01.其は脱兎の如く
「兵士に攻撃されるほどの事に心当たりでも?」「ありません、けど……でも……」
「なら今は止まらないで下さい。私は彼らに手は出したく無いんです。話が通じないなら今は逃げるしかない。ほら、船も彼女も行ってしまいますよ?」
こうしている間にも兵との距離は縮まり、船との距離は開いていく。だというのにジュードはまだ渋っている。
流石に焦り始めて自分だけでも先に行ってしまおうかとも思ったが、この手を離せば彼は極刑だ。選択肢が重すぎる。
仕方ない、少年一人の人生と自分の自由や興味を秤にかけるなら前者の方が重い。
諦めたラスヒィが前に進もうとする力を弱めると同時に、目の前の兵が二、三人フレームアウトした。
代わりに視界に入ったのは、珍しい武器を携えた長身の男性。
「軍はお堅いねぇ。女と子供に大人気ないったら」
「え? あ、あなたは……?」
「おっと、話は後な。連れの美人が行っちまうよ?」
有無を言わさず、男はジュードを軽々と脇に抱える。
こんな状況で何だが、ラスヒィはその手際のよさに感心した。
「あんたもお仲間?」
「厳密に言えば違いますが、状況的には彼と似たようなものです」
「悪いが二人抱えるのは無理があるんでね、自力で頼むわ」
何を、と聞く前に答えが分かった。
走り出した男性はジュードを抱えたまま陸地の端で跳躍し、クレーンで宙にぶら下げられていた木材に着地すると更に加速、先にあったワイヤーを掴んで、そのまま振り子のように空中を横切って出港していた船に突っ込んだ。
まるでサーカスの見せ物か映画のスタントアクションだ、彼は自分に同じことをやれと言いたかったらしい。
そんな軽々と、誰にでも出来るような芸当では無いと思うのだが。
しかし兵に素性がバレてしまっている以上もうここに留まっていることは出来ない。ラスヒィは覚悟を決めて先程の男性と同じルートを辿った。
実際木材の上に立ってみると、下は海とはいえかなりの高さだ。
そして船はもう冷静に考えれば届く距離ではないと、そんな泣き言を言っても後には退けない。
落ちたら諦めよう、色々と。
誰と息を合わせる為でもなく、自身を奮い起たせる為に「せーの」と小さく呟いて、助走をつけたラスヒィは全力で木の板を蹴ってワイヤーを掴んだ。
先人と同じようにしても先程の流れるような動きにはならず、ワイヤーから手を離せばその体はすぐに落下を始める。
落下地点の予測は船体にギリギリ届くか届かないか。空中ではいくら踏ん張ったところで無駄なので、もう神に祈るしかない。
結局、必死に伸ばした手は甲板の手すりを掴むには至らず、いやかすっただけでも大したもんだったよと自らの努力を心中で讃えたラスヒィは、水面に落下する際の衝撃に備えて両目をきつく閉じたが、右腕を何かに捕まれて体は水に浸かることなく宙に揺れた。
ゆっくりと開いた目が写したのは、ミスター・スタントマンのいい笑顔。
「ナイスファイト、及第点だ」
さっきのといい、その腕力の強さは素晴らしいなと自分を引き上げる片腕を羨みながら、ラスヒィは船の上で安堵と疲労の入り雑じった息を吐いた。
「助かりました、有難う御座います……情けない姿を見せてしまいましたね」
「あんだけ出来りゃ上等だよ。おたく、見た目によらず度胸あるのな」
度胸も何もああするしかない状況だったのだが。
それに自分より過酷な状況で簡単にやってのけた人物に言われてもいまいち慰めにはならない。まあ、彼の場合着地はダイナミックだったが。
「……先程連れて行った少年は?」
「あっちで待ってるよ。しっかし、生真面目そーな少年に美男美女って、どういう組み合わせ?」
「おや、貴方は外見で人を判断するのですか?」
「まだ他に何も知らないんだからしょーがないでしょーよ。あくまで第一印象の話、だよ」
ミラと無事に合流出来たらしいジュードが、こちらに気付くと側までやって来た。さっきの着地で足を痛めていないのは彼の功績か、はたまた運んだ人間の賜物か。
「アルヴィンだ」
「へ?」
「名前だよ。君はジュードっつったかな?」
「う、うん。こっちはミラ。あと……」
ジュードがミラを紹介して、次いでこちらを見て、そういえば名前を知らなかったと今更なことを言いたそうな顔をしたので、紹介に上がり損なったラスヒィは自分で名乗った。
「ラスヒィ・カレルヴォです。挨拶が遅れてすみませんでした」
「ジュード・マティスです。こちらこそ……その、巻き込んだ上に色々助けていただいて……」
「君が負い目に感じることは何もありませんよ、私が勝手について来ただけですから」
「それで、君は何故ついて来たのだ? 行き先が同じだと言っていたが、君もア・ジュールに用が?」
「そういう訳ではありませんが……あの状況で乗る船は選んでいられませんでしたから。それに、偉大なるマクスウェル様にお会いできるなんて機会、そうありませんからね。お許しいただけるのであれば、しばらくご一緒させて頂きたいのですが……」
「ラスヒィさん、ミラの話を信じるの?」
「ジュード君は信じて居ないんですか? どちらにせよ、彼女が凄い方だというのに代わりはありませんよ」
「……ついて来たいと言うのなら止めはしないが、仮にもしそれで君が危険な目に遭ったとしても、私は助けることは出来ないが、構わないか?」
「勿論。それで勝手に死んだとしても、責任の全ては私にありますから」
そこまでついて行きたいのかという視線があちこちから突き刺さるが、巻き込まれてしまった以上もう現状はどうにもならないのだし、ならば無意味に道を迂回するよりもせっかく出会えた珍しい観察対象について行くほうがよっぽど有意義な時間の使い方になる。
「君は見たところ普通の人間に見えるが……今の発言は戦えると捉えていいのか?」
「驕れるほどではありませんが、人並みには」
「そうか、なら好きにするといい。宜しく頼むよ、ラスヒィ」
差し出された手を快く握る。
肌の感触も体温も人のそれと差異ないが、大精霊というのはこんなものなのだろうか? 何か理由があって一時的に人の身体をしているだけなのかもしれないが。
「──見ろよ、イル・ファンの霊勢が終わるぞ」
頭上に瞬いていた星空が一変して青く塗られる。
日頃暗闇にばかりいるせいて日光は少しばかり目に痛かったが、時間が経つと網膜が環境に順応してくれた。イル・ファンの幻想的な空も気に入っているが、この爽やかな青空も良いものだ。
だがその移り変わりを見て、ジュードはどこか物悲しそうに目を伏せた。
「ねえ、アルヴィンって何してる人? 軍人みたいだけど……ちょっと違う感じだしさ」
アルヴィンへの唐突なその質問も、どこか無理をしているように見えたが、その時はまだその理由が分からずに居た。
「へぇ、いい線いってるよ、傭兵だ。金は頂くが、人助けをする素晴らしい仕事」
「ふむ、それは感心な事だ」
世間に疎いのか、アルヴィンの説明にミラは素直に頷いていたが、悪く言い換えれば金次第で敵にも味方にもなる非情な職だ、個人的にはあまり好ましくない。
「ラスヒィさんは?」
「私ですか? そうですね……何に見えます?」
「えっ? えーっと……学者、さん?」
「おや、光栄ですね」
違うの? 違うのか、違うんだな、とそれぞれがそんな顔になる。
言われた方としてはジュードの回答を正解としても良かったのだが、皆の中では今ので学者の線が消えてしまった様だ。
「本当は何をしてるんですか?」
「いや、お恥ずかしい話、今は何も」
「……つまり無職という訳か?」
「ちょっ──ミラ!」
何も、と聞いて停止していたジュードがハッキリ明言したミラを慌てて止める。そんな風に気を遣わせるつもりではなかったのだが。
「その割にはえらく身形が綺麗だな……まさか盗品だったりして」
「ふむ、アルヴィンさんの目に私はそんな風に見えているんですね。そんな私が言っても信じていただけないかと思いますが、身につけているものは全て私物ですよ。例えばその証拠に、この耳飾りには私の名前が彫刻──」
「冗談だよ冗談!」
手にとって見せようとすると、アルヴィンがもういいと言って耳にかけた手を掴み下ろし溜め息をついた。