01.握れば拳、開けば掌

流石にそれは予想していなかったアルバートは、驚きと共に橋の下を覗き込む。
その視線の先で、幾つもの水柱が上がった。

そしてそれを追うようにして、橋から飛び降りる人物がもう一人。

「逃がすか!!!!」

怒りを孕んだその声は、水中に居たフォレストの耳にも微かに届いた。

――――まさかそんな、有り得ない。

自分で提案しておいて何だが、橋から飛び降り川を泳いで逃げるなど無謀だ。
実際、今の自分は激流に呑まれて、流れに身を任せることしか出来ない。時折水面に顔を出して呼吸をするのがやっとで、それもいつまで保つか怪しい。無事陸地に辿り着けるかどうかは運任せだ。

軽装の自分達ですらこの有様なのだから、全身に重石を着けているも同然の鎧姿の騎士達が追いかけて来られる筈が無い。まあ、だからこそ効果的な作戦ではあるのだが。

だと言うのに、今まさにその予想を裏切って飛び込んできたレフォードを、フォレストは信じられない気持ちで見た。

(正気か!? 執念深いにも程があるだろう……!)

案の定、レフォードは鎧のせいで水面に上がることすら出来ない様子だった。
が、それがどうしたと言わんばかりに、近くに居るフォレストの姿を認めると、鎖を編んだ服の隙間に指を絡ませて掴む。

流石にこれはまずい。レフォードに掴まれていては、自分も息継ぎが出来なくなる。
が、引き剥がそうにも、激流の中では上手く身動きが取れない。このままでは、二人揃って仲良く溺死する事になる。

冗談じゃない。フォレストは再び獣人化して、強化された四肢の筋力を頼りに必死に水を掻いて水面に上がった。
フォレストと、彼にしがみついているレフォードは同時に酸素を取り込む。

互いに何か言いたくても、呼吸するので精一杯だった。
言葉を発する前に、川の流れが二人を水の中に押し戻す。

何度も何度もそれを繰り返して――――フォレストがもう駄目だと諦めかけた時、何処かへと運ばれていた体はようやく動きを止めた。

動かした手の指先が地面に当たって、浅瀬に居ることを悟ったフォレストは、腹這いの状態で陸に上がる。

「はぁ……はぁ……はぁ……っ、ゲホッ! た……助かったか……危なかった……」

獣人化を解いたフォレストは地面に倒れて、未だ自分に張り付いているレフォードを引き剥がす。

「まったく、なんて奴だ……お前のせいで、後少しで死んで……」

と、恨み言をぶつけようとしたフォレストは、相手がぐったりとしたまま動いていない事に気付いた。

いや、動いていないだけではない。呼吸の音すら聞こえない。

「げほっ! フォレスト、無事か……? 他の皆は……?」

近くに打ち上げられていたらしいティルキスが、長い髪から水を滴らせながら言った。

一度レフォードから視線を外して周囲を確認すると、ティルキスが居るのと反対の方角にルビアが倒れているのを見つける。

幸い彼女も無事だったようで、ティルキスの呼び掛けに咳き込みながら応えた。
他のメンバーは見当たらなかった。恐らくは別の場所に流されたのだろう。

フォレストは再びレフォードに視線を戻し、その頬を叩く。が、反応は無い。

「おい、しっかりしろ」

「どうしたんだ? ――って、そいつは……まさか俺達を追って来たのか?」

「その様です。ですが……」

言い渋るフォレストと動かないレフォードを見て、ティルキスの顔色が変わった。
傍に屈んで、フォレストに体を預けている状態のレフォードを観察する。

「怪我はしていないな。水を飲んだのか?」

「お兄様? どうしたの?」

「ルビア、疲れているところで悪いが、こいつに治癒術をかけてやってくれないか」

「――――え、その人……! た、助けるの?」

見た瞬間、ルビアは警戒して数歩後退ったが、動いていないことに気付くと、恐る恐るといった様子でティルキスの隣に座って、プリセプツを唱える。

「……駄目か。参ったな、俺には医学の心得は無いんだが……」

「お兄様、本当に助ける気なの? だってこの人は異端審問官で……どれだけ酷い事をして来たのか、あたし達はもう知ってるじゃない」

「そうだな。でも罪を犯したのなら、その罪は生きて償わせるべきだ。酷い奴なら尚更、ここでこんな風に死なせる訳にはいかない」

やはりこの人はこういう人なのだと、ルビアと同じくレフォードを助けるべきか否か内心で悩んでいたフォレストは思った。
真剣な面持ちのティルキスに、ルビアは少しの間悩んで、やがて口を開く。

