08.風前の灯

エステリーゼは、人の居ない街の外れで一人ぽつんと座り込んでいた。
追いかけて来たは良いものの、かける言葉が見つからないアルノルドは、離れた場所からその姿をただじっと見ている事しか出来ずに居た。

――世の祈りを受け、満月の子らは命燃え果つ。

実際にあの絵を描いた人が、どういった意味でその言葉を残したのか、過去に何があったのか、具体的な事はわからない。
けれど、少なくとも今のエステリーゼは、恐らくその言葉をこう受け取っただろう。

満月の子――つまりはエステリーゼが死ぬ事で、この世界は救われる。

(……ふざけるなよ。そんな事を聞かせる為に、俺は彼女をここまで連れてきた訳じゃない)

仲間も皆同じ気持ちだろう。遠路遥々ここまでやって来たのは、真実を知りたいというエステリーゼの気持ちを尊重したかったからだ。例え彼女が世界の毒と呼ばれる存在なのだとしても、何とか救う方法を見つけたかったからだ。

なのに実際はどうか。

(……何でエステリーゼ様なんだ。どうして他の誰でも無く、あんな優しい人が選ばれたんだ)

寧ろ優しいからこそなのだろうか。
世界の為とあれば自分の命を差し出しかねない彼女だからこそ、満月の子として生まれたのだとでも言うのだろうか。

(そんな話があってたまるか)

犠牲になんてならなくていい、貴女が死ぬ必要なんて無い――悲しみに暮れる小さな背中にそう言いたくて仕方なかった。
けれどアルノルドは、それを言葉にする事を躊躇う。

「でも、私が生きていれば、いつか世界は滅ぶんです」

悲しい顔でエステリーゼがそう返してくる姿が目に浮かぶ。そして自分は、それに対して返す言葉を持たない。

(それでも……、それでも俺は、貴女には生きていて欲しい)

それを伝えることが、優しい彼女を苦しめる事にしかならないのだとしても。
アルノルドは死ぬ事を迫られる今の彼女を見過ごしたくは無かった。

故に意を決して彼女の前に姿を現そうとしたアルノルドだったが、不意に現れたレイヴンに先を越されてしまう。

彼も彼女を励ましに来たのだろうかと思ったが、レイヴンは彼女を連れてどこかへ歩き始める。

(……? 何処に行く気だ?)

ユーリ達が休んでいるだろう空き家があるのは別の方角だ。レイヴンの考えが分からぬまま気になって後をつけてみると、二人は街に置かれた巨大な魔導器の前で止まる。

前面の開いたドーム状のその魔導器に、レイヴンは懐から何か――恐らくは魔核を取り出して、魔導器の窪みに嵌めた。更にもう一つ、彼が手にした物を見て、アルノルドはぎょっとする。

(あれは……聖核!? 何でそんなものを……一体どこで……)

困惑はそれに留まらず、レイヴンはその聖核をエステリーゼに向けた。同時に、彼女の周りに術式が浮かび上がる。

エステリーゼの小さな悲鳴を聞いて、流石に静観して居られなくなったアルノルドは飛び出した。レイヴンは驚いた様子もなく、冷めた目でアルノルドを見遣る。

「レイヴンさん、何をしてらっしゃるんですか!」

「騎士団長の命に従ったまで。お前こそ、与えられた役割を放棄して何をしている?」

その物言いで、アルノルドは目の前にいるのがレイヴンではなくシュヴァーンであると理解した。

「……貴方の任務にエステリーゼ様の件は関係ないと仰っていた筈では?」

「状況が変わった。身に覚えがあるだろう」

「エステリーゼ様は俺が帝都へお連れします、あと少し待って頂ければ……」

「早急に帝都へ連れて来いとの命令だ。あと少しなどと言うお前の主張は、その時点で命令に反している」

「何をそんなに急く必要があるんですか、それもこんなやり方で……!」

そう言って、アルノルドはエステリーゼを見た。
術式に取り囲まれている彼女は、虚ろな顔でぼんやりと虚空を見つめていた。いや、見つめているというより、ただそちらを向いているだけだ。目は開いていても、そこに彼女の意思は無い。

「素直に帝都に戻っていたのなら、こんな物を使う必要も無かったのだがな」

「どうしてそこまでしてエステリーゼ様を無理に連れ戻そうとするんですか、アレクセイ騎士団長は一体何を考えて……」

シュヴァーンはそれには答えずに、煌々と光り輝いている聖核をアルノルドに向けた。
何かされるのかとアルノルドは身構えたが、特に何も変化は無い。

「……やはりお前には効かんな。であれば、こちらで片を付けるしかないか」

シュヴァーンは聖核を掲げたまま、いつもレイヴンとして使っている弓を一振りした。
ガキン、という音と共に一瞬で剣へと変わったソレを、シュヴァーンは構える。

「大人しく姫を渡すのであれば、お前の事は今は見逃してやる」

「……馬鹿言わないで下さい。それこそ、役目を放棄する事に他ならないでしょう」

アルノルドも鞘から剣を抜いた。シュヴァーンとこうして対峙するのは随分と久しぶりだが、何年経とうが、何度試合おうが、この緊張感は慣れるものでは無い。

それでも、ここで退く訳にはいかない。

「エステリーゼ様を護る事が、騎士としての俺の務めです。それを邪魔するのなら、例え貴方でも容赦はしません」

「……お前はもう騎士では無い、この娘を護る必要も無い筈だが」

「俺はまだ騎士を辞めたつもりはありません。それに、例え騎士団長の命令が無くても……今の俺は、俺の意思でエステリーゼ様を護ります」

「……そうか。ならば――」

一呼吸のうちに、シュヴァーンはアルノルドとの間合いを詰めて、その喉元目掛けて剣を突き出した。
首を倒してギリギリで躱したアルノルドは、眼前に迫る切っ先を剣の鍔で叩き落として相手に斬りかかる。

