵ね。」
「ナミのミカンだって、どれだけ大切なものか聞かせてくれたから、味はわからなくても、想いは受け取りたかったんだよ。だから、こうして手伝わせてくれて嬉しい。」
「んー、もう!!あんたは可愛いわねっ!」
「わ、ちょっと!ナミ、」

勢い良く抱きしめられて、バランスを崩す。
眩しい太陽の下で笑い合って、ナミの体温がまっすぐに届いて心地よかった。









「……でね、サンジさんは私のこともう嫌いなんだって、ハルが言ってたらしいの。サンジくん。」
「ナミさん、」
「そうなの?サンジ。」
「ロビンちゃんも、揶揄わないでくれ。」
「揶揄ってないわよ。大事な話。」

レディ二人に見つめられ、息が詰まる。俺が彼女を嫌う訳がない。このレディたちは、わかってて聞いていた。

煙草を咥え直して、肺に溜まった重たい煙を吐ききる。嫌われてるのはむしろ___

「……嫌われてるのは、俺の方だ。俺が何も知らねェで、メシの話ばっかして、きっと追い詰めた。俺の料理で、ハルちゃんを苦しめてたんだ。」

改めて口にすると、胸がずしりと重くなる。馬鹿な自分に、腹が立つ。

二人が、顔を合わせて肩を竦めた。
ナミさんが、ストローでジュースを混ぜる。3人の沈黙の中に、氷がぶつかり合う音だけが響く。

「……ねえ、サンジくんはなんであの子がキッチンに来てたかわかる?」
「それは……、なんでだ?」
「……もうっ!」

ナミさんがわざとらしくため息を吐く。それを見ていたロビンちゃんが、目を細めて微笑んだ。

「サンジ、あの子……もしかしてだけど、食べたご飯、吐いてなんかなかったんじゃないかしら?」
「それはねェよ、だって、消化したら体調不良になるって自分で言ってただろ。」

ロビンちゃんの仮説に、今度は俺がため息をついた。俺を慰めようとしてくれているのか、その優しさは嬉しいが、都合が良すぎる話だ。
しかし、ロビンちゃんは変わらず微笑んだまま続ける。

「あの子、ここ最近ずっと体調悪そうだったわ。」
「そうね、昼寝も多かったし。」
「……は?」

思わず開いた口から、煙草が落ちた。

「ねえ、やっぱり無理して飲み込んで、消化してたんじゃないの?」
「そんなわけ、」

言いかけて、言葉に詰まる。
否定の言葉が、どうしても続かない。

彼女の表情、行動を思い返す。二人で過ごした食事前の時間、笑う時もどこか疲れていて、時折悲しそうに眉を下げる表情。彼女がいない時、俺はいつもどこかで昼寝をしている彼女を探していた。ちぐはぐな言動に、何かを隠しているとはずっと思っていた。気づいていた気がする、___でも、踏み込めずにいた。

新しい煙草に火をつける。
吸い込んた煙は重たく、思考の整理を邪魔する。

「いや……そうなのか?」

そんな俺の様子を見て、ロビンちゃんは頬杖を付いて少し挑発的に笑った。

「自分で聞いてみなさい。」
「ロビンちゃん、」

ミステリアスで、妖艶な笑みに思わず胸が高なる。ほう、と魅入っていると、何惚けてんの、とナミさんに肩を叩かれた。
その衝撃で、思考が戻ってくる。彼女は正体を告白した後から、俺と距離を取ろうとしている。そこには確信があった。

「でも、ハルちゃん、俺だけ呼び方がよそよそしいんだ。」
「そうかしら?」
「あの朝話をしてから、他の奴らの事は呼び捨てにしてるのに、俺だけ、"サンジさん"なんだ……」

思い出して悲しくなってくる。息が詰まりそうで、大袈裟に胸を掴んで嘆いてみせる。そんなに気にすることかしら、とナミさんは興味なさそうにズズっとジュースを飲んだ。ロビンちゃんは何か思い当たる節がありそうだが、優しく微笑んでいた。

「何も、味わうのは舌だけではありませんからね。……私、舌ないんですけどー!!」
「ブルック!おめェいつの間に!」
「彼女の話をされていたので、お邪魔しちゃいました。ジジイ心と言うんですかね、気になってしまって。ヨホホホ。」
「フフフ、わかるわ。」

ブルックが急に現れ、会話に乱入してきた。しかし妙に的を得たことを言われた気がする。
ロビンちゃんも骨野郎と同じトーンで笑っている。何故か悔しくなってきたので、煙草の煙で肺を満たして誤魔化した。そんな俺を見て、ナミさんが再び口を開く。

「ねえ、逆の立場で考えてみて。サンジくんがどうしても食べられないものがあったとして、それを作ってくれた人に隠していたのに、後々バレちゃうの。」
「ナミさん。俺、食えないもんねェけど……?」
「あのねぇ……!」

ナミさんが拳を震わせている。頭の中には疑問符が募り、助けを乞うようにロビンちゃんと骨を見た。

「サンジさんって、意外と鈍感なんですね。」
「そうみたい。」
「なんだと骨!ロビンちゃんまで……!」

馬鹿にされている事はわかる。だが、未だに解決の糸口が見えていないので、強く言い返せない。
はあ、とナミさんが大袈裟にため息を吐いた。この会話の中で何回目だろうか。

「あのね、サンジくん。私たちが乙女心を全部話しちゃうのは違うと思うの。」
「はい。」
「それに、女の子から自分のところへ話しに来てくれるのを待つの?それって全然男らしくない。ねえ、ロビン?」
「ええ、男らしくないわ。」
「男らしくないですねえ、ヨホホホ。」
「くっ……たしかに!」

三人の言葉が重なり合って、己の情けなさが形になった。拳に力を入れ、自身を奮い立たせる。なんて情けない男なんだ、俺は。

「……俺、ハルちゃんと話してきます!!」
「そうしなさい。」
「泣かせたら承知しないからね!」
「失恋ソングはお任せくださいね!」
「縁起でもねェこと言うな!骨ァ!!!」

聞き捨てならないブルックの声援に吠えながら、キッチンを飛び出した。

___情けない俺ごと、彼女にぶつかろう。












船の中を駆け回って、彼女を見つけた。前だったら、もっと早く見つけられていたように思う。彼女がどこにいるか、何をしているか、いつも自然に目で追っていた。でも――あの告白以来、それが苦しくて、視線をそらすように逃げていた。



「ハルちゃん……!」
「サンジ、さん?」

ようやく見つけたその背中に声をかける。
振り返った彼女は目を見開いて、俺の名前を呼ぶとその表情に影が刺した。

また拒絶されるかもしれねェ。

走る鼓動が焦りと混じり合う。息が上がって、胸の奥が苦しい。
情けねェ気持ちを隠すように、煙草を取り出す。主人公ちゃんは、そんな俺をじっと見ていた。

「ハルちゃん、」

改めて名前を呼び、困惑の色が浮かぶ瞳をまっすぐ見つめた。

「話したい。二人で、ちゃんと。」



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