「溺れた人は、人工呼吸をすれば助けられるって、昔お父さんから聞いたことがあるわ。実践した事はないけど……手順なら何となく覚えてる」

「本当か? 教えてくれ、どうすればいい?」

「えっと……とりあえずは仰向けで寝かせて。その後は確かこうやって……ああでも、力のある人がやらないと上手くいかないって……」

「ならば私がやろう。胸の上で手を重ねればいいのか?」

ティルキスと位置を代わって、ルビアの動きを真似てみせたフォレストに、ルビアが首を縦に横にと忙しなく振る。

「そう……ああでも待って、鎧を脱がせてからじゃないと……それに、先に息を吹き込まないといけなかった気が……」

「鎧を脱がせればいいんだな。任せろ」

「息を吹き込むというのは、どの様にすればいい?」

「え〜っと、気道を確保する為に上を向かせて……あとは鼻を摘んで、口からこうやって……」

と言いながら、唇を重ねるフリをするルビアに、レフォードの鎧を剥いでいたティルキスが「えっ!?」と声を上げる。

「ほ、本当にそんな方法なのか!?」

「そうよ。それを2回くらい繰り返したら、今度は胸の上に手を置いて、一定のリズムで何回か押し込むの。で、また息を吹き込む。あとはそれの繰り返しよ」

「そ、そうなのか……まあ、その、あれだな。人命救助だからな。頑張れよ、フォレスト」

「ティルキス様……」

何とも言えない表情で言うティルキスに、何を考えているのか察してしまったフォレストは、カイウス程ではなくともまだまだ思春期真っ盛りらしい主に溜息を零した。

「大体は分かった。とりあえずやってみよう。間違っていたら教えてくれ」

ルビアは緊張した面持ちで頷いた。
ティルキスも、恐らくはルビアとは若干別の理由で緊張しながら見守る。

ティルキスのせいで最初の1回目は変に意識してぎこちなくなってしまったが、2周目3周目と繰り返す内に邪念は消えていった。
そして5周目に入ろうとしたところで、レフォードが激しく噎せながら飛び起きて、顔を近づけていたフォレストと頭をぶつけた。

「痛ッ!? 〜〜〜〜〜〜っ!!」

「げほっ、ごほっ! っはぁ、はぁ……な……何……何が……」

おでこを押さえて悶絶するフォレストを、同じくおでこを赤く腫らした涙目のレフォードが見遣る。

ルビアはほっと息を吐いて胸を撫で下ろし、ティルキスはフォレストの頑張りを称えつつ尋ねる。

「具合はどうだ?」

「……な、何がどうなって……」

「お前は無謀にも川に飛び込んで、ここに流れ着いたんだよ。溺死寸前だったが、フォレストとルビアのお陰で助かったんだ。2人に感謝しろよ?」

「川に……そうか、そうだ! 貴様ら、よくも……!」

と、フォレストに掴みかかろうとしたレフォードは、しかし身を起こすなり目眩に襲われて、伸ばした手を地面に着く。

「おいおい、礼も無しにそれか? がっかりさせないでくれよ。フォレストなんか、お前のせいで死にかけたって言うのに、助けるために何回もキ――」

キスしたんだぞ、と言おうとしたティルキスの口を、復活したフォレストが手で塞いだ。

「……キ? 何だ?」

「何でもない、気にするな」

「? ……まあいい。何にせよ、貴様らはここで僕が仕留める。観念し――――」

観念しろ、と言おうとしたレフォードは、先のティルキス同様途中で言葉を止めた。
あれ? という顔で掌を見つめて、きょろきょろと周囲を見渡す。

「どうした?」

「……僕の槍はどこだ?」

「槍? ここに流れ着いた時には何も持っていなかったぞ。流されている間に落としたんじゃないのか」

思い当たる節があるのか、フォレストの推測を聞いたレフォードは一瞬固まって、のそのそと川に探しに向かった。

しかしそう都合良く槍が漂着している筈もなく、レフォードは哀愁漂う顔で陸に戻ってくる。

そんな彼を見ながら、ティルキス達は「レフォードはプリセプツを使えない」というアーリアの言葉を思い出していた。

つまり、武器を持たない今の彼には戦う術が無い。
3人は顔を見合せた。そして、誰からともなくレフォードに背を向けて歩き出す。

「さーて、人助けも済んだし、俺達は近くの町でカイウス達を探すとするか。先に着いて休んでいるかもしれないしな」

「そうですねお兄様。あの人はもう大丈夫みたいだし、あたし達の助けなんて要らないみたいだから」

「この辺りには魔物も出ますからね。長居は無用でしょう」

「お、おい待て。誰が勝手に行っていいと言った!?」

狼狽えるレフォードの言葉を完全に無視して、3人はスタスタと歩いていく。
着替えている時間も惜しいと、慌てて鎧を掻き集めて抱えたレフォードは、何も出来ずにただその後ろをついて行く。

「どうした審問官殿。まだ何か用か?」

「当たり前だろう! 貴様は脱獄囚だぞ!? その自覚があるのか!?」

「捕まえたければ捕まえればいい。今なら邪魔が入ることも、周囲に迷惑をかけることもない。受けて立つぞ」

そう言われて、丸腰状態のレフォードは、う、と言葉を詰まらせた。

「……い、今はいい。だが見逃すわけじゃないからな。調子に乗るなよ」

調子に乗っているのはそちらではないのか。
フォレストはそう思いながらも、今はそんな不毛な口喧嘩で残り少ない体力を消耗したくはないなと、黙って足を動かし続けた。
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