「シュヴァーン隊長! 貴方はこれで本当に良いんですか!? アレクセイ団長の命令にただ従ってこんな事をして……、ユーリ君達にどう説明するつもりですか!」

「説明などする必要は無い。俺は騎士団隊長首席シュヴァーン・オルトレインとして、与えられた任務を忠実にこなすだけだ。それを彼らがどう思おうが、俺の知ったことでは無い」

「ならレイヴンとしての貴方はどうなんですか! シュヴァーン隊長には関係なくとも、レイヴンさんはユーリ君たちの仲間だった筈でしょう!」

「仲間? いつ誰が、何処で仲間になったと言うんだ。そもそも、あれはギルドに潜入する為に用意した仮の姿に過ぎん」

二人は互いに何度も剣を打ち合った後、一度距離を置いて体勢を立て直す。

かつて稽古としてやり合った頃に比べればアルノルドの剣はかなり上達していた。これなら、勝てはせずとも引き分ける事は出来るかもしれない。

相手の隙を突ければ――そう考えたアルノルドは、少しでも相手の心を揺さぶろうと喋り続ける。

「……なら、ドン・ホワイトホースが死んだ時にも、貴方は何も感じなかったんですか?」

全く変化の無かったシュヴァーンの眉がピクリと動いたのをアルノルドは見た。

剣を握る手に力を込めて、渾身の一撃を叩き込むチャンスを慎重に見計らう。

「ドン・ホワイトホースが死んでからの貴方は、いつもと様子が違っていました。今日エゴソーの森でユーリ君達と話していた時も……、その全てがただの演技だったとは俺には思えません」

「…………」

「シュヴァーン隊長としては、今の貴方の行動は間違っていないのかもしれません。けれど、天を射る矢のレイヴンさんとしては――他にやるべき事があるのでは無いのですか? エステリーゼ様を連れ戻すという任務は、ギルドを陥れたイエガーを討ってくれというドン・ホワイトホースの最期の頼みよりも優先すべき事なのですか!?」

――今だ。
相手の視線が、意識が自分から逸れた事を鋭敏に察知したアルノルドは、一撃で決着を付けるつもりで一気に相手の懐に潜り込んだ。

だが、シュヴァーンはアルノルドの剣を見もせずにそれを弾き返す。

驚愕して目を剥いたアルノルドは、乱れた髪の奥で爛々と燃えているシュヴァーンの瞳を見て固まった。

「……お前に何が分かる」

平坦な声に含まれる抑え切れない怒りの感情が、殺気となってアルノルドに襲いかかった。

かつて騎士団領内で彼と初めて手合わせした時に感じた恐怖を、それ以来一度も見ることの叶わなかった彼の激情を、今再びアルノルドは感じる。

「かつてテムザで命を落とし、生きる希望を奪われ、今こうして紛い物の心臓でただ動いているだけの死人の気持ちが、生者であるお前に分かるものか!!」

硬直して動けなくなっているアルノルドを、シュヴァーンは湧き上がる怒りのままに斬り飛ばした。

隊長首席の名に恥じぬ実力を持つ彼の斬撃をモロに受けたアルノルドは、為す術もなく地面を転がる。
痛みに呻く彼が起き上がる前に、更に追い打ちをかけるようシュヴァーンが剣を突き立てた。

頭のすぐ真横に刺さった剣はアルノルドの肩と耳を裂いて、先の攻撃で身体の前面についた大きな裂傷共々赤い血を流す。
痛みに呻くアルノルドに構わず、シュヴァーンはその胸倉を掴んだ。

「お前はいつもそうやって、俺が奥底に押し込めたものを暴き、遠くへ追いやったものを引きずり出して、まざまざと見せつけてくる。俺がどんな思いでそれを捨てたのか考えもせずに、俺の覚悟を土足で踏み荒らす。俺がこれだけはと大事にしまっていたものに無断で触れて、俺の記憶を汚す。……俺は、初めて会った時から、お前の全てが憎くて憎くてたまらなかった」

その怨嗟の声に、アルノルドは何も返せなかった。

傷の痛みや恐怖で声が出せなかったと言うのもある。だがそれ以上に、彼の言葉がアルノルドからあらゆる抵抗を奪った。


シュヴァーンに初めて会った時、自分の他にあの地獄を見た人が居てくれた事が嬉しかった。

この人はきっとあの悲しみを、痛みを、苦しみを、解ってくれると思ったから。


けれど。


(……ああ、俺とこの人は、同じ境遇なんかじゃ無かったんだ)


痛みを分かち合えると思っていたのは自分だけで。
彼の悲しみは、痛みは、苦しみは、彼だけのものだったのだ。

彼はずっと独りで――自分はただ、彼を取り巻く残酷な現実の一つでしかなかったのだ。

(……でも俺は、貴方に、そんな顔をさせるつもりは無かったんです……)

アルノルドは震える唇で彼に謝ろうとして、けれどそれを果たせないまま、失意の中で意識を手放した。